第2話 誰からも好かれる人って結局誰にも好かれないよね?

本日のお客様は守屋 咲さん。二十二歳、郊外の幼稚園に勤務。特技はピアノだそうです。

さて、彼女はどんな風に私を楽しませてくれるのでしょうか……



「咲せんせいなんかきらい!」

「どうして?」

「うるさいっ、あっちいけっ!」


直後後頭部に違和感を感じた。

床を見ると折り紙で作った、手裏剣が落ちている。別の園児の仕業だろう。振り向くのも面倒くさい。


私の人生いつからこんな風になってしまったんだろうか?


この幼稚園に勤務し始めてからもう一年が経った。それなのに、いつまでたっても園児から好かれない。それどころか嫌われてるといっていいだろう。


「ちょっと、守谷さん。 そろそろ仕事にも慣れてくれないと……」

園児に嫌われていると、こうして先輩の先生にも嫌味を言われる。

先輩だけじゃない、保護者にも、くどくど、くどくど……


私は人生をどこで間違えたんだろう?


子供の頃からの夢だった。

幼稚園に勤めて、子供達と楽しく……

でもそんなのは幻想だ。


親が一人世話するのでさえ大変な子供を、何人も何にも……

楽しくなんてできるわけがなかった。


もうこんな生活はうんざりだ。



「ちょっと、お客さん大丈夫ですか?」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」

仕事帰りに一人でこうやってお酒を飲む。

彼氏もずっといない、友達とも会える時間が減って疎遠になった。

明日は久しぶりのお休みなのに、きっと一日中寝てるだけだ。


私は何のために生きているのか。

薄給激務で、何のために。

なんで幼稚園の先生になんかになったんだろう……


足取りがふらついているのは、お酒のせいだけじゃない。

私の人生のゴールはどこなのだろうか?

真っ暗な夜の街で、私は迷子だ。



なんて、ふざけたことを言っていたら、本当に迷子になってしまった。

ここはどこだ?

いつも通っていたはずの道なのに、少し外れただけで、だいぶ雰囲気が違う。


「古物商……八重樫?」

最終的に私の体は、この謎のお店へと引き込まれた。

無意識のうちに私は扉に手をかけていた。


「いらっしゃい」

店に入ると、透き通った声が聞こえた。

「古物商の八重樫 桜です。よろしく」

声の通りの美人で、とても綺麗な人だ。


「それで、何かお悩み事でも?」

「え?」

つい聞き返してしまう。

「ここはそういう店ですから。何か悩みを抱えた人が吸い寄せられてくるんです」

「はぁ……」

怪しさからか生返事になってしまった。


それなのに、酔いもあってか、なぜか私の口はいつの間にか、思ったより雄弁に語り始めていた。



「園児に嫌われている?」

「はい…… 私は精一杯やっているつもりなんですけど……」

「まあ、難しい年頃ですから、仕方ないのかもしれませんね」


結局どうしようもないのか。

そんな風に諦めかけていると、知らぬ間に八重樫さんは何かを手にしていた。


「では、こちらなんてどうです?」

「なんですか、これ?」

「香水です。ただの香水じゃありません。これをつけると、人に好かれるんです」

まさか。

そんなものが、あるわけない。

胡散臭い、詐欺か何かだろう。


そう思ったのに、なぜか私はその香水を手に取っていた。

今は藁にでもすがりたかった。

「お代は?」

「いりません」

「いいんですか?」

やっぱり怪しい。

「はい、道具は必要な方に使われてこそですから」


「はぁ、ありがとうございます」

「そうだ、用量はしっかり守ってくださいね。子供に好かれたいなら、ワンプッシュで十分です。忘れないでください」


「わかりました」

結局疑いもありながら、私は香水を手にして店を出た。



朝起きると、頭が痛い。

起きるのが億劫だった。

枕元に見慣れない小瓶が置いてあるのが薄目で見えたが、気にしないで寝ることにした。


結局お休みは、睡眠に消えていった。



そうして気づくとまた次の朝。

毎日毎日同じことの繰り返しで、嫌になる。


急いで家を出ようとしたところで、八重樫さんにもらった香水のことを思い出した。


この香水をつけるだけで、子供達に好かれる。

やっぱり信じられない。

それでもかすかな期待を胸に、ワンプッシュ、首元に香水をつけて出発した。



「咲せんせい、あそぼうっ」

「だめっ、ぼくとあそぶの」

「違うよ〜、わたしだよ〜」


信じられなかった。

あまりにも疑わしい光景に、思わず動きが止まってしまう。


子供たちが私を取り合ってケンカをしている。

どういうこと?

