シブヤには12人の殺人鬼がいる

OOP(場違い)

第1話 牛尾義孝

 28歳のサラリーマン、牛尾義孝の朝は早い。


 6時に起床し、昨日のうちにアイロンをかけておいたスーツをぴっちりと着こなしてビジネスホテルを出る。贔屓にしているこのホテルから会社へは歩いて4、5分といったところであるが、最近異動になった部署の上司の機嫌を取るためのコーヒーを買いに、逆方向へ向かわねばならない。

 性格が最悪な上司ではあるが、そのぶん、味方となれば心強い。私が気に入らない同僚に意地悪をされたとか漏らせば、自動的にそいつを攻撃してくれるからだ。自分含めた味方にはとことん甘く、敵には徹底的に嫌がらせをする人間であるからだ。

 だから新環境に慣れるためにも、私は彼の機嫌を取らねばならぬ。懐柔せねばならぬのだが、この上司は性格も我儘であれば舌も我儘であり、コンビニのドリップコーヒーでは受け付けない。必ず、7時開店の『珈琲感渋谷店』に朝早く並び、マンデリンだか何だか知らん銘柄のやつを買わねばならない。

 朝早い時間は、夜に遊び歩いていたカスの残りカスがちらほら見られて不愉快だ。ヤツらときたら働きもせず勉強するでもなく、自分が大学生だった時代もあったわけであるが、それを棚に上げて言う。私は大学生が嫌いだ。


「殺人鬼が殺してくれればいいのだが……」


 不謹慎な呟きが誰かに録音されてSNSに投稿などされていないことを祈ろう。


 これは妄言などではなく、この街には確実に殺人鬼がいる。

 真偽不明の都市伝説が出典ではあるが、こんな噂が流れているのだ。

 『渋谷には12人の殺人鬼がいる』。

 12人かどうかは知らないが、私は確実に、1人は殺人鬼がいると思っている。この街で相次ぐ変死事件を何度も目の当たりにしてきたからだ。報道されることのない残酷な死にざまを。

 およそ人間の手によるものとは思えない、超能力か何かでも使われたような、不自然な死体を。


 自分のブレンドも一緒に、上司用コーヒーを買って、来た道を戻る。

 この街にはいくつもの人混みがある。

 耳を澄ませば、くだらぬ話からくだらぬ話まで、様々な取るに足らない無価値な会話が耳にできる。耳を澄まさなくても聞こえてしまうのだから始末に負えない。若者みたいで気が引けるが、今度からイヤホンでも買おうか。

 チェックシャツの男とフードの柄悪い男が、やたら大きい……いや、甲高いせいで嫌に聞き取れてしまう声でくっちゃべりながら歩いてくる。


「なあ、電信柱消えたくね?」

「は? ああ、最近よく言われてるアレっしょ。地面に埋める的な」

「景観損ねるから、みたいなヤツか。あー確かに、テレビで見たわ」

「だろ? いつの間にか工事されてたんじゃねーの?」


 もともと必死に盗み聞きしてるつもりはないので、それっきり聞こえなくなった。

 電信柱か……そういえば、電信柱のバッジを持っていたっけ。

 大人になって恥ずかしい趣味であると自覚はしているのだが、私はバッジ集めが趣味なのだ。安っぽい缶バッジなのだが、もともと子供の頃から収集癖があるので、チープと分かっていながら、見たら集めてしまうのだ。

 今日も、スーツの内側の目立たない部分に、電信柱がデザインされたバッジの他に赤い炎のバッジ、ニコニコマークが描かれたバッジ、ちょっと不良っぽくナイフがデザインされたバッジなど、色んなバッジをつけてある。

