第6話 殺人者

私たちが、駐車場に辿り着いたのは午前三時を廻っていた。私と由佳は、呼吸が上がり、全身の筋肉が引き攣ったようになって嫌な汗が吹き出していた。それでも、もう振り返る余裕などない。あの恐ろしい手の骨が私たちをいつ襲ってくるのかという、その恐怖と不安だけが私たちの前に前に動かしていくのだ。


「由佳!あと、ちょっとよ!頑張ろう!」

 私は由佳と励まし合いながら、とにかく駅を目指した。先ほどより、走るペースが落ちたが、雑草の生い茂る土道をひたすら走るしかないのだ。むせ返るような蒸し暑さが辺りを覆っている。全身が燃えるように熱い。額からは汗が滴り落ちていく。


 そんな土道を走っていると、先の方からぼんやりとした明かりが近づいてくるのが見えた。思わず、由佳が立ち止まると、

「あれは、何?」

と、私の肩に手をやって尋ねる。

 私も立ち止まり、暗闇に目を凝らす。ぼんやりとした光は白色の光で、ゆらゆらと縦に等間隔で動いていた。

「多分、人だよ!私たち、助かったのかな?」

「えっ?本当に?」

 由佳は明るい声を上げた。ゆっくり近づいてくる光に少しだけ安堵を覚えながら、私たちは駈け寄っていくことにした。


 そして、暗闇の中から姿を現したのは、大きな麦わら帽子を被り、首から白い手ぬぐいを下げ、田んぼにでも向かうのか長靴を履いた男性であった。男性はその顔を上げると、顔に年輪を重ねた年のころ、七十代の老人に見えた。老人は額の汗を拭いながら、こちらへ歩いてくる。だが、私たちを一瞥した、その額に皺を寄せ、怪訝そうに私と由佳を見比べながら

「こんな時間に、若い娘さんがこげな場所で、一体、何をしとるんじゃ?」


と濁声で尋ねてきた。由佳は急に安堵したのか、私を押しのけて、慌てた様子で


「ああ、すみません!助けて下さい!肝試しをしてたんです!私たち!そしたら、こんな手がいっぱい出てきたんです!景子は死んじゃうし、私らは追われるし!真紀は食べられたんです!ああ、どうしよう!」


と、錯乱しているようで、話している内容が支離滅裂だった。それを聞いた老人は私たちに冷たい視線を投げかけ

「なんじゃと!お前さん達は、なんて恐ろしいことをするんじゃ!ここは死者以外は立ち入っちゃいけん土地じゃぞ!」

『はあっ?死者以外立ち入っちゃいけない土地?!』

私と由佳は同時に叫んだ。


「そうじゃ!ここは十年前に廃寺になっとる寺じゃ!普通の人間は入っちゃいけんのじゃ!」

「ええっ?確か、私たちが聞いたのは、十五年前に女子高校生が殺されて、肝試しが多くなったから廃寺になったって聞いてますが・・・」


「いや、本当は十年前の話じゃった。この尾野村で失踪事件が発生し始めたんじゃ。ワシが覚えとるだけで四件。とにかく、村を上げての大騒動じゃった。当時、警察と消防に村の男たち全員で山狩りまでして捜索したんじゃ。じゃが、誰一人見つからなんだ。ところが、半年ほど経ったある日の事じゃ。居なくなったはずの子供が遂に発見されたんじゃ」

そこまで話すと老人は一息飲み込んで続ける。


「その子はちょうどアンタらぐらいの高校生ぐらいの女の子じゃった。ワシらが見つけた時には、ボロボロに切り裂かれた白い浴衣を着て、全身引っ掻き傷だらけで血塗れになって倒れとったんじゃ」

私たちは背筋を凍らせた。それは、先ほど見た鋭く尖った爪による傷をイメージしていたからに他ならない。


「それでのう。残念な事にその女の子は、この寺の山門辺りで息を引き取っていたんじゃ。ワシらはもう少し早く見つけておればと悔やんだものじゃ」

老人はガックリと、うな垂れ目線を伏せた。私は、あの山門で見た幽霊が、まさにその女の子のような気がしてならなかった。私は老人に

「それで結局、どうなったんです?」

と、続きを促した。


「それがやな・・・。この事件には恐ろしい結末を迎えたんじゃ」

私たちは固唾を飲んで見守る。


「あれは、その年の初夏じゃったろうか。あの寺の寺務所から悪臭がする言う情報が入ってなぁ。それで、警察も含めて村の青年団たちが調べることになったんじゃ。すると、寺務所の入り口から奥に入った部屋の真ん中らへんの畳にどす黒いシミが涌き出ているのが見つかったんじゃ」

「それって、まさか、あの畳の下の穴・・・」

私と由佳が揃って言うと


「そうじゃ。深い縦穴があったんじゃ。警察が畳を上げると、異様な腐敗した臭いと無数の蝿が湧き上がってきた。そして、穴の中から三体の子供と大人一体の遺体が発見されたんじゃ。ああ、思い出しても恐ろしい出来事じゃった」

老人は、その光景を思い出したように頭を抱え込んだ。だが、私の脳裏には、あまりに滑稽な疑問が涌き上がってくるのを止められなかった。


「ちょっと、話を遮って、すみません。その話、凄く不思議なんですけど?」

「んっ?何がじゃ?」

「だって、遺体を寺務所の穴に隠したんですよね?普通、そんな簡単にバレるようなところに隠すんでしょうか?それに、あのお寺、住職がいたはずじゃないですか。どこに行ったんでしょう?」

