第5話 脱出

 私は由佳と真紀を引き摺って、隣の部屋へと逃げた。二人は私に気付くと、安堵したようでマジマジと私の顏を見上げていたのだが、現実に引き戻されたのだろう、また泣き出してしまった。


 だが、今は、そんな場合ではないのである。あの穴に景子が落ちた時、私は床の間の影に隠れていたのだが、そこで見てしまったのだ。外の月明かり照らされて、写し出された光景は景子の足首を食い付くように握った白い手。いや、それは人間の手ではなかった。景子の足首を掴んだのは、鋭く尖った爪を持った手の骨だったのだ。


 そして、景子を一気に穴へと引き摺り込んだと思ったら、無数の手の骨が景子の体に食い込んで行ったのだ。そして、その手たちは鋭い爪を立てて、次から次へと景子の衣服を破り、その肌を切り裂いていったのである。


 それは、まさに地獄絵図であった。全身が血まみれになった景子は、穴の中へと吸い込まれるように落ちていった。だが、今は、その手の骨たちが私たちに牙を剝いてくる可能性があるのだ。私は、由佳と真紀の腕を持ち上げた。


「さあ、早く出るよ!急いで!」

 と、叱咤して歩き出したのだが、二人とも、あまりの恐怖に腰を抜かしてしまったようで立ち上がれないのだ。


 仕方なく、私は顔をクシャクシャにして泣きじゃくる二人をなんとか出口まで引き摺っていくことにした。隣の部屋を振り返ってみたが、穴の奥から何かを切り裂いているような音だけが続いていく。


「もう!早く!とにかく急がなきゃ!」

私は必死で二人を引き摺って、寺務所のドアを開けた。むせ返るような湿度が部屋になだれ込でくる。だが、外は満月の明かりに照らされ、明るかった。私たちは、ようやく寺務所を出ることに成功したのである。


 穴に引き摺り込まれた景子が、今、どんなことになっているのだろうか。それは忌まわしき殺戮の音がガラスの割れた窓から漏れて、外まで聞こえてくることで判った。


「さあ、由佳と真紀!早く教えて!」

「えっ?!何を?」

涙に濡れた由佳が私を見上げた。先ほどの話しから、この寺務所を揺さぶる何か方法がある。となれば今出来る事は一つだ。


「いい?今直ぐに、この寺務所を潰すのよ!さっき私を脅したでしょ!どうすればいいの?」

 私は泣きじゃくる由佳と真紀の肩を揺すった。涙に濡れてクシャクシャになった顔を覗かせた真紀は息を切らせながら


「そ、それなら、あっちの方にロープを括った竹にがあるの。それのロープを引っ張れば、いいよ」

そう、力なく言った。

「判った!この先の竹だね。行こう!」


 私は二人を無理やり立たせると、その場所へと急行する。そこは寺務所の入り口とは反対側にあった。寺務所の台所にあたるのだろうか。そこは、ブロック塀に囲まれたプロパンガスの置き場があり、錆びた水道管が剥き出しになっていた。


 私が辺りを探していると、由佳が一本の太い竹を指をさした。その竹には、天辺に二本のロープを結わいつけてあり、一本のロープがだらりと垂れ下がっている。もう一本のロープが寺務所の床下へとつながっているのだ。


「ああ、これか」

私は垂れ下がったロープの下まで行くと、竹がしなるのを確認する。

「なるほど、このロープを引っ張ると、竹がしなって、テコの原理で反動が寺務所に伝わるんだ。ってことは、反動を大きくするには思い切り、みんなで引っ張るしかないよね?」

私は由佳と真紀の方を見つめた。二人とも、茫然と私を見つめてきた。私は意を決して

「行くよ!二人とも!」

と、由佳と真紀の肩を叩いた。由佳は涙を拭きながら頷いたのだが、真紀は納得していないのか


「ちょ、ちょっと待って、裕美。景子は?景子は、どうするの?あのまま、ほっとくの?」

と、景子を心配しているようだ。だが、私が見た光景からすれば、おそらく景子は手遅れになっているだろう。私は、ため息を吐き出しながら、


「もう、景子は助からないと思う。あの穴から手の骨が出てきて、引き摺り込んで行ったから・・」

と言ったのだが、そんな了見で真紀は納得できなかったようで

「でも、裕美は助かったじゃない?落ちたって思ったのに!何で、あんたが生きているのよ!」

そう、私を責めた。元をただせば、アンタら三人の所為で私は危うく殺されかけたのに、何故、私が責められるのか判らなかった。ただ、今は真紀と言い争っている暇などない。私は怒りを抑えながら


「それは、景子が畳の下に穴があるって言っていたのを聞いたからよ!初めて来たお寺で、寺務所が何処にあるのか。部屋の畳で覆われた場所なのに、何で、その下に穴があるって判るわけ?景子は、始めから知っていたんだよ。あんたらも知ってたんでしょ?」

と、真紀を問いただした。だが、真紀は


「いや、知らなかったわよ!ただ、景子の彼氏を取られた腹いせに裕美を脅かしてやろうって言い出したのは景子自身だし、私らは、肝試しに賛同して、この竹を引っ張って脅かすだけの役だったんだよ。ねぇ、由佳」

