旅立ち

 ダインベルト軍の中にカイザンラッド皇子セリオンの姿があった、という噂はやがて王国宰相ダリルの耳に入り、ダリルは早速アスカトラ国内の捜索をはじめた。

 しかし、一ヶ月が過ぎてもセリオンを見たという者は現れなかった。似顔絵に描かれた銀髪碧眼の皇子の姿など、どの領邦でも見つけることはできなかった。



「そういえば、すべてはここから始まったのでしたね」


 ナヴァル城の城壁に立つコーデリアはヘイルラント風に後ろで括ったブロンドの髪を秋風になびかせつつ、そう呟いた。空で輪を描いている鳶の鳴き声が、コーデリアの語尾に重なった。

 眼下の城門は、鉄槌公の派遣したエルタンシア兵が守っている。

 この城をカイザンラッド兵が襲ったことがやがてヴァルサスとアスカトラとの決戦にまで結びつくとは、その時点ではコーデリア含めて誰も予想していなかった。


「あれは今年の初夏のことだったのに、もうずいぶんと長い時間が過ぎたようにも感じられます」


 脇に立つウィルは、言いつつ羽根付き帽子の位置を直した。

 ヘイルラントに現れたときと同じように黒い外套をまとい、首に巻いた炎蚕糸のマフラーが鮮やかに風に翻っている。


「それにしても不思議なものです。貴方はカイザンラッドの皇子だというのに、一領主にすぎない私に頭など下げていたのですからね」

「私は皇子である前に、詩人です」

「身分よりも詩のほうが大事なのですか?」

「皇子という肩書きなど、国が滅べば何の意味も持ちません。しかし、人はたとえ罪人として牢に繋がれようと、死するその瞬間まで詩人でいることができます」

「……そうですね、この世に国などというものができる前から、詩は存在していたんでしょうから」


 コーデリアがウィルに笑顔を向けると、ウィルも微笑を返した。


「ウィル、私に遠慮などせず、いつまでもこの城にいていいのですよ」

「そういうわけには参りません。いつダリル様の捜索の手がこのヘイルラントにも及ぶかもしれないではないですか」

「その時には、エルタンシア兵も力になってくれると言っています。彼らは貴方をダリル様に売り渡すようなことは決してしないでしょう」


 ナヴァル城に派遣されたエルタンシア兵は鉄槌公アズラムの気性を受け継いでいるためか、皆が義理堅く頑固だ。もしダリルの兵がここにやってくるなら、追い返してやると皆が息巻いている。


「しかし、鉄槌公の兵とダリル様の兵が衝突すれば、これは鉄槌公が責任を問われます。私一人のために、鉄槌公にまで迷惑はかけられません」

「それなら、ヘイルラントの自由騎士だけの力で貴方を守ってみせます。なんならヘイザムの長老のお力も借りましょうか?」


 興奮で頬を赤らめるコーデリアに、ウィルは苦笑した。

 

「そのようなことを言っている場合ではなさそうですよ。──ほら、あれを」


 ウィルの指差した先に、小さく緑色の一団が現れた。

 城門へと続く道を歩いてくる兵のまとう緑色の甲冑は、紛れもなくアスカトラ王国軍のものだ。


「ウィル、早く階下に降りて地下の隠し部屋に隠れてください!私が必ずしらを切り通します」


 緊迫した声をかけるコーデリアを前に、ウィルはかぶりを振った。


「おそらく、あれはダインベルト様の軍でしょう。閣下が私の思っているとおりの方なら、いきなり私を捕縛したりはしないはずです」


 それは駄目だ、早く隠れてくださいというコーデリアの懇願を何度も聞き流しているうちに、百名ほどの兵の先頭に見知った顔が現れた。


「よう、久しぶりだな、ウィル」


 騎乗して王国軍を率いていたのはオルバスだった。

 立派な口髭を蓄え、髪も短く切り揃えたオルバスは、雄大な体躯を持つせいもありすでに一軍の将の風格を備えている。


「どうやら出世したようだな、オルバス」

「ああ、閣下が千騎将に取り立ててくれた。これでようやくノルディールのお袋にも顔向けできる」


 オルバスは白い歯をみせて快活に笑う。


「訊くまでもないが、私を捕えに来たのか」

「ダリル様の命令はそうだ。どうやらお前さんを客将として迎え入れるつもりらしいが、あの宰相のことだ、どうせ捨て石として一番危険な戦場にでも送るつもりなんじゃないのか」


