最終話「それぞれの」

『遊びにおいでー! 待ってるからー!』

 スクリーンに映された金色の長い髪。

 艶やかなそれは彼女の肩の下まであった。 

 青い瞳はカメラ目線。

 美少女というよりも美女といっていいかもしれない。

 画像はにっこり笑ったまま止まっている。

 ビデオレター。

 五分ほど、サーシャの日常を映した動画が、学校に送られていた。

 元気にやっている。

 それを伝えるための映像。

「サーシャ、っきくなったねえ」

 風子はそう呟いていた。

 そんな彼女に困った表情をするのは緑。

 相変わらずのパッツン前髪。

「ママじゃないんだから」

 彼女はそう言って口元を緩める。

アネさん通り越してママとか……」

「そういう言動をするから」

 ふたりは笑った。

 そうしているうちに、もう一度サーシャの動画が再生された。

 二回目。

 今度は緑に異変が起きていた。

 狩人のような目つきでサーシャを追っている。

 逆に視線の緊張感と反比例して、ヨダレを垂らさんばかりに緩んだ口元。

 彼女はブツブツ呪文のように何かを唱え始めた。

「……ちくしょー……サーシャアア……そう来たかーお姉さんキャラかー……せくしい方向かああああああ……いいよー、いいよー、全部面倒みてやるよお」

 ブツブツ唸りながらスクリーンに映る、愛しの金髪娘を目で追い続ける。

 想像していたよりもサーシャは進化していた。

 彼女に着させる衣服を新調しなければならない。

 そんな使命感をたぎらせている。

 緑にとって、動画のサーシャは挑発以外の何物でもなかった。

 風子は長年の付き合いからか、そんな緑の妄想を看破して、困った表情を一瞬見せたが、無視することにした。

 こんな時、下手に関わると、緑の趣向が自分に飛び火することが目に見えているからだ。

 三年間。

 経験上。

 触れてはいけない。

 そんな世界。

「成長したなあ、あいつも」

 いつのまにか風子の隣に立った次郎が感慨深そうに見ている。

 そして、チラッと風子の胸に視線を向けようと……して。

 いや、できなかった。

 裏拳。

 グーで。

 それが顔面にヒットしたからだ。

 もう、三年もいれば、ムッツリ野郎ぐらいなら先手を打てるようになる。

「な……な、なにを」

「乙女の天罰」

「……なにも」

「ほんと、次郎はいつまでもわたしの胸をチラミするから」

「見るも何もチラミも、それぐらいだったらスルーしちゃ」

 ぼこ。

 両手で首の後ろを掴み、頭を下げるとともに、右の膝蹴り。

 次郎は辛うじて両手でガードするが、冗談にしても威力はすごい。

「……シャレにならん」

「古流の武術かなんか知らないけど、練習サボってるんでしょ、反応悪い」

 ニヤリ笑う風子。

「そんなんじゃねえって」

 彼女はあれ以来、週イチとはいえ休みの日を利用してキックボクシングのジムに通い、全国大会に出るレベルにまで強くなっていた。

 強い姿に憧れてしまったから。

 何かをせずにいられなかったのかもしれない。

 その憧れであり目標でもあったサーシャ。

 生き生きとした姿の彼女がスクリーンの中にいた。

「サーシャに会いたいなあ」

 メールとかそういうものはしている。

 写真とかも送っているが、それでも遠い存在。

 改めて動画で見たサーシャは大人びていた。

