中学生のジャズ・トロンボーン
スポットライトに輝く金色のベルから低音が駆け上がる。
軽快なドラムとリズミカルなベース、疾走するジャズギターを背景に、華奢な腕が前後にスライドし、弾む音が飛び交った。
拍手はわずか三人分。
ライブ終了後、ミュージシャンたちとのたった数分のセッションだった。
観客はバーのママ蓮華とバーテンダーの優、そして、彼女の父親。
「いつも思うけど、ちゃんとジャズのノリが出せてるよね! そこ、一番苦労するところなんだよ」
「そうですか? 小さいときからお父さんがよく家でジャズを流してるから、こんな感じかなぁと思ってやってみたんですけど」
「それと、とても今日買ったばかりのトロンボーンとは思えなかったよ! すごいね! もう吹き慣れてる感じだよ」
「このトロンボーン、学校で使ってるテナーより大きくて菅も長いからいっぱい息を使わなくちゃいけないんですけど、音が良くて気に入っちゃって。あ、この子、名前はアリスにしましたっ! エルサとアリスで迷ったんですが」
「そっか、女の子なんだ? かわいくていいね! ……にしても、うさぎちゃん、やっぱ
エレキベースのストラップを肩から外しながら、満面の笑みで、二十歳そこそこに見える青年奏汰が興奮気味に言った。
「うさぎちゃん?」
「
「だよな!」
あははと笑う奏汰に続いて笑うギタリストの翔、年配の男性ドラマーも微笑ましいとばかりに笑みを浮かべている。
「奏汰さんと翔さんたちとこうやって遊んでもらってると、すごく楽しいんです。だから自然にぴょんぴょんしちゃうのかなぁ。今の中学で吹部入る前までは小さい頃からずっとダンス続けてたのもあるのか、音楽聴くと自然に身体が動いちゃうんです」
えへへ、と照れたような笑顔で、円香は無意識のうちに跳ねている。
「好きなアーティストとか、いる?」
ギターをスタンドに置いた黒髪の整った顔立ちの翔が尋ねた。
「はい! ジャズ・ヴィオラの香月ゆかりさん! 横浜でライブがある時はいつも行ってます!」
「そうなんだ!」
嬉しそうに答える彼女に、奏汰と翔は顔を見合わせて笑った。
「モーション・ブルー横浜に行った時なんですけど、コンサート会場とは違ってもっと身近で段差もちょっとだけのステージで、ちょうどここみたいに。右にドラム、ウッドベース、左にグランドピアノがあってね」
くるくると、円香の瞳が輝いていく。
「拍手の中、客席を通って、紫色のシンプルな膝上カクテルドレス姿でゆかりさんが登場して、にこにこって頭を下げてから、左手のヴィオラを、こう……」
円香の頭の中には、その時のシーンが再現されていた。
唐突にアップテンポのジャズが始まった。
一気にその世界に引っ張られた。
一曲目から手を抜いていない!
プロなんだから当たり前だったとすぐに悟る。
当たり前だが、自分たちの、いや、自分のレベルとはまったく違うところにある演奏に、撃ち抜かれていた。
「ピアノもギターもドラムもベースも自由にのびのびしてて、そこに乗っかるゆかりさんとみんなの演奏がぴったりと合わさってるって、この一体感てどうやったら出せるの!? って思いました!」
スポットライトがピアノに当たり、アドリブに入ると、香月ゆかりはまったく裏に回った演奏になり、部分的に、効果的にごくたまにヴィオラを鳴らすに留めている。
「それで、ベースのアドリブの時なんですけど、ウッドベースの太い弦が弾かれてたまにバチッと鳴ってるその音ももうカッコ良くて! あれこそコンサート会場の客席にいる時には感じられない、間近で見られるライブの臨場感ですし、だ、だ……?」
「……
「そう! それです、それです!」
答えた翔を向いてから周りを見回した円香の瞳も頬も、きらきらと輝きを増した。
「やっぱり、うち、ああいう音楽って好き!」
自然とぴょんぴょんノッている姿には、自分では気が付いていないような円香を見て、大人たちは微笑ましい視線になった。
「いつかゆかりさんと共演できるくらいになれたらいいなぁ」
そう言いながらゆらゆら揺れている娘に、父親が「もういいから、早く片付けなさい。お店に悪いから」と苦笑いをしながら言うと、慌てて楽器を分解し始め、ケースに納めた。
「いつもお付き合いいただいて、すみません」
「いえいえ! 俺たちも、うさ——ああ、いや、円香ちゃんとセッションするの楽しいですから!」
「奏汰さん、翔さん、ありがとうございました! あれ、もう一人のドラムの人は……」
「もう帰ったよ」
カウンターの中でグラスを拭きながら、にっこりと優が答える。
「お礼を言いそびれちゃった……」
「大丈夫だよ、俺たちから伝えておくから」
紺色のブレザーと青いチェックの車ひだスカート、紺色のソックスの円香は父親とともに挨拶をして帰っていった。
「ゆかりさんのライブも行ってたんだな、うさぎちゃん」
「俺たちもいたこと気付いてないよな」
「ゆかりさんばっかり観てただろうから当然だよ。でも、演奏は気に入ってくれてたみたいだから良かった」
奏汰と翔が顔を見合わせて笑っていると、慌てて円香が駆け込んできた。
「すみません! お二人って、ゆかりさんと共演してたんですね!」
バーの地下階段から登っていく途中に壁に貼ってあったポスターを見て、言わずにはいられなかったようだ。
「もう! 言ってくれれば良かったのに!」
「ごめん、ごめん! いつ気付くのかなぁと思って」
「意外と早くバレたな」
「や〜ん! もうごめんなさい〜! 奏汰さん、いつもエレキベースだったからすぐに気付かなくて。こんなすごいお二人、いつも遊んでいただけてたなんて、ますます感動です! なんかすみません! こんな中学生なんかに付き合ってもらっちゃって」
奏汰たちが笑う中、ペコペコと頭を何度も下げると、円香は赤いトロンボーンケースを背負ったままそそくさと、重厚な木のドアの向こうへと去っていった。
ジャズテイストで行こう! かがみ透 @kagami-toru
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