最終話

 4月26日 AM6:15


 逮捕状を突きつけられ、手首に手錠を掛けられた本郷は呆然としていた。

 真子、大輝、陽平、勝英、未来、佐々木、野沢、前田の8人は腕を流れる毒を拭いている。皮膚に付着するだけで効果のある毒ではなくて本当に良かった。木部と田中が死んだふりをした時に身を挺してそれを証明してくれた。

 拭き取りに使ったハンカチは毒の証拠品としてみんな警察に提出した。もちろん端末も。


「ヤッてるふりをして俺を騙したのか?」

「そうよ」


 本郷の質問に未来が答えた。その言い回しは止めてほしかった。真子の視線が痛い。後で絶対に追求される。


「脈拍計測器のことはいつ知った?」

「1F上がってからかな。私医療系志望なので。ゲーム中は郁斗君にしか話してないけど。その時の会話は聞き逃したみたいだね。助かったよ」

「くっ……」


 本郷が悔しそうな表情を浮かべる。本郷はそのまま質問を続けた。


「死んだふりをして黒子にバレなかったのか?」


 この質問には木部が答えた。


「後で知ったんだけど、バレてたみたいよ。あんた、脱落者の回収しか指示しなかったんだって? 脱落者が死んだかどうかの判断は指示されていないって無視したみたいよ。詰めが甘いのね」

「くそっ。黒子を買収したのか?」

「あぁ、そうだ。金の話をしたら飛びついてきたぜ」


 この質問に答えたのは大輝だ。


「交渉したのか? あいつらは日本語には反応しないだろ?」

「俺ら進学校の生徒だぜ? 日常会話の英語力くらいはある」

「いっくんはそれができないから交渉は瀬古君に任せたんだよね?」


 また真子は余計な一言を。とは言え、無闇に突っ込めばそのうち話が脱線して、未来とのことを問い詰められるのが目に見えている。だからここは何も言わない。


「現金即金でしか動かないだろ?」

「近藤が借金返済後の報酬の残金持ってて助かったよ。黒子はその後、食事の世話に、不正の見逃しに、かなり協力してくれたぜ。屋外の扉を開ける電子キーもくれたから警察を入れられたし。ただ外のマシンガンのおかげで結局監禁状態だ。参ったわ」


 大輝は嫌味たっぷりで、参ったという表情は見せない。むしろ笑っている。本郷の悔しそうな表情は衰えない。そしてここからの回答者は俺だ。


「ゲームのシステムを乗っ取ったのか?」

「あぁ」

「あれは多額の金を掛けて作った高度なプログラムだぞ。セキュリティも固い」

「本当、骨が折れたよ。結局俺ができたのはミッションの内容の変更だけ。同室になればミッション事態は発令されるし、8時間に1室の移動は変えられないし、扉も鉄格子も開かないし、端末も操作できない。凄かったよ。

 ただ多少強引な方法を取ってエラーが出ても、オフラインだからお前に通知は行かなかったみたいだな。助かったよ。お前の油断だ」


 なおも本郷は続ける。それに勝英が俺も話させろと言わんばかりに答える。


「しかしここは全館オフラインだ。警察は呼べない。たとえ事件があったから近くまで捜索に来たとしても、密室状態じゃ屋外とコミュニケーションが取れない」

「不正見逃しのおかげで1Fのマンション内にあった凶器をここにたくさん持ち込んだぜ。とりあえず今は隠してるけど。それで小さい穴を空けた。そしたら外を捜索してた警察と話ができた。先に出た黒子が捕まってくれたおかげでこの辺りを捜索してくれてたんだよ」


