万象の塔

空白透明

万象の塔

 諸君、私は世の中の馬鹿々々しさに嫌気が差したため、只今をもって世に準ずることを辞める。


「ここに、辞表がある。申し訳ないけれど、これ以上ふざけた連中には付き合いきれない」


 町で一番高いビル。世界の果てまで望むことができるような、巨大で絶対に崩れないそのビルの屋上で、私は手に握りしめていた封筒を置いた。

 勇ましい筆遣いでと書いたそれは、私の全身全霊を表現したものだ。


 ――オサラババサラ。


 今の私は、世界の全てを知った気でいる。丁度『万象ばんしょうの塔』と名付けられたこのビルと同じ。

 どんなに高い建物から世界を覗いても、世界の半分は見ることはできないというのに。


 『未来都市』なんてものに、よく憧れを抱く輩がいる。あれはつまり、ご都合主義の、周りの事を何一つとして考えていない想像上のアガルタでしかない。

 おきあがりこぼしに足が生えたようなロボットに、ポケットから摩訶不思議な事象変動器を貸してもらって、悪戯したり、良い事に使ったり、そんなことができたらいいなって、きっと思うのだろう。

 そしてそれを実現しようとした結果、人々は便利さの上に胡坐をかいて、考えなければできなかったこととか、気をつけなきゃいけないことだったりを無視するようになった。

 これからもっともっと、皆はものを考えなくなっていくんだろう。


 雲菓子くもがしを食べたことがあるだろうか。私の住んでいる雲海町うんかいちょうでは有名な、一種の銘菓というものが存在する。綿菓子ならだれでも食べたことがあるだろう。あれの液体版だと思ってくれればいい。ふわふわの綿を舐めとると、その分の水分が口の中に広がるのだ。ジュースはもちろん、ビールなんかもある。食べられる機会があれば是非とも食べてみて欲しい。

 この雲菓子は、実は便利にしようと研究が進んだ結果生み出された副産物であることは、私くらいの年になれば皆知ってる。

 なんてったって、社会で習うのだから。でも、副産物だなんて、私はなんだか納得がいかない。

 液体を雲状にできた。これは凄いことだ。誰にでもできたことではない。

 なのにその研究をしていた科学者はこう言っていたのだ。


「雲状にできた。次は保存できる状態を作らなければ、この研究は役立ったとは言えない」


 彼にとってはその目標に到達すべきが本懐で、それ以外で零れ落ちた技術はおまけのようなものなのだろう。

 私自身にとっては、この雲菓子こそ、泣きべそかいていた時に母親に買ってもらったり、少ないお小遣いで友達とわけっこしたりと、大変良い思い出になっている。

 だから副産物だなんておまけみたいに言われると、なんだか私の思い出がちゃちなものに感じてしまって嫌だった。


 私はビルの端に立って、風がスカートの中に入り込んでくるのを感じた。風が強くなって、スカートはもっとはためく。

 誰に見られるわけでもないし、気にはしない。制服なんて、をするものだろう。

 町の防衛システムとして、高い所から落ちそうになると風が起こるようになっている。


「こんな風に」


 私はビルの屋上からわざと足を空へ踏み出したが、その瞬間下から勢いよく風が吹き上がり、私の身体はぐわんと押し戻された。

 自殺志願者の多い昨今、これは画期的な発明であった。なにせこのシステムのお陰で落下による死亡者がゼロになったのだから。因みに誤解の無いように説明を入れるが、私は死にたくて足を踏み入れたわけではない。このシステムには故障という概念が無い。だから、万が一の間違いもない。


 色んな事が便利になっている今だからこそ、起きる問題というのもある。

 その一つが就職率だ。便利だ便利だと躍起になった結果、便利すぎて人の介在が不要になった職業が増え、途方に暮れる人が後を絶たない。

 一体誰のために便利になったのか。

 介護用ヒューマノイドの誕生辺りはまだ平和だった。技術の成果が花開いてセレモニーが良く開かれていたし、人手不足と言われていた介護職を全面的にカバーする事ができていた。現在の人員を脅かすことなく、機械と人間の二人三脚が可能になっていたのだ。

 しかし今となっては、人間の男が美人系の女性型ヒューマノイドを襲う異種対抗の生存競争が繰り広げられるオチまで付いている。便利さに猿のように手を叩いて喜んでいたやつらも、結局は己の欲望のために脳を猿にするのだ。

