あの雨の日にもう一度

糾縄カフク

トオリアメ、サカミチ、ユウヒ

「もうこんな町いややー! こんな人生いややー!」

 もう何度観たっけな、この映画。と思いながらも、相変わらずクレジットに涙を流し、私は席を立つ。


 本当に、ド田舎ってのは腹が立つ。その辺りを上手く描いてるこの映画にも腹が立つし、愚痴ぐちを零しつつ何度も通う自分自身にも腹が立つ。実際ド田舎がどの程度ド田舎かって言うと、都会の男子がちょっと想像する様な、美化されたソレじゃあ全然ない。


 トウキョウから日帰りでやって来て、地図便りに歩いたら何となく目的地に着いて――、ああ、そんなんだったらどれだけ良かったろうと内心で溜息をつく。なにせ現実は非情だ。私は乗り過ごした電車を待つ為に駅のベンチに腰掛けて、ぼうっと空を眺めている。


 数分おきに電車と、それを飲み込む人の波が押し寄せる山手線とは打って変わり、こちらは昼になればご覧の通り、一時間に一本すら無いなんて事もざらのざら。だから何が言いたいのかって言うと、たった一本の乗り過ごしが、その日一日の予定を木っ端微塵みじんに吹き飛ばす程度には致命打ちめいだ足り得るって話なのだ。


 そんな自分の、特に何がこっ恥ずかしいと言えば、やはり当の映画に触発されて、ひとり東京に降り立った夏休みの話だろう。あの人混みで、もしかしたら運命の誰かと出会えるのではと胸を躍らせ、その実へろへろになって帰ってきた二泊三日。地元の人間を五百倍にでも膨れ上がらせた人の群れには、映画で描かれた美麗な情景はこれっぽっちも無く、むしろ脳内処理を遥かに上回る情報の濁流だくりゅう辟易へきえきとさせられただけだった。


 そうして電車に揺られふもとの駅に着いた頃にはもう日も傾きかけていて、おいおいマジですかと階段を降りれば、待ってくれバスが走り出す瞬間だ。急いで駆け込んで腰を降ろし、私以外に誰も居ない車中で、今度は聞こえる様に溜息をつく。


 確かトウキョウでは駅ごとに映画館があった気がしたけれど、ここオカヤマは違う。県庁所在地の周辺に点在するソレを、見に行くためだけに三時間をかけてやっとこさだ。そうして映画を見終えて帰路に付く頃には、もう貴重な休日が半ば終わりを迎えている嗚呼無常むじょう。当然の話だが、このバスに乗り遅れた場合もゲームオーバーである。


 特に日曜のこの時間ともなると、温泉街から帰る客足はあれど、向かうのは私の様な地元の人間だけ。人気ひとけの無い、それこそトウキョウと比べればゴーストタウンかと見紛みまごう程の集落のバス停で、私はしょげ返って降りる。温泉街から外れたこの辺りには、本当に本当に、わずかばかりの民家しか無い。


 トウキョウでは夜からが本番という感じだったけど、田舎では落陽と共に全てが終わる。私にとっては都会であるオカヤマですら、日が沈んだとなれば人影はまばらで、そのオカヤマ以上の都会が各駅ごとにある訳だから、全くトウキョウってのは魔境なのだとつくづく思う。そしてそんな綺羅星きらぼしの如くネオンの中で、運命の誰かと出会うなんて奇跡も起こり得ないと。やはりまた溜息をつくのだ。


 普段は自転車で駆け上るコンクリートの坂道を、どうせ車も通らないからと俯いて歩く。ひぐらしの鳴く声の果て、遠くから雷音が響いて、ああ雨さえ降らなければいいなと思いを馳せる。――そして思いを馳せた所で、あれ、前にもこんな場面があったなと記憶をほじくり返し、それが自分のこっ恥ずかしい行動の原点だった事を思い出して一人赤面した。




*          *




 あの日もこんな、ひぐらしの鳴く薄暮はくぼだった。部活の練習を終えた帰り道、疲れ果てて自転車を押している最中に、彼と出会った。――首からカメラを下げたお兄さん。なんとなくそんな感じで、不意に恥ずかしくなったまま俯いて通り過ぎようとしたその時、彼のほうから声を掛けてきたのだった。