 すると外を張っていた警察が入ってきた。


「皆川さん。生徒たちと近藤の物と思われる携帯電話がヘリから出てきました。すべて電源は切ってあるようです」

「そうか、わかった。……そろそろいいかな?」


 後半は俺達に向けて言った言葉だ。俺はそれに首肯した。すると真子が目に涙を溜めながら言った。


「刑事さん、早くそいつを死刑にして下さい」


 皆川刑事は苦笑いを浮かべながら答える。


「取調べが終わって起訴してからの話だな。それに死刑を決めるのは裁判所だし、執行するのは法務省だ」


 それを聞いて大輝が言った。


「とりあえず一発殴りたいんスけど」

「やれやれ。1人だけならその時間はよそを向いててやる。……おい、お前ら。今から起こることは何も見るな。聞くな」


 皆川刑事がそう言うと「はい」と言う返事の下、警察関係者が俺達から目を逸らした。それを確認して俺は言った。


「大輝いけよ。俺は近藤に一発ボレーシュート食らわしたから譲ってやる。勝英と陽介にはちょうど2体黒子いるし、どうだ?」


 俺も警察に倣って顔を背けると、俺以外の男子生徒3人は目を合わせた。その後、「ボゴッ、ボゴッ、ボゴッ」と3回鈍い音が聞こえた。終わったと思ったその時、「パンッ、パンッ」と乾いた音が2回聞こえた。なんと、木部と佐々木が本郷にビンタを食らわしていた。

 やれやれと言う顔をして皆川刑事は体を向き直した。そして本郷と2人の黒子は警察に連れ出された。


 端末が無くなった俺達は外に出た。3週間ぶりの日光。眩しいが気持ちいい。俺の予想通り屋外には後付けのプレハブ小屋があった。その中にベルトコンベアが伸びていて1Fはそこから食事を提供していたようだ。死んだ生徒たちの荷物もこの中にあった。


 そして生き残った俺たち11人は病院に運ばれた。一通りの検査を受けた後、病院で1泊し休んだ。その時に来た11人の生徒の親達。全員が安堵から泣いていた。

 しかし忘れてはならないのが、死んだ21人の生徒の親や家族。運び出された遺体安置所で悲鳴のような鳴き声が1日中止まなかったそうだ。この事件は世界でも大々的に報じられる大スキャンダルとなっていた。


 その翌日は11人とも丸1日事情聴取のため警察署に缶詰だった。やっと解放されたのは更に翌日。その日は全員学校を休んだ。

 更にその翌日が祝日。結局俺達11人は精神面を考慮してもう数日休み、ゴールデンウィーク明けから出校することになった。4月の出席は結局始業式の1日だけだ。


 ゲームの録画結果から、死者の中で何人かは「被疑者死亡のまま」として罪を検討された。とは言え、情状を酌量して多くの生徒が免罪となった。しかし津本だけは継続審議中だ。生存者で罪に問われる者はいなかった。本田に対する大輝と陽介の暴力も。

 本郷は黒子に扮した2人のSPとともに取り調べ中だ。もちろん近藤も。SPや近藤がどのくらいの罪に問われるかは定かではないが、本郷の極刑は免れないだろうという見解だ。


 この事件がきっかけで、本郷グループの株価は大暴落した。本郷の兄は会長職を引責辞任。多くのグループ会社は再建ができるかも不安なほど傾いたと言う。


 解放から数日後、空港近くの銀行で多額の日本円を他国通貨に現金で両替をした外国人2人がいた。

 銀行から連絡を受けた警察は銀行に直行。その日本円の現金が、大輝が渡したノートにメモされた紙幣番号と一致。空港で待機していた警察官がその外国人2人を発見し、緊急逮捕。俺と大輝は顔写真照合を警察に求められた。1人は間違いなくボブだった。


 キューブマンションは事件から1年と経たずに取り壊された。


 生き残った俺達は事件後、5月から学校に通いだした。しかし野沢は精神を病んでおり休学。それに続くように田中と前田も休学した。結局残った8人はB組からI組に振り分けられたが、周囲から俺達への色物を見る目は凄まじく、登校できない生徒が続出。結局2年A組を再編させ、進級までを8人で過ごした。


 木部のメンタルの強さは凄まじく、彼氏と別れて大輝に猛アタックをかけていたことが印象的だった。その後2人の関係がどうなったのかは知らない。

 俺は真子からの追及を躱すことで精いっぱいだった。事あるごとに「ヤッてるふり」って何? と聞かれた。この追及は半年ほど続いた。なんとか躱しきったが。


 3年に進級すると田中、野沢、前田が復学。もう一度2年生ということになったが、学校側の配慮で3人だけの特別クラスが編成された。結局2年間を3人のクラスで過ごしたため、なんとか1年遅れで卒業までこぎつけた。


