雪の止んだ日

夜野さくら

第1話 雪の止んだ日

 蛍のようにチカチカと輝きながら、真っ白な雪が宙を舞う。

 私はそのひとつをすくうように手で取ってみるけど、儚くすぐに溶けてしまう。白い雪に、白い息。目の前に広がる真っ白な世界は、美しくも切なく、私の心を凍り付かせようとしていた。

 時は12月24日、クリスマスイブも終わりかけの23時。

 私には、クリスマスを一緒に過ごすような相手はいなかった。だからこうして、ひとり寂しく山の頂上に、それも真夜中に立ち尽くしているのである。ああ、やけになったんだな、そう思われても仕方のない状況だけれど、そうじゃない。私は今十年ぶりに、故郷の思い出の場所に、思い出のマフラーをして立っている。

 十年前のあの日を思い出す、あの日もクリスマスイブだったっけ。今日と同じ、一面の銀世界だった。今日と違うことと言えば、雪は止んでいたことと、隣には優ちゃんがいたってことかな。



「なっちゃん!早くー!こっちだよこっち!」

「早いよ優ちゃん、待ってよー」


 十年前、中学三年生だった私たちはクリスマスイブの夜に山を登っていた。イブの前夜に優ちゃんから、

「ねえねえなっちゃん、明日の夜さ、双子山に登らない?」

 と突然の誘いを受けたのが始まりだった。

 もちろん私は、「夜じゃなきゃダメなの?」とか「明日じゃなきゃダメなの?」とか「そもそも私たち受験生だし……」とかいろいろ反論もしたけれど、優ちゃんがどうしてもお願いと食い下がったので、私は渋々受け入れることにした。まったく、こうと決めたら絶対に曲げないんだから、仕方ないなあ。とは言うものの、私は内心嬉しかった。



 私の家族は転勤族で、ひどいときには半年で転勤なんてこともあった。ひとつの学校にいる期間は短く、友達ができたとしてもすぐに離ればなれ。おまけに私は引っ込み思案な性格だから、ほとんど友達と呼べるような友達はできたことがない。そうこうしているうちに中学三年生の春になり、また引っ越しの時がきた。

 新しい学校。どうせまた誰とも友達にならずに転校するのだ。今までも、これからも、ずっと独り。そうに違いないと思っていたその時、彼が現れた。

「よっ、お前も転校ばっかしてるんだってな。俺も同じなんだー。大変だよな。あ、俺の名前は相川優斗、よろしくな!」

 とても明るい好青年、というのが第一印象。これならどこの学校にいてもすぐに友達できるんだろうな。彼の言う『大変』というのはきっと、土地に馴染めないとか、頻繁に行う引っ越しとかそういうことだろう。どうせ友達のいない私なんか忘れて、クラスの人気者としてチヤホヤされるに違いない。ついネガティブになっちゃうのも私の悪い癖だけど、本当にそうだと思った。

 しばらく経つと思った通り彼はクラスでは人気者となっていた。だけど、私の予想とは裏腹に私のことを忘れるなんてことはなかった。休み時間に私の所に話に来ることもあったし、お互い帰宅部だったせいもあってか放課後は毎日一緒に帰った。二人はすぐに意気投合し、友達と呼ぶには十分に仲良くなった。私に、初めての友達ができたのだ。

 それからというもの二人でいる時間は長くなり、夏には花火をしたり、秋には紅葉狩りに出かけたり、本当にいろいろなことをした。そして、クリスマスイブ。


「ねえ優ちゃん、こんな夜中に山登りして何があるの?」

「それはこれからのお楽しみでーす」

 楽しそうに笑う優ちゃんは、今日の目的を隠してなかなか教えてくれなかった。それからしばらく歩くと、

「おーし頂上だ!こっちだよー!」

 どうやら頂上に着いたようだった。双子山はそこまで高い山じゃないから、十五分も歩けば頂上に着く。足下に視線を落としていた私は遠ざかる背中に視線を移すと、その先には大きな木が立っていた。