 これが馬鹿々々しいったらありゃしない。


「オサラババサラ。オサラババサラ」


 歌いながらビルの非常階段を降りていく。カンカンと降りる音が、なんだか心地良い。

 『オサラババサラ』とはさっき私の思いつきで作った言葉である。“この世にさようなら、遠慮なく振る舞わせてもらいます”という意味だ。

 この万象の塔は政府様専用の官庁棟で、当然、未成年者の立ち入りは許可されていない。しかし南京錠のみの防犯はあまりにぬる過ぎる。今時の女子高生が、ピッキングくらい造作もないことを知らないのだろうか。


 私はそれなりに女子高生で、可愛い制服を着て、ちょっと乱して現代っ子にしてみたり、メイクだってちゃんとする。こないだも男の子から告白された。「ずっと好きでした! 結婚して下さい!」と言われた。おいおい、大丈夫かオマエ。

 若くて金もあるから結婚しましょうそうしましょう、なんてんいうアホな生き方が、私にはできない。

 毎日テストボックスに送られてくるニュースには最近、中学生同士の婚姻が認められたという報道が入った。よくよく調べてみると、発育の良い中学生男女が海老の尻尾みたいな髪型をして、フラッシュを焚かれている動画が出てきた。

 二人は相思相愛と微笑み合い、キスまでしていた。両者とも社長なんだそうだ。天ぷら工場の社長だろうか。金持ちが考えていることは良く分からない。


 便利になったとはいえ、それは技術的な面で発達したに過ぎない。私達人間はというと、逆に思考が後退していって幼児化しているように思えてならない。きちんと考えなければいけない事を、考えられていないような気がする。

 十代半ばに届くか届かないかの男女に正常な精神が宿っているとは考えにくい、ならば慎重に導いてやらねばならないのではないだろうか。

 あの天ぷら工場の社長が結婚する時、親は何をしていたのだろう。


「おや?」


 まだ半分も降りてない階段の踊り場に何やら丸い毛布の塊みたいなものが鎮座しているのが見えた。

 猫だ。

 上った時にはいなかったはずだ。ふわっふわの毛に覆われていて、まるでぬいぐるみのようだ。


「こら、ここは立ち入り禁止だぞ。こんなところで何をしているの?」


 しゃがみ込んで声をかけても、猫は惰眠だみんむさぼり中のようで知らんぷりだった。背中の自慢の毛を撫でてみると、動物的な柔らかさが手に伝わった。

 思わず「ふふっ」と笑い声がでてしまった。すると猫は目を覚まして、辺りの空と同じブルーの瞳を私に向けて「なんか用かよ」という顔をした。


「別に、用はないんだけどね。ただここにいるとお偉いさんに怒られてしまうよ? どれ、私が下まで連れてってあげるよ。おいで」


 おとなしい猫を無理やり抱きかかえて、私は再び階段を降り始めた。なーん、と鳴き声をあげ、猫はお礼を言った。


 数階降りたところで、猫は持って移動すると中々疲れる事がわかった。可愛いだけではやはり抗えないものがある。


「君ねえ、ケミカルフードばかり食べてるんじゃない? ちょっと重いよ。毛艶は良くなるけど体組織に問題がでるかもって、ニュースでやってたよ。テストボックスを毎日見る習慣を身に付けないと、いつの間にか世界のことわりから外れてしまうよ」


 なーん、と一言。どうやら「俺は猫だ」と言っていると思われる。つまりは人間に言われるまでもねえよってことだ。生意気な、下ろしてやろうか。


 ふっと一息つくと、なにやらエンジンの騒音が聞こえてきた。飛行機だ。恐らく定期便だろう。この町の人達は隣町の方が働き口があるからと、ある程度働きに出ている。

 だけど今はまだ昼過ぎで、退社時刻には早い。きっと人間が操縦している小さい飛行機の便だ。ジャンボ機を全てヒューマノイドで動かすようになったのは、私がまだ中学に上がったばかりの頃だったか。まだ最近と言えるだろう。


 一度、ジャンボ機が墜落した事件があった。その時の犠牲者は約数百人、住宅街の真上に落ちたのだ。大きな事件として連日テストボックスには航空関連の記事が送られてきていた。

 その時同時に責任問題について大きく報道がなされ、法整備の結果、ジャンボ機に関しては完全にヒューマノイドだけの運航となったのだ。落下防止の風は自然に影響が出ない範囲で起動するため、機体の大きいジャンボ機では対応できずに、星の引力のまま墜落してしまったのだという。

