二回目の想い

本栖川かおる

謹啓 先生様

謹啓 先生様


 お元気でしょうか。僕は、あまり変わっていません。でも身長は高校に入ってから急に伸び始め、あの時と比べて二十センチは高くなったと思います。さすがにもう伸びなくなってしまいましたが、日本人男性の平均身長よりも高いです。並んで立ったら僕の肩が頭のてっぺんですね。もしかして、あれから身長が伸びたなんて言わないですよね?


 今、大学のカフェテラスで珈琲を飲んでいます。美味しくなかった記憶しかないと言ってましたけど、ホントですね。まったく美味しくない。ただ薄い茶の色がついているだけ。これ、飲み物なんですか? 白湯さゆの方がまだ美味しい気がしてなりません。


 そうそう、何度も「学食がね、学食がね」って楽しそうに話していましたけれど、今はカフェテリアって言うらしいです。学舎案内のマップにも、カフェテリアって書いてありました。いつからその名称なのか昔からいそうな教授に訊いてみたら、二十年ほど前――学舎改築の際に学生食堂も一緒に新しくなって、テラスがついた「カフェテリア」に名称を変更したようです。たしか……もう、その名称になってた時ですよね? それを考えたら少し笑ってしまいました。


 ここ数日は強かったですけど、今日はその風も収まってテラスで読書するには絶好です。僕が腰を掛けている隣、丸く小さなテーブルに座っている女性も文庫本を読んでいます。

 あ……、今、女性と目が合ってしまいました。ちょっと恥ずかしいです。

 綺麗な女性ですよ。黒いストレートの髪で、小さな顔との比重も重くなくとても清楚な感じに見えます。どことなく似ているかなと思ってしまうのは、この手紙を書いているせいでしょうか。

 ちゃんと僕のテーブルにも、あなたの好きな本が真ん中より少し先に挟まれているしおりが頭を出して置かれています。この手紙を書き終わったら続きを読む予定です。この本を読むのは何回目だったかな。


 相変わらず女性は苦手です。女性の前に出ると顔に血液が集まってしまって、未だに何を話していいのか分からなくなります。これでも少しマシになったと自分では思っているんですよ。サークルやら講義やらで、女性と話す機会も多くなりましたから。

 しかし、何故あなたの前にいるときだけ普通にしていられたのか今でもわかりません。好きな人の前では落ち着かなくなって逆に話せなくなると思うのですが。

 教師だったから? 歳が離れすぎていて初めから相手にされないと思っていたから? 自分のことなのに良く分からないなんて少し変ですよね。それに、あなたと話したくて僕の方から積極的に接触するなんてことも、あれ以来一度もないんですよ。あがり症なんてまったくの嘘で、あなたといる時間が本当の自分なのかもしれません。


 卒業式のこと覚えていますか?

 相手にされないことは分かっていたのですが、一応、人生最大の決心をしたんですよ。あなたは二十六歳だった。面と向かってはさすがに言えなくて、手紙に想いを書き連ねてしまいましたが、とても恥ずかしくてあなたが読む前に逃げだしてしまいましたけれど。

 あれから六年、あなたは……。――女性の年齢を言うものではありませんね。ごめんなさい。来年、僕は大学をなんとか卒業できそうです。あなたと同じ中学課程の教師になります。まだあなたは教師をされていますか? 結婚してしまって、教壇には立っていませんか? 結婚されていたら、こんな手紙が届いてしまうと迷惑でしかありませんね。

 でも許してください。おそらくこれが、あなたに出す最後の手紙になると思います。この手紙の返事が欲しいとかそういう訳ではなくて、あのとき逃げてしまった僕は、たとえ返事が分かりきっていてもちゃんと正面から受け止めておくベきだったのだと後悔しています。だから、もう一度ここから始めなければ前に進むことができないと思いました。


 あの時、返事が怖くて逃げだしてごめんなさい。

 ご迷惑な話だと重々承知しています。

 今でもあなたのことが好きです。あれから何も変わることなくあなたが好きです。


                                敬 白


***



拝啓 初心うぶだった男の子様


 お手紙拝見させて頂きました。とても嬉しく思います。

 もう大学を卒業される年齢になるのですね。それもそうですよね。私自身もあの頃のように若くはありませんから、やはり時間は経過していたのだと改めて認識させられました。それと、だめですよ――女性に年齢のことを言っては。


 あの頃のあなたは、頭が良くて優しい生徒だった記憶がいまでもはっきりと残っています。それに、どこか不思議な部分も秘めていました。

 お昼になると立入禁止の屋上でひとりご飯をしていたりとか。別にクラスで浮いている生徒ではなかった、むしろ男子生徒にはしたわれているはずなのに、なぜかお昼だけはひとりで屋上に行くことが不思議でなりませんでした。


 あら――慕われるのは男子限定にしてしまったけれど、いけなかったかしら?

 ごめんなさいね。ふふ。


 あなたは知らなかったかもしれませんが、女子生徒の中で結構人気があったのよ。どう? 嬉しいかな?