「あ、すいません」

 そこではっとした私は、たぶん頓狂な声を出して彼の顔を見た。


 イガグリ頭が居並んで、渡る世間はイモばかりという同級生とは違う、いわゆる塩顔の、なんだろう、正真正銘のお兄さん。地がいいからってだけかも知れないけど、厚手のクルーネックに七分丈のジャケットを羽織ったその姿は、私には別世界の人の様に、見慣れた景色から浮き上がって見えた。


「はひっ……なんでしょうか?!」

 私は急いでメットを脱ぐと、バツが悪そうに顔を逸らす。というか何でこんな時にメットなんて被ってるんだろう。せっかく自転車を降りたのだから、その時に外してしまえばよかったと後悔を募らせ、胸に抱えたまましどろもどろとする。


「えっと……この辺りにやしろがあるって聞いたんですけど、何かご存じないですか?」

 敬語を使う向こうも向こうで、奥二重の瞳に困惑を滲ませて佇んでいる。


「社、ですか?」

 この辺で有名なのは、ドラマのロケ地になった千年杉ぐらいなものだ。それでももう十年以上前の話だから、私自身ろくに覚えていない。


「正確には式内社……だったかな。七つめまでは通ったんですけど、最後の一つがどうしても見つからなくて」

 そこまで言われて「ああそう言えば」と、やっと私はメットを置く。


「そのお社さまなら、この坂を登ったあとですよ。うちの近所なんで、よかったら」

 確か美作みまさか、つまりはこの一帯は、昔はどうやら何か重要な地域だったらしい。今じゃ古びて誰も居ないボロボロの社が、所狭しと集中している。県北に十一個あるうちの八つがここにあるというのだから、先哲せんてつも随分と物好きだったのだろう。


「良かった、知ってる人に会えて。困ってたんです。そもそも人を全然見かけなくて……看板もげちゃってるし」

 首に掛けたタオルで汗を拭って、彼は微笑んだ。靭やかな首筋から、ぽたりと汗が滴り落ちる。


「あはは。今日は休みですからね。この辺りはおじいちゃんとおばあちゃんばっかりだから、きっと家に引きこもってるんでしょう」

 私はと言えば、私にしては珍しくよどみのない台詞セリフが出て来る事に半ば困惑していた。あとは方言さえ漏らさなければ、何とかここはしのげる筈だ。――ビバアニメ、そしてラノベ。標準語に視聴覚で以て慣れ親しんでいた自身の慧眼けいがんを、この時ばかりは褒めてつかわそう。


「しかし良くご存知ですね……僕もここに来る前、いちおう資料館を覗いては来ましたが」

 お兄さんは感心しきりといった風に頷き、私の顔をまじまじと見ている。――少し照れるなと思いながらも、俄にバクバク仕出した心臓を押さえ、私は返す。


「いえいえ、みんな知らないと思いますし、私だって特別くわしいわけじゃ……ただ私、本を読むのが好きで、よくそこの境内に座ってたんです。たまに来る宮司さんに話を聞いて……それでです。それで」


 まったく、内心では随分と饒舌じょうぜつであるにも関わらず、いざ声にすると中々うまく会話が運ばない。難儀なものだと毒づきながら、私は目の前のお兄さんと話を続ける。緊張すると早口になる癖が、相変わらず嫌でしょうがない。


「へえ、凄いなあ。僕は午前中にダムを見て、それからのんびりお社さまを回ろうと思ったら、もうこんな時間で」

 聞けば彼は、東京から湯浴みに来た観光客だったらしい。なるほどそれでと、見慣れない顔の、景色に一向に馴染まないハイカラさんに、私は得心とくしんし頷いた。


「でもわざわざ見に来るほどのものですか? ぜんぜんさびれちゃってるし」

 彼が泊まっているという温泉街から、少なくとも十キロ以上はある道のりだ。おまけにガイドブックに載っている様な観光地はろくに無い。


「いやいや、見に来れてよかったんです。この辺は空気がおいしい。お社さまだって風情があっていいじゃないですか」

 そう呑気そうに笑う彼の横顔を、ついうっかり凝視してしまっていた私は、次に視線があった時にあわてて目を背ける。


 まあなんというか。地元が褒められて悪い気がしない訳はない。私も私なりにこの田舎が気に入っているし、自嘲じちょうする分には結構だけど、他人から馬鹿にされるのはしゃくに障る。そんな中、私より郷里きょうりに詳しい、それも中々なイケメンさんに持ち上げられるのは、引いては我が身の事の様に嬉しいものだ。