と由佳に振った。由佳もそれに頷いた。私はてっきり、由佳と真紀も加担していたと思っていたのだが、何も軽薄な人間なのだろうか。そう思っていると、由佳が


「でも、どうして裕美は助かったの?穴に落ちるような音もしたのに」

と、疑問を呈した。私は呼吸を整え


「ああ、あれはね。試に、床の間に置いてあった鯉の置物を私の代わりに畳の上に投げ込んでみたのよ。そしたら、畳が裂けて穴が開いたじゃない。ビックリしてね。咄嗟に大声を出してみたのよ。それからは、床の間の影に隠れて見ていたってわけよ」

と話していたのだが、突然、寺務所の窓ガラスが割れたのだ。何かを貪るような音が大きくなっていく。


「きゃ!なに!今の!」

由佳が怯えた様子で振り返る。真紀も茫然となっている。私は叫ぶ。

「マズイっ!早く、由佳!真紀!こっちへ来て!」

私の叫びに反応して、由佳と真紀が慌てて、私の元へ駆け寄る。

「さあ、一緒に引くよ!」


真紀は四の五の言うのを止めて、私たち三人がかりで、一気にロープを引っ張る。太い竹がCの字を描いて大きく、しなると同時に寺務所の床が少し傾いていくのが判る。

「もう少し、もう少し!」

私たちは必死で引っ張る。その間にも寺務所の窓ガラスが割れ続け、遂に手の形をした骨が突き出してきたのだ。


「今よっ!」

 私は大声を張り上げ、手を放した。大きく、しなった竹が弓のように弧を描いて寺務所の屋根に叩きつけられた。瓦が割れ、柱が揺られて、すさまじい衝撃音が辺りに響いた。竹は反動で戻ってくると、今度は寺務所の床を引っ張って揺らしていくのだ。


「よし!もう一回!」

戻ってきたロープに飛びついて、わたしたちは必死で引っ張った。その間にも、寺務所の窓から大量の手の骨が突きだして今にも破ろうとしているではないか。私たちは竹を引っ張り、


「せいのっ!」

 一気に手を離した。鋭く弧を描いた竹が、寺務所の屋根めがけて勢いよくぶつかる。元々、腐りかけていたのだろう。遂に屋根に大きな穴を開ける事に成功したのだ。そして、瓦が一斉に崩れ落ちる。最後は戻ってきた竹に引っ張られて、耐え切れなくなった柱が折れたのか、大きく寺務所が傾くと、台所の方から崩れ落ちていったのだ。


 寺務所が崩れ落ちる時に窓から出ていた骨の手が全て飲み込まれて跡形も無く消えて行った。それを見届けた私たちは呼吸を荒げて、茫然と大地に膝を付いたのであった。

「やっと、終わった」

私は肩の力が抜けるのを感じた。由佳と真紀も安堵したのか、涙を流している。だが、このまま、ここにいるわけにはいかない。そう、私の直感が叫んでいるのだ。


「さあ、早く逃げよう!」

そう言って立ち上がると、由佳と真紀もふらつきながら、立ち上がった。だが、真面目な真紀は私の顔を見つめながら、


「でも、裕美。本当に、これで良かったのかな?あれじゃ、景子が出てこれないよ」

と不安げに言った。私は

「真紀!今は、そんな悠長なこと言っている余裕はないって!これ以上、ここにいると危ないんだから!」

と、由佳と真紀を急かせた。そして、私たちは山門を目指して、一目散に駆けだす。目の前の風景が霞んで揺れていく。寺務所を出て、納屋の前を走り、石畳を駆け抜けようとした、その時だった。


 壊したはずの寺務所がガタガタと揺れ、瓦礫を突き破って何がが出てくるような音が響いた。


「きゃっ!何っ!今の!」

由佳が肩を震わせ、振り返りながら、その足を止めそうになった。私は由佳の肩を引っ張って

「急ぐの!」

 と、有無を言わさず、由佳の足を止めないように走った。私たちは、ひたすら走る。崩れかけた山門をくぐり、石段を飛ぶように駆け下りていく。そこへ寺務所の方から爆音が響いてきたのだ。私たちは思わず足を止め、後ろを振り返った。そして、恐怖したのである。そう、そこには、手の形をした骨たちがウヨウヨと寺務所の下から這い出してきていたのだ。その白く鋭い爪が月明かりに光っている。


「うわっ!何っ!あれ!」

と、真紀が肩を鳴らして叫んだ。もう、何も考える必要ない。逃げる以外に選択肢がないのだ。私は後ろから由佳と真紀を押して走り出す。


「早く!振り向かないで!走って!」

 私の叫びに敏感に反応し、由佳は走り出したのがだが、真紀の方は恐ろしさに足がすくんでしまったのだろう、出遅れてしまったのだ。

「真紀!早く!」

私は真紀に叫んだのだが、その後ろには、無数の鋭い手の骨たちが蛇のように地を這い、猛スピードで追って来ているのが見える。


「うわぁぁぁー!」

それを見た、私は一目散に走り出した。真紀も必死で走っているのだが

「二人とも待ってー!」

と、真紀が必死で叫んだ。


 だが、あの手の骨たちに捕まったら、どうなるのか。私は景子の末路を見てしまったのだ。私と由佳に戦う術などない。真紀に悪いと思いながらも、とにかく、私と由佳は必死で駆け降りるしかなかったのだ。


「きゃあぁぁ!」

真紀の絶叫が竹林に木霊した。


(嗚呼、真紀!許して!助けられなくてゴメン!)


私は涙を堪えて、ただ心の中で無事を祈るしかなかった。由佳の方も嗚咽を漏らしながら、必死で走っていく。竹林と雑草の生い茂る、急な坂道を跳ねるようにして降りていく。やがて、眼下にスタート地点の駐車場が飛び込んできたのである。

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