怨霊寺 ~Another End~

伊藤 光星

第1話 白い幽霊

 蒸し暑い夏の日の夜の事だった。既に、時計は深夜〇時を廻っている。人気も街灯もない細い山道を私はLEDライト片手に一人で歩いていた。辺りには放逐された竹林で覆い尽くされており、天高く伸びた竹たちが時折、生暖かい風を受けて笑っている。私は、サラサラとした笹の葉の調(しらべ)に不意に空を見上げた。空には厚い雲が覆いかぶさり、薄い月の光を遮っている。


 そのお蔭で辺りは真っ暗闇と化している。そこへ湿ったような葉の香りが漂う。おそらく、それは笹の葉と野草たちの匂いなのだろうか。竹林の隙間から遠くの眼下に見える街明かりが揺れており、山の裾の下に広がる田園からカエルたちの合唱が響き渡っている。


 流石に深夜だけあって、真昼の暑さが少しだけ和らいでいるように感じる。この周防山の駐車場から歩き出してから既に三十分が経過していた。枕木と砂利で出来た坂道の左周り回廊を登り続ける。私の脚が皮が突っ張り、まるで棒のように固くなっていくのを感じるのだ。


「それにしても・・・。この狭い坂道は、どこまで続くのかなぁ」

私は、登り坂に、うんざりとしながらも前に足を進める。


 赤黒く壊れかけた枕木と灰色でゴツゴツとした砂利がLEDライトに照らされて、思わず背筋を鳴らした。不気味な陰影が霊的なものを感じさせるからなのだろう。蒸し暑さに加えて、恐怖心に苛まれ、私の額から吹き出す玉のような汗が一滴、一滴と滴り落ちては、灰色の砂利に黒い印をつける。


「誰よっ!一〇分で着くって言ったのは!」

 そう憤慨しながら、私は親友の南田 景子の笑顔を思い浮かべていた。


 私と景子はテニス部に所属している同級生の間柄である。一年の頃から同じ部活だったのだが、クラスが異なっていたため、あまり親しい関係にはなっていなかった。それが今年、高校二年になってから同じクラスになると、親近感が沸くというのだろうか。段々と話すようになっていったのである。


 そして、高校二年の夏休み。八月の初旬を迎えていた。今日は景子と神社の夏祭りに行く約束をしているのである。夕方五時過ぎ。私たちの家から一番近い最寄駅の前で景子を待つことにした。蒸し暑い曇り空の下、駅前の時計塔のアナログ時計をチラチラと眺める。行き交う社会人や大学生を見ながら、将来へと思いを馳せる。


「来年の今頃は受験勉強で遊んでいる暇は無くなんだろうなぁ。私、将来どうしようかなぁ。大学出て、社会人になって、お嫁さんになって、主婦になって・・」

 無限連想のような物思いにふけっていると、時計塔の下に景子の姿が見えた。だが、その隣には、二人の女の子が一緒だった。


「裕美っー。遅れてごめーん。さっきね、そこで会ったんだけどさー。私が一年の時に同じクラスだった、由佳と真紀なんだけどさー。今日、一緒に行ってもいいよね?」


 何とも唐突で、強引な言い回しだろうか。当日、急に一緒に来られて、そう言われては私も断りようがない。私は呆れながら


「まあ、それは、いいけど・・」

と、ここは譲る事にして角を引っ込めた。


(それにしても・・・)


 私が辺りを見渡すと、夏祭りに行く私たちと同じ歳の女の子は、ほとんどが浴衣である。なのに、景子と約束した時、今日は男子生徒たちと会う予定が無いとか言い出して、普段着にすると言い出した。言い出したら人のいう事など聞かない景子だから、仕方なく、私もそれに合わせたのだ。ところが不可解なことに由佳と真紀も普段着で来ているではないか。


 我ながら、何とも素っ気も色気もない四人組みの女子なのかと思ってしまう。それに景子を除けば、あまり親しくない由佳と真紀に正直、戸惑いも覚えていた。私は諦めムードの中、夏祭りの神社へと向かった。もし、男子たちと来ていれば、それなりに夏の思い出としては最高なシチュエーションだったのかもしれない。


 それから、私たちは神社で夏まつりを堪能し、神社を出たのが一〇時半。多くの客でごった返す駅のホームから、私たちはギュウギュウに詰められ、最終電車に揺られていた。ちょうど、私たちは電車の扉の前を陣取っていたのだが、不意に景子の方を見た瞬間、ガラスに奇妙なものが写ったのだ。


(今、景子。白くなった?何だろう?今のは?)