 遠くの存在に感じてしまう理由。

 もしかしたら、相手も同じ事を感じてしまっているかもしれない。

 だからこそ会いたくなった。

 会わないといけないと思った。

 一方、緑は大吉に話題をふっていた。

「大吉くんは変わらないよね」

 意地悪な視線を彼に向けていた。

 それに気づいた大吉は口を尖らせる。

 そんな動作が、彼自身気付かないうちに、幼い雰囲気を強調しているのだが。

「お前には言われたくねーし」

 ソフトモヒカンの下にある顔は確かに幼ないままだ。

 そして身長も一六〇センチ台。

 緑よりも少し高いぐらい。

「私は永遠の少女を目指してるから」

「うわ……こわい、やばい」

「なんだコノヤロー」

 壮絶な笑みを大吉に向ける緑。

 怖くなったので、目を背けた。

 話題を変える。

「あーあ、彼女欲しかったなあ、もうちょい身長があればモテモテで、イチャイチャだったのに」

 そんな大吉は、外見の可愛さと、オトコギのギャップに後輩の女子からそこそこ人気があった。

 だが本人にそんな自覚はない。

 後輩女子からも告白を数回されている。

 彼は自然に断っていた。

 そんな大吉を緑は知っている。

 だからこそ彼女はもうひとりの親友を大吉の姿にどうしても重ねてしまっていた。

 ずっと遠慮している大吉に。

 今日は卒業式。

 少しぐらい、話をしてもいいだろうと思った。

「幸子ちゃん、元気かな」

 緑は静かにそう言った。

「……」

 次郎はサーシャの動画から視線を動かさず、聞こえないふりをしている。

 大吉に気を使っていた。

 触れてはいけないと、彼は思っていたから。

「元気だよ、きっと」

 反応したのは風子。

 ありふれた言葉しか返せないことを悔しく思った。

 でも、それはどうしようもない。

 流したくなかった。

 それが、悲しい空気を生んだとしても。

 会いたくとも、会えない。

 極東共和国と日本帝国は二年前のロシア紛争以来、断絶状態に陥っていた。

 このため、あれ以来、いっさい彼女の情報は入ってこなかった。

 緑は幸子に会いたいと思っている。

 いつか彼女が書いた本が、国境を越えて幸子の手元に届けばいい。

 そう思って、彼女達共通の趣向が込められた物語をいつか送り届けるために努力をしていた。

 彼女はそういうこともあって、卒業後は一般の大学で心理学を学ぼうとしている。

 ある尊敬するひとの影響だった。

 二年前に作家デビュー。そしてその界隈ではブレイク中。

 元学校カウンセラーの笠原梅子カサハラウメコ

 彼女は緑から『お師匠様』と崇拝されるとともに、相談なども気軽に乗ってくれる存在であった。

 彼女が心理学を専攻していたから、緑もそれを目指す。

 そんな単純な理由で大学進学を選択していた。

 だからこそ迷いもない。

「相変わらず、真面目ぶって、それで、クールで、でも……」

 大吉がポツリポツリと言った。

「いつか、会える気がするんだよなあ」

 そう言ってにっこり笑った。

 素直な笑顔。

「……もしかして、大吉くんが陸軍士官学校リクシに行く理由って」

 風子がチラッと彼を見る。

「本当は外交官になりたかったけど……英語のアレも七〇〇点台だし、到底合格するような能力じゃないってわかったから……それで軍隊……軍隊にいれば、いつか会えるかもしれない……動機が不純すぎるかな?」

