焼き肉と美少女
蒼山皆水
焼き肉と美少女
大学二年生の春、安い居酒屋で行われた新入生歓迎コンパ。僕の所属するサークル『コメット』に強烈な一年生が入って来た。
「経済学部の
他の新入生が緊張しながら無難な自己紹介をする中、堂々と言い放った彼女に、僕たち上級生も彼女と同じ新入生も、開いた口が塞がらなかった。
体は全体的に細く引き締まっており、女性にしては長身。小ぶりな鼻と大きな瞳は猫を彷彿とさせる。美少女といって差し支えない容姿だ。
思わず拍手を忘れる僕たちに構わず、彼女は自己紹介を終えるとその場に座って、サラダをもしゃもしゃ食べ始めた。
全身に纏った儚げな雰囲気を、その言動で台無しにしている。
黙っていればモテそうなのに、というのが僕の第一印象だった。きっと他の人たちもそう思ったことだろう。
天体観測サークル『コメット』は、それなりに規模が大きく、毎年二十人程度の新入生が加入する。サークルに加入したきり全く集まりに参加しない学生も何人かいるが、大学院生を合わて約百人が在籍している。ちなみに、いつの間にか大学で見かけなくなり、連絡すらつかないメンバーも存在するらしく、そんな人たちのことをこのサークルでは『お星さまになった』と表現する。恐ろしい。
大学生活を楽しみたいけど、テニスサークルとか飲みサークルは怖い……という人や、なんとなく星が好きだけど、天文同好会みたいな本格的なのはちょっと……という人が集まっている。もちろん中には、先輩が可愛いからとか、ぼっちは嫌だからなんていう理由でサークルに入っているような腐れ大学生もいる。
月に二回ほど集まってミーティングを行う、といのが主な活動内容である。実際に天体観測をするのは年に二、三回で、他に本格的な活動といえば学園祭でプラネタリウムを上映するくらいだ。
非公式な集まりではあるが、大学生らしくボーリングやカラオケをしたり、誰かの家に集まって飲んだりなどもする。
『コメット』は、大学にありがちな量産型のゆるーいサークルなのだ。
「なんかすごい子が入ってきたね」
全員分の自己紹介が終わったところで、僕の隣に座るよもぎ先輩が話しかけてきた。『すごい子』というのは、若狭さんのことで間違いないだろう。
「そうですね。度肝を抜かれましたよ」
店内が騒がしいため、身を寄せて返事をする。先輩との距離が約三十センチ縮まったことで、僕の心拍数は三十回ほど増加する。柔らかい匂いが鼻腔をくすぐり、顔が赤くなるのがわかる。アルコールを摂取してごまかそう。
僕は、三年生のよもぎ先輩に片想い中なのである。
一年前の今ごろ。大学に入学したばかりの僕は、キャンパス内を闊歩しながら、上級生から配られるサークル勧誘のビラを片っ端から無視していた。典型的な人見知り男子として模範的な振る舞いである。
そんなとき、キャンパス内に降臨している女神を見つけたのだ。女神、もといよもぎ先輩も、新入生をターゲットにビラを配っていらっしゃった。
「コメットでーす! よろしくお願いしまーす!」
切り揃えられた前髪の下から覗くつぶらな瞳と、陶器のように透き通る白い肌。周囲に元気を振りまくかのように発せられる明るい声。そんな彼女が浮かべる満面の笑顔は、入学直後で不安な大学一年生に安心感を与えるには、という命題に対する最適解を形作っている。僕の心は一瞬で鷲掴まれた。
「あの!」
このときの僕はどうかしていた。自分からいきなり知らない女性に声をかけるなんて、今までの僕からは考えられない行動である。
「はい。なんでしょう?」
彼女の優しげな双眸が僕を捉える。体温が上昇した。
「サークル、入ります!」
先輩は可愛いし、ぼっちで過ごすのはやっぱり嫌だった。僕は晴れて腐れ大学生となった。