「うれしかねえ」

 そうして不意に出た自分の方言に口を押さえ、頬を染める私を、お兄さんはおちょくる事なく微笑んで見つめている。


「この辺は関西弁に近いんですかね。僕、大学は大阪やったんで、全然気にせえへんですよ」

 怪しい関西弁で返す彼に、なんだか私も可笑しくなってぷぷぷと笑う。――同年代の女子はとかく笑う。しかして私は余り笑わないからと心配される身の上ではあるのだけれど、単にこうして笑いのツボが違うだけなのだ。


「いやー、普段は気をつけてるんですけど。ほら、方言って格好悪いじゃないですか。でもやっぱり出ちゃうんですかね、恥ずかしい」

 私はぽりぽりと頭を掻いてまた空を見上げる。ひぐらしの声に混じって、遠くでゴゴゴと雷音の轟きが聞こえた。


「雷……ですか」

「――雨、降るかもですね、急ぎましょう」


 山間の天候は実に不順だ。気がつけば土砂降りで、その後に霧が立ち込める事も珍しくはない。自転車を押す手に力を込める私に、お兄さんが頷いて続く。




*          *




「こんな事なら、傘を持ってくればよかったかなあ」

「通り雨だと思いますから、すぐに止みますよ」


 それから数分。結局私たちは、家の手前の社の縁側で、肩を並べて寄り添っていた。勢いは強いが、この手合は短時間の通り雨だ。その後には綺麗な夕日が顔を覗かせるだろう。


「ごめんね。突き合わせちゃって」

「いえいえ。お気になさらず」

 頬を掻きながら詫びる彼に、私はスカートの裾を押さえて答える。――あれ、これってなんか、ドラマの展開っぽくない? そんな妄想を脳裏に巡らせながら。


 とは言えそんな風に会話の弾む筈もなく、ほんの少し前まで見知らぬ男女だった私たちの間には、どうにも気まずい沈黙が横たわる。長い長い一分。聞こえるのは雨の音だけ。


「ああ、あのさ。もしよかったら、だけど」

 暫くして切り出す彼に、私は何かあるのかなとゴクリ唾を飲む。


「この辺の事、教えてくれないかな。せっかくだから、メモに残して帰りたい」

 あははそうですよねーと、幾許いくばくか過ぎった期待を脳内で払い、私は私の乙女じみた妄想を押し潰しにかかる。いかんせん、本ばかり読んでいるとこうなるのが悲しいのだ。


「あ、私で知ってる範囲でよかったら、はい」

 こう何気なく返してはいるのだが、内心では相当に嬉しい。そもそも馬鹿にされるのが基本の田舎で、他所から来た人に褒められる事はそうそうあったもんじゃない。私は何かなかったかなと必死で記憶をまさぐるのだが、しかして人間とは存外、身近な事は知ろうとしないらしい。結局はガイドブックに載っているであろう面白みの無い返答しか出来なかった。それでもありがとうと微笑んでくれるお兄さんが優し過ぎて、私はなんだか辛くなった。


「あの、お兄さんはどちらから?」

 ならば次は私の番と口を開く訳だが、この質問も極めて凡庸ぼんよう。初対面の二人が先ず互いにするであろう故郷の話題を、真正面からぶつけるしか私にはできない。


「東京です。新宿辺りかな。ざっくり言うと」

 ああやっぱりな。そりゃトウキョウでしょ。そういう見た目だものと納得し、シンジュクというマンガにアニメに引っ張りだこの舞台設定に胸をときめかせる。


 ――いいなあ。そんな場所で私も生まれてたら、こんな退屈な日常ともおさらばだったんだろうけど。そう言って降りしきる雨に目を細める私に「僕は仕事の都合でそこに居るしかないだけさ。生まれは田舎だから、本当はこういう場所のほうが落ち着くんだ」と、彼はしみじみした様にため息をつく。


