5.託された子ら

「どうやら本物のようですな」

 ヴィルマの『地図』の件を聞いたスノウは、珍しく嫌悪感を滲ませて唸った。

「困ったもんだ」

 彼もまた、ヴィルマという伝説的彫金師の悪質さを知っている。グラム・キャスリンダーともども、ジェフが物心つく以前からひどい目に遭ってきたという。


「私は関わりたくありませんな――あの婆さんの悪ふざけは、つくづくシャレにならない」

「だからこそ、だ」

 ジェフは礼拝堂裏の自室で、探索のための可能な限りの準備をした。といっても、ごくわずかだ。黒檀の杖をベルトに引っ掛け、灰色のマントを羽織る。それだけだ。

「学園に危害を及ぼす可能性がある。覚えているだろう。ヴィルマの『聖火の大鷲』が解き放たれた際には、あと少し遅れたらヤノッラの村を焼き払いそうに――」

「わかってます、わかってますよ」


 スノウはうんざりしたようで、翼を派手に開く仕草をした。

「お手伝いしますよ。ああいうのが出てきたら、私も危険だ」

「助かる。ありがとう。危なくなったら呼ぶ」

「そうでしょうよ――ああ! なんと友情に厚い使い魔なんでしょうね、私は! このことは忘れないように、しっかり日記につけておいてくださいよ」

「俺は日記をつける習慣がない」

「若は一向に冗談というものをご理解なされない」


 スノウはため息とともに呟いて、羽ばたいた。

「どうせ、できる限りはタイウィンとの約束を守るつもりなんでしょう――下手しなくても、学園内で使ったら大ごとだ」

「俺もそう思う」

「じゃあ、魔法はナシってわけだ。なるほど、ヴィルマの遺産が相手だと、いくら若でも分の悪い戦いですねえ。こいつは私がいなきゃどうなったことか」

「よくわかっている」


「いいや、若はまだまだわかってない」

 そして一声、しわがれた声で鳴く。

「嫌な予感がしますよ」


――――


「ジェフ!」

 ヴァネッサ研究室ゼミナールの教室前では、すでにエレノアとミシェルが待っていた。

 特にミシェルの方は、ジェフの姿を視認するなり、動物めいた猛突進を開始し、彼の胸のあたりに頭突きまでするはしゃぎようだった。


「遅い、ジェフ!」

 ミシェルの声は、いつもより大きい。その声が夜の闇によく響く。

「五分も遅れたじゃん! これから宝探しなんだから、隊長の命令はしっかり守ってよね。個人の勝手な行動は、作戦に支障をきたすんだから」

「ああ」

 ミシェルから頭突きされる瞬間、ジェフは腰を落とし、両ひざに力をこめて衝撃をこらえている。ミシェルの髪の毛先から、軽い火花が散るのも見えた。

 魔法による防御も無しに直撃すれば、派手に吹き飛ばされていただろう。

 両手でミシェルの肩をつかみ、威力を殺し、ジェフはとりあえず謝罪することにする。


「すまない。俺とスノウで、少し準備をしていた」

「それなら、私たちもしてたよ。ほらね。入念な準備」

 ミシェルは背負った背嚢を誇示するように、軽く何度も飛び跳ねた。使い古されてはいるが、いかにも頑丈そうな革製の背嚢だった。

「食料も水も、いっぱい持ってきたよ」

 ミシェルは嬉しそうに指を二本突き出した。その指先からもかすかに火花が散っている。危うく目を突かれそうになり、ジェフは首をひねってかわす。


「食堂のおばちゃんから焼き菓子ももらったんだ。蜂蜜漬けのオレンジもあるし、これで籠城しても二日はいけるよ!」

「そうか。供給を断たれた環境で、二日間も探索が必要なのか?」

「うーん……」

 ミシェルは考え込む素振りをみせた。振り返る。

「そういえば聞いてなかった。エレノア副隊長、今回の作戦をよろしく!」


「はい了解、ミシェル隊長」

 エレノアはどこか気の抜けた応答を返し、いい加減な敬礼のような姿勢をとった。こちらはずいぶんと軽装だ。いつもの濃紺のローブに加えて、右腕に無骨な籠手を嵌めているくらいだ。

 この籠手は彼女の魔法の《しるし》が与えられた作品で、防具とともに武器でもある。

「昼間も言ったけど、心当たりがあるんだ」

 エレノアは、奇妙な絵の描かれた羊皮紙を広げて見せる。


 ジェフの目には、ひどく不格好な大猪の絵に見える。

 猪が狂乱し、暴れているところを描いたのだろうか――それとも、力尽きて四肢を投げ出し、死にかけているところなのか。

 鼻先と額のあたりに丸印があり、周囲には月を意味するものであろう楕円の図形がいくつか、大雑把に散りばめられている。

 ヴィルマの手がけた「秘密の地図」と言われなければ、単なる落書きの類だと思っただろう。


「この学園で、猪を意味する通路は一つだけ」

 エレノアの指が、北の方角を指差した。

「東棟と、北の《印章塔》をつなぐ回廊――突き当りの壁に大きな猪の絵があるんだよね。《約束の姫》が契約した、『最初の大猪』っていうやつ」

 その伝説なら、ジェフも聞いたことがある。


 世界の創生にまつわる伝説だ。《約束の姫》は、世界の始まりに立ち、いくつもの存在と契約を交わした。海と空、陸、木々と雲。太陽と月。

 生き物においては、羊に始まって人に至るまで、順番に約束を結んで友とした。

 女神が最初から連れていた、己の分身たるムクドリを除けば、その数は二十七。彼らは祝福された生き物である――と、王国聖教では定めている。約束の姫と、世界の秩序を保つ協力を誓った、《託された子ら》とも呼ぶ。


