第2話 つけ打ち、坊主になる

 歌舞伎のつけ打ち志望なのに何で自分は、双龍寺の庭園の掃除をしているんだ。

 双龍寺の庭園は借景の山を合わせて三万坪と云う途方もない広さを誇る。

 定期的に契約をしている造園業者がいるが、毎朝の掃除は修行僧が行っている。

 本堂は江戸時代に建て替えられているが、庭は室町時代からほぼそのままの形で残っている。

 朝は四時起床。座禅、庭の掃除、本堂廊下の雑巾がけ、食事の世話。

 お題目を唱える。僕は一番後ろで入門書を見ながらじっと見ている。

 未だに解らない。確かにつけ打ちを失敗したのは悪い。

 しかし、その裁きの結果が双龍寺での修行とは、どう考えてもおかしい。

 これが犬で失敗したから、犬の散歩係とか犬の調教ならわかる。

 本当にこのまま修行僧と同じ日課を過ごしていれば、堀川さんが云ってた様に冗談ではなくて、(出家)になってしまう。

 何とかしないといけない。僕は行動に出る事にした。

 座禅を終えて僕は和尚を捕まえて願い事を申し出た。

「和尚お願いがあります」

「はい何ですかな」

「僕の仕事はつけ打ちです。ズバリ云います。ここでつけを打たせて下さい」

 云った瞬間恐らく、百パーセント断られると思った。しかし、

「はい、いいですよ。夜明けの座禅の時に打ちなさい」

 あっさりと、和尚さんは、僕の申し出を快諾してくれた。

「でもそれでは座禅をしている、他の修行僧の邪魔になりませんか」

「そんなつけ打ちごときの音で、心が乱れるようじゃ本物の僧侶にはなれません」

 双龍寺では夜明けから座禅をやる。

「双龍寺の庭は、眺める庭ではない」

 僕が座禅を始める前に和尚は云った。

「お言葉を返すようですが、庭は散策して眺めるものでしょう」

「違います。答えは自分で探しなさい。答えが見つかったら教えて下さい」

 和尚は、にっこりと微笑んだ。

 四月の嵐山は、昼間は暖かくても、日が沈むとぐっと冷え込む。

 縁側に今朝も修行僧が庭に向かって座禅を組む。

 静寂の闇と、無言の世界に、つけを響かせるのは気が引けた。

 一つ大きく息を吐く。そして吸う。まだ暗闇の庭に向かって一礼する。

 一口に歌舞伎四百年と云われる。

 その歴史の中で、この縁側でつけを打つのは、この僕が初めてだ。

 歴史的瞬間をこの僕が握っているのだ。

 つけを打ち降ろす。

 「ダン」

 つけの音が庭に鳴り響く。

 暫し僕は身体を固くして、周囲の反応を伺う。

 和尚さんは、ああ云ってても、

「うるさい」

 とか

「何やっているんだ」

 等の罵声が飛んで来るかもしれない。そう思ったからだ。

 僕は薄目を開けて周りを観察する、

 しかしそばにいる修行僧は、微動だにしない。

 誰一人目を開けないし、振り向きもしない。

 つけ打ちの連打である、打ち上げもやる。

 やはり劇場でやるつけの音と、響き、鳴り具合が全然違う。

 遮るものが何もないので、音は拡散して行く。

 今宵は満月が出ていた。うっすらと僕らを照らす。人工の光は一つもない。

 月明かりのつけは、もちろん初めてだ。ぜいぜいと吐く息が白い。

「何か見えましたか」

 どこで見ていたのだろうか。

 和尚さんが音もなくすーっと姿を現した。

 顔には満面の笑みを浮かべながら、静かに語った。

「いえ、何も」

 まだ呼吸と精神が落ち着いていなくて、そう答えるのが精一杯だった。

「まだまだですかな」

 笑いを残して和尚は去った。

 つけ析を置いて僕も座禅を組む。息を吐く。吸う。

 息が戻ると再びつけ打ちを再開した。

 これを三回も続けると、最初は寒かった身体も、額にうっすら汗をかくほどになる。

(一体何が見えると云うのだろうか)

 うっすらと月明かりに照らされた庭を見つめる。

 悟りを開けば何か見えるのだろうか。

 仏像が見えるのか。

 そもそも多くの修行僧は、一体何を見ているのだろうか。

(禅問答は、答えがあってないようなものである)

 一か月が過ぎた。毎朝つけ打ちをやり続けた。

 僕は答えのない世界でもがき苦しんでいた。

 下界にいた頃、僕のつけを聞いて、堀川さんが、国宝さんがアドバイスをくれた。

 あの時は、(うるさいなあ)と思った。

 あの頃が懐かしい。今はどんな打ち方をしても誰も何も云わない。

 例え手を抜いて叩いても、誰も注意しない。

 また最高のつけを打っても誰も褒めてくれない。

 もちろん観客の熱い拍手も、役者の駄目出しもこの世界には存在しない。

(一体僕は、今まで何をつけ打ちで見出したかったのだろうか)

