第3話 つけ打ち、双龍寺公演に参加!
国宝さんの舞台復帰は遅れた。
幾らつけを打たないと云っても毎日、昼夜舞台に出るのは、身体に大きな負担がかかる。
それともう一つ大きな問題がある。人手である。
高齢なので、一人で舞台を務める事は出来ない。
文楽人形の様に、右手、左手使いの人がいる。
ジェフが加入したとは云え、まだ修行の身で、一人で務められる程の技量は持ち合わせていない。
年々歌舞伎公演が増加している。
それを補うつけ打ちが増えていない。
しかもつけ打ちも役者と同じで、一人前になるまで最低十年はかかると云われている世界だ。
夏の京都は、格別の暑さと云われている。
文豪谷崎潤一郎も夏の京都の暑さに辟易して、晩年はこの地を離れている。
幾ら若い僕でも、さすがにこの暑さに少々ばて気味だ。
都座のジェフの「つけ打ち講座」の好評は、竹松東京本社演劇部まで届いた。
江戸歌舞伎座に隣接している、江戸歌舞伎ミュージアムで九月に同じ内容のものが取り上げられる事になり、ジェフは来月東京へ行く事が決まった。
「最近ジェフの人気が急上昇」
利恵がスマホを見ながら云った。
僕と利恵さんは、鴨川に面した四条大橋の脇にある、和食の店で昼ご飯を食べていた。
二人とも山掛けざるそばを食べていた。
四条大橋を渡る人々の顔は、苦痛に耐えるかの如く歪み、汗を噴き出していた。
そんな光景をぼんやり見ながら僕は返事した。
「あの白梅さんも、えらくお気に入りのようだと。噂だけど」
一瞬、ホテルでのキスを思い出してぶるっと身震いした。
「東山君も頑張らないと、その内ジェフに抜かれるわよ」
「僕とジェフは違いますから」
「何が違うの。同じつけ打ちじゃないの」
きりっとした目つきで、利恵は僕を睨み付けた。
「同じ事しても、向こうは外国人だから注目されます」
「何それ。卑屈になるのはよくないよ」
「卑屈じゃないです。事実を云っているだけです」
「それが卑屈だって云ってるの」
ひと際甲高い声が店内に響いた。
何人かの客の視線が、僕らの方に突き刺さった。
「今はつらいけど、ここで頑張らないと」
祇園「御池」の女将さんと同じ言葉を、急に声のトーンを落として利恵が呟いた。
「一度双龍寺でのつけ打ち見学してみたいなあ」
「毎回ホームページでレポートしてるでしょう」
「それはあくまで、当事者の東山君のレポートでしょう。私の視線で見てみたいのよ」
「役者も観客も舞台装置も照明も何もない。退屈極まりないものです」
「だからいいのよ」
「そんなものですかね」
ふと僕は視線を四条大橋を渡る人に移した。
「あれっ、あの人」
僕が指さした方向に、利恵も顔を向けた。
都座のワークショップに来ていた、目の不自由な沙織さんだった。
ただ一つ大きく違っていたのは、盲導犬を連れずに一人で歩いていた事だった。
「お前さあ、云っていい事と、悪い事があるよ」
翌日、僕は国宝さんの家で、昨日の沙織さんの一件を堀川さんに話した。
堀川さんが、すぐに反応した言葉だった。
「本当です。私も見たんです」
横から利恵が云った
「何だお前ら、昼間からデートしてたのか」
「違います。昼ご飯食べてただけです」
「すると何か、沙織さんが盲導犬を連れてたのは、嘘のポーズだと云うのか」
「何もそこまで云ってませんよ」
「一体どちらの姿が本当か、今度お母さんとデートする時に、聞いてみてはどうですか」
利恵が提案した。
「でも、いきなり聞くのは失礼だろうが」
「だからそれとなく聞くのよ」
「まずデートの場所が問題だな。おい、どこかないか。鳥羽さんが気に入るような場所」
「いきなり、僕に振らないで下さいよ」
「何だ何だ、水臭いなあ。双龍寺で修行してるお前にしては、本当水臭いよ」
「そうだ!それよ」
「それよってどこですか」
僕と堀川さんは、利恵の顔を見ながら尋ねた。
双龍寺で、急遽「歌舞伎講座・座禅・つけ打ちを聞く会」が開催される運びとなった。
チラシを印刷する予算がないので、ホームページでの募集となった。
双龍寺の和尚さんの快諾を得たのはもちろんである。
本堂は、二百人は余裕で収容出来る空間である。
参加費全て込みで、三万円の強気の商売だった。
と云うのも講座に国宝さんが出る事になったからだ。
当日、新聞、雑誌、テレビ、ネット関係だけで百を越える媒体が駆けつけた。
ネット上では、
「ついに清水国宝つけ打ち、双龍寺で叩くか」
「双龍寺伝説とのコラボか」
等と書き込み、つぶやきが増した。