当時『コメット』がどのようなサークルかすら知らなかった。恋は盲目。変な宗教とかじゃなくて本当に良かったと思う。
しかしこの一年間、見事に何もなかった。もちろん、よもぎ先輩と話したり、先輩を含めた何人かで一緒に遊んだりはした。一度だけ飲み会の帰りに先輩を家まで送り届けたことだってある。
しかし、ただの先輩と後輩以上の関係には発展しなかったし、これから先もしそうにない。
僕が入手した先輩の個人情報といえば、名前と学部、学科、出身高校と住所、連絡先くらい。ビジネスライクな付き合いだ。外堀すら埋められない。せめて誕生日くらいは知っておくべきだろう、と過去の自分を𠮟りつける。
僕の片想いが始まってから現在までの間、信じられないことに、よもぎ先輩に彼氏はいなかった。しかし、いつ彼女を狙う男が現れても不思議ではない。それに、もしかするとよもぎ先輩には好きな人がいるのでは……いや、考えるのは止めよう。
若狭さんがしっかりサークルに溶け込めるか不安だったけれど、心配はなかったようだ。言動は少し、いや、かなり変ではあるが、他人に対して攻撃したり、自己中心的な振る舞いをしたりすることはなかった。"少し変なヤツ"として、同級生とも先輩ともうまくやっているみたいだ。
それに、なぜか若狭さんは、僕の愛しのよもぎ先輩と仲良くなった。二人でお酒を飲み交わす仲だという。ぐぬぬ、羨ましい。
僕は、男の先輩の中ではかなり懐かれている方だと思う。学内で会ったときは挨拶をしてくれるし、彼女の方から話しかけられることもある。
そういえば、よもぎ先輩とこんな話をした。
「真理ちゃんね、あの発言、わざとだったらしいの」
あの発言、といえば思い浮かぶのは一つだ。
「焼き肉発言ですか?」
「うん。あの子、すごく可愛いじゃない?」
よもぎ先輩の方が可愛いですよ、なんて言えるはずもなく「まあ、はい」とだけ返事をする。
「見た目で判断する男の子が寄ってくるらしくて、高校生のときに嫌な思いをしたみたいなの。それで、大学ではそういうことがないように、って考えて、あんな自己紹介をしてみたんだって」
「へぇ」
「『先輩、私、変な女になれてましたか? 男の人、引いてましたか?』なんて。彼女、本当はすごく真面目な子なのね」
「真面目……ですか」
一周回って、結局変な人だと思うが。
「『必要以上にボディタッチしたり、好きでもない男の人と二人きりで食事に行ったりっていう、思わせぶりな態度は絶対にとらないようにします!』って宣誓してた」
うん、やっぱり変な人だ。
サークルの集まりがあった五月のある日。ミーティングを終えて帰り支度をしていると、横から若狭さんが現れて口を開いた。
「先輩、ご飯行きません? もちろん、先輩のおごりで」
何がもちろんなのだろう。まあ、後輩にご飯をおごるのも先輩の役目だ。僕も先輩方にはお世話になったし。
「ああ、行くか」
僕は軽々しく返事をした。
「やった。焼き肉にしましょう」
「焼き肉? ……まあ、いいけど」
頭の中でこっそり財布の中身を想像し、表情が曇りかける。
「うわ、本当だ」
若狭さんが口元に手を当てて、驚きのリアクションをする。
「何が?」
「最初に条件を伏せて承認を得ると、その後に不利な条件を付け加えても拒否しにくいらしいんです。今日、心理学の講義で習った心理テクニックで、ローボール・テクニックってやつなんですけど」
「そんなものを焼き肉に使うなよ」
綺麗に策にはまってしまった。僕は天井を仰ぐ。
「他にも、向き合うより並んで座る方が親密度が上がりやすいこととか、ミラーリングとかも習いました」
どや顔はやめろ。
「他に行く人いますか?」