(観客の拍手か)

(役者に褒められたいのか)

 今までつけの音とか、役者との駆け引きとか、そんな狭い世界の事しか考えて来なかった。もっと違う世界を見ろと云うのか。

 ひたすら闇に向かってつけを打ち自問自答を繰り返す。

 今まで闇に閉ざされていたのに、うっすらと光が差し込む。そんな気がした。

 あともう少しで答えが見つかりそうな気がした。

 懐から、美香から貰った木彫りの人形を取り出す。

 月光を浴びて少し生き返ったように見えた。

(やはり、桧の樹木の生命力は素晴らしい)


 数ある京都の観光地で、嵐山は「祇園、東山」と並ぶメジャーな観光地である。

 両者に共通するのは、交通の便がよい。

 祇園東山は、京阪電車「祇園四条」、阪急電車「四条河原町」の二つの最寄り駅がある。

 一方嵐山は、阪急嵐山駅、嵐電嵐山駅、JR嵐山駅の三つの路線が乗り入れている。また二つのエリアとも歴史ある寺社が集まっている。

 それに何よりも、両方のエリアとも、大型観光バスを駐車出来るスペースを持っている事だろう。

 これにより、団体観光客の移動を確保出来るので、旅行代理店やエージェントにとっては、観光プランを立てやすいのだ。

 それに伴い数多くの店が集結している。

 ゴールデンウイークを過ぎても嵐山は、大勢の観光客で賑わっていた。

 昼間僕は、庭園の入り口のもぎりを手伝っていた。

 双龍寺では本堂と庭園セットで見られるのと、庭園だけの二つのチケットがあった。

 庭園が特に外国人観光客には大人気で、桜の咲く春と、秋の紅葉シーズンになるとチケット買うのに一時間待ち。さらに中に入るのに一時間待ちはざらだった。

 まだネットでの予約はやっていなかった。

 混雑を少しでも緩和するために、団体観光客は別の入り口のシステムを取っていた。

 暫くして、どこかで聞いた事のあるあの下品な笑い声、喋り。

 ふと視線をそちらに向けた。

 堀川さんと利恵さん、輝美さん、そして一人の外人さんご一行が近づいて来た。

「その声は・・・」

「おいおいしけた面に、しけた声でお出迎えかよ」

 久し振りに聞く堀川さんの毒舌だった。

「出たあ」

 僕は大げさに叫んだ。

 他の観光客は、一体何が起きたんだと僕らの方へ視線を注ぐ。

「お化けじゃないんだから、その言葉はないだろう」

 堀川さんが大笑いしていた。一瞬殺意が芽生えた。

「東山君、お元気ですか」

 今度は輝美さんがにこやかに笑う。

「全然ホームページの双龍寺日記アップしてくれないんだもん、心配してました」

 少し膨れて利恵が云う。

「一時、お前の死亡説が流れてよ、大変だったよ」

「どうせ、堀川さんが盛んに流していたんでしょう」

「ばれたか」

「ちょっと時間取れますか」

 輝美さんが聞いた。

 双龍寺の応接室で話す事にした。

「あまり時間ないようだから、まず報告するわね。こちらにいるジェフ・アークエンドさん、つけ打ちグループに今月から入りました」

「あああああ・・・」

「大丈夫日本語ペラペラだから」

 横から利恵が助け舟を出してくれた。

「本人を前にしてあれなんですが大丈夫なんですか、外人がつけ打ちするなんて」

 率直に僕は、こころの言葉を口に出した。

「大丈夫、国宝さんも歌舞伎協会も了解取っているから」

「今日は、国宝さんは」

「少し体調がよくないんで、自宅で静養してます」

「大丈夫なんですか」

「心配するな、まだくたばってないんで」

「初めまして」

 僕はブルーの瞳を見て、宇宙ステーションから青い地球を眺める宇宙飛行士を想像した。

「お前の弟子でもある」

「東山さんは、つけ打ちなのにどうしてこの寺にいるんですか」

「いきなり来ましたよ、直球百六十キロ。さあどう受け止める東山君」

 面白がって堀川さんは、はやし立てた。

「修行です」

 仕方なく本当の事を呟いた。

「何の修行ですか」

