「食べるなら、僕を」

銀冠

第1話

僕は今、一匹のセルリアンと向き合っていた。

初めて会った時には、僕のくるぶしほどの小さな個体だった。

でも今では僕の身長の半分かやや上くらいまで成長していた。

「おいで。今日のご飯をあげる」

そう呼びかけると、彼は普段そうしているように、一つ目玉のついた顔を僕の足元に擦りつけた。

その様子を見ていると、少しばかり決意が揺らぎそうになって……だけど僕には、言わなきゃいけない事があった。

「ごめんね。ご飯をあげられるのは、今日が最後なんだ」



――事は三十日前に遡る。

僕はサーバルちゃんやラッキーさんと共に巨大セルリアンに立ち向かい、一度はそいつに食べられて、その後フレンズの皆に助け出された。

食べられていた間の事について、僕自身ははっきりとは覚えていない。

後から博士の説明を受けて概要を知っているだけだ。

けれど一つだけ覚えている感触があった。

それは『飢え』。綺麗なもの、輝くもの、きらきらした光が欲しいという底知れない渇き。


博士の話では、僕はあのとき半ばセルリアンに消化されかかっていたらしい。

だからなのか、彼が感じていた飢えを、僕も我が事のように感じることができた。

この飢餓感について、フレンズの皆には話していない。話したところで不安がらせるだけだろう。

だけど、僕には思うところがあった。


「おいしいものを食べてこその人生なのです」と博士は言った。

だとしたらセルリアン達だって、おいしい輝きを食べたいと思うこと自体は悪ではない。

そして僕は――ヒトのフレンズである僕は、食べられても記憶と心を失わずに済むらしい。

なら、僕が食べられて再生するのを繰り返せば、セルリアン達も満腹できるし、フレンズ達も襲われずに済むのではないか。

そんな考えを持つようになって数日後、さばんなちほーで小さなセルリアンに出会った。

恐らく生まれて間もないのだろう。特徴的な一つ目がまだ開き切っていなかった。


その時偶然、僕は他のフレンズやラッキーさんを連れていなかった。

サーバルちゃんは僕に内緒で何かやっているらしく、一緒にいることが少なかった。

そして、小さな板になってしまったラッキーさんについてはツチノコさんが興味津々で、彼女に預けていた。


「おいで」

僕はセルリアンを自分の近くまで引き寄せた。

この小ささならばもし襲い掛かってきても独力で対処できるだろう。

「お腹がすいているの?」

そう囁きかけながら、僕は右手の人差し指を差し出した。

セルリアンの口が指先に吸い付く。

粘液じみたその摂食器が触れるところ全て、痛みではないどろりとした不快感に侵されていく。

まるで僕自身の指までドロドロに溶けてしまうかのような――いや待て。

僕の指が、彼の半透明の身体を通して見える指が――本当に溶けているではないか!

「うわぁー! た、食べないでくださーい!」

慌てて右手を振り回す。すると彼はボールみたいに放物線を描いて飛んでいった。

僕は震えながら、自分の右手を見た……彼に触れられた指の第一関節が欠け、切断面は虹色の粘体となって輝いていた。

「あ、あ……」

怪我する可能性も覚悟してはいた。だが、血も出ず痛みもない異様な傷口を見れば、正気ではいられない。

「た、たす、助け……あれ?」

その異様な傷口から、にょっきりと指が生えてきた。

掌を結んで開いて、動かしてみる……きれいに元通りだ。

「これって……もしかして、成功?」


翌日から僕は、生活を少々改めた。

セルリアンがフレンズの体内のサンドスターを食べているなら、僕自身が沢山のサンドスターを摂取すればいい……そう考えたのだ。

食事の量を意識して増やしたり、火山に登ってサンドスター噴出孔で深呼吸したり。

「あら、また会ったわね。今日も火口の様子を?」

登山道でトキさんに話しかけられた。

フレンズの皆に対しては、火口の監視という体をとっている。

「はい。もう日課になってるので」

「あなたが見てくれているお陰で、セルリアンも大きいのは出てこなくなって、皆感謝しているわ」

「あはは……」

そのセルリアンに自分の身体を食べさせるために火口へ通っているのだと言ったら、どう思うだろうか。

まるで皆を裏切っているように思えて、少し心が痛んだ。


セルリアンに身体を食べさせるようになって二十日目。

小さかった彼の背丈は、僕の膝上の高さまで成長していた。

比例して食事の量も増えた。

初めは指の第一関節だけ満足していたのが、第二関節までになり、人差し指全部になり、とうとう中指まで与えないと離れなくなった。

そして与える量が多いほど、回復に掛かる時間も増えた。

指二本で約一時間。今はまだごまかせているが、いつか他のフレンズにバレてしまうだろう。

「これ以上は僕一人じゃ限界……」

そう考えるにつけ、一度は諦めた思いが脳裏によぎる。

島の外へヒトの生き残りを探しに行く――

図書館の本によれば、昔はヒトが何十億人もいたらしい。

そんな贅沢は言わないにしても、もし一万人が生き残っていれば、全てのセルリアンを飢えから解放するには十分だ。

そうすれば、もうフレンズとセルリアンは争わなくて済む。


そんな風に思い詰めていた僕にとって、サーバルちゃんが用意してくれたプレゼントはまさに渡りに船だった。

「サーバルちゃん!」

親友の名を呼び、力一杯抱きしめる。

嬉しくてたまらない。これで外への旅に出られる。

……だけど。島から旅立つ、ということは。



――そうして僕は、育ててきたセルリアンに別れを告げることになった。

「ごめんね。無責任に放り出すようなことをして」

島外でヒトを見つけて、多くのセルリアンを飢えから救う――その目論みがどんなに都合よく運んだとしても、今目の前にいる彼を救うには間に合わない。

彼は生きていく為にフレンズを襲い、いつかハンターに狩られてしまうだろう。

「本当にごめんね」

彼は僕の腕を貪り食う。身を切るような喪失感も、今となっては心から愛おしい。

「こんなことでお詫びにはならないけど、最後に一つ贈り物をしたいんだ」

それは僕自身がサーバルちゃんからもらったものと同じ。心をこめた大切なプレゼント。

「貴方の名前。セーバル、で、どう?」

サーバルちゃんに初めて出会ったのと同じ場所で出会ったセルリアン。だから、セーバル。

もしラッキーさんに聞かれたら「君ノねーみんぐせんすハ安直ダネ」なんて笑われてしまうかもしれないけれど、それでも……

「精一杯考えた名前だから、どうか受け取ってほしいんだ。どう、かな」

僕の言葉を分かっているのか、いないのか。

感情の見えない瞳で、彼は僕を見つめてくる。

「セーバル、ちゃん」

彼はまるで返事をするかのように、一つお辞儀をした。

「良かった。気に入ってくれて」

そんなセーバルを右手で撫でてあげようとして……今食べさせたばかりなのを思い出して、慌てて左手を伸ばす。

いっそこの腕が二度と生えてこなかったらいいのに。そんな考えが一瞬よぎって、苦笑する。

「それじゃあ、さようなら」

彼のそばを離れ、背を向けて歩き出す。

彼は少しだけ付いてきたけれど、やがてその場に立ち止まって僕を見送った。いつもそうしているように。


僕は最後に一度だけ振り向いた。

彼が生きていくためには、フレンズを食べなければならない。

もしかしたら食べられるのは僕が見知った大切なフレンズかもしれない。

それが分かっていても、それでも、言わずにはいられなかった。

「セーバルちゃん。どうか、元気で」

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「食べるなら、僕を」 銀冠 @ginkanmuri

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