 墜落先は地上、間違いなく国家間問題に発展した。

 そんなこともあって、今ではパイロットの雇用が飽和状態になっている。小さい便が増えたのも、人員を掃くためだと考えてまず間違いないと、私は思っている。


 ここまででようやく半分過ぎといったところだろうか。猫の分体力は消耗しているが、体育が得意だった私はまだまだ息は切れていない。


「君たち猫には、種族間抗争ってものはないの?」


 猫はこの問いを無視した。たぶんわかっていないのだろう。


「人間はね、争って争って、追い出したりしないと生きていられないの。なんでだろうね。きっと望んでいるものってそんなに違わない筈なのにね。陸だって空だっていいじゃない。同じ星の人間なんだから。……でもまあ、空の人間だけでさえ、こんなに乱れちゃうんだから、きっと上手くいかないもんなのかもね」


 なーん、と一言。今回は何を言っているのかわからなかった。


 ローファーと非常階段との乾いた音が続く。

 突然猫が暴れ出して、私の腕から逃げていった。


「うわっ! ちょっ、……お礼も言わずに。躾のなってない猫だねえ。人に何かしてもらったら、嘘でもいいからお礼をいいなさい。嘘でもいいから」


 猫の温かみが無くなって寂しく思っていると、非常階段に繋がる扉が錆びた音と共に勢いよく開いて中から研究員のような白衣をきたメガネの男が顔を出した。

 驚いて立ち止まっていた私を見るなり、驚きと怒りを露わにした。


「君ぃ! こんなところで何やってるんだ! ここは立ち入り禁止だぞ!」

「あー、すみません」

「すぐに降りなさい! あっ、と。ところで聞くが、猫を見なかったかい?」

「あ、猫なら……」

「実験中に逃げてしまってね。途中だったし、外に出すわけにはいかないんだ。そこにいたなら見てないかい」


 なにやら慌てているようであったが、猫があそこにいたのはきっと実験が嫌で逃げてきたのだろう、と勝手に思うことにした。

 私は嘘をついて猫を庇った。


「見てません。その扉だって、猫には開けられないと思います。まだ館内にいるのでは?」

「それもそうだな。ありがとう。君も誰かに見つからない内に急いで降りなさい」

「はーい」


 女子高生はこういう時、ちょっと得である。不真面目さが可愛さに変わればこっちのもんだ。研究員が男でよかった。

 扉が閉まると同時に、それを見計らったようにして猫が戻って来た。

 様子を伺っていたのだろう。


「君、中々隠れるのが上手いじゃない。逃げるの協力したんだから、感謝してよね」


 なーん、と一言。お礼を言った。

 猫を実験に使うなんて、何の研究だろう。政府のことだからきっとろくでもない研究に違いない。いつだって、やり始めてからどうしようどうしようと考えるのだ。猫だって、そんな実験に付き合いきれなくて逃げたに違いない。


「あいつらなんかに、オレは好き勝手やらせはせん」猫はそう言った。

「君は不思議だね。なんだか会話ができているような気がするもの。さっきまでは完全に私の想像が入ってたけど」


 猫は私の足に縋ってきて抱っこを要求した。可愛いし温かいからまた抱き上げてやった。なーん、と何度目かのお礼を言った。私の言葉も聞いてくれたのかもしれない。


 ようやく町の風貌が細かく見えてきた。私のよく行くショッピングモールも見える。幼いころ母とケンカして迷子になったことがあった場所だ。

 迷子センターで平気な顔でお菓子を食べていた私を、母が汗だくになって迎えに来てくれたことを今でも覚えている。酷く怒られるかと思っていたが、覚えている限り一番優しい声で、母は私を叱った。とても不思議だった。


「お母さんはね、誘拐にあったのかと思って叫びながら探したんだって。当時私空手習っててさ、なんのためかっていったら、怖い男の人が来ても倒せるようにってことだったのに、可笑しいでしょ」


 褪せた筈の記憶が、あの時の母の声まで鮮明に思い出せる。きっと私も嬉しかったのだと思う。だからこうして、女子高生になってまでも思い出せるのだ。

 世に準ずることを辞めるということは、そういう幸福な記憶からも離れるということだ。妙な言い方なのかもしれないけれど、その記憶を持つ事が出来たのは世に準じていた私だからだ。もう私には家もないし、家族もない。