二日前まではありえなかったことが、いま目の前で起きている。


「じゃあ、みんなで遊ぼっか」

混乱する頭を精一杯働かせて、なんとか声を出せた。


それから子供たちと遊んで、遊んで、遊んで、そうして子供たちを帰す時間になった。


まだ信じられない。

今日、私は子供たちに好かれて、たくさん遊んで、先生ってこんなに楽しかったんだ……


「守屋さん今日よかったわよ、様になってきたじゃない」


先輩もなんだか優しい。

香水を少しつけただけで、世界は一瞬でわたしに優しくなった。


「あ、そうだ、今度合コン行くんだけど、どう?」

「ぜひ、ご一緒させていただきます」


いまならなんだってできる、そんな気がした。



それから毎日、出勤する前に香水をワンプッシュ、それだけで子供たちは私に寄ってきた。


そして先輩に誘われた合コンの日、私は閃いてしまった。

ワンプッシュしただけで、あんなに子供に好かれるんだ、もう少しつけたらもっといろんな人に好かれるはずだ。


その天才的な閃きは、見事的中した。


「咲ちゃん、かわいーね。LINE教えてよ」

「あ、俺も俺も」

「お前ら抜け駆けするなよ」


少し香水をつけただけで、男たちは簡単に私に群がった。

私の一挙手一投足に、みんな釘付け。


この世界は私を中心にまわっている。

世界の主役は私だ。



まだ足りない。全然足りない。

もっと、もっとたくさんの人に好かれたい。

今日は、この前の合コンで一番いい男との初デートだ。

でもまだ足りない。

私の魅力はこんなもんじゃない。


もっと、もっと、もっと、もっと……


ワンプッシュ、まだ足りない、もう一回、まだ、もう一回、もっと、もう一回、何回も何回も……


この香水があれば私は無敵。

もっと、もっと、たくさんつけよう。


そうすれば世界中が私の虜だ。



待ち合わせに少し遅れそうだ。

まあでも私を待てるなんて光栄でしょ?


「おせーよ。何時間待たせるんだよ!」

何を言われてるかわからなかった。

そうして彼はそのまま怒って帰ってしまった。


信じられない。この私とデートできるっていうのに、帰るなんて……


「約束破りましたね」

突如、声が聞こえた。あの透き通った声。

八重樫 桜がそこにいた。


「あれだけ、用量を守ってくださいと言ったのに…… 使いすぎましたね、一体どれだけ使ったんですか?」


「いいじゃない、別に。子供だけに好かれてもつまらないでしょ? 世界中を私の虜にしないと」

そうだ、世界は私のものだ。


「残念ですが、それは無理です。現にさっきの彼も帰ってしまいました」

「それはあいつがバカだから——」


「違います。バカはあなたです」

「なっ——」


「香水というのはつければいいというものじゃないんです。つけすぎれば匂いが強すぎて、逆に嫌になる。だから、鼻の敏感な子供にはワンプッシュでいいし、二十代くらいの人でもせいぜいツープッシュで十分です。それ以上つけたらむしろ嫌われるでしょうね」


嫌われる? この私が?

そんなことあるわけ。


「守屋さん、あなただいぶ香水をつけましたね。そんなにつけてしまっては……」


「何よ?」


「いえ、この先はご自身で確かめましょうか」


そういうと八重樫 桜は、


——パチン


と、指を鳴らした。


脳みそを揺らされたみたいな、衝撃が走り、意識が遠のく。


最後に見た八重樫 桜はなんだか笑っているような気がした。



……バーコード?

なんだ、これは? 髪……の毛?


「きゃぁぁぁ!」

自分の叫び声でようやく意識がはっきりしてくる。


そうして私は、私を囲む景色が現実だと思い知らさられる。


何十人もの中年の男が、私の身体にくっついていた。


「いち身体してるねぇ、君?」

「ほら、サービスしてよ、サービス」


不快な声が、臭いが、吐息が、私にまとわりついた。


「何これ!?」

「誰かに好かれたかったんでしょ? ちょうどいいじゃないですか」


どこかから、八重樫 桜の声が聞こえた。


「ふざけないで! 私が好かれたかったのは、こんな中年じゃない」

「でも、あんなに香水をつけてしまっては…… 中年男性くらいですよ、今のあなたの匂いに引き寄せられるのは。……それにあれだけつけては、もう一生取れないでしょうね、その匂い」


は?

何言ってるの?


一生このまま?

そんなの絶対に嫌だ。


「嫌だ! ……嫌だ……助……けて」


「無理ですよ。ああそうだ、この方達の加齢臭で、消えるといいですね、香水の匂い。まあ、無理でしょうけど」


どうして……

なんで私がこんな目に。


八重樫 桜の冷たい目が、私の未来を暗示しているようだった。



守屋さん、残念でした……

あれほど用量を守ってくださいと言ったのに…… 本当に残念です。


たくさんの人から好かれたい、その気持ちはわかりますが、それで本当に大事な人に嫌われてしまっては意味がないですよね。


世界中を敵に回してでも守りたい、みなさんもどうかそんな人が見つけてみてください。

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八重樫 桜は笑わない 湯浅八等星 @yuasa_1224

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