「つけ打ち、いや歌舞伎、いや・・・」

 ここで僕は不意にも涙をこぼした。

「おいおい、久し振りに来てやったのに、お涙頂戴か」

「そんなんじゃありません」

「だったら、三文田舎芝居のお前の態度は何だ!いい加減にしろ」

 すくっと立ち上がり、堀川さんは僕の胸倉を掴んだ。

「僕はつけ打ちなのに、こんなお寺で理不尽な扱い受けてます。どうか皆さん助けて下さい。お願いします。と云いたいんだろうが」

「そんな事一言も云ってません」

「云ってなくても、お前の薄汚れたこころに書いてあるんだよ」

 堀川さんは、僕の頬をひっぱ叩いた。

「やめて暴力は駄目」

 輝美さんと利恵さんが僕と堀川さんの間に入った。

「俺は、お前の萎れた姿なんか見たくないんだよ」

 堀川さんも泣いていた。

 二人の男の涙に感染して輝美さんも利恵さんも泣き出していた。

 唯一感染していなかったのは、ジェフだった。

「何故皆さん泣いているんですか」

 キョトンとした顔で尋ねた。

「心配するな。近いうちにお前も涙族の仲間入りさせてやるから」

 堀川さんの言葉に、一同の顔に再び笑みが復活した。

 この一件の後、一か月に一度僕は外出を許可されるようになった。

 応接室でのバトルが、和尚の耳に入り、僕に対して寛大な施しがされた。

 あれから僕はこまめに「双龍寺日記」を更新するようになった。

 利恵さんはジェフの協力で、英語バージョンを作り出し、アクセス数は飛躍的に伸びた。五百万回のアクセスを軽く記録するようになった。

 今日は、その貴重な休みの日である。

「今日は彼女とデートですか」

 和尚は、執務長と二人で玄関口に来た。

「いえ、先輩のお見合いに同行します」

「お見合いの同行?」

 二人の怪訝そうな顔を背中に受けながら早足で歩いた。

 本当は他人のお見合いに同行するなんて、そんな趣味の悪い事なんか絶対にしたくない。

 しかし相手は堀川さん。しかもいきなり電話をかけて来て、

「もし断るような事あれば、お前のつけ打ち復帰を俺のくび賭けても阻止してやるから」

 半場強制的に云われたのである。行かざるをおえない。

 堀川さんは、バツイチで今は独身である。

 今回見合いを紹介したのは、祇園「御池」の女将の御池和美さんである。

 見合い場所は、都座から近い、八坂神社裏の円山公園の中にある「長楽館」である。

 明治の煙草王、村井吉兵衛が建てた洋館は、社交場としての役割をになっていた。

 その瀟洒な佇まいは、京の都にすっかり溶け込んでいる。

 一歩中に入る。高い天井、シャンデリア、窓のあちこちに作られたステンドグラス、ふかふかの絨毯、凝った作りのテーブルとイス。

 ここがフランスであると云われても決して違和感がない。

 赤、黄、緑、青、紫と色鮮やかな色彩のステンドグラスの窓から、初夏の日差しが降り注いでいた。

 僕が行くとすでに堀川さんも女将さんもそして見合い相手もいた。

 久し振りに堀川さんのスーツ姿を見た。

 何か似合わない。

 まるで高校を卒業したばかりの、大学一年生の入学式のスーツ姿のようだ。

 一方お見合いの女性は、淡い肌色を基調として嵐山の竹林を現代風にアレンジした絵柄の着物だった。

 かなり美しい。

 着こなしも様になっている大人の女性だ。

 堀川さんには、もったいない。

「東山さん、何がおかしいんですか」

 すました顔で堀川さんが聞いた。

「いえ、堀川さんのスーツ姿久し振りに見たから」

「私がスーツを着るといけないのでしょうか」

 と云うなりすっと立ち上がり近づき、またわき腹をつねろうとするので、いち早く身体をひねってかわした。

 堀川さんの指つねりは、本当に涙が出る程痛い。

 やられると、三日間くらい、赤いあざが消えない。

「てんごせんと、早よ座りなはれ」

 女将さんに云われて着席した。

「こちら俺の知り合いの双龍寺のお坊さんです」

