(10)
ジェスティン捕縛の報に、ジェフラはすぐさまダリスタン領に戻ってきた。アヴェンダ王はついに重い腰をあげて自らサリュヴァン、ルーナシルとの同盟を持ちかける一方、ジェスティンの処罰はイルナシオンの法に則って行われるべきであるとし、身柄をジェフラに託した。
ジェスティンの捕縛は、ジェフラやルネら関係者にとっては一大事であったが、頑なに国を閉ざすイルナシオンを揺るがすほどの衝撃はなく、イルナシオンは変わらずすべての関を閉ざしたまま動きを見せる気配がなかった。ラグナシャスや王都の様子も明らかにならぬままで、同盟に向けてゆるやかに動いていた三国もまた、動きを鈍らせていった。
そのまま春まで膠着するかに見えた事態が急転したのは、冬の寒さが最も厳しくなる頃だった。
ロズルノーの関が開き、白旗が掲げられたとクスレフのヴァーチュアから急使が来たのである。
ジェフラは百名ほどの兵を組織し、ユラ川に架かる橋に配した。後方ではソル・ソレラ教会のカーヴィンに食糧や水、衣服、毛布を準備させ、診療所と歓楽街の女たちは怪我人、病人を受け入れるべく、ありったけの薬と包帯、清潔な布を領内からかき集めた。
レグルスとルネを従え、ジェフラ自らが先頭に立って橋を渡る。
白い旗が翻るばかりで、ロズルノーの関を守る騎士の姿はない。ジェフラが橋の中ほどで足を止めると、やがてロズルノーの関から四人の女性が姿を現した。
二人は少女と言っていい年頃、残る二人は騎士の装いで、レグルスにも見覚えがあった。
ルネが膝を折り、首を垂れたことで、少女たちの身分が知れた。
「……王女殿下でよろしいですかな。お初にお目にかかります、ダリスタン領領主、ジェフラ・ダリスタンにございます」
ジェフラが優雅に一礼したのに応え、少女たちもまた深々と頭を下げた。二人の騎士――瑪瑙騎士ナターシャとミミは半歩後ろに控え、ルネと同じく騎士の礼を取る。
「セルファリアと申します。こちらは、妹のリリアーヌ。王女と呼ばれたのは過去のことです。拠るべき国はもうありませんから、ただのセルファリアとリリアーヌでございます。若輩の身ながらロズルノーの民の代表を務めさせていただいております」
「ソル・ソレラ教会におられると伺っておりましたが」
話せば長いのですが、と前置きしたうえで、セルファリアは内乱勃発からこれまでのことをかいつまんで話した。
「ジェフラさまの仰る通り、わたしたち二人はソル・ソレラ教会に匿われておりました。ですが、ラグナシャスの勇ましさも最初の頃のみで、圧政、悪政により国は荒廃してゆくばかり。わたしたちは民らと手を取り合い、いつかきっとこの苦しい日々も終わりを迎えるはずと、ひたすらに耐えておりましたが……使節団さえ行き来を禁じられた頃でしょうか、ついにラグナシャスはソル・ソレラ教会にまで蹂躙の手を伸ばし始めたのです」
「そんな!」
ジェフラが絶句する。橋を守る兵もどよめいた。
「教会も安全とは言えなくなりました。幸い、わたしたちがおりました王都教会には瑪瑙騎士がいてくれましたから大事なかったのですが、ただ諸外国からの救いを待つのではなくて、わたしたち自身の手でラグナシャスを倒さねばならぬと気づいたのです」
セルファリアとリリアーヌを中心に王都教会の人々は結束し、瑪瑙騎士に守られて東進した。東にはジェスティンがいるが、関を越えたところには情け深い領主と名高いジェフラもいる。わずかな望みに賭けて道中の町村で人々を説得し、騎士たちに民を守るよう訴えつつロズルノーに到着してみれば、街の騎士を統括するジェスティンは不在だという。
セルファリアとリリアーヌはロズルノー街長と共に武装解除を求めた。ジェスティンの長期不在ゆえか、恐怖から解き放たれつつあった騎士たちもまた、それに従ったのだという。