ミーティングのために借りた教室には、まだ数人が残っていた。全員が二年生以上で、連れて行けば僕の負担を減らせるという魂胆である。
しかし「ごめん、明日提出のレポートが」「これから彼女ん家」「昨日徹夜で寝てないんすよ」などと断られる。彼女ん家行くやつは引きずってでも連行したいところだ。
「誰もいないようですね。それじゃ、二人で行きましょうか」
「また今度にしないか?」
本当は僕なんかと二人きりじゃ嫌だけど、自分から言い出してしまった手前、やっぱりやめましょうなんて言うのは申し訳ない。彼女がそう思っている可能性を考慮して助け船を出す。僕が焼き肉をおごりたくないというずるい考えも少しはあることを正直に言っておく。
しかし「ダメです」とすぐさま却下された。
「どうして」
「今夜焼き肉を食べることは決定事項です。私の胃袋に肉を収めないと、宇宙の法則が乱れます」
「ずいぶん規模の大きい嘘だな」
ともかく、彼女の方は僕と二人きりということは気にしないようだ。
「うわ、綺麗」
店に向かう途中、星空を見上げて思わず呟いた。アークトゥルスにスピカ、デネボラ。春の大三角形が見える。『コメット』に入るまで天体観測などしたことはなかったが、元々星には興味があり、サークルでの活動や星に関する本を通してそれなりに詳しくなった。
しばらく夜空に見入っていたが、若狭さんと二人だったことを思い出し、彼女の方を見る。若狭さんはものすごい形相で僕を睨んでいた。その視線からは殺意さえ感じる。
「ああ、ごめん。綺麗に星が出てるなーと思って……」
つい謝ってしまう。
「いえ、大丈夫です」
若狭さんは、スッと真顔に戻り、プイっと顔を背けて歩き出した。
たどり着いた駅前の焼き肉屋はそれなりに混んでいた。
「カウンター席しか空いていなくて、テーブル席がもう少しで空くと思うのですが……」
それなら少し待とう、と提案しようとしたが、それより先に若狭さんが「カウンターで大丈夫です」と言った。そんなに早く食べたいのだろうか。
僕たちは並んで座り、適当に肉を注文した。若狭さんは心なしか楽しそうだ。本当に焼き肉が好きなのだなと思い、僕まで楽しくなってきた気がする。
二人の間に会話はなく、ただひたすらに正面の壁を見つめていた。僕が水を飲むと、若狭さんもコップを口元に持っていく。
ずっと黙っているのもどうかと思い、何か話題を……と思って口を開く。
「どうよ、サークルは」
年頃の娘のことが気になる父親か! と僕が思うのと同時に「年頃の娘のことが気になる父親ですか?」と若狭さんが言った。
結局、注文した肉が運ばれてくるまで再び沈黙が続いた。
「それじゃ、焼きましょうか」
若狭さんは目をキラキラ輝かせながらも、表情は真剣そのものだった。
「ああ」
鉄板に肉を並べ終わった彼女は、トングを僕に突き付けてこう言った。
「先輩、よもぎさんのこと好きですよね」
「なっ!?」
いきなり言い出したので、いかにも図星ですよ、という態度しか取れなかった。もうごまかしても遅い。
「でも残念ながら、よもぎさんは沖さんのことが好きらしいですよ」
沖さんとはよもぎ先輩と同じ三年生の先輩で、どこをどう探しても欠点が出てこない、爽やかで優しいイケメンである。どうあがいても僕に勝ち目はない。月とスッポン、鯨と鰯、特上カルビと生ごみ。
「ああ、やっぱりそうなのか」
なんとなくそんな気はしていたので、そこまで落胆はしなかった。沖さんならよもぎ先輩を幸せにしてくれるだろう、という気もした。
「好きな人の好きな人ってわかっちゃいますよね」
「そうなんだよなぁ。でも沖先輩だろ? 確かにイケメンで性格よくて欠点なんて見つからないけど、それだけいい男と付き合ったら浮気される心配とかしなくちゃいけないし……」