 堀川さんは、いきなりジョークをかましてくれた。

 その瞬間僕は軽い目まいと何回目かの殺意を抱いた。

 女将さんは、顔を俯いて笑いを堪えていた。

「偉い人とお知り合いなんですねえ」

 真顔で、本日の堀川さんの見合い相手が云った。

「どうしてつけ打ちの仲間と云ってくれないんですか」

 僕は小声で抗議した。

「ああ、そうねえ。で、趣味でつけ打ちをやってまして、その関係で来ました」

 危うく、前のめりになった。

 ふと横を見ると肩を震わす女将さんは、さらに震えが倍増していた。

 笑いが収まると、女将さんは、

「こちら鳥羽佳子さんです」

 と紹介してくれた。

「堀川さんと同じくバツイチです」

「そうですか」

 と堀川さんは、大きく頷く。

「今日は、ええお天気で、一年で一番過ごしやすい季節ですねえ」

 まず佳子さんは、初対面で無難な天候の話から入った。

「そうですねえ」

「この長楽館、作りが何や西洋風の洒落た館ですねえ」

 佳子さんは辺りを眺めながら云った。

「そうですねえ」

 堀川さんは、頷いてばかりで、自ら話題を提供しようとしなかった。

 しばし両者に沈黙。

「おい何とかしろ」

 小声で堀川さんが云う。

「着物!着物!」

「えっ、俺今日は着物じゃなくて、スーツだけど」

 お見合いの席でボケる堀川さん。

「じゃなくて佳子さんの着物褒めて」

「ああ、そ、その着物素敵ですね」

「そうどすかおおきに。安もんどす」

「その絵柄は、嵐山の竹林ですか」

 今日の見合いの席で初めて質問した堀川さんだった。

「へえ、西陣に知り合いがおりまして現代風に仕立ててくれました」

 西陣は、京都の着物産業の集積地である。

 その語源は、応仁の乱の西の陣地から来ている。

「竹はすくすく伸びて縁起いいですねえ」

 堀川さんにしては珍しいナイスフォローだった。

「へえそうどす。それで着て来ました」

 ここでまた、変な間が生まれる。

「おいお前、この空気を何とかしろ」

 また堀川さんが、僕の肘を突いて催促した。

「鳥羽さんは、歌舞伎は御覧になった事あるんですか」

 僕は、せっつかれてべたな質問をしてしまった。

 でもこれが切っ掛けで、二人の会話が始まった。

「ええ、たまに。でもそんなに詳しくないです」

「じゃあつけ打ちの存在は」

「よくわかりません。あの座ってまな板でトントンやってはる人ですか」

「まな板じゃないです」

 思わず僕は、口走った。

「つけ板と云います」

 と僕は訂正した。

「まな板ですよ。昔は、関西の方のつけ板は、まな板と同じく足がついていたそうです」

 堀川さんが真面目な解説をし出すとおかしく笑ってしまった。

「何が可笑しいんですか、マルコメくそ坊主さん」

 と云いながら堀川さんは、強く僕のわき腹をつねった。

(ぎゃー)と叫ぶのを無理やり押さえて、

「失礼しました」

 と声を振り絞って云った。

「円山公園でも散策して来たらよろしい」

 頃合いを見て女将の御池さんが提案した。

 堀川さんは素直に頷くとすっと立ち上がった。

 僕と女将さんはそのまま座ったまま二人を見送るつもりだった。

「行ってらっしゃい」

 ぽんと軽く堀川さんは、僕の座っている椅子の足を蹴った。

「お前も来るんだよ」小声で囁く。

「二人の方がいいでしょう」

「いいから来いよ」

「お二人さんの熱々ぶりを見るなんて嫌ですよ」

 きっと堀川さんが僕を睨み付けた。

「堀川さんが云うなら、一緒に行きなはれ」

 女将さんにまで云われたので、僕は渋々席を立った。

 八坂神社に隣接する円山公園は、明治になって整備された。

 明治になるまで、日本人の頭の中に、(公園)の概念はなかった。

 街全体が、公園みたいなものだったからだ。

 作庭は、七代目小川治兵衛。平安神宮、無隣庵など、京都で数多く作庭した。

 僕は、二人の歩く二メートルぐらい後ろをゆっくりと歩を進める。