 そういうことをビルの天辺でしてきたのだ。


「ねえ、猫。君には家族はいる? 仲間は? こんなところにいて仲間は寂しがらないかな」

「オレは随分生きて、まだまだ生きるつもりだが、他の奴はいつの間にかいなくなっていたさ。案外人間も、そういうもんじゃないのか?」

「にゃーごろにゃーごろ。声はそれだけなのに、なんで言ってることがわかるのかな」


 私は不思議さに思わず笑った。

 こうしてできた私と猫との間の関係も、いつのまにか終わりが来て、記憶の色も薄れていって、肉球の感触なんかも忘れてしまう。それは記憶に施されたシステムで、何もかも覚えてしまうと、悲しみはいつまでも去ってくれないから。いつまでも楽しいと、次に友達に会うことも必要なくなってしまうから。

 人間の記憶は、そうできている。


 町の喧騒が下から沸き上がってくる。まさしく沸騰しているかのように、車や踏切、スピーカーから出るエネルギー予報が響いてくる。やや聞き取りにくいが、今日の予報ではエネルギー純度はレベル4。危険なため皆仕事を早めに切り上げる事だろう。

 最近はレベル2が続いており、多少の残業があったからみんな喜ぶはずだ。休日扱いになるレベル5まではまだかかりそうだった。

 ぼうっと町を眺めながら降りていると、猫が珍しく自分から話しかけてきた。


「例えば、今日一日何もしなくていいと言われたら、人間は何をするんだ?」

「え? 何もしなくていいの? そうだな、ヒューマノイドが全部やってくれるとして、私達人間は……、きっと、本を読むよ」

「本? 本てのはあの文字の書かれた紙が束になってる奴か。酔狂だな、あれは薬みたいなもんだぞ」

「読み過ぎは毒だって言いたいんだね。でもね、皆自分の文学ってのがあるんだよ。この町の人達は誰かの文学に耳を傾けて、ああそれはいい考えだねっていって真似てみたりするの。そうしていくうちに自分の適したライフスタイルを組み立てていくのよ」

「オレの文学も聞いてみるか?」

「猫の文学か、うん、それは興味あるな。聞かせてくれる?」

「寝ることだ」


 確かに、猫はよく寝る。私が思い出せる猫の姿も、大体寝転がっているか、本当に寝ている。

 でも人間はそうはいかない。寝ているだけでは人間のプライドが、存在価値というものが自分を責め立てる。これが本当になくなってしまったら、ヒューマノイドだけの世界になって人間なんて追い出されてしまうだろう。


「猫と人間との差がわかってしまったね」

「人間はどうしてそうも真理にすがって生きているのか、オレにはわからん。真理が幸せにしてくれるのか。真理が一生自分を愛してくれるのか。奴は手ごわいぞ、わかった気でいるとコロリと姿を変える」


 私は内心ドキリとしながらも、順調に階段を降りていった。もう降り切るまでそんなに時間はかからない。降り切った時、果たして私はどうするんだろう。

 君は……、と私は喉元まで出かかった問いを飲み込んだ。たった今猫の文学を聞いたばかりだった。だけどせめて安全なところまで逃げておかないと、すぐに捕まえられてしまう。政府のおかしな実験に、真面目に付き合う必要なんてないんだから。

 後三十段。

 私は引き返さない。馬鹿々々しい世の中から出ていかなければならないのだ。だって、あの時私は教わった。私の中に渦巻いていた疑問が、くっきりとした輪郭を持って現実にやってきたのだ。


 後二十段。

 不幸を知らずにどうやって幸福を得るというのだろう、と。

 私は幸せな人生を送って来たと思う。便利で快適な暮らしをしてきたと思う。でも、それでも満足できない人間が万といて、私もその中の一人なのだ。


 後十段。地面に生えるスイートピーが見えた。

 便利さに、快楽に、溺れ沈みゆく人々よ。私はまだ諦めない。

 貴方達のしてきたことは、決して許される筈の無いことなのだから。

 猫は最後の一段の所でまた勝手に逃げた。少し暑くなってきていたところだから丁度いい。


「ありがとうよ、人間。また、いずれ」


 そう言って猫は去っていった。

 私は、新たなる一歩を踏んで階段を降り切った。

 変わらない風景。

 だけど今日で終わり。

 オサラババサラ。オサラババサラ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

万象の塔 空白透明 @mononofu_itsukami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