時間ならある。

一匹羊。

いくらだって。

 突然だが、君の目は見えるだろうか。耳は聞こえるだろうか。声が出せるだろうか。腕や足は2本ずつあるだろうか。いつも健康で、笑顔で生きているのだろうか。全てに当てはまるのだというのなら、どうか伝えたい事があるので聞いてほしい。「死んでしまえ」。

 4年前の僕へ、と書いて僕はペンを置く。

 置いた瞬間、手が汚れた。コロコロコロ、転がったペンは机を埋め尽くした書類達──主に不採用通知である──をも汚して落っこちた。蓋を閉めるかと思案、不必要だとぼんやり頷いた。だってもう使う機会はない。不健康な手に走る真っ黒な線に心がまた曇ったが、水道は止められていた。八方塞がりである。

 ……練炭なんて簡単に手に入る。七輪も、ガムテープも。いつだって死ねる状態。これが今の僕である。そう、今の、今の僕だ! そう思えば黒い線も頭から振り払えた。振り放け仰いだコンクリートの天井さえ明るく見える。それこそ四年ぶりに味わうような清々しさだ。

 だから汚れた封筒を取った。

『n高校同窓会出欠届』

 さあ汚れた過去を振り返ってみようか?

 大丈夫、時間は腐るほどある。

 いつだって死ねるのだから。


 恥の多い生涯を送ってきました。

 たったの四年を生涯と呼んでいいなら、この四年間の僕はまさにそれだった。

 隠キャラを押し通した12年間の学生生活。それを完全に無視して挑んだ大学デビューは無謀以外の何物でもなくて、滑りまくった1年間。思い出せば頭が痛む。部屋に散乱したドンキのビニールがガサガサと、耳鳴りに共鳴した。

 挙句、2年目に受け入れられたのは、完全に大学を卒業さえすればいいと考えているグループだ。そりゃあ僕だって真面目ではなかった。でもあいつらほどじゃなかった。僕はあいつらとは違う。ただ暇だから仕方なく付き合ってやってるだけ。そして、銀行の残高が3桁になった。僕は2つのバイトの掛け持ちで体を壊し、気付いたら例のグループとは縁が切れていて。

 終いには、僕だけに学生失格の烙印が落ちた。

 今ならわかる。全部僕が悪いのだと。

 学生失格? 人間失格だ。自分には何でもできると思い込んでいた。何の確証もなく。

 どうしてそんなことを思えたんだろうなあ。

 輝きときらめきに満ちているらしい高校生活でさえ、僕は無難なところで日陰者を演じていたと言うのに。ああ、本当に僕は大馬鹿者で何の価値もない! それに気付いた! 死にたくなった! でももういつでも死ねる! ああ、なんて清々しいんだろう!


「死ぬなよ」


 手紙はそこから始まっていた。


 目を見張った。顔が強張った。手が震える。ベタベタに張り付いた髪を掻きむしって僕は封筒に入ったルーズリーフを引きずり出した。

 手紙の主は例の無難な彼だった。

「頼むから死なないでくれよ。お前今きついよな、この言葉負担だよな。ごめんな。」

 お前そんな気遣い出来たのかよ。僕は知らなかったよ。……見て、なかっただけか?

「お前ギャグセンは低いけどさ、意外と聞き上手で俺救われてたんだぜ。なのに1人で行くなよ」

 そんなこと今更言うなよ。言わないでくれよ。

「ツイッターで呟いてただろ。見てたよ。」なら反応くらいしてくれよ。僕はひとりぼっちだと思ってたんだぞ。

「大学で音ゲーハマったんだよな。俺も同じやつやってる。今度対戦しようよ。なんか俺らいつも同じぐらいの成績だったよな。」

 ふざけんなよ。こちとらパリピについて行くため必死で練習して……気づいたらハマってたんだ。負けるわけないだろ。

「過去を全部ほっぽかなくていいんだよ。要らないものは捨ててこいよ。」


 時間ならいくらでもあるんだろ?



 ……。ああ。あるさ。


 僕はスマホを右手に取った。そして左手で、練炭をドンキの袋に突っ込んだのだ。


 時間ならいくらでもあるんだから。

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時間ならある。 一匹羊。 @ippikihitsuji

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