 時折、堀川さんが振り返り、僕が本当に来ているのか確認していた。

「全く、しょうがない奴ですみません」

「何がどすか」

 こっくりと佳子さんが、少し首を傾けた。可愛い仕草だと思った。

「後ろから来る覗き坊主ですよ。私達の見合い覗くのが趣味なんですよ」

「まあ、そんな趣味があるんどすか、あのお坊さん」

「きっと双龍寺で、他のお坊さんから苛められて性格が屈折したんです」

「まあ可哀想に」

 今度は佳子さんが振り返り、僕に憐みの眼差しを注いだ。

「そんな事ないですよぉ」

 二人の間に顔をぬっと突き出してやった。

「邪魔だから下がれ」

 堀川さんは、片手で僕の顔を押し戻した。

 日差しがきつくなって来た。

 佳子さんは、淵が白いレースで、淡い紫の模様の日傘を差し出した。

 それを堀川さんにも差し出した。

 日傘の相合傘を僕は初めて見た。

 日傘は、雨傘よりも一回り小さいので必然的に二人の身体はくっつくようになる。

「こっちも日傘の相合傘しまひょか」

 いつの間にか女将さんが、僕の所にやって来た。

 後ろから女将さんが日傘を差し出したので、僕が持った。

「やっぱり心配で来ました。お二人さんの邪魔したらあかんええ」

「もちろんわかってますよ」

「それやったら、気を利かしてもうちょっとゆっくりと歩きなはれ」

 確かに今は、ぴったりと二人の会話が聞こえるぐらいに密着していた。

 女将さんに云われて、歩く速度を落とした。

 堀川さんらとの距離は、次第に離れ二人の会話は聞こえなくなった。

「どないどすか」

「そうですねえ。まだ出会ったばかりだし」

「そうやおへん。あんさんの事どすがな」

「ええまあ、ぼちぼちやってます」

「腐ったらあきまへんで。ここが辛抱のしどころどすえ。

 双龍寺へやらしたんは、何ぞ白梅さんも考えがあっての事と思います」

「そうですかねえ。単なる行き当たりばったりかと思うんですけど」

 ふと前を見ると、二人は何か云って笑っていた。

 結局この日は、ぐるっと円山公園を周り終わった。

 双龍寺へ戻ると堀川さんからラインが来た。

「今日はご苦労!修行頑張ってね」

 一体どこで見つけて来たのか、坊主頭のパンダがつけを打つ漫画が張り付けてある。

 吹き出しマークには、「頑張れクソ坊主!」と書かれてあった。

 早朝。

 いつものように、座禅を組む修行僧に交じって、つけを打つ。

 双龍寺の座禅は、時間は決まっていない。各自にゆだねられている。

 大体一時間前後の人が多い。

 いつも最後まで座禅をしているのが、北野さんだった。

 つけ打ちの許可が出たが、あまり多い修行僧の中で、つけを打つのは気が引ける。

 最近はつけを打つのは殆どの修行僧がいなくなる一時間後である。

 でも毎日最後まで残る人がいる。北野さんだ。

 今朝も縁側は、北野さんだけになった。

「失礼します」

 一礼してつけを打ち始める。

 最初はただ何も考えずにつけを打つ。軽く流す。

 次に頭の中に見得を切るを描きながらつけを打つ。

 この時は、腕を振り下ろす力がみなぎる。

 次は擬音のつけ打ち。

 例えば財布を落とす。小走りの音。

 これは比較的小さい音で、小刻みに刻む。

 一番よいつけ打ちの稽古は、つけ打ちの対象となる役者がいる事だ。

 劇場でつけ打ちの稽古がよいのは、目の前に舞台、花道があるので、容易に感情移入出来る。花道の小走りでも目の前の花道を見ながら大体の寸法がわかる。

 音にしても、実際に打つ。自分の耳で聞く。

 毎日打っていれば、自分の力加減でどの程度の音が出るか、解ってくる。

 それが双龍寺では、全く出来ない。

 舞台も花道も役者も全て想像の世界だ。

 劇場でつけを打っている時、劇場があって当たり前だった。

 しかし、それは違っていた。

(あの時、見ていた全ての事象は当たり前でなかった)