 笑ったままそう言った。

 女のために仕事を選ぶ。

 世間一般では胸を張って言えることではない。

「さよならを言えてねーから」

 だが、今の彼はそれを堂々と言えた。

「かっこいいな、大吉は」

 次郎はそう言って大吉の肩に手を置いた。

「お前だって、陸軍士官学校リクシに」

「そうだけど」

 風子が口を挟もうと次郎に視線を送る。

「次郎はどうして?」

 まさかそんな質問をされるとは思わなかったんだろう。

 次郎は風子の方を向いて、首を傾げる。

「どうしてかな」

 軍隊を続ける。

 それ相応の理由があってもいいと思う風子だった。

「じゃあ風子は、どうして京都帝国大学に?」

「……その、あの大学に行けば、可能性が広がるかなって」

「可能性ってなに?」

「世界と関わるような勉強……というか、サーシャとか幸子ちゃんとかと、また会えるような、そんな仕事を」

「そうか……」

 次郎は目を細める。

「俺は……なんで、士官学校を選んだんだろう……風子も大吉も、緑もちゃんと理由があるのに」

 風子が少し口を開こうとしたが、先に大吉が口を動かした。

「気付いていないかもしれないけど」

 真面目な顔。

「お前って、佐古中隊長に、なんかさ、後輩とか面倒見る時も、似てるっていうか、真似してるように思えるんだよな」

「……中隊長?」

「ああ、なんかしゃべり方とか素振りとか」

「……」

 次郎は目を閉じた。

 あまり気にしたことはない。

 いや。

 あの二年の春に、そんなことを考えた時期があったことを思い出す。

「ああ、そうかもしれない」

 あれから二年間。

 そして今も。

 佐古少佐あのひとの背中を追っていたような気がする。

 そのことを忘れるぐらい、無意識に。

 やっていたのかもしれない。

 不思議な感覚だった。

 そうとしか言えない。

 やっぱり、このメンバーでいると本音を引き出してくれる。

 ――ああ楽しいな。

 次郎はそう思う。

「またみんなで会いたいな」

 ぽろっとそんな言葉がでていた。

 大吉が笑いながらうなずく。

「おう」

「合コンしよーとか言ってメールしないでね」

 緑がそう言うと次郎が首をふる。

「それはない」

「即否定されるのも、なんか」

 ピクッと顔を引きつらせる緑。

「もっと、四十歳とか五十歳になって、みんなで温泉旅行とか」

「……うわ、おっさん臭い」

 と風子。

「なに、その湯けむり不倫旅行」

 と緑。

「お前ら、心汚れすぎ」

 と反論するが、バカにした目つきの女子二人に見下ろされる。

「だから、男ってロマンチストというか、現実逃避というか」

「温泉旅行で何が悪い、なあ大吉」

「温泉旅行はないな」

「……大吉お前もか」

「じゃあ大吉くんもこっちー」

 風子が大吉の腕を引っ張る。

「やっぱ、みんなで休暇とってアメリカ大陸横断とか」

 大吉の提案。

「……なにそれ、楽しい?」

 パッと手を離す風子

「男のロマン」

 小さい巨人がエッヘンする。

「それはねえな」

 敵対する男の友情。

 四人は笑った。

「あんた達、仲いいなら付き合っちゃえばいいのに」

 少し離れた外野から口出しするのは小牧楓。

 すでに徳山俊介とはそういう仲ではなくなっていたが、それはまた別のお話し。

 同期の中でも恋多き女子なのだ。

「そんなんじゃないんだよね」

 風子がそう言った。

「まあ、そんなんじゃないな」

 大吉が笑う。

「わたしは二人がそんなんだったらいいなーって思うけど」

 と緑。

 視線の先は次郎と大吉。

 ゾクゾクっと悪寒が走るが、もう慣れている。

 相手にしない。

「さよならだけど、さよならじゃない」

 次郎の言葉にうなずく他の三人。

「なんだよそれ」

 と大吉。

「うなずいていたし」

 次郎の返しに風子が笑う。

「なんとなくうなずいちゃった」

「うん」

 緑もうなずく。

 そして、しばらくして。

 四人はしゃべらなくなった。

 緑が息を吸った音が。

 すごく響く。

「ばいばい」

 パッツン前髪が揺れた。

「じゃあね」

 一生懸命作った笑顔がますます幼く見えた。

「またね」

 ベリーショートの頭を下げ、溜まった涙を隠す。

「さようなら」

 口元が震えた。

 また、静かになる。

 息を吸う音が、すごく大きく聞こえた。

 四人はもう一度息を吸う。

 口に出そうと。

 それぞれの分かれ道。

 この三年間いっしょだった四人。

 もう離れていった人もいるけど。

 全部。

 また、繋がるかもしれない。

 また、繋がりたい。

「ばいばい」

 手を振った。

「じゃあね」

 握手をする。

「またね」

 まぶたに指を押し当てた。

「さようなら」

 もう一度。

 手を振った。



 それぞれの。

 それぞれの。

 道に。

 一歩踏み出すために。

 


 

 陸軍少年学校物語  了


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陸軍少年学校物語 崎ちよ @Sakichiyo

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