「まあ私も嫌いじゃないですけど、それでも東京、憧れるなあ」

「うん――、来る分には良いと思う。いろいろ楽しいし、それに」


 彼がそう言った所で雨が止み、雲の合間から差す光が、私たちの眼前を秒刻みで照らしていった。


「――綺麗だなあ」

「はい」


 言葉を切って呟く彼に、私もつい相槌あいづちを打ってしまう。


「東京はさ、確かに面白いし何でもある様に見えるけど、こんなにも澄みきった空や、静寂しじまに輝く幾千の星、そこを舞う火垂るの群れだとかは、全然何も、ないんだよ」

 誰に言うでもなく呟いた彼の目は、私よりずっと遠い何かを見つめている様で、不意にドキリと胸の奥で何かが響いた。


「あの、えっと――」

 立ち上がる彼の後ろ姿を追う様に、私もまた縁側を飛び降りる。


「今日はありがとう。お陰で素敵な景色と、最後のお社さまに辿り着くことができた」

 朝焼けに見紛う程に燦然たる夕日を背に、お兄さんは多分、こちらを見て微笑んでいる。ああやだなあ、これ、ドラマだ。いま私、なんだか凄い青春してる。――だから何か言わなきゃと思いはするのだが、しかして悲しいかな、ぱくぱくと動く口以外に、ろくな言葉が紡ぎ出せない。


「い、いえ。その、私の町、気に入ってくれたのなら嬉しいです。また、またよかったら是非」

「うん、来年もまた来るよ。君も元気で。部活、頑張って」

 そう言ってカメラを構える彼に、私は「はい」と口角を緩め、精一杯の笑顔で応えた。




*          *




 ――カシャリ。

 そのシャッターの音が、遠い思い出の最後の一幕だった。それから例の映画が封切られ、私はそこに出た「シンジュク」のキーワードに惹かれるまま、劇中のヒロイン宜しくトウキョウへ降り立った。センチメンタルというか、なんというか。同級生に知られたら、きっと腹を抱えて笑いの種にされるに違いない。胸の奥に閉まっておいて正解だったと、私は改めて思い直す。


 ザアアアと響く冷たい雨。結局家には間に合わず、いや寧ろ何かを期待して、私はあの日と同じ社の境内に、腰掛けてぼうっと空を眺めている。当然と言うべきか、そこに誰かの姿のある訳でもなく、私は一体何をしているんだろうと悲しくなりながら通り雨の過ぎるのを待つ。


 雨があがり、晴れ間から夕日が射し、境内を一面のオレンジに染め上げていく。――ああそうだ。この情景だったと頷き直し、だけれど一つだけ足りない世界に寂しさを感じる。


 あの日は、そう。あの日は――。

 この夕焼けの真ん中に、あの人が居たのだ。あの人が立って、笑って、カメラを向けて――、あれ?


 私は咄嗟とっさに目をゴシゴシとし、その光の中に現れた黒点に焦点を合わせる。

 すらっとした間違いなく人に相違無いその影も、私の姿に驚いたのか、少し身を反らせた後、嬉しそうに手を上げた。


「――あ」

「――あ」

 声を出したのは向こうが先で、次に光に慣れた私も口を開く。


「君は」

「あーちゃ」

 お兄さんと言おうとして方言が出た私は、瞬時に頬を染めて頭から湯気を出す。だけれど彼は、去年会った時と同じ笑顔で、光の中に佇んでいた。


 ――ああ。

 その瞬間、私はどうしようも無い自分の想いに、ようやっと気づいた。


 恋してるんだ。私。恋してたんだ、ずっと。あの日から、あの時から。ずっと、ずっと。だから私は、自分の手の中にするりと入り込んだ赤い糸を、今度こそは離すまいとしっかりと握りしめ、そして精一杯、微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの雨の日にもう一度 糾縄カフク @238undieu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説