 双龍寺に来て、分かった事の一つだった。

 あの劇場時代の当たり前が懐かしい。早く戻りたい。心底思った。

 深くため息をついて、再び流し打ちをする。

 つけの音が双龍寺と庭に響き渡る。

 しかし、当然ながら観客の熱い視線も拍手も役者の動作もそこにはない。

 息を整えると再びつけを打つ。手首から熱さが身体全体に染み込んで行く。

 でもそれに反比例するかの様に、僕のこころは、どんどん醒めて行った。

「迷われてますね」

 ゆっくりと目を開けて北野さんが前方に広がる庭を見ながら呟いた。

「わかりますか」

 僕はつけ析を置いた。

「ええ、毎日聞いていれば解りますよ」

「最初の頃は、歴史ある双龍寺でつけが打てると喜んでいました。でもこの頃は一体僕はここで何をしているんだろう。そんな気持ちが日増しに強くなりました」

「それは座禅と同じですね」

 にっこりと北野さんは、僕の方を見て笑った。

「座禅もですか」思わず僕は聞き返した。

「座禅修行も全て繰り返しです。普通の人間なら飽きて来ます」

「それを克服するには、どうしたらいいですか」

「それは私にも分かりません。その答えを見つけるために毎日ここで座禅してます」

 僕は再び視線をつけ板に移した。

「唯一つ云える事があります」

「何でしょうか」

「東山さんが毎朝ここでつけ打ちをやっている事は、決して無駄ではないです」

「そうでしょうか」

「その繰り返しが、いずれつけ打ちとしての血となり、肉となります」

「なるでしょうか」

「なります。きっとなります」

 北野さんは、かなり力強く云ってくれた。

 これは、僕にとって以後大きなこころの支えとなった。

 七月に入り、僕の生活パターンが激変した。

 朝の座禅とつけの稽古が終わると、国宝さんの家に通う事が許された。

「まあまあ、立派なお坊さんになられて」

 お手伝いの烏丸京子さんは、僕の前で手を合わせて拝んだ。

「冷やかすのはやめて下さい」

「随分髪の毛伸びたわねえ」

 輝美さんは僕の頭を手のひらで撫でた。

「頭の毛、伸びるの早いわねえ」

「お前さん、その頭の毛みたいに、つけ打ちの腕も伸びたんかいな」

 痛いところを突いて来る国宝さんだった。

「堀川さんは」

「今月は東京なのよ」

 大きな買い物袋を抱えて利恵さんが戻って来た。

「あらあ、来てたの」

「日中お世話になります」

「丁度良かったわ。これ見てくれるかな」

 利恵さんはスマホを起動させて、つけ打ちのホームページを見せた。

「今度都座でつけ打ちのワークショップやるの。それで東山さんには、つけ打ち講師として、参加者の前でつけ打ちをやって貰いたいのよ」

「それなら堀川さんに頼んだらどうでしょうか」

「堀川さんは東京。丸太さんは博多。東山さんしかいないのよ。

「僕の様な未熟者が皆さんの前でつけを打つなんて、大それた事を」

「何事も勉強や。やりなはれ」

 国宝さんの一言で、ワークショップデビューが決まった。

 最近は「演劇ワークショップ」ばやりである。

 ワークショップとは、一般市民を対象に照明、大道具、小道具等の裏方の仕事ぶりや内容を学ぶ講座である。

 東京ではすでに江戸歌舞伎座のつけ打ち集団がやっていた。

 関西では歌舞伎の上演回数が少ないせいもあってまだ誰もやっていない。

 歌舞伎人口は、東京と比べると格段にその数は少ない。

 しかし、歌舞伎に対する情熱は、ひけを取らない。

 その証拠に京都の今出川大学や、衣笠大学には歌舞伎研究サークルがあり、自主歌舞伎公演をやっていた。

 都座では、毎年七月八月「夏休み都座歌舞伎ミュージアム」と銘打ち、一人千円で実際に舞台、花道、回り舞台、セリの体験型の催しを開催していた。

 その一環として今年は、「つけ打ち」の講座を設ける事になった。抽選で一回三十人でやる事になった。

 衣装、床山、大道具、小道具に比べるとつけ打ちは、マイナーな部類に入ってしまう。

 そんなに応募があるかと関係者は心配したらしい。

 しかし、いざ蓋を開けてみると、ネットとハガキ合わせて一万通近くの応募があった。

 観客は舞台に上がり、真ん中のつけ打ちを半円形に取り囲む形に座った。

 僕がつけ打ちの講師を務めると云う噂を聞いた堀川さんがトンボ帰りで顔を覗かせた。

「双龍寺の和尚さん偉くなりましたねえ。今日はどんな法話が聞けるのですか」

 揉み手しながら堀川さんは僕に近づくと、パチンと僕の坊主頭をはたいて云った。

「堀川さん来てたんですか」

 叩かれた頭を撫でながら僕は答えた。

「来てたら悪いのかよ」

「いえ、こころ強いです」

 これは、おべんちゃら(お世辞)ではなくて本心だった。

「双龍寺行って世渡り上手になりましたね」

「とんでもない」

「さぞやつけ打ちもお上手になられたでしょうねえ」

「冷やかすのはやめて下さい」

「お坊さんに報告があって来ました」

「何ですか」

「またいつぞやの、盲導犬を連れたお客様が来てます」

 慌てて上手袖から覗いた。

「でかいなあ」

「大丈夫。盲導犬だから」

 いつのまにか案内の美香がいた。

「どうした、双龍寺での修行の成果を見せる時だろうが」

 手のひらから噴き出す汗。身体中の汗腺から汗が噴水の如く噴き出す。

「何だったら今日だけ代わってやろうか」

 堀川さんが僕の耳元で囁く。

 本来なら悪魔の囁きなのだろうけども、天使の囁きに聞こえた。

 それぐらい、僕の気持ちは揺れていた。

「いえ大丈夫です」

 司会役の利恵さんが出て来て、簡単に「歌舞伎とつけ」の歴史を話した。

「ではここで実際につけを打ってもらいましょう。つけ打ちの東山トビオさんです」

 と利恵の言葉で僕は舞台に出た。

 久し振りの観客の視線と拍手。センタースポットの光が僕を包み込む。

 双龍寺での闇夜のつけ打ちに慣らされたせいか、照明が眩しい。

 目の前に盲導犬がいた。

(見るな)

(見ても大丈夫。双龍寺で修行したんだから)