「なっちゃーん、早く来てみろよー!」

 木の下に立つ優ちゃんの元へ小走りで向かう。

「これが今日来た目的なの?」

 確かに大きいけれど特に変わった所はないし、そもそも夜に来る理由が見当たらない。私は首を傾げてしまう。

「じゃあいいか? せーので真上を向こう。行くぞー、せーのっ!」

 優ちゃんの掛け声で、二人同時に上を向く。するとそこには、想像もしていなかった景色が広がっていた。

「うわあ……」

 思わず感嘆の声が漏れてしまう。葉が落ち、枝だけが残った木の間から無数の星たちが輝いている。息を飲むほどの絶景だ。

「クリスマスツリーみたいだろ?これがなっちゃんと一緒に、どうしても見たかったんだ。昨日の夜の天気予報で今夜だけ雪が止んで晴れるって言ってたから、今日しかないって思って誘ったんだよ」

「すごく、嬉しい。こんなにきれいなクリスマスツリー、私見たことないよ」

「来てよかったでしょ?」

「うん」

 本当に嬉しかった。大切で、唯一の友達、優ちゃんとこんなに素敵な景色を見られて、私の心はいつも以上に温かいもので満たされていた。

「そうだなっちゃん、マフラー交換しよ」

「うん、いいよ」

 私たちは特に理由はないけれど、お互いの心を共有するようにマフラーを交換した。優ちゃんの匂い、優ちゃんの温もり。それが心地よく、この時間が永遠に続いたらいいなと、そう思った。

 やがて二人は山の麓まで降り、優ちゃんは私の家の前まで送ってくれる。残念ながら今日はもうお別れだ。名残惜しいけれど、優ちゃんにまたねと言おうとした時、

「好き」

「え?」

「俺、なっちゃんのことが好き。だから、俺と付き合ってほしい」

 私は優ちゃんの言ったことがよく分からなかった。私のことが好き? 付き合ってほしい? 言われたことがない言葉に私は戸惑う。私の気持ちはどうなんだろう、考えたこともなかった。今思えば、私は紛れもなく優ちゃんのことが好きだった。でも当時は自分の気持ちに気付いていなかった。優ちゃんの顔を見ると、頬を赤らめ恥ずかしそうに俯いている。何か、何か言わなきゃ、そう思えば思うほど言葉が出てこなかった。私が何も言えずにいると優ちゃんは、

「そっか、うん、困らせちゃってごめんな、今日はありがと。それじゃ」

 と、小さい声で呟き悲しそうに笑うと、逃げるように走って行ってしまった。

「ま、待って!」

 私は慌てて呼び止めようとしたけれど、顔を上げた時にはもう優ちゃんの姿は遠く遠ざかり、次第に暗闇に消えていった。


 結局それが二人の最後となってしまった。その後優ちゃんは転校し、それ以来連絡手段もなく会っていない。私はそれはもうひどく自分自身を責めた。大切な人を傷つけてしまった。なんであの時私は何も言えなかったんだろう。優ちゃんは今頃どうしてるだろう。心にぽっかりと穴が空いてしまったような気がして、優ちゃんのことを考えたくない時だってあった。

 でも、私には伝えなくちゃいけないことがある。それが伝えたくて、ついに今年記憶の封印を解き、良くも悪くも思い出の場所となった双子山の頂上に、交換したままのマフラーを巻いてやってきた。ここに来れば優ちゃんに会えるかもしれない。その根拠も何もない、自分勝手な『希望』を胸に。

 私は降りしきる雪の中、凍えそうになりながらも来るはずもない優ちゃんを待った。

 お願い神様、今日はクリスマスなんでしょ? だったら私の願い事だって、ひとつくらい叶えてよ。優ちゃんに会わせて。ここに優ちゃんを連れてくるだけでいいから、だからお願い。私は何度も心の中で祈った。

 でも、いくら待っても優ちゃんは来なかった。そりゃあそうだ。だって約束もしてないし、あれから十年も経ってしまっているんだから。

 私がしがみついていた『希望』なんてものは、軽くて薄っぺらくてすぐに遠くへ飛んでいってしまう、儚いものだった。もう、優ちゃんには会えない。謝ることも、本当の想いを伝えることも、もうできない。だからこんな『希望』は雪の中に埋めてしまって、もう帰ろう。私は覚悟を決めて、一度深呼吸をしようとして上を向いた。しかしそれは、しようとしただけで実際は未遂に終わっていた。

