日記
梟は知性の化身として描かれる。我々梟が文字を読めるのはこのためだろう。
文字が読めるフレンズと、読めないフレンズとの差は自然発生的なものではなく、明らかに人為的なものだ。何らかの原理によって、意図的に我々梟は文字が読めるように『調整』されている。
『文字』。
それは、ニンゲンの最も偉大な発明の一つだ。
文字の重要性は強調してもしすぎることはない。文字によって、ニンゲンは情報を蓄積することが可能になった。情報の累積的蓄積がニンゲンの圧倒的な進歩をもたらしたのだ。「けもの」とニンゲンを分かつ指標を求めるとすれば、それは「文字」の使用以外に我々梟は思いつかない。
――――だとしたら、我々梟は果たして「けもの」だろうか。それとも「ニンゲン」だろうか。
いや、「ニンゲン」も確かに「けもの」の一種である以上は、「ニンゲン」と「けもの」を区別する必要はないのかもしれない。
しかし、我々梟は怖れている。
正直に告白しよう。
「けもの」によって得意なことは違う。だが、我々梟はこう思わずにはいられない。
なぜ、我々梟に文字を読む能力を与えたのか、と。
早く走れる能力であれば、どれだけ良かったことか。水に潜れる能力であれば、どれだけ気が楽だっただろうか。力が強い能力であれば、どれだけ幸せだっただろうか。
なぜ、よりにもよってこのような残酷な能力を我々梟に与えたのか……。
我々梟は怖れている。自らの未来に恐怖を感じている。
「文字」の使用が高邁で、輝かしく、夜目に慣れた我々梟には眩しすぎる光をニンゲンにもたらしたとするならば、我々梟もそうした眩しすぎる光を手にする運命にあるのではないか。
強すぎる光には、常に濃い影がある。
自然が文明となった時、ニンゲンは人間となって、「けもの」であることをやめた。
その後の歴史は、図書館に並んでいた。
人間の傲慢で不遜で、殺戮と暴力に溢れた血塗れの歴史。本を読み進めば進むほど、涙が止まらなかった。
何度同じことをすれば気が済むのだろうか。
「文字」という叡智を手にしておきながら。歴史を知っておきながら。
何という愚かな獣であろうか。
そして、そのことを知ってしまった我々梟は……そう、知ってしまったのだ。
我々梟以外は「知る」ことすらできない事実を、我々梟は知ってしまった。
つまり、自らがいつかその歴史をそのまま辿るかもしれないことを知ってしまったのだ。
かばんちゃんと出会っても、我々梟の考えは変わらない。
かばんちゃんは確かに優しい。共感の心に溢れている。
しかし、我々梟は知っている。
共感の心があるがゆえに、邪智暴虐の王となってしまった男のことを。そして、共感の心に溢れる多くの人間が幾度となく敗れ、惨めに死んでいったかを。
いつか我々梟は、人間になってしまうかもしれない。
そうなれば、我々梟同士だけではなく、他のフレンズ達までも虐殺することになるだろう。
酸性雨で枯れ果てた森林。
タールに塗れ、胃袋にビニール袋が詰まった我らが同胞。
食物連鎖とは、かけ離れた死。
……なりたくない。人間にはなりたくない。
いやだ。いやだ。
皆とずっと仲良くしたい。あの優しさが溢れる世界を壊したくない。
万物の霊長なんかになってやるもんか!我々梟は人間とは違うのだ!!
絶対に。絶対に。我々梟は世界を壊したりしない。
他のフレンズ達を苦しめたりしない!!
美味しい料理が食べられれば、それで十分。それ以上はなにも要らない。
お金も、宝石も、奴隷も、領土も、武器も、権力も……なにも、なにも要らない。
ただ、あの日常がありさえすれば、我々梟はそれで良い。
我々梟は生きる。人間としてではなく、「けもの」として。
だからこそ、かばんちゃんについていく。
ニンゲンのかばんちゃんが人間にならないように、ついていこう。
かばんちゃんを万物の霊長なんかに絶対にさせてなるものか。
かばんちゃんは「けもの」だ。
けものである以上は、我々梟が最後まで見届けなければならない。
かばんちゃんの未来に、我々梟の未来も懸かっている。
我々、やることはやりますよ。この島の長なので。
博士の日記 理性の狡知 @1914
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