双龍寺伝説とは、平安京が造営される前、一人の僧侶が嵐山で修行していた。
夏の炎天下、座禅をする身体に太陽の光が降り注ぎ、危うく日射病で死にそうになる。
その時、天上から二匹の龍が舞い降りて来て、僧侶の身体に大量の水を浴びせたのである。
それで僧侶は息を吹き返したのである。
以来、双龍寺の井戸から出る水は、幸福を呼ぶ水と呼ばれている。
国宝さんのつけも、今世間では、幸福を呼ぶつけ音と呼ばれている。
最初の構想では、ただつけを聞くのは余りにも、観客に忍びない。
だから、本堂前に百インチのテレビを置いて、白梅さんの踊りのビデオを流す予定だった。
しかし、この噂を聞きつけた白梅さんが、自ら出演すると云い出した。
「国宝さんと白梅とのコラボ。三万円は安い!」
「双龍寺、国宝さん、白梅さん。十万円でも安いです。竹松さんはいい会社です」
「どうせやるなら、千人入る都座でやって欲しかった」
「いや、双龍寺でやるから価値がある」
ネット上で様々な声が上がる。
応募は世界から十万を越えるメールが殺到した。
「こんな事なら、一回と云わず、十日間二回公演でもしたらよかったな」
似たり顔で堀川さんがほくそ笑む。
元は、堀川さんと鳥羽さんのデートを双龍寺にしようと決めたのが出発点だった。
朝の僕のつけ打ちを見させる。その席に、沙織さんも参加させる。
(だったら、他の人にも見せましょう)
(せっかく双龍寺でやるんだから、参加者には座禅もやって貰いましょう)
となり、その話を聞いて国宝さん、白梅さんが次々と手を挙げて一大イベントとなり、地元のみやこテレビが生中継。まさにトントン拍子に話が進んだのである。
当日のプログラム。
1参加者による座禅。
2清水国宝さんのつけ打ちのお話
3白梅さんの「嵐山双龍寺」の踊り
このつけ打ち前半が僕で、後半は堀川さんが担当。
注目すべきが、開始時間で、午前七時スタートだった。
双龍寺には、宿泊設備がないので、前日京都に泊まるか、当日始発で駆けつけるかだ。
皆本当に遅刻せずに集まるのだろうか。
僕を始め、関係者は心配したが、全員定刻には集まっていた。
国宝さんも白梅さんも座禅が始まる時刻には、すでにいた。
「折角だから、私も座禅に参加します」
と白梅さんが云えば、
「わしも冥土の土産に参加しよう」
と国宝さんも云ってくれた。
鳥羽親子も盲導犬も参加していた。
座禅に盲導犬が参加するのは、これが初めてではないだろうか。
少なくとも双龍寺千二百年の歴史では、初となる。
利恵さんも同じ事に気づいていた様で、
「今度の双龍寺日記のテーマは、(盲導犬も参加した座禅)で決まりね」
座禅が始まると、数十台のカメラが静かに動く。
その動きは僕の所で止まる。何も僕を撮っているのではない。
僕の両側にいる国宝さん、白梅さんを撮っているのだ。
この両者に挟まれた僕は、異常に緊張していた。
修行僧の北野さんは、僕の後ろにいた。
座禅が始まる前だった。
「今日は座禅がやりにくいと思います。どうかご勘弁のほどを」
「とんでもない。反対に私は嬉しいです」
「どうしてですか」
「こんなに世間の人様に注目されての座禅。素敵じゃないですか」
「雑念が入るでしょう」
「いえ目を瞑れば、別の世界への扉が開きます」
僕は北野さんの様に、悟る事は出来なかった。
座禅が始まる前に、白梅さんが、
「どう、お元気ですか」
と声を掛けてくれた。
「ええ、何とかやってます」
「お前さん、ここで何をやっているの」
「他の修行僧と同じく座禅やったり、掃除したり。昼間は国宝さんのお宅へ行ってます」
「いいわねえ。羨ましい」
白梅さんから意外な想定外のフレーズが飛び出したので、躊躇した。
「何故羨ましいんですか。僕は、一日も早く劇場でつけを打ちたいんです」
「お前さん、もっと考えて御覧。今この時点で、つけ打ちが京都のお寺、しかも由緒ある双龍寺で修行しながら、つけ打ちしているのは、お前さん一人なのよ。
それだけでも極上の幸せの極みでしょう」
もっと白梅さんと話したかったが、残念ながら座禅の時間となった。
目を瞑る。しかし瞼の奥に、暫く国宝さんと白梅さんの顔が張り付いたままだった。
静謐な世界。本当に二百人いるのかと思った。
双龍寺がマスコミに対して、座禅が始まれば、カメラのシャッターを切らないよう要請していた。
ビデオカメラが回るのを許可していたが、歩かない。移動しないと約束されていた。
(皆、無我の境地になるのだろうか)
