第1話 振子職人

 人はあまりモノを燃やさなくなった。


 あの震災以来、ズタズタになった送電網は蘇ることはなく、電気は使う場所で、使う分だけ発電されている。



 神田は岩本町の一角にある古いビル。

 いや、元ビル。

 震災前、五階まであった建物は、二階までしかない。

 なんでも隣のビルに寄りかかられたとかで、上階が倒壊。僅かに残った三階の壁だった部分にバラックのような屋根が無理矢理取り付けられ、雨露を凌いでいる。

 周辺も似たようなもので、瓦礫を片づけた残りを何とか住めるように、補修という名の魔改造が施された中々トリッキーな景色が広がっている。

 十年経っても東京の再開発は地方都市のそれよりも遅れているが、ある意味仕方のないことだ。

 太平洋岸は原子力発電所が並んでおり、その全てが被災していたのだから、どちらにせよ被災直後の政府はそれどころではなかった。

 東京都心部への公的援助は最低限で、放射能の問題と、広範囲に孤立地域が点在する地方へ力を注がざるを得なかったのだ。

 元々地方出身者が多い東京だから、自分達は何とかなるから、その分を地方にまわしてくれという気持ちもあったのかも知れない。

 都会は冷たいというけれど、いざ何かしようとすると、すぐにコミュニティが出来上がって、即行動に移すのも東京の姿だ。

 変なところで江戸気質が残っているというか、復活したのか、生えて来たのか……、兎に角自分達の手でやらないと気が済まないところがあった。

 こうして、神田周辺に限らず、都心部に近いほどハンドメイドな街並みが、バンバン形成されたのだった。

 廃墟も住めば極楽なのか、今ではこれが普通である。

 ほんの十年前より空が広くなった浅草橋方面から江戸通り―― 現在の通りから一本裏道に当たる。元来の通りは地下鉄部分が陥没した状態で放置されている。―― を馬喰町で右折した電動三輪が、清洲橋通りを走り抜けていった。震災前なら逆走で切符を切られているところだが、そんなことはお構いなしに東神田一丁目で左へ曲がると、見た目二階建て半のビルに横づけした。

「おーい、マミー、起きてるかー」

 車から降りた灰色のツナギを着た男が、凹みの目立つシャッターをガンガンと叩く度に、錆び色の塊がボロボロと落ちていく。もうすぐ丸ごと落ちてきそうなシャッターには、辛うじて「振子工房」と書かれていた。

「うおーい! 起きるぉぉぉっ!」

 一層激しく叩かれたシャッターから塗装がゴッソリ剥れ落ちて「辰子工房」になったところで、中から怒鳴り声が返ってきた。

「うっせぇー! 起きてるわー!」

「おう、起きてたか。んじゃ、早く開けてくれ。ブツ持って来たぞ」

「鍵持ってんだからー! 自分で開けろー!」

「はいはい。んだよ、朝から機嫌悪いなあ……」

 男はブツブツ言いながら建物の横に回り込むと、鉄製の扉を開けた。

「おーい、入るぞー。工房開けっからなー」

 奥に進むと水音が聞こえた。家主はシャワーを浴びているようだ。

「不用心だなあ。覗いちまうぞー」

 天井に近い高さにスリットのような明り取りしかない工房は薄暗い。男は慣れた足取りでシャッター脇に辿り着くと、ぶら下がったチェーンを巻き上げる。ガラガラキーキーと壊れそうな音を発しながらつっかえること二回、無事工房に新鮮な空気と朝の光が取り込まれた。

 バックで手際よく電動三輪を入庫した男が、万有引力に任せて再びシャッターを下ろすと、先程より一層暗く感じる工房の足元で、響き渡るシンバルと僅かに漏れる光の中を錆埃が踊った。

 タオルで頭をゴシゴシやりながら、歯ブラシを咥えた女が奥から顔を出したが、暗くてよく見えない。

「あふぁふぁらううふぇんふぁお」

「あぁ? フゴフゴ何言ってやがんだ? それより照明点けろよ」

「ほえ」

 女は手の平サイズのクランクを男に放り投げて引っ込んだ。

「んだよ。本当に起きたばっかりかよ……」

 この地区の人間は、朝起きるとまず発電機を回す。

 振子式発電機は半永久的に稼働させることは可能だが、機械やバッテリーの寿命を考えれば、回しっ放しにするようなことはしない。寝ている間くらいなら、昼間の余剰電力で蓄えた分でどうにかなってしまうので、特に不便はない。

 工房の隅にある発電機にクランクを差し込み、軽く三回ほど廻すとオレンジ色のLEDが灯り、直ぐに電流が安定したことを示す緑色に変わった。

 男が明るくなった工房で、荷台に被せてあったシートを剥ぎ取ると、黒い塊が現れた。

「うわ、きったな。でもそこそこの骨董品じゃん」

 サッパリとした顔で赤いツナギを着込んで出て来た女は、十代後半といったところか。濡れ髪をタオルで叩きながら、興味深そうに荷台を眺めた。

「だろ?」

 男は、鉄骨レールにぶら下がったチェーンブロックから延びたスリングを手繰り寄せて、黒い塊の上部に生えた二つの丸環を引っ掛けて吊り上げる。一瞬、ミシリと家鳴りするが気にしない様子で、車輪のついた架台に載せるとピンで固定した。