 ……まぁ、こんなくだらないものでも、1つの趣味である以上、私の生活必需品と言えなくもない。


 会社に着いた。

 すぐさま上司にコーヒーを渡しそうとするが、どうにも反応が芳しくない。


「……牛尾くん。君、鷲崎さんとずいぶん仲がいいみたいだね」

「いえ、そんなことは…………柏岡部長」

「見たぞ、君。休憩室でイチャついているのをな」

「滅相もございません」

「言い訳はいい! 下がれ、コーヒーもいらん!」


 ……やれやれ。どうやら柏岡、普段セクハラしている女子社員の鷲崎を私に取られたとか思って、勝手に嫉妬しているようだ。

 かくして私のデスクの上に2杯のコーヒーが置かれる。マンデリンなんて飲んだこともない飲みたくもない、かと言って捨てるのもはばかられるし、どうしたものか。


「牛尾さぁん! 私のせいでなんか怒られちゃったみたいで、ごめんなさぁい」


 猫なで声で、鷲崎が声をかけてくる。

 お前のせいだと分かっているのなら、部長の見ている前でこんなことをするな。たいして顔もよくない癖に魔性っぽく振舞うな。

 という本音は隠しつつ、沸点を越えて何かの衝動に目覚めそうな心のうちを自覚しながらも、私はにこやかでフレンドリィな笑顔を浮かべ、


「………………気にしなくていいさ。よければこれ、貰ってくれないか」

「えっ? いいんですかぁ?」

「部長のおさがりだ、部長に感謝してくるといい……」

「わー、ありがとうございますー!」


 何とか鷲崎を柏岡の方へ近付けることができた……。これで信頼が回復すればいいのだが。


 今日も仕事が終わった。

 夜の繁華街、裏路地の錆びた壁にもたれかかってメッセージアプリを開く。同僚の久保田が開いた飲み会に、もう1時間遅刻してしまっているのだ。

 面倒な書類ばかり回されてきたのには、たぶん柏岡の嫌がらせが関わっているに違いない。おかげでこの時間だ、くそったれ。

 そろそろそっちに着く、とメッセージを送り、私は溜め息を吐きながらスマホをポケットにしまう。


「殺人鬼が殺してくれればいいのだが……」


 その瞬間、首筋に鋭い切っ先を突き付けられる。


「安心してくださぁい。あなたを殺したあとで殺してあげますからぁ」


 冷汗が止まらない。

 何が起きているのか分からず、私は目を見開いてみっともなく震えながら、とにかく周囲を観察することに努めた。


 まず……この声には非常によく聞き覚えがある、鷲崎だ。

 そして首筋の刃物……体が動かなくて確認できないが、おそらく、鎌だ。

 切っ先が肌に触れた。

 黒い血が滲むのが分かる。しっとりと垂れて、高かったカッターシャツに染みを作っただろう。実際には見えないけれども、多分おそらく。

 鷲崎は、いつの間にか私の隣に立ち、私の首筋に鎌を添えながら、私の恐怖する顔を覗き込んでいたのだ。

 大きな声を出せば即座に殺される。本能的に感じ取って、私は掠れる小声で尋ねた。


「な……鷲崎さん、これは、いったい…………!!」

「うふふふうふふううふふううふうふうふふふふううふふう。怖がる顔も愛おしいですぅ、牛尾さぁん……」

「君が殺人鬼……などと……冗談だ、冗談だろう、なぁ、なぁなぁなぁ…………」

「冗談じゃありませんよぉ。大好きな殿方の首を跳ねて持って帰るのが好きな、可愛い魔性の殺人鬼でぇーすぅ」


 ふざけている、こんなことあり得ない、こんなところで死ぬのか!?

 こんなクソ以下のB級ホラーみたいな女に殺されるというのか、私の人生、ここまで必死に勉強してキャリアを積んできたこの私の人生が潰されてしまうというのか!

 私はあまりの恐怖に、スーツの上から体を掻きむしった。

 バッジが1つ転げ落ちて、鷲崎のタイトスカートの真下へと滑り込んだ。


「嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない、死にたくない…………!!」

「だぁめぇ。牛尾さんはぁ、私のイケメンコレクションに入れるのぉ~!」


 首筋に張り付いていた鎌の感触が消えたと思ったら、次の瞬間目の前に、殺人的に回転するチェーンソーが現れた。

 私が壁に後頭部をぶつけるように仰け反ると、鷲崎は笑いながら、今度はチェーンソーをジャックナイフに変えた。


「冥途の土産って言うんですかぁ? 教えてあげますねぇ」

「なっ…………何を……」

「これぇ、『サイキック』って言ってぇ。異能っていうか、超能力なんですよぉ。私のは、体の一部を自由に武器に変えられる能力なんですよねぇ」

「……そんな…………」

「だからぁ、どんなに抵抗しても無駄でぇす! だからねぇ、私の手が滑って殺しちゃうその時まで、だからねだからねだからね、ずっとね、甘ぁいお喋りしてましょうよ!」


「その前に私の手が滑ったようだ」


 指パッチンを鳴らすと同時、落としたバッジから


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 鷲崎の股下を貫いて天まで伸びた電信柱から、くぐもった断末魔が聞こえてくるが、この程度、歓楽街の雑音が掻き消してくれるだろう。

 ……感触的に、ふむ、股間とか右腕とかいろいろもげているが、奇跡的にまだ死んでいないようだな。

 きょうはイライラが溜まっている、飲み会の前に少し、快楽を満たすとしよう。


シャラップ閉じ込めろ


 と唱えてもう一度指パッチンすると、電信柱は一瞬にしてバッジになり、どろどろになった鷲崎が落ちてきた。少し遅れて右腕とよく分からないモノも落ちてくる。

 ヒキガエルみたいに汚い鷲崎を見下ろし、私は少し頬を緩めた。


「どうやら趣味が合うようだね」

「な……………ん……で…………」

「私も殺しが趣味なんだ」

「………………………………………いや……………」


 スーツの裏側から、ナイフのバッジを外す。


「申し訳ないが私から土産はないよ。易々と秘密を口外する性癖は、申し訳ないが私にはないんだ」

「嫌、嫌嫌嫌嫌嫌…………!!」

オープン死ね


 手元のバッジがすぐさまナイフに形を変えた。

 鮮度が命だ、死ぬ前に、必要な臓器モノはいろいろと取り出しておくか。思わぬ副収入だなぁ。

 鷲崎は意外とすぐ死んでしまった。殺人鬼の生きた解剖体なんてそうそう漁れるものではないというのに、勿体ないなぁ。もっと別の方法で殺すべきだったのかな。


「…………ん、これは……」


 人差し指と親指で、私は、けっこうキレイなそれを持ち上げた。



「おっ、牛尾! お前遅いぞー!」

「悪い悪い。残業だ」


 久保田にバンバンと肩を叩かれながら、私は席に着いた。

 にしても……やれやれ、よりによって焼肉とは。

 他の同僚たちと歓談しながら、メニューを開く。


「なに頼むん?」

「義孝くんはどうせレバーでしょー」

「いや……今はちょっとな」

「えーなんで? 大好物じゃんね?」

「ちょっと事情があってね。当分牛のレバーは食えそうにないよ」


 さっき食べたのが美味すぎたからなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シブヤには12人の殺人鬼がいる OOP(場違い) @bachigai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