僕は、座禅をするたびに(無我の境地にならなければ)と思う。
その思いが、すでに無我の境地ではないのだ。
うまく云えないけれど、例えば中々寝付けない人が、寝ないと焦る。
本当の無我の境地は熟睡で、僕の座禅は、その手前の寝なければと焦っている世界だ。
僕は白梅さんが気になった。
(本当に座禅が出来ているのか)
その内、かすかな寝息が聞こえる。
(国宝さん寝たら駄目です)
不思議な事に、誰も注意しに来ない。
やはり相手が、(人間国宝)だからか。
しかし、絶対にカメラは、ここを撮っているはずだ。
目を開けたかった。左右を見たかった。
ぐっと我慢の三十分が過ぎて座禅の会が終了した。
二十分の休憩を挟んで、国宝さんのお話が始まる。
座って話されて、机の上につけ板とつけ析が置かれていた。
「皆さん、お早うございます。つけ打ちの清水です。
今日、ここにお集まりの方は、歌舞伎、つけ打ちのファンの方々と思います。
つけ打ちで一番大事なのは、神の目を持つ事です。
これはどう云う事かといいますと、若い時は誰でも自分の目の前の仕事しか目に入りません。でも本当はつけ打ちしながら、相手の役者はもちろんの事、長唄、常磐津、清元、場内のお客様、照明、舞台装置、全ての事を見て把握しないといけません」
次に始まる踊りのつけの事で、頭が一杯だったが、出来るだけ国宝さんの講演に耳を傾けていた。
「つけ打ちの音は、出し物、役者、劇場などで違って来ます。
じゃあ同じ演目、同じ役者、同じ劇場なら同じ打ち方でよいのか。
答えは、ノーです。
何故ならまず天気が違いますねえ。つけ析とつけ板は木で出来ているので、天気、湿気に敏感なんで、変わって来ます。
それに同じ役者でも、その日の体調も違います。
それに何よりもお客様が違います。
茶の湯の世界に、一期一会なる言葉があります。
つけ打ちも同じです。
その日、一瞬のつけ打ちの音は、二度とない音の連続なんです。
一人ひとりの顔が違う様に、つけの音も微妙に違います。
だからまさにつけ打ちは、日々正解のない問題に取り組んでいるのです。
特に劇場によって違うのが大きいですねえ。
それこそ百人くらいの劇場でやる時もあれば、この頃は野外歌舞伎で二万人の観客の所でつけを打った事もあります。
これはやりにくかったです。最新のマイクが、私の胸元、つけ板など幾つも周りに設置されて音を拾ってステージの前、左右、サイド、後方、客席あらゆる所にあるスピーカーから音が出ましたけど、あれはもう無理。
江戸歌舞伎座でも広すぎです。
オペラグラス使っての観劇なんてお客さんに気の毒です。
江戸時代の芝居小屋って、そんなに広くなかったはずです。
やはり一番いいのは、都座の様な千人までです。
最近若い人は、ビデオ見て練習します。でもあれはやめた方がいいです」
僕はドキッとした。まさにそれは僕の事だったからだ。
「ビデオは百害あって一利なし。この頃の歌舞伎役者もビデオ見て勉強するらしいですけどね。何故駄目かと云うと、ビデオは過去のものです。
でも私も皆さんも、今、今、今この瞬間を生きている。呼吸している。
歌舞伎は古臭いと云われます。とんでもないです。時代の最先端ですよ。
扱っている題材見て下さい。金、女、妬み、名誉、殺人、十分現代に通じていますよね。
よく皆さん勘違いされます。今、この時代を生きている歌舞伎役者が歌舞伎をやる。そっくりそのままそれが、江戸時代に上演されたものだと思い込む。
違いますよ。だって当時演じたビデオ残ってないもん」
本堂から、失笑が漏れた。
「よく演劇記者が、記者総見で芝居の感想書いてますねえ。あれも大きな勘違い記事が多いですねえ。
あれは、その時見た時の感想。芝居は毎日違います。微妙に違います。これがフィルムの映画と生の芝居の違いです。
毎日、毎回、一瞬一瞬違うのです。
皆さん、同じ仕事毎日やってますねえ。
よく云いますよねえ。毎日同じ仕事の繰り返しだって。
それは間違ってます。毎日微妙に違います。同じ天気でしたか。サービス業なら同じお客さんでも、そのお客さんの心情は毎日違います。
この細やかな気遣い、精神を持ってお仕事に励んで下さい。
では、ここで私が見本のつけを」
国宝さんがつけ析を持ち、上段に構えた。
会場からどよめきが起こる。
観客は一斉にスマホやデジカメを手に持つ。
左右後方のプレス関係のカメラも一斉に国宝さんとつけ板を狙う。
「打ちたかったのですが、時間がないと云う事で、次回にします」