 でも、あなたは女子の前で殆ど会話らしい会話をしなかったから、本人たちも声を掛けづらかったみたい。それが余計に魅惑な男子として映ったのでしょうね。案外ジゴロの素質あるのかもしれないわね。あれ? ジゴロって今の若い子は使わないのかしら?


 今だから言ってしまうけれど、職員会議でね、あなたのひとりご飯が問題になったことがあったの。ひとりでご飯を食べることがではなくて、立入禁止の屋上へあがることがね。

 あの時のドア鍵って、内側からは簡単に開けられたじゃない? なので、内側からも外側からも鍵を使わなければ開けられないものに変更しようかって案がでたの。私、内心ですごく焦っちゃって――だってあなたは静かにご飯を食べたくて屋上に行ってたんでしょ? だから、何とかドア鍵を交換させないようにしなければって思って、「お昼に私が見回りに行きますから、それで様子をみましょう」って言っちゃったわよ。副担任だったから違和感もないと思ったし。

 あなたは不思議がってたけど、途中から私が毎日屋上に顔を出すようになったのはそれが理由。


 屋上の壁に二人で寄りかかって色々な話をしたわね――あ、そうだ。あなた年齢ごまかしてない? とても中学生とは思えなかったわよ。色々なことを知っているし、物の考え方も年寄り染みてた。だから、ついつい生徒に話さないような内面のことまで話しちゃって、あとで家に帰ってなぜ話してしまったのか後悔したわよ――本当にあなたは不思議な子だった。


 今、私は自宅でこの手紙を書いています。春一番も吹いて桜は散ってしまったけれど、窓から見える景色は気持ちいいわよ。あなたは今、この晴れ渡った空の下で何をやっているのかしら。


 卒業式の日のことは覚えています。男の子から初めてもらったラブレターですもの。もう、男の子っていう歳ではなくなっているけどね。


 正直に書きます。

 とても嬉しかったです。あなたは何も聞かずに走り去ってしまったけれど、もし、あの時に返事を待っていてくれたのなら「はい」と答えたと思います。でも、あなたが私の返事を聞かなくて良かったとも思っています。あの時、もし恋人同士になってしまったら後悔していたと思うからです。


 あなたはあの時に中学を卒業したばかりであって、これから色々なことを学び、様々な恋に身を焦がす時間ときが必要だったからです。それは、あなたが大きく成長するためには不可欠なことであって、親であれば突き放しても縁が切れることはありませんが、私は切れるのが嫌で突き放すことができなかったでしょう。結果として成長を阻害してしまい、色々なことに身をもって学ぶことが出来なかったと思います。

 家に帰ってから「Yes」と手紙を書こうか本当に悩みました。でも、やめました。今でもその選択は間違っていなかったと確信しています。


 あ、この手紙を書きながらあなたの手紙を見ているけれど、学食っていったこと笑ったでしょ――カフェテリアが正式名称だってことくらい。学生はみんな、落ち着いて話すようなときはカフェテリアを使っていたけれど、誰一人として「カフェ」とか「カフェテリア」なんて言わなかった。「学食でお茶飲みながら話さない?」とかが普通だったし、それ以外は聞かなかったわよ? 人を扱いするなんてひどい。


 私はまだ教師をやっています。学校は異動いどうになってしまいましたが、そんなに離れたところではありません。おそらく、もう少しこのあたりの学校を転々とすることになると思います。

 それと、結婚はしていません。あの頃に住んでいたマンションに今でも住んでいます。意外と教師の世界って出会いなんてないのよ。知ってた?

 しかし、あなたが教師になろうとしているなんてね。正直驚いてしまいました。なんでこんな狭い世界に入ろうなんて思ったのかしら。出会いはない、PTAはうるさい、生徒は生意気だし。本当になぜかしら。


 来年、卒業して無事教師になれることを心より祈っています。あの頃のあなたのまま、誰にでも優しく親身になって相談に乗ってくれる教師になると信じて疑いません。あなたを教え子にもったことを、私はとても誇りに思います。


 それと、あなたの手紙が来たから思いにふけっている訳ではないことをちゃんと断っておきますね。

 ずっと、あの時の手紙を忘れようとしていましたが、忘れることは出来ませんでした。今でもあの時のあなたの心は大切に私の部屋に仕舞しまってあります。あの時のまま、一つのほころびもなく大切に。


 卒業式の日に手紙を渡されるずっと前から、私はあなたが好きです。そして、その想いが失われることなく今でもあなたを想っています。そのことを誤解のないようにはっきりと伝えておきます。


 あなたからの手紙が来なければ、決して私から手紙を書くことはしなかったでしょう。それは私があなたよりも多く歳を取っているからです。そして、あなたはいま何をしているのか知るよしがないからです。恋人がいて喧嘩の種になってしまうような馬鹿な女にはなりたくなかった。あなたに迷惑を掛けたくはありませんからね。

 気持ちを抑え込み、これで良かったのだと、あなたのためになったのだと無理やりに納得させていました。だから、ありがとう。とても、とても嬉しいです。


 私は、あなたが今でも好きです――


 追伸。

 最後の方の文面がにじんでしまいました。読みにくくてごめんなさい。



                             かしこ


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