 心の葛藤が交差する。

「ではお願いします」

 一礼して座る。

 犬と視線を合わさないに俯くが、犬の足が見えた。

 慌ててさらに視線を落とす。

 犬の吐息が耳に入る。身体中に痙攣が走る。

 さらに追い打ちかけるように、両手の震えが止まらない。

 つけ析を持つ手が震えて止まらない。

「大丈夫ですか」

 震えが止まらない内につけを打ち出した。震えはさらに巨大化する。

 もはや自分で止める事が出来なくなり観客がざわめく。

 予定ではこの後、利恵が見得を切るのに合わせてつけを打つ。

 とてもそれは出来なかった。記憶が飛んでいた。

 気がつくと僕は、地下の楽屋に寝かされていた。

「お坊さん気が付きましたか」

「ここは」

「はい双龍寺です」

 その言葉に飛び起きた。

「んなわけないだろう」

 まず堀川さんが口火を切る。

「心配したよ」

 次に利恵さんが呟く。

「一時は救急車呼ぶつもりやったんよ」

 美香が云う。

「気を失ったんですか」

「そう云う事だ」

「じゃあワークショップは中止ですか」

「お前の心がワープショックしてたんだ」

 親父ギャグ炸裂の堀川さんだったが、それに反応する余裕は、今の僕には持ち合わせていなかった。

「僕が気絶してる間、どうなったんですか」

「馬鹿野郎俺が代役してやったよ。ギャラ寄こせよ」

 しれっと堀川さんが答えた。

「すみません」

「全くだらしないなあ。双龍寺で修行やり直し」

 ふらふらと立ち上がり部屋の出口に向かい、戸を開ける。

「ああ、ちょっとそこは・・・」

 利恵さんが口走るのと、盲導犬が顔を出すのが同時だった。

「うわああっ」

 のけ反って慌てて部屋に戻った。

 その時僕は、盲導犬のそばにいた少女が持つ白い杖を蹴った。

 床に倒れようとした杖を少女は、手を出して受け止めた。

「すみません」

「全くそそっかしい坊さんだ」

「大丈夫でしたか」

「こちらは、盲導犬の持ち主。お前の事心配してわざわざ来てくれたんだ」

「ご心配かけてすみません」

「うちのボス、あっ盲導犬の名前です。ボスは滅多に吠えませんし、人に突っかかったりしません。ちゃんと訓練されているんで。ボスを信用して下さいね」

「お嬢さん、こいつの犬嫌いは特別ですから。気にしなくてもいいから」

「どう特別なんですか」

 少女は正面を向いたまま聞いた。

「小さなマルチーズでも嫌いなんですから」

「お前さあ、吠えもしないし噛みもしない犬を、どうしてそんなに怖がるの」

「本能です。もし大蛇が近づいたら堀川さんも嫌でしょう」

「可愛い犬と蛇を一緒にしないでくれるかい」

「論理はそうです」

「お前さあ、犬が出る歌舞伎でつけを打つ羽目になったらどうするの」

「芝居は縫いぐるみだから平気です」

「本物の犬が舞台に出たらどうするんだよ」

「今の歌舞伎にそんな芝居は、存在しません」

「いや、新作歌舞伎でやる」

「誰がそんな歌舞伎書くんですか」

「俺が文芸部に書かす」

「それっていじめです」

「お前の性格を直すためだ」

「性格じゃなくて、単なる好き嫌いだけです」

「あのうちょっといいですか」

 遠慮がちに少女が、僕らの益々ヒートアップする会話を中断させた。

「何でしょうか」

「堀川さんのつけよかったです。心に響きました。私の母をよろしくお願いします」

「えっ、母」

 僕と堀川さんは同時に叫んでいた。

「鳥羽佳子の娘です。沙織です。よろしくお願いします」

 まず堀川さんが慌てて頭を下げた。それに釣られて僕も頭を下げた。


 双龍寺には犬はいない。

「もう一度修行やり直して来い」

 と云われてもどうやり直すのか手だてがない。

 強制的に動物病院か、ペットショップで働くのがベストな方策だ。

 しかしそんな事すれば、持ち場を逃げ出すのは目に見えていた。

 今回の顛末を僕は、北野さんに話した。

 北野さんは僕が話している間、何度も柔和な顔を作った。

 一通り、僕の話を聞き終えると、

「つまりあなたは、自分の想像の世界で負けてしまったって事ですね」

「云っている意味が分かりません。どう云う事ですか」

「現実の盲導犬は動いていない。けどあなたの想像の世界は、飛び掛かるのではと思い始めてついには、飛び掛かると確信した。

 一声たりとも、吠えもしない。でも吠えると勝手に想像した。

 だから、気が錯乱してついには気を失ってしまった」

 北野さんは、僕の顔を覗き込んで念押しした。

「たぶんそうでしょうねえ」

 理路整然とした北野さんの、僕のこころ模様を分析されて、何だか完敗した気分だった。