 オルバスが笑みを消すと、ウィルが問い返した。


「君はダリル様に従う気はないのか?」

「いや、俺も閣下の命を受けたからには従わねばならん。閣下の命は陛下の命も同然だからな」


 オルバスは少し間を置いて、言葉を続ける。


「だが、百人で一人の皇子を捕えるなんてのは俺の性には合わない。そこで、だ」

「何をする気だ?」

「アスカトラの千騎将オルバス、ヘイルラントの自由騎士ウィルと一騎打ちを所望する」


 オルバスの背後の兵がざわめいた。ウィルは城壁から声を張る。


「ずいぶんと古風な真似をするものだ。よろしい、私も騎士としてその申し出、受けよう」


 ウィルは急いで階段を駆け下りると、厩に繋いでいた馬の背に乗り、城門を開くとオルバスの前へと駆け寄った。

 ウィルとオルバスは互いの胸の前に剣を掲げる。今日のオルバスが持っているのは傭兵時代のような大剣ではなく、騎士剣だった。


「いざ、参る!」


 どちらからともなく声をかけると、コーデリアとアスカトラ王国軍が固唾を呑んで見守る中、二騎は素早く馳せ違った。

 二本の剣が交わり、火花が空中に散る。

 二騎は馬首を巡らすと、再び馬上で剣を交え、そのまま二合、三号と戦い続ける。オルバスの豪剣とウィルの秘剣はいずれが勝るとも見えず、延々と二人の剣が宙を舞った。


「このままでは埒が明かんな」


 少し距離を開けると、オルバスは呼吸を整えつつ言った。


「同感だ。後日また日を改めて戦うか?」

「いや、それには及ばん。ウィル、虎は死んで皮を残す、という言葉を知っているか?」

「知っているが、それがどうかしたのか」

「お前は、死んだら何を残す?」


 ウィルはオルバスの言葉の意味をはかりかねて黙り込んだが、やがて何事かを悟ったように頷き、首元を指差した。それに応じてオルバスもにやりと笑みを返す。


「ゆくぞ、ウィル」


 声を張るオルバスに無言でうなづくと、ウィルは再びオルバスと馳せ違った。

 オルバスの剣が首元まで伸び、切先が炎蚕糸のマフラーをさらってゆく。


「カイザンラッド皇子セリオンが首、討ち取った!」


 オルバスの大声が辺りを震わすと、ウィルは馬を止めた。


「宰相にどう言い訳するつもりだ、オルバス」

「セリオン皇子は首を刎ねた瞬間、額の聖紋を発動して泥の塊となり、地面に溶けてしまった」

「何なのだ、それは?いくら私の聖紋を誰も見たことがないとはいえ、それで通るとでも思っているのか」


 ウィルが吹き出すと、オルバスも赤いマフラーを手に巻きつつ豪快に笑った。


「なら、王都への道中に詩人でも捕まえてなにか良い言い訳でも考えさせるさ」

「ぜひそうしてくれ。今わの際に泥の魔人などにされてはかなわない」

「俺もお前みたいに誌の才能に恵まれていればよかったんだがな」

「詩も剣と同じだ。日々の努力は欠かせないぞ」

「なら、今度会うときは俺の詩を添削してもらおうか」


 剣を鞘に収めると、オルバスは見守っていたアスカトラ兵に向けて声を張った。


「これよりアスカトラへセリオン皇子の遺品を持ち帰る。全軍撤兵せよ!」


 アスカトラ軍は隊伍を整え、オルバスの後に続いた。

 オルバスは一度も後ろを振り返らなかったが、一度だけマフラーを巻いた右手を高々と持ち上げた。風にたなびく紅が、凱旋の証ででもあるかのように翻った。


 

 一度ナヴァル城へと戻ったウィルは、旅支度を整えると再び馬上の人となり、城門の前で見送るコーデリアの前に立った。


「どうしてもゆくのですね、ウィル」

「ひと所に留まるのは、詩人のさがとはいえませんから」

「ということは、いつかまたこの地へ戻ってくることもあるのですね?」


 懸命に涙をこらえるコーデリアを前に、ウィルは少しの間沈黙した。


「──阿呆鳥アルバトロスには、帰巣本能があると聞き及びます」


 会心の笑みをみせると、コーデリアが萌黄色の目を見張った。

 その目は見つめ返さず、ウィルは馬に鞭を当てると、そのまま南へと駆け出した。


「我がヘイルラントは、訪れる者を拒みません。私は領主として、この地が旅人の宿り木となるよう、精一杯努めます」


 ウィルの背からコーデリアの声が追いかけてきた。

 ウィルは振り向かずに羽根付き帽子を後ろに抛った。帽子は風に乗ってコーデリアの手に捕らえられ、コーデリアはそれを胸に掻き抱く。

 ヘイルラントを南へ抜ければ、その先には茫々たるロクサス砂漠が広がっている。

 この砂の大海の先へと思いを馳せつつ、やはり酔狂が過ぎる──と、詩人は心中で一人呟いた。

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阿呆鳥の狂詩曲 左安倍虎 @saavedra

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