 もっとも、ジェフはあまりその手の昔話に詳しくない。

 そうした伝説についての話題を語ろうとすると、スノウがひどく不機嫌になるからだ。

 老師グラムの手元にあった専門的な研究書と、英雄たちの手記をいくつか読んだ程度の知識しかなく、物語そのものは聞いたことがなかった。


「つまり、その猪の絵」

 エレノアは「地図」を掲げて、自慢げに言う。

「怪しいと思わない? 絶対怪しいよ。調べに行こうよ!」

「確かに、怪しいと思う。が――」

 ジェフは「地図」を睨むように見つめる。

 ヴィルマのことだ。疑いに疑って、それでもまだ十分ではない。そんな気がする。

「衆目に晒されている絵ではあるんだろう。秘密の入口としては不適当な気がする」

「それはね、時間が限定されてるんだと思う」


 籠手に覆われた無骨なエレノアの指が、周囲の月と、猪の体に描かれた丸印を辿っていく。

「周りに月が出てるから夜。この赤い塗料で描かれた小さい半月、震月マハじゃないかなあ。そうすると、夜の十時から十二時までの時間帯ってことだし――その時間って、生徒は寮の外に出ちゃいけない決まりだし」

 エレノアは自分を納得させるように、何度もうなずいた。

「つまり、意外といままでこの時間に、猪の絵を調べた人っていないんじゃないかな! ミシェル隊長、どう思う?」


「うん!」

 話を振られて、ミシェルは大いに喜んだ。

「隊長はその判断を支持します! ねえ、早く探しに行こうよ! 時間がもったいないよ、誰かに取られるかも!」

「だよねえ。じゃあ、行こうか。こっそりと」

「こっそりね。楽しくなってきたね!」

「ねー」


「待ってほしい」

 エレノアとミシェルのやりとりに、ジェフは少し引っかかるものを感じた。

「いま、エレノア、きみは言ったな。夜の十時以降は寮の外に出てはいけないと」

「そうだよ。許可をもらった外出か、訓練場以外は禁止なんだって」

「ならば、きみとミシェルの夜間外出は――」


「早く来ないと置いてくよ!」

 ミシェルの動きは素早かった。背嚢を揺らして、すでに駆け足に走り出している。エレノアも大股になって続く。

「がんばろうね、ジェフくん! 楽しみだね!」


「――そうか」

 取り残されたジェフは、二人の背中を見つめて渋面を作った。

「あの二人を組み合わせると、非常に厄介なことになるというわけか……わかってきたぞ」


――――


 ジェフたちが忍び込んだ回廊は、無音の暗闇に支配されていた。

 学園のあちこちを照らす、大型の輝帯シトの光も、ここまでは届かない。エレノアの籠手に巻いた輝帯シトの蛍のような薄明りだけが頼りだった。


「ほら、これ」

 と、エレノアは籠手を前に伸ばす。

 ずいぶんと光量を絞っているようだが、その輝帯シトの光は、突き当りの壁を照らし出す。確かに、青みがかった猪の絵が壁に直接描かれていた。

「ね。猪だよね。もうヤバいくらい怪しいよね?」


「さすがエレノア副隊長!」

 相変わらず、ミシェルはひどく興奮していた。

「絶対これだよ! 早くなんとかしよう! ここから、どうすれば道は開くの?」

「それはね、もちろん、この地図にヒントがあるんだと思うな」

 エレノアは地図を広げ、丸印の描かれた二つの個所を示す。

「背中と、鼻先。ここに、何か仕掛けのようなものが――あるといいんだけど――」


 手さぐりに壁画に触れるエレノアとミシェルを見ながら、ジェフはいまだ彼女らの説に納得できずにいた。

 わざとらしい、というよりも胡散臭いとすらいえる地図を手掛かりにするのは、ヴィルマのやり口としては納得できる。

(だが――)

 少し、明快すぎる。

 ヴィルマならば、もっと捻った趣向を用意するものではないか。

(もしかしたら、これは)


 仮定に基づき、ジェフが一つの推論を導き出そうとしていたときだった。

 背後から、目も眩まんばかりの輝帯シトの光が投射された。

 そして、高らかによく響く声。


「そこまでにしておきなさい、エレノア」

 青いリボンの帽子。波打つ金髪に、強力な意志を感じさせる瞳。目立つ容貌だ――ジェフにも見覚えがある。つい最近のはずだ。記憶を辿る。

(誰だったか――)

 背後に二人の少女。片方は眼鏡をかけており、もう片方はよく日に焼けている。二人とも、杖の先に輝帯シトを巻き付け、周囲の闇を眩いほど照らしている。


「また会ったわね、ジェフくん」

 青いリボンの少女は微笑した。いっそ優雅といってもいい微笑だった。

「今朝はちょっと誤解もあって、慌ただしい挨拶になってしまったけれど、こんなところで会うのも奇遇ね」

 それから、彼女は安心させるように手を広げて見せた。芝居がかった仕草だ、とジェフは思った。

「なんでこんなところにいるのか、教えてくれる? いまの時間、外出禁止なの。新入生だから、あまり詳しくないのかもしれないけど」


「その前に、ひとつ教えてほしい」

 ジェフは青いリボンの少女を正面から見据えた。

「きみは誰だ? 会ったことがあるだろう。失礼ながら、俺は人の名前と顔を覚えるのが非常に苦手だ。今度は、メモを取らせてくれ」


「は」

 モニカは口を半開きにした。

「……ああ?」

 片方の眉が吊り上がると、攻撃的な気配が瞳に浮かぶ。背後の少女たちは不安げに顔を見合わせ、それきり、沈黙が周囲の闇に満ちた。

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