「SY-12B128。丸っきりオリジナルの状態だぜ」

「マジでっ! 博物館級じゃん! ハル兄も偶にはいい仕事するねぇ」

「まあ、黒焦げだけどな」

 頭文字は大手時計メーカーと発動機メーカーの共同開発であることを示し、第二世代の十二気筒型で、一気筒当りに振子盤が百二十八枚使われていることが分かる。

 因みに、現行は十五世代ということになるが、七世代目以降は開発コードで呼称されている。

「こんなのどっから出て来たの?」

 架台に据えられた駆体を色々な角度から眺めては、恍惚とした表情を浮かべている。

「そいつぁ聞きっこなしだぜ」

出所でどこなんてどうでも良いんだけどね。バラしていいの?」

当り前あたりめえだろ? そのために持って来たんじゃねえか」

「まあ、今となっちゃ、ボクとハル兄以外にこの子を弄れる奴なんていないかんね」

「マミにゃ敵わねえよ。俺にゃ、とてもこいつの調整はできねえ」

 振子式発電機の肝は振子盤の詰まった筒型のユニットだ。一気筒ずつ取り外せるようになっているが、その中身は超精密機器だ。

 何せ、厚さ三ミリほどの振子盤が全て違うタイミングで動くのだから、その調整は神業に等しい。

 震災直後から急速に普及した振子式発電機だが、その技術者の育成が間に合うはずもなく、振子ユニットはほぼブラックボックスと化している。正規ディーラーでも修理は行っておらず、故障したらユニットごと交換するのが常識だ。メーカーとしても、ランニングで儲けることができるので、ユニットのブラックボックス化は益々進行している。

 当然高価で、復興中の、特に政府から半ば見放されていた都心部の庶民が「はい、そうですか」と出費するわけもなく、町工場の職人達がその修理技術を自ら編み出していったのは、必然的といえよう。

 被災した職人達はここ神田岩本町でコミュニティを形成し、根城としていた。そんなコミュティが、震災で両親を亡くし、其々の祖父母に引き取られたのが当時七歳の佐々木まみと、十二歳になったばかりの榛名寅壱はるなとらいちが育った環境であり、その全てを受け継いでいる二人であった。

「取り敢えずバラして、状態の確認だね。その前に朝飯喰おう」

「だな」

「飯作っとくから、ハル兄はシャワー浴びなよ。はっきり言って臭え……」

「しょうがねえだろ。これ掘り出して持ってくんのに、二週間掛かってんだからよ……そんなに臭うか?」

 鼻が麻痺してしまっているのか、脇の臭いを嗅いだりしているが、ノーダメージのようだ。

「ええ! まさかその間着た切り雀かよ! そのツナギひょっとして白?」

「白だ……った」

「捨てちまえ、そんなもん! ああ、もう一応洗ってリサイクル行き! どこでどうしたら、そうなっちまうんだよ?」

 リサイクルと言っても、古着で売るわけではない。馬喰町の繊維コミュニティが資源として回収し、化学分解した後に再生繊維として利用するのだ。この下町地域で、純粋にゴミとして捨てられる物はほとんどない。

「お、おう。千葉の工業地帯にサッシ工場跡があってよ。震災じゃ生き残ったらしいんだが、碌な修理もできずに無理矢理三年ほど操業したらよ、溶鉱炉がぶっ倒れて燃えちまったんだとさ。んで、そのまま放置されたわけよ」

「そこでこいつを掘り出してきたってわけ?」

「そういうこった。お陰で煤だらけだぜ」

 未だに復興が進まない地域では、発掘ともサルベージともつかない、盗掘地味た商売が成り立っている。地下鉄跡からは携帯端末などが、工場跡地からは部品や資源が掘り出させた。

 そういった掘り出し物は、復活した秋葉原のジャンク街に集められている。

 寅壱が二週間分の汚れを落としている間に、マミはスクランブルエッグとソーセージにトーストを添え、コーヒーを淹れた。

 腰に洗い立ての黒いツナギを巻き、色白で引き締まった胸元に神田明神のお守りを下げてシャワーから出て来た寅壱は、咥え煙草でソファにドカリと沈んだ。

「おう、あれな、生き返ったら買い手決まってっから」

「ちょっと、食事が並んでんとこで煙草吸うなって言ってじゃんかよ」

「悪い悪い……」

 マミは煙草を吸わないので、ソファの脇にある筒型の灰皿は寅壱専用だろう。

「誰が買うの? それによっちゃ弄り方が変わってくんだけど? いただきます」

「いただきます。斉藤音楽本舗。マミの刻印希望」

 きちんと手を合わせてから、左手でトーストを齧る。右手にはフォークだ。

「ああ、また音響電源に使うんだ。そんじゃほぼオリジナル再現ってわけね。デジタルノイズ厳禁」

 一部の音響愛好家達は、どういうわけかアナログ電源に拘る。デジタル化が進んだ最新機器を使ったほうが安定した電圧を得られるだろうに、音に温かみがないだの、都市伝説か迷信の類を信じているとしか思えない。

 まあ、斉藤音楽本舗は上客であることは間違いない。

「取り敢えず、最低限のバッテリーってことで、いつものヤツ調達してきてよ。後はバラしながら考える」

「おう、任しときな……ん? 今なんか聞こえなかったか?」

「は?」

 耳を澄ませば、表の方が何やら騒がしいような……。

「振子屋っ! 居るんだろ! 寅壱のやつが帰ってきてんのは、わかってんだよ! おいっ!」

「ハル兄をご指名みたいだけど?」

「そうみてえだな……っと」

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東京クランク 謡義太郎 @fu_joe

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