「南や北へも、志を同じくするものが旅立ち、関を開くよう説得しております。もとよりイルナシオンは他国との交易なくしては立ちゆかぬ国。これまでの数々の非道な行いに憤られるのももっともです。このように申し上げることすら筋違いであることは承知しておりますが、せめて民らにはご慈悲を願えませんでしょうか。どうか、どうかお願いでございます……!」
少女たちは凍てつく橋に平伏して懇願した。関から続々と現れたイルナシオンの騎士たちもまた橋上で
ルネも、こうして難民の受け入れを願ったものだ。あれからまだ
ジェフラも同じことを思っていたのだろう、懐かしむように遠い目をしてロズルノーの関を見遣り、少女らの前に膝をついた。
「もとより、そのつもりでございます。お顔をお上げください。我らは古くより、友でありました。情に
ジェフラと少女が固く手を握り合い、橋が、両国の関が、温かな歓声に包まれた。
この後、ロズルノーだけでなくイルナシオンの各地で関が開かれ、隣国との民の交流が蘇った。これをきっかけにアヴェンダ、サリュヴァン、ルーナシルの三国同盟が成立、連合軍がイルナシオン王都に兵を進めた。
途上の町村の騎士たちは無抵抗で武装解除に応じ、連合軍は被害を出さぬまま王都に到達、戦意を失っていた騎士らを拘束し、王宮へ踏み込んだが、玉座にだらしなく座ったラグナシャスは押し寄せる兵を見ても何の反応も示さず、縄についた。
三国の王の名のもとにイルナシオン王国の解体が宣言され、ラグナシャスとジェスティンは速やかに処刑されたが、混乱の原因となったラグナシャスの理想、思想については明らかにされることはなく、内乱の真相は闇に葬られた。
春が兆し、色鮮やかな夏が過ぎて、実りの秋を迎え、静寂の白い冬を越えた。
陽射しが色づいて北風の勢いが弱まる頃、ルネはフレイを連れて、イルナシオン城址を訪れた。
かつてのイルナシオン領はアヴェンダ、サリュヴァン、ルーナシルの三国が分割統治している。真珠騎士としてルネが過ごした王宮はアヴェンダ領となり、内乱の日に騎士たちの血で染まった王宮は一部を残して解体され、公園となった。跡地には内乱の犠牲となった数多くの騎士、貴族、民らの慰霊碑が建てられている。
慰霊碑には多くの花が捧げられ、遺族が訪れては故人の安らかな眠りに思いを馳せるのだった。
一歳半を過ぎたフレイは持たされた花を慰霊碑に供え、満面の笑顔でルネを振り返った。
「うで! ここなの?」
「そうよ」
言葉が増えてきたフレイに、「腕はどこにいったの?」と訊かれるたび、ルネは「西の国のお城にあるの」と答えていた。まったくの嘘ではない。ルネの騎士としての生を支えた機巧の義手が、この慰霊碑の隣に埋められている。
ようやくフレイを連れてくることができた。ルネは感慨に胸を詰まらせる。
イルナシオンで生まれ、育ち、生きたことがどうしてか遠い昔のことのように思えた。剣の訓練に明け暮れた日々、シャルロッテやデュケイと杯を交わした日々、国を憂いてため息をついた日々。一気に押し寄せた思い出に翻弄され、ルネは思わず膝をつく。記憶の波は夢のような一夜に収束し、隣であどけなく笑うフレイの前に霧散した。
ルネはフレイを抱きしめ、指差しつつ唱える。
「フレイはここにいる」
「ここ!」
「おかあさんはここにいる」
「ここ!」
歌うように、紡ぐように。
「じゃあ、おとうさんは?」
「ここ!」
誇らしげに自らの胸を差すフレイに、ルネは微笑んで頷いた。
――生をつなげ。
朗々たる声がこだまし、ルネは青い空を見上げる。
つながっている。つなげていく。こぼれた言葉は春の風に乗って、フレイの柔らかな金髪をそよがせた。
【凱歌 完】
凱歌 凪野基 @bgkaisei
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