 そこまで一気に話すと北野さんは背を向けて歩き出した。

「克服する手立てはありませんか」

 僕はその背中に向かって声を掛けた。

「修行あるのみです。お互い頑張りましょう」

 北野さんも僕と同じく、双龍寺関係のお坊さんではない。

 何か分け合って、こちらで修行している。

 東京で生活していて、こちらに来たのは聞いている。それ以上詳しい事は、教えてくれないし、こちらからも聞かない。

 北野さんも僕の事について一度も質問しない。

 年は僕よりも二回り年上であるようだ。

 利恵さんからメールが届いた。

「お早うございます。先日はご苦労でした。

 人には、苦手なもの、嫌いなものがあります。

 とは云うものの、東山さんの犬嫌いは相当なものですね。

 先日東京へ行きました。

 この間のワークショップの一件は、江戸歌舞伎座、有楽町演舞場、竹松東京本社では、かなり脚色されて伝播されています。

(犬に吠えられて腰を抜かした東山は、つけ析で犬を殴ろうとしたが、逆襲されて馬乗りならぬ犬乗りされて気を失い、恐怖の余り、おしっこを漏らした)

 となっています。

 まあ、こんな脚色したのは、誰か想像がつくと思いますけど。

 修行頑張って下さい」

(脚色したのは、堀川さんだ)

 メール読みながら、咄嗟に堀川さんの顔が思い浮かんだ。

 双龍寺からの通いの生活で一番変化したのは、(すべての有難み)だった。

 コンビニで買い物をする。都座の前を通る。電車に乗る。喫茶店に入る。

 日頃の生活で当たり前だと思っていたものが、全て有難みとなり、こころに響いて来る。

 国宝さんは朝ご飯を食べると、体調の良い時は、散歩に出掛ける。

 足腰が弱いので邸宅からさらに上の清水寺には行かず、下がってねねの道、八坂神社を横切って、神宮道に入り、知恩院、青蓮院へ向かうコースが多かった。

 あのワークショップの一件は、当然耳に入っているはずだ。

 でも僕の前では一言も云わない。

 今日の散歩は、お手伝いの京子さんも参加していた。

 杖をついての歩きが主体だった。

 具合が悪くなれば、二人で両側から抱えるようにする。

 散歩の行きは、大概杖をついていた。

 知恩院を通り過ぎて、青蓮院の前まで来た。

 樹齢四百年とも云われるクスノキが、入り口にしっかりと根を下ろしている。

 クスノキの前で国宝さんは立ち止まり、根っこからじっくりと見上げた。

「大したもんやなあ」

「本当に。生命の根源、輝きを見ているようです」

「京子さん、たまには良い事云うねえ」

「たまにじゃなくて、いつもでしょう」

 そう云って京子さんは、大きく口を開けて笑った。

「こいつは、ここで江戸時代から人々の暮らし、営み、争い色々と見て来たんだろうなあ」

「クスノキに目があるんですか」

「まあ東山君、えらい現実的やねえ」

「樹木にめはあるでえ。春先には葉っぱが、めを出すと云うてな」

 にっこりと笑いながら国宝さんは呟いた。

「国宝さんに座布団一枚いや、三枚」

 暫く三人は、クスノキを見つめた。

「わしが死んでもクスノキは生き続ける」

「私が死んでもクスノキは生き続ける」

「僕が死んでもクスノキは生き続ける」

 三人芝居をやるように、同じフレーズを呟いた。

「人間の失敗なんて、米粒、いやそれより小さいもんや」

「はい」

「犬に吠えられる。それがどうした」

「ええ、まあ」

 僕はあやふやな返事をした。

「犬と思うから、こころが乱れる。猫と思えばいいのじゃ」

「それは無理でしょう」

 と京子さんは、けらけらと笑った。

 再び、今来た道を引き返した。

 向こうから柴犬を連れた人がやって来た。

 僕は立ち止まる。

「どうした。猫と思えばいいのじゃ」

 と云われても、僕の脳は瞬時に「犬」→「大嫌いな動物」→「苦手」→「怖い」→「逃げ出したい」の指令を出していた。

 柴犬は息を荒くしてじっと僕を見ている。

 飼い主は、僕らに会釈して通り過ぎようとした。

 何故か柴犬は、僕を気に入ったらしく足元にまとわりついた。

 ぞくっとした。さらに足から崩れそうになるのを、ぐっと堪えた。

「修行が足りないのう」

 二人は笑った。

 ジェフは、研修と称して、東西の劇場を見学していた。

 都座に来ると、ミュージアムに参加していた。

 僕のあの一件のあと、ジェフの発案で少しやり方を変えた。

 入場者は自由につけが打てた。

 ジェフは後ろで見守る感じで、時折手を貸すようにした。

 この模様は、利恵が早速ホームページにアップしていた。

 外国人のつけが珍しいのか、参加者がさらに自分のフェイスブックやツイッター等にアップしてさらに拡