 俺はそれなりのレベルの大学に進んだ。建築学部だ。高校時代の真子先生の勉強管理は凄まじかった。宣言通り、設定した成績に上がるまでイチャイチャはおろか、デートすらもしてくれなかった。

 やっと目標を達成したのはもう3年の中頃で、本格的な受験勉強の真っただ中。結局まともなデートとイチャイチャはクリスマスの一度だけだった。

 真子もそれなりのレベルの大学に通い始めた。商学部だ。大学生になるとかなり自由で、進級、卒業、就職活動さえしっかりしていればいい。俺は真子と遊びまくった。


 そして事件から8年後。


 寝室のアラームが鳴った。時間は朝の5時だ。現場監督の朝は早い。隣のベッドから真子も起きた。真子は今年2歳になる息子を起こさないようにそっとベッドを出た。そして小声で俺に言う。


「おはよう」

「おはよう」


 俺も小声で返す。俺は愛しい我が子の寝顔を見ながら起き上がった。着替えや洗顔をしている間に真子が朝食を作ってくれる。そして、俺が朝食を食べている間に弁当を作ってくれる。


 真子は大学に入ってから料理をするようになった。最初は失敗も多かったが徐々に腕を上げ、大学を卒業する頃にはかなりの腕前になった。

 真子は大学卒業前に妊娠した。それを知った俺は慌てて真子のご両親に挨拶に行った。何発も殴られ、何時間も頼み込んでやっと結婚を許してもらった。未来のパンチ並みに強烈だった。

 その後、真子は内定先の企業に断りを入れ、俺たちは大学を卒業してすぐに結婚した。


 俺は建築会社で現場監督として働いている。まだ3年目の若手だが現場を任されている。高校時代は建築設計をしたいと思っていたが、大学で専門的な勉強をするうちに、俺は自分の致命的な欠陥に気づいてしまった。


 間取りが描けない……


 そう、パズル系が苦手な俺は間取りが描けなかったのだ。せっかくパソコンに精通していて建築CADも学部の中で最初に覚えたのに、間取りが描けないがために建物プランが組めなかった。それで俺は泣く泣く現場監督の道を志した。


 しかし、就いてみると現場監督の仕事は天職だと思う。建物ができる過程を我が目で見られる感動がある。施工図を描く時は自分が直接建築CADを使って描くなど幅が広い。それに気のいい職人達と仕事後、居酒屋で酒を飲むこともしばしば。

 ただきついのも事実で、繰り返すが現場監督の朝は早い。気の早い職人や下請け業者が朝7時には現場に来て準備を始める。そのため俺はもっと早く来て準備をしなくてはならない。そして朝礼を経て、8時から工事開始だ。

 夕方になると現場を閉め会社に戻り残務処理。会議なんかもある。夜帰って風呂と食事を済ませると子供が寝静まった後に受験勉強だ。この年俺は一級建築士の受験を控えている。睡眠時間は毎日3時間程度だ。


 そしてとある日の昼休み。俺は現場事務所で真子が作った弁当を広げていた。そこへ型枠大工の職人がやってきた。現場事務所で一緒に弁当を突きたいようだ。俺は快く受け入れた。


「監督さん。こないだ面白い現場があってさぁ。先月、躯体工事が終ったばっかなんだけど」


 型枠大工の職人は豪快な声量で話し始めた。


「へぇ、どんな現場?」


 あ、このから揚げうまい。


「山奥だったんだけど、地下が4階もあってさぁ」

「へぇ。掘削に苦労しただろうな」

「おう。俺達孫請けだったんだけどさ、出張費も出るし、見積もりも差し値なしにそのまま通してくれたから請けたわけよ」

「つまり金が良かったんだ?」

「まぁな。はっはっは。壁式構造の鉄筋コンクリート造だったんだけど。室内側も3~4メーターピッチでやたらコンクリートの壁にしてやがんだよ」

「だから見積もりが高いんだよ」

「そうだ、そうだ」


 職人の豪快な笑い声が現場事務所に響く。さっきから窓がカタカタ鳴っている気がするのはこの人の声の音圧か? それとも風か? 強風なら暴風養生も考えなきゃ。


「それで儲かったわけだ?」

「おう。今夜一杯いくか? 奢るぜ」

「乗った」

「よっしゃ」


 あ、この卵焼き、焼き加減が絶妙。

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