いつもアスカって、名前で呼んでくれたのに。
ある日の昼休み。私こと
ターゲットは、最も安く、そして一番美味しいと評判の「からしタマゴパン」。コッペパンに、からしをねりこんだタマゴフィリングをはさんだシンプルなパンです。
コッペパンの甘みと、辛味のあるタマゴが絶妙にマッチしてるとのこと。このパンを食べたら、二度のコンビニのタマゴサンドが食べられなくとまで言われています。
しかし、入学して半月が過ぎたというのに、私はいまだ伝説のからしタマゴパンをゲットできずにいました。
目前には黒々とした人の山。学ランの背中が何者をも寄せつけない壁となり、華奢な私の体を阻むのでした。
「やったー! アスカ見て見て! 今日もゲットだぜ!」
ビリ子はその身体の小ささを生かして人々の間を潜行、毎回見事に人気商品をゲットします。ちっちゃいことは、いいことですね。
「私だって今日は…今日こそは…!」
必死に手を伸ばす私でしたが、パンが並ぶワゴンにはとても届きません。
おしあいへしあいの果てに弾き出されてしまい、か弱い乙女であるところの私は、不覚にもよろめいてしまいました。
バランスを崩し、倒れそうになった私の背中を、誰かが支えてくれました。
セーラー服越しでもわかる、堅い男子の手です。
「大丈夫ですか?」
優しそうな男子の声。
「ありがとうございます。助かりました」
笑顔を作って顔をあげると、そこには見慣れた顔がありました。
「あっ!
「あっ、アス…
パッと手を離すと、遙平君は身体を反らし、一歩、二歩と後ろにさがりました。
「あの、遙平君…」
「パ…パンも買えたし、オレ、もう教室に戻るから。じゃあね」
気まずそうな顔をした遙平君は、私の言葉をさえぎり、あの時と同じく、足早に去って行きました。
同時に、購買のおばちゃんがタマゴパンの売り切れを告げました。
私は無力感に打ちひしがれ、ただ立ち尽くすことしかできませんでした。
いつもアスカって、名前で呼んでくれたのに。
買ったばかりのパンと牛乳を持って、私たちは中庭のベンチに腰掛けました。他のベンチや芝生の上にも生徒たちがいて、思い思いにランチタイムを満喫しています。
「どんまいだよ、アスカ。むしろいい兆候じゃない」
うんうん、と一人でうなずくと、ビリ子はパクッと戦利品のタマゴパンにかじりつきました。
「だってさ、わざわざ他人行儀になっているんだよ? それってアスカを意識しているっていう、なによりの証拠じゃない」
「どういう事? よく分からないんだけど…」
「うーん…。そんなに難しいことじゃないんだけどなぁ」
ビリ子は人差し指を立てました。まるでダメな生徒に勉強を教える先生のように。
「アスカにフラれてショックだったから、距離をあけようとしているんだよね、遙平君は。でもそれって、言い換えればアスカの事、今でも気にしているって事じゃないのかな」
「ごめん、やっぱりよくわからない」
「だからさ、フラれたという事実を自分の中で消化できないから、意図的に遠ざけようとしてるんだよ」
なるほど…言われてみると、そうなのかも知れないと思えてきました。ビリ子は生意気なことに、ロジックには強いのです。
「アスカが動かないと、この問題はいつになっても解決しないよ。ここは考えを切り替えて、前向きになろうよ」
「前向きに?」
「そう。今こそ攻めどきと考えるの! アタックチャンス! 機を見るに敏! カウンターアタック仕掛けるなら今しかないよ」
「え、でも」
そうだね、と簡単に乗れる話ではありません。確かに遥平君は、私にフラれた事を気にしているでしょう。でもそれは、ビリ子がいうようなポジティブな理由からでしょうか。
「あまり時間をおくと、本当にただの矢ノ崎さんになっちゃうよ? 遙平君が意識している間に誤解を解いて、今のわだかまりを取り除かないと」
ビリ子の言うことは分かります。でも、逃げる遙平君をどうやってつかまえればいいのでしょうか。
私には、いい方法が思いつきませんでした。
「あんまりモタモタしてると、ボクが遥平君、取っちゃうよ?」
クスッとビリ子が笑うと一つ強い風が吹き、草葉が宙に舞うと五時限目の予鈴が鳴りました。
「教室もどろ」
私とビリ子は、同時にベンチを立ったのでした。
えふらんく★らばーず 細茅ゆき @crabVarna
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