笑いと深いため息が会場の本堂を支配した。
今度はさっきよりも少し小さな観客のこころの「気」の波が引いて行く。
ざわめきの波が引いて静かになるのを国宝さんは待っていた。
この辺の「間」を見て待つ、絶妙の駆け引きはさすがだと僕はひとり感心していた。
「これから皆様へお見せします嵐山双龍寺の踊り。前半のつけ打ちは、うちの若い東山トビオが、後半は熟練の堀川が担当します。
演者は白梅さんです。では最後までごゆっくりとご観劇下さい。本日は有難うございました」
盛大な拍手が起きて国宝さんのつけ打ち講座は幕を閉じた。
さあいよいよだ。
劇場ではないけれど、満員の観客を前にしてのつけ打ちは、緊張と不安が入り混じる。
沙織さんは、前回自分の盲導犬のせいで、僕が失敗したので、一番後ろで観劇しているようだ。
「さあ始まるぞ」
堀川さんは、自分と僕に気合を入れるつもりで云ったと思う。
僕らは、本堂の隣の小さな部屋で、黒の着流し、たっつけ袴に着替えた。
「沙織さんに聞いたんですか、例の件」
「聞けない」
「とっとと早く聞けばいいのに」
「お前若いのに、全然デリカシーないねえ。女に持てないはずだわ」
ここで堀川さんがくるっと身体をこちらに向けて、あきれ顔で僕の方を見ながら云った。
「街の中で白い杖を持って歩いている人に、本当は目が見えるんでしょうと云えますか」
「云えません」
「でしょう。つまりそう云う事」
「でも解決して欲しいなあ」
内心忸怩たるものが、僕の心の中で引っかかっていた。
「若いのにぐだぐだと、いつまでも引きづらないの」
「でも堀川さんも多少は気になるはずでしょう」
「多少はねえ」
少し間を置いて堀川さんは答えた。
ここで北野さんが、僕を呼びに来た。
「東山さん、そろそろ出番です」
「はい」
「頑張って行って来い」
と堀川さんがぽんと僕の下腹をこずく。
「行って来ます」
所定の位置に着く前に、別室で待機している白梅さんに挨拶した。
「よろしくお願いします」
部屋の前で正座して一礼して去ろうとした僕に、
「肩の力抜きましょう」
と声を掛けてくれた。
その声に慌ててくるっと振り向くと、
「失敗してもいいの。だって一回こっきりだもん」
と言葉を続け、ウインクした。
完璧主義の白梅さんからしたら、思わぬ相反する言葉が出た。
本心は、絶対にその逆だったはずだ。
(一回だからこそ、全身全霊を込めて白梅さんは演じ、僕はつけ打ちの職務を全うする。決して失敗はゆるされない)
僕をリラックスさせるために、わざとこころにもない事を云ったのだ。
完璧主義の白梅さんは有名だった。
それは、舞台照明に対してもそうだった。
白梅さんは、自分の顔の右側、左側どちら側からライトが当たれば美しいか知っていた。
今日の歌舞伎の照明に対して細かい駄目出し(注文)をする役者は主に四人いる。
スーパー歌舞伎の川西角之助、上方歌舞伎の重鎮片山三左衛門、江戸歌舞伎芝居の復興に情熱を注ぐ、歌舞伎界の風雲児蹴上屋、そして白梅さんだ。
劇場の照明は、舞台上部(ボーダー、サスライト)、左右の客席の上部(フロント)、バルコニーの正面、シーリングと呼ばれる客席天井後方からのライトそしてセンタールーム(三階客席後方)からのセンタースポットがある。
例えば白梅さんは、花道七三に立つと、それぞれの照明用語を駆使して明りのゲージ(数値、強弱)にまで踏み込んで駄目出しするのだ。
センタースポットに対しては、そのライトの円の大きさにまで神経をとがらす。
今日、照明もほとんどコンピューター化されたが、このセンタースポットだけは、未だに人が操作している。センタースポット係りも大変である。
毎回稽古のあと、稽古を収録したビデオを見ながら明りとセンタースポットを出すタイミングを控室で酒を呑みながら検証する。男ではなくて女たちである。
今日センタースポット係りは「女子」で占領されている。
今回はお寺の本堂前の舞台なので、仮設最小限の明りしかない。しかし、朝なのでそんなに暗く感じない。
観客は本堂で見る。
本堂の脇に、檜で作られた廊下がある。
その所の端につけ板が置かれた。
都座、江戸歌舞伎座を始め、歌舞伎の舞台は檜板で出来ている。
つけ析は、白樫と云う広葉樹の木で出来ている。
一方つけ板は樫の木で出来ている。
山の中で切り出して現地で十年ほど寝かす。
さらに劇場で三年ほど乾燥させる。
でないと納得いく音が出ない。
僕は残念ながら、まだその音の聞き分けが出来ない。