流石に口には出せなかったが、思わず背筋に寒気が走った。


 と、その途端だった。突如、景子が肝試しをしようと提案し出したのである。正直、私は幼少期の苦い思い出があったため、気が進まなかった。ところが何故だか由佳も真紀も面白そうとか言い出したのだから、たまったものではない。私は行きたくない一心で

「えっ!でもさ、もう最終電車だよ!帰りは、どうするのよ?帰れなくなるじゃない。もう、帰ろうよ。」


と、何とか肝試しを止めさせようと試みた。だが、不敵な笑みを浮かべた景子が


「裕美。もしかして、怖いの?」

「いや、そういうわけじゃないけど・・」

「だったら、大丈夫よ。まあ、駅だってさ、元の駅まで二駅ぐらいだから、何とか歩いて帰れるって」

と、簡単に行って押し切られてしまったのである。


 結局、三人の意見に押し切られ、不本意ながら、二駅手前で下車する羽目になってしまったのだ。そこから周防山という山まで徒歩二十分の道のりを歩いた。夜道は長く感じる。そして、その山の駐車場でクジ引きをして、まさかの一番を引いてしまった結果、この有り様である。


 私は正直、疲れていたのだ。当初、私は軽快に登り始めたのだが、さすがに段数の多い長い回廊に辟易して足を止めることにした。止まった途端、周囲の湿気が私を覆い、体内の温度を上昇させる。全身から噴き出る汗を長袖シャツの袖口で拭った。私の長い髪に汗が絡まり、湿り気を帯びてシャツの上から重量感を増していくのを感じるのだ。


 私は太ももに両手を置いて、ジーンズのゴワゴワとした感触を探る。そして、目を瞑り、深呼吸をして呼吸を整えた。ふと、耳を澄ますと、先ほどまで聞こえていたカエルの声がピタリと止んでいる。一体、どうしたと言うのだろう。急に怖くなった私は後ろを振り返り、坂道に沿って舐めるようにLEDライトを照らしていく。やはり、気の所為なのだろうか、何も見つからなかった。


 そのまま、前の方を照らしてみると、薄っすらと形が見えてくる。私はよく目を凝らして見てみると、竹林の間から石で出来た階段が浮かび上がっているのが見えたのである。そして、その両脇には朽ち果てそうな木で出来た門が見えた。


「あれが山門なのかな・・・」

 そう独り言でも呟かなければ、心が折れそうだった。だが、山門辺りの寂れ具合が、あまりの冷気を感じ、思わず、背筋にゾクリと悪寒が走った。それが全身に震えが伝播する。果たして、蒸し暑いはずの暗闇の中で、何かが、私の事を見ている。そんな妄想だけが独り歩きする。心の中が重圧されるような静寂の中、呼吸が荒くなり、喉がカラカラと渇いていく。私は唇を舐めながら、その不安と恐怖を払拭しようと試みていた。


 しかし、肝試しを早く終わらせなければ、帰れない。私は勇気を振り絞って、その門の暗黒の中へとライト向けた。と、その瞬間だった。直線的に照射された白い光が一瞬、異形の物体を捕えたのだ。


「えっ?!なに、あれっ?」

 私の網膜に焼き付いたのは、その凍りつくような映像だ。山門の前で、腰まである長い黒髪を垂らし、白い浴衣を着た女性の姿が立ち竦(すく)んでいたのである。だが、その眼はくり抜かれたようにどす黒く、口も笑っているように真っ黒に塗られているのだ。


「うわっ!」

 私は咄嗟に後ろへ飛び退こうとしたのだが、足が棒のように固まり、動けない。その私をあざ笑いうかのように、その白い浴衣の女が私めがけて、一気に近づいたきたのである。私は全身を硬直させ、もう駄目だと諦めながらも少しでも負けまいと、その女を凝視した。だが、その女は私の目の前まで来ると、何処か寂しげな笑みを浮かべて、スッと暗闇に溶けていったのであった。 

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