「えっ……?」

 雪はいつの間にか止み、雲は晴れ、満天の星空が輝いていた。あの日と同じ、眩いほどの光。

「クリスマス、ツリーだ……」

 そう呟いた時、私が死ぬほど聞きたかったその声が、耳に届いた。

「え、なっちゃん……?」

「うそ、優ちゃん……」

 振り向いた先に立つ、一人の男の人。私は見た瞬間、というか声を聞いた瞬間に、それが優ちゃんだと分かった。

「会いたかった……ずっと会いたかったよ優ちゃん!!」

 そう叫びながら、私は優ちゃんの胸に飛び込んだ。

 十年ぶりに感じる温もり、匂い。それらはあの時と何も変わらず私を包み込む。よく見ると優ちゃんもあの時のマフラーをしている。

「ごめんね、ごめんね。あの時何も言ってあげられなくて。だから、ずっとほんとの気持ちを伝えたくて……っ」

 ああ、だめだ。もう涙が止まらなかった。涙が邪魔してうまく喋れない。だけど、今度こそ伝えなきゃ。

「私の隣から優ちゃんがいなくなって、初めて自分の気持ちに気がついたの。ああ私、優ちゃんのこと好きだったんだって。人を好きになったことも、好きになってもらえたこともなかったから、気がつかなかった。だけど、今ならもうはっきりと言える。優ちゃん、私、優ちゃんのことが好き、世界で一番好き、あの時も今も、変わらず大好きだよ」

 言い切った。十年前のあの日に言えなかった言葉を、私は伝えることができた。もう優ちゃんが私のことを好きじゃなくなっていても、偽ることなんてできない、私の本当の答え。そっと顔を上げて優ちゃんの顔を見たその時、優ちゃんの頬を一筋の雫が伝った。

「優ちゃん……?」

 泣いている。優ちゃんは涙を流していた。首を傾げる私に向かって優ちゃんは言った。

「違うんだ、謝るのは俺の方なんだ。思い切って告白した時、戸惑うなっちゃんを見て断られるのが、好きじゃないって言われるのが怖くなった。それで俺は、あの場から逃げた。なっちゃんの答えから逃げた。でも後になって後悔した。なんで逃げちゃったんだろう、なっちゃんを傷つけたって。なっちゃんがいなくなってから時が止まったようだった。こんなに好きだったんだって感じた。だから、なっちゃんにもう一度会って、謝って、本当の答えを聞かなくちゃって思った。だから今日、ここに来たんだ。そしたら本当になっちゃんがいるんだもん、びっくりしたよ」

 優ちゃんは泣いているのか笑っているのか分からない顔で話す。この十年間、お互い同じ気持ちだったことになんだか嬉しくなった。自分だけじゃなかった、優ちゃんも私のことで悩んでくれてたんだって。だから私は思い切って、私の想いに対する、優ちゃんの今の答えを聞くことにした。

「あの日と立場が逆になっちゃったね。私は優ちゃんのことが好き、だから優ちゃんの今の答えを聞かせて」

 まっすぐに見つめ合う。心臓が飛び出しそうになるくらいドキドキしてる。優ちゃんは微笑みながら、静かに答え始めた。

「俺はなっちゃんのことが好き、宇宙で一番好き、あの時も今も、変わらずずっと大好きだ」

 ああ、こんなに嬉しいんだ。好きな人に好きって言えて、好きって言ってもらえることが。私は優ちゃんのことをもっと強く抱きしめた。そうでもしないと、幸せな気持ちが溜まりすぎておかしくなっちゃいそうだったから。すると優ちゃんが、何かを思いついたように声を上げた。

「マフラー、交換しよっか」

「うん!」

 十年間待ち続けた優ちゃんの温もり、匂い。

 私は満面の笑みで、夜空に輝くクリスマスツリーを見上げた。

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