寝かすとか、熟成とかまるでウイスキー作りの工程に似ている。
その廊下の前に、小さな能舞台がある。
そこで白梅さんは踊るのだ。
「嵐山双龍寺」の所作事は、歌舞伎ではあまり上演されない。
しかし、今回久し振りの復活である。
やはり場所柄を考慮しての演目だった。
前半は、お姫様の優雅な踊りである。つけは、あまりない。
つけの音は、大きく分けて「駆け出し」と「アシライ」がある。
駆け出しは、その名の通り、役者が走る音である。
アシライは、人に仕草につける擬音である。
何かを落とす。
歌舞伎では、大事な手紙、財布、簪、ハンカチなどを落とす。
これにつけ音が入る事になって、一種の効果音の役目を果たす。
また観客にも、それを知らせる事になる。
今回の踊りも、前半にお姫様が簪を落とす場面がある。
「嵐山双龍寺」の所作事で面白いのは、舞台で一人二役を同時に演じ分ける事である。
大体、二役を演じる所作事は、途中で衣装を着替えて、別の役をやるのが普通である。
しかし、「嵐山双龍寺」は、同時に演じ分けないといけない。
かなりの演技力が要求される。
この難しい所作が段々敬遠されて現代では、演じられなくなった。
つまりそれだけ、高度な演技力を持つ役者がいなくなったのだ。
そんな難しい踊りに挑戦する白梅さんに僕は、尊敬を通り越して畏怖の念を抱いていた。
原則、つけは左から打ち、右で止める。
幕開きから僕は、廊下に正座した。
万雷の拍手を浴びながら、白梅さんが出て来た。
久し振りに体感する緊張の瞬間でもあった。
つけがない間は、僕は手はお腹の前に置く。
つけのある手前で、身構える。
踊りの途中で見得を切る。
「ダン、ダン」
僕は、白梅さんの動きを見ながら慎重につけを打つ。
乾いた音が、嵐山の双龍寺に初めて響き渡る。
僕のつけ音で、千年の都の人々の思いを背負いながら、波紋の如く広がりを見せた。
(この一瞬)
白梅さんを始め、国宝さんも、堀川さんも、沙織さんも、利恵さんも、輝美さんも北野さんも、そして僧侶、観客の皆が僕のつけ音をそれぞれの耳に入る。
それは二度とない一期一会の世界でもあるわけだ。
不覚にも僕は一粒の涙を流した。
拍手の嵐が巻き起こる。
その拍手は、もちろん白梅さんに対してのものだっただろう。
でも一人でも二人でも、僕への拍手はあったはずだと確信した。
前半の終わり近く、一人二役の場面が始まる。
前半の見せ場でもある。
白梅さんは、懐から短剣を取り出し、怨霊と闘う。
ここからつけの連打が始まる。
「姫」の時は短剣を持ち、「怨霊」の役の時は素早く短剣を懐にしまって演じる。
最初は入れ替わりがゆっくりと行われるが、後半はマジシャンのようだった。
一瞬にして短剣をくるっと身体を回転させながらしまう。
姫が倒れたかと思うと、怨霊の役で瞬時に立ち上がる。
拍手の嵐は、僕のつけ船に襲い掛かる。沈没しないよう僕はつけ析を何度も握り直す。
僕は今までにないつけを任されていた。
つけの連打、打ち上げが最高潮を迎えていた。
「ダンダン、ダンダン、ダンダン、ダンダン」
国宝さんの言葉通り、正解のないつけの宇宙を、必死で彷徨い、溺れまいと打ち続けた。
そしてゆっくりと白梅さんが再び崩れ落ちた。
右手で慎重に止め析を打つ。
「ダン」
この音で白梅さんは微動だにして動かない。
僕は、ゆっくりと立ち上がり、一礼して下がった。
すると次の瞬間、拍手が僕に起こり、僕の身体を取り巻いた。
(嘘だろう)そう思いながら去った。
廊下の真ん中で堀川さんと出会い、目が合った。
「いい気になるなよ」
すれ違いざま、堀川さんは僕の胸をどんと叩きながらそう呟いた。
その顔は、いつになく緊張して強張っていた。
崩れ落ちた白梅さんは暫く死んだように全く動かない。
廊下の端から僕は続きを見ていた。
息を止めているのだろうか。お腹も動かない。
自分の役目が終わったので気楽に見られると思ったが、現実は違った。
(本当に死んだのか)
僕や観客にそう思わせるほどに白梅さんは、ぴたりとも動かない。
全然動かない。
全く動かない。
(やばいなあ)と僕は思った。
(本当に死んだのか)少し心配になって来た。
(役者は、最後は舞台で死ぬのが理想)とよく云われる。
過去に心臓麻痺で舞台で本当に急死した役者がいると聞いた事がある。
(白梅さん!)と思った瞬間。
笛の音で、ゆっくりと目を開け、大きく息を吸い込む。
次に手足を時間をかけて動かす。
その動きに寄り添うかの様に、堀川さんのつけが静かにやさしく入る。