老人は俯いたまま、


「ああ、あの穴か・・・。あれは、生贄の穴と呼ばれておる」

「生贄の穴?」

「そうじゃ。あの穴に落ちた者は魂を吸い取られ、地獄に落ちると聞いておる」

「でも、腐敗臭で遺体が発見されたんですよね?犯人は何で、そんなところに放置したのか不思議なんです」

と私は疑問を老人に投げかけた。老人は唇に笑みを浮かべて、私を見据えると


「だから、地獄へと通じる穴なのだ。それに住職もいたよ。しかも、そいつが大量殺人の犯人だったんだからな。そして、今は、お前たちの目の前におる」

老人は尖った歯を私たちに見せた。私たちは絶句する。

「お前ら、ようもワシの可愛い景子を殺してくれたなぁ」


老人は、どす黒く籠った濁声で私たちを睨みつける。私は肩を震わせ、後ずさりしながら、

「アンタ!景子と、どういう関係なの?」

と威嚇した。

「景子はな、ワシの娘だったんだ!だが、十五年前に、この寺で殺害されたのだ」

「えっ!そんな馬鹿な!」

私は絶句した。そして、思い出していた。さっき電車の窓越しに映った景子の白くぼんやりとした姿は、まさに白骨化した骨ではなかったのか。


「だから、ワシは生贄の穴に五人の生贄を捧げたんだ!そのお蔭で景子は復活を遂げた!それなのに、景子はワシの忠告を無視して、この寺にお前らを連れてきてしまった」

老人は頭を抱えて、悔しそうに歯をギシギシ言わせている。


「ふ、復活したって・・・。あの穴は・・・」

「そうだ!あの穴は五人の死者の魂を吸い取り、復活の義によって、一人の人間を甦らせる事ができるのだ!それにしても、貴様らぁっ!」

と、突然、老人は躍りかかってきたのだ。


「きゃっ!」

 由佳は、そう叫んでしゃがんでしまった。これでは、簡単にやられてしまう。咄嗟に、そう思った私は由佳を比較的覆われている竹藪の中へと突き飛ばした。


「うわっ!痛っ!何するの!」

 由佳は竹藪の中で尻もちをついている。とりあえず、老人の突進を避けることには成功した。私は咄嗟に持っていたLEDライトの紐を握ると、ヌンチャクのように振り廻し、間合いを取ることにした。


「ふはははっ!面白いお姉ちゃんだね。俺を舐めているのか?」

老人の声色がドスの効いた声に変わり、麦わら帽子を脱ぎ捨てると、背中から鋭く尖った鎌を取り出して、握り締めたのだ。思わず、私の背筋に緊張が走る。

「どうした?どうした?そんなにこれが怖いのか?」

 老人は眉間に皺を寄せ、舌舐めずりしている。怖くないと言えば嘘になるだろう。だが、このまま、何もしなければ、鎌の餌食になるだけだ。


(とにかく、テニスと同じだ。間合いを取って、見切るしかない!)


私は意を決して、老人を見据えると、ゆっくりと右に円弧を描くように老人の周りを回る。老人も私を睨みつけながら、隙あらば、鎌による一撃を加えようと虎視眈々と狙っているのが判る。一呼吸がとても長く感じる。私の額から汗が滲み出ては頬を伝い流れていく。と、次の瞬間だった。

 老人が鎌を持ちかえようとしたのだ。

(今だっ!)

 私は、右手を後ろに回して、鎌をかわすと、LEDライトを右下から左上へと弧を描いて思い切り振り上げた。”ゴッツ!”っとした骨を砕くような音が響いた。老人の右顎にライトが直撃する。


「ぐあっ!!クソッ!てめー!何しやがる!」

老人は後ろへたじろいた。だが、どうだろう。何と、老人の頬の肉が上にズレているではないか。その下には別の顏が潜んでいたのだ。


「誰!あんたは!」

「だから行ったろう!住職だよ!まあ、もっとも、本当の住職をあの穴に落としてやったのは俺だがな。それにしても、余計な事をしやがって!このままで済むと思うなよ!」


 ドスの効いた声が怒りを携えて、腹の底を揺らすように響いた。男は背に隠していたもう一つの鎌を取り出し、私にその鋭い先を向けた。いくらテニスで鍛えた瞬発力をもってしても、暗闇の中、両手から繰り出される鎌に間合いが掴めない。右から飛んできた鎌の鋭い先端が私の左肩を切りつけた。


「ああっ!くぅっ!」

Tシャツが破れ、出血する。しかも、私は咄嗟に右手で肩を庇った所為で、LEDライトを下に落としてしまったのだ。万事休すだった。男は舌を出しながら、大きく鎌を振りかざし、私の頭部を狙ってくる。


「きゃああっ!」

私は叫ぶしかなかった。と、その時だ。突然、私の目の前に白い浴衣を着た少女が空から舞い降りてきたのだ。

「わっ!」

私は驚いて後ろに飛び退くと同時に鋭い鎌の穂先が私の目前で空を切った。


「なんだ!てめーは!クソっ!邪魔しやがって!」

激怒した男は、浴衣を着た少女の霊に向かって、鎌で切りつけていく。だが、相手は霊体なのだ。物理的攻撃が当たるはずがない。


(もしかして、私たちを守ってくれたの?)

私は肩を抑えながら、急いで竹藪の中から由佳を起こすと、駅へと走り出した。


「てめーら!待て!」

と男が追いかけようとしたのだが、その足に何かが絡まっている。

「なんだ?これは!」

私たちは走りながら、横目で少しだけ見えた。それは手の骨たちではなかったか。


「うぎゃあぁぁぁー!」

 あの男の張り裂けんばかりの断末魔が辺りに響き渡った。衣服が切り刻まれ、肉が切られるような音。男の震えるような叫びだけが続いている。私たちは振り向かずに、ただ走り続けるしかなかった。そう、街灯のうっすらと見える、元来た駅通りまで。それは、希望の駅だった。

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