「ヤキモチじゃなくて肉焼いてくださーい」
若狭さんがトングで肉を裏返しながら言う。くそ、舐めやがって。
「焼けてきましたね。それではいただきます」
たれをたっぷり絡めたカルビを箸で持ち上げた若狭さんは、鋭い眼差しでそれを睨みつける。とても恐い。
「すごい睨んでるけど、焼肉に親でも殺されたの?」
気になったので聞いてみた。
「違うんです。好きなものを見ると思わずにやけちゃうじゃないですか。で、にやけるのを必死で抑えようとするとこんな顔になってしまうんです」
「ふぅん」
やっぱり、変な子だな。
僕たちの口は、肉とライスを交互に咀嚼し、その合間に言葉を発した。
「告白はしたんですか?」
「いやいや、そんなことできるわけないでしょ。あ、この牛タン美味しい」
「片想いのままでいいんですか? どれです?」
「そりゃ、よくない……けど。ほら、これ焼けてるから食べな」
「それじゃ、はやく当たって砕けてくださいよ。ありがとうございます」
「何で砕けることが前提なんだよ」
「この牛タン、美味しいですね」
「だろ?」
「あ、共食いだ」
彼女がボソッと言ったのは、僕が
「聞こえてるぞ。もっと先輩に敬意を払え」
「了解でーす。その代わり先輩は代金を払ってくださいね」
この後輩は、僕のことを財布だと思っている可能性がある。そしてどや顔やめろ。
「……どうすればいいんだろうな」
もちろん、よもぎ先輩のことである。
「食事に誘うんですよ」
何気ない呟きだったが、若狭さんは答えた。
「そんなことできたらとっくにやってる」
「何人かでいるときにでいいんです」
「何人かでなら食事には行ったことはある」
若狭さんは残念そうな表情で、大げさなため息。
「バカなんですか? だから先輩はいつまでたっても甘ったれなんですよ。あ、甘ダレ取ってください」甘ダレを取って若狭さんに渡す。「――ありがとうございます。協力を要請するんです。よもぎ先輩が好きだって他の人たちに言っておけば、空気を読んで二人きりにしてくれますから」
「なるほど」
思わず感心してしまう。
「それから、よもぎさんの恋愛相談に乗ってみるとか」
「それは逆効果じゃないの?」
「相談してるうちにその相談相手の方を好きになってしまう。白いシャツを着ているときに限ってタレをこぼすことくらいよくある現象ですよ。……はぁ、これだから鈍感男は」
「鈍感は別に関係ないだろ?」
「そうですねー」
若狭さんは、なぜかふてくされた顔をしている。きっと、僕の恋愛偏差値の低さにうんざりしているのだろう。
デザートまで平らげ、二人とも満腹になったところで会計をする。僕の一日分のバイト代が……消えた。
「ああもう、どうしたら振り向いてくれるんだろう」
若狭さんには僕がよもぎ先輩を好きなことがバレているため、溜まりに溜まった悩みをつい打ち明けてしまう。面倒くさい男になっていることは自覚しているが、焼き肉をおごってあげたのだから、話くらい聞いてもらってもバチは当たらないだろう。
「無理じゃないですかね。好きな人がいる人って、なかなか振り向いてくれないもんですよ」
「なんだそれ。経験談か?」
「まあ、はい」
「若狭さんでも失恋なんてするんだ」
「そうなのです。人生は上手くいかないものなのですよー」
後輩に人生を語られる先輩ほど情けないものはない。
「で、失恋した後はどうしたの?」
「ムカついたので焼き肉をおごらせました」
若狭さんの、何かが吹っ切れたような今までで一番の笑顔に、僕はほんのちょっとだけ見とれてしまった。
焼き肉と美少女 蒼山皆水 @aoyama
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