「パラッ、タン、パラッ、タン」
再び拍手がさざ波の様に、双龍寺の本堂と廊下と、特設舞台を覆う。
日頃、国宝さんや堀川さんから、
「つけ打ちは、役者との一騎打ち」
とよく云われた。
殆ど稽古をもしないのに、堀川さんのつけは、白梅さんの動きに完全に乗り移っていた。
あの廊下で確かに堀川さんはつけを打っているけれど、身体だけそこにあり、こころ、精神は完全に白梅さんに乗り移っていると僕は確信した。
「白梅さんも怖いけど、堀川さんも本気出すと怖いのよ」
いつのまにか、輝美さんが僕の横に来ていて呟いた。
僕は輝美さんの声に振り返らず、そのまま視線を舞台に注いでいた。
後半は、徐々に「姫」から「龍」に変化して行く過程を見せるもので、これはかなりの演技力と踊りの二つの才能が備わっていないと出来ない。
当代でこれが出来るのは、白梅さんしかいない。
白梅さんが立ち上がり、本堂にいる観客を睨み付ける。
「ダン」
堀川さんのつけの音が、白梅さんの龍の形相を倍加させた。
僕はぶるっと身震いした。
目の前の白梅さんが本当に「龍」の化身に思えたからだ。
二百名の観客は、完全に自由を束縛されたかの様に、まさしく釘付けとなった。
おそらく誰もまばたきさえしてなかったのではないか。
それどころか、息を吸うのさえ、憚られるかのような世界だった。
完全に「龍」となって能舞台いっぱい使い、白梅龍は自分の姿を誇示する踊りを始める。
ここのところで、難しいのは、身体は一つなのに、二匹の龍を演じる事だった。
物理的に不可能でも、それを可能にするのが白梅さんの演技力だった。
上手と下手をうまく使って、両者微妙な違いの踊りを始めた。
「ダンダン」
上手の龍の踊り。
「タン、タン」
下手の踊り。
(あれっ)と思った。
堀川さんのつけの音も、何か違う。
音量は同じなのに、耳に入る感覚が違うのだ。
白梅さんが二匹の龍を演じ分けているのに、呼応するかの様に堀川さんのつけの音も微妙な違いを出していたのだ。
本日、二回目の身震いは、堀川さんのつけ音に対してのものだった。
「ダン、ダン、ダン」
堀川さんのつけが入る度に、僕は手のひらで自分の膝を軽く叩いた。
白梅さんが、能舞台の柱に、手と身体を巻き付けてのけ反る。
「ダン、ダン」
白梅さんは、柱を両手で掴むとのけ反って、頭が舞台の床に着くほど柔軟な姿勢を観客に披露した。
観客の中には、興奮のあまり膝を立て、中腰になり身を乗り出す者がいた。
すかざず、後ろ、左右に控えている修行僧が注意をしに行った。
劇場なら案内係がやるべき行為を、修行僧がやっていた。
上手の柱でのけ反り、今度は下手の柱で手と足の身体を巻き付けてのけ反る。
のけ反り方も、違いを出していた。
僕を含めた観客全員が、目の前にいるのは歌舞伎役者ではなくて二匹の龍だと思っていた。
さらにのけ反り、白梅さんは観客を凝視する。
身体が一瞬止まる。
観客も息をひそめて見つめる。
「ダンダン、ダンダン、ダンダン・・・・」
気を張り裂けんばかりの堀川さんのつけ音が、白梅と観客のこころの隙間に鋭くつけ入る。
(僕のつけと全然違う)
それは前々からわかっていた事だった。
でもその違いの格差がどれぐらいかわからなかった。
特に双龍寺での修行期間は、全然堀川さんのつけを聞けなかった。
今ようやく僕はわかった。
(僕と堀川さんは、格段の差がある)
雲泥の差。それ以上だ。
全然比較するのもおこがましい。
よく堀川さんは、
「こんな奴と同じにしないで下さい」
と云っていた。
(嫌な事云うおっさんだ)
とこころの中で堀川さんを攻撃する自分が芽生えていた。
でもそれは、完全な勘違いだった。
(全然違う)
(月とスッポン)
(いや、それ以上だ)
やがて最後の場面を迎える。
舞台中央で、這い回りながら徐々に上半身を起こして見得を切る。
「ダンダンダンダン」
堀川さんの打ち降ろしのつけの連打が始まる。
つけは左手から初めて右手で終える約束事がある。
堀川さんが慎重に右手に持ったつけ析を打ち降ろした。
幕がないので暫く白梅さんはストップモーションだった。
最初観客は座ったまま拍手を送っていたが、その内一人二人と立ち出した。
いわゆる「スタンディング・オーベーション」である。
劇場でカーテンコールの時によく起きる事象である。
事情を知らない修行僧は、最初は制止するのに必死だった。
でもすぐに状況は呑み込めたようで、途中から制止するのをやめた。
本来ならここで一旦幕が閉まり、再び幕が開く。
しかし、幕がないので、白梅さんは途中でストップモーションの姿勢を中断して舞台中央に歩み寄り、袖にいる僕に手招きした。
「東山君、出番よ」
輝美さんが促す。
「行って来い」
笑顔で国宝さんが云った。
「はい」
僕は舞台に向かう。
白梅さんは廊下端に座ったままの堀川さんに立つよう促す。
堀川さんは照れ臭いのか、一礼して立ち去ろうとした。
白梅さんは手で招く。
僕は堀川さんを押しとどめて二人で舞台中央に出た。三人が一列に並ぶ。
順番は上手から僕、堀川さん、白梅さん。
この一連の出来事の間、拍手は鳴りやまなかった。
白梅さんは、自ら手を叩きながら堀川さん、僕の方を見ながらにっこりと微笑んだ。
堀川さんは照れ臭いのか終始俯いたままで、すぐに上手にはけようとした。
白梅さんが手を繋いでそれを阻止すると観客席からどっと笑いが起きた。
一体どこで終わるのだろうか。
拍手が続く。
どれぐらいの時間がたったのだろうか。これが劇場なら、定式幕の開閉はおそらく十回は続いていたかと思う。
その夜。
双龍寺でささやかな打ち上げが行われた。
乾杯の挨拶は、白梅さんだった。
この嵐山の景勝地そしてこの歴史と伝統ある双龍寺で所縁のある踊りを演じさせて貰いました。
皆さん本当に有難う。双龍寺の何とお呼びするのかしら?お坊さんでいいの?
有難うございます。私、坊主頭大好きです。本当は一人一人の坊主頭にキスしたいです」
ここでどっと修行僧から笑いが爆発した。
「お疲れ様。乾杯」
白梅さんが各テーブルを回る。
「堀川さんのつけ、よかったわ」
「有難うございます」
「東山君のつけも随分上達しました」
「今日は、あれは出なかったのね」
あれとは、先代の白梅さんの化身の蠅の事だ。
「はい、出ませんでした」
周囲の人は、意味が解らなくて、怪訝な表情を浮かべる。
「おい、あれって何だよ」
早速堀川さんが聞いて来た。
「はい、まあお化けみたいなもんです」
「ここは歴史あるお寺やからなあ」
国宝さんが呟く。
「でも朝っぱらから出ないだろう」
「ええ、お陰様で出ませんでした」
「あなたまだここで修行してるの」
「はい。今は朝に座禅して、昼間は清水師匠の家に行ってます」
「偉いわあ。もう打ち止め。劇場に帰ってらっしゃい」
白梅さんは本当に優しい言葉を掛けてくれた。
「なあに、甘やかせてはいけません。こいつはここであと五年は修行すればいいんです」
堀川さんがまた余計な事を云い出す。
「幾ら何でも五年は可哀想よ」
「じゃあ三年」
「もう少しまけてあげて」
「駄目駄目。大体私とこいつのつけの音の違いわかるでしょう」
「はいわかります」
「だから修行ですよ」
「修行なら劇場でやった方がいいと思うの」
「いえ双龍寺で充分です」
堀川さんが悪魔の使徒に思えた。
翌日の朝のワイドショーは、この双龍寺での公演を取り上げていた。
ネットでの反響も大きかった。
京都の双龍寺での一夜限りの白梅さんの踊りに、世界から数万の書き込みが寄せられた。
数日後僕は堀川さんに呼び出された。
堀川さんは例の見合い相手の鳥羽佳子さんと二回目のデートをした。
他人のデートに二回もついて行くのは、さすがに気が引けた。
「二回目は駄目でしょう」
打診を受けた時に僕は即答した。
「どうしてもお前の協力が必要なんだ」
「何の協力ですか」
「例の沙織さんの一件に決まっているだろうが」
四条大橋で僕は、沙織さんが盲導犬なしで、すたすたと歩いているのを見かけた。
この真相を解明したかったらしい。
「直接デートで聞くのなら、僕は必要ないでしょう」
「そばにいて欲しいんだよ」
「何か安もんの演歌の歌詞ですね」
「しまいには、ひっぱたたくよ。先輩に云われたらつべこべ云わずにはいと返事しろ」
「はい」
堀川さんの気迫に押されて反射的に返事していた。
今回のデートは、「御池」の女将さんも知っていたが、同席は遠慮していた。
僕は女将さんに事前に電話した。
「あんたも人のデートについて行くて趣味わるおますなあ」
「いえ、堀川さんについて来てくれと云われたんです」
「気を利かして、その日は双龍寺で行事があり、行けませんと云わなあきまへんがな。けどもう約束しはったんなら、しようがおへん。せいぜいお気張りやす」
「僕は気張る必要がないと思います」
「わかってますがな。また報告しておくれやす」
八月の終わり、二回目のデートは、岡崎の無隣庵で行われた。
ここは、明治の政治家山形有朋の別荘だったところである。
作庭は、七代目小川治兵衛である。
母屋の前に三角形の土地を巧みに生かした庭園が広がる。
ここは都心でありながら、静寂さの世界を現出させていた。
それは、千年の都の証でもある。
今回のデートに二人の当事者以外に、僕と盲導犬を連れた沙織さんが参加していた。
四人は、母屋の中で冷たいお茶をいただきながら庭を眺めた。
盲導犬は、縁側の淵でおとなしく座っていた。
「次のお仕事は、どこどすか」
佳子さんが堀川さんに尋ねた。
「来月は都座です」
「東山さんも参加されるんですか」
今度は沙織さんが聞いた。
「いえ、こいつはまだ修行僧ですから参加しません」
僕が答えようとすると、素早く堀川さんが答えた。
さすがの僕もむっとして堀川さんを睨み付けた。
「何だよ、その反抗的な態度。文句あるのかよ」
「人の答えを横取りしないで下さい」
僕は精一杯の抵抗を試みた。
「つけ打ち仲間同士で喧嘩はやめて下さい」
沙織さんが大きな声で云った。
「はい、わかりました」
こんな率直な堀川さんを、初めて見た。
本当に珍しくて動画にとって、ユーチューブに流したいくらいだった。
二人の会話は、どこか他人行儀だった。(他人だけども)
堀川さんが、目で助け舟を寄こせと催促した。
「ここらで、庭を散策しましょう」
と僕は提案した。
「それいいね。行こう」
一番最初に立ち上がったのは、堀川さんだった。
それに釣られて僕ら三人も立ち上がった。
沙織さんは、盲導犬を連れての散策となった。
庭の一番奥に来た。
「まあ、滝があるんですね」
佳子さんが驚いた。
「そうです。これは明治に出来た琵琶湖疎水を利用しているんです」
と堀川さんが説明した。
(おいおい、京都ガイドしている場合ではないだろう)
「沙織、ここに滝があるわよ」
「ええわかる。音でわかる」
と答える沙織さんの顔は、滝を正面で見ていた。
目の不自由な人は、見る対象物を耳で確認しようとする。
どうしても横向きの姿勢となるはずだ。
どう見ても、見える。僕は確信していた。
僕らは、再び今来た道を引き返し始めた。
中々堀川さんが本題に移ろうとしない。
「早く沙織さんに質問して下さい」
「わかってるよ。そうせかすな」
堀川さんは小声で返答した。
「沙織さん質問があります」
いつもより甲高い声でついに堀川さんが云った。
「何でしょうか」
立ち止まって沙織さんは、堀川さんを見た。
数秒の間があった。
僕は固唾をのんだ。
「沙織さんが連れてる盲導犬の名前は何ですか」
思わず僕は、道の両側にある浅い池に足を突っ込みかけた。
「大丈夫どすか」
佳子さんが声を掛けてくれた。
「ええ大丈夫です」
「おいおい若いのに熱中症か」
僕は本日二回目の睨みを堀川さんにした。
「ええ名前はボスから(みらい)に変えました」
「みらい。いい名前ですね」
さらにうわずった声の堀川さんだった。
「私のみらいです」
一瞬、この意味が僕も堀川さんもわからなかった。
「東山君が、沙織さんに聞きたい事があるそうです」
いきなり堀川さんは、自分の代わりに僕に質問させようとした。
「東山君何ですか」
沙織さんはにっこりと微笑んだ。
意を決して僕は云った。
「実は沙織さん、あなたが盲導犬連れずにスタスタと四条大橋を渡るのをお見受けしました。質問です。沙織さん、あなたは本当は目が見えるのではないですか」
沙織さんの顔から笑顔が急速に消えて、涙が溢れ出ていた。
「馬鹿野郎」
堀川さんが叫んだ。
僕らは再び母屋に戻った。
「今まで隠しててすみません。私は今は目が見えてます。でも段々目が見えなくなる難病を患っているんです。
それで近い将来目が見えなくなる時に備えて、盲導犬を連れて訓練しているんです」
「沙織は、盲導犬を連れている時は、目を閉じて訓練しているんです」
佳子さんが補足説明してくれた。
「目を治す手立てはないんですか」
「中々今の医学では治らない難病だそうです」
「そうでしたか」
(この淀んだ空気を何とかしろ)
と堀川さんが目で僕に訴えて来た。
でも僕にはどうする事も出来なかった。
「目が見える内に堀川さんや東山君と出会えて良かったです。
今後とも母をよろしくお願いします」
「はい」
震える声で堀川さんは答えた。
堀川さんの目から大粒の涙がこぼれていた。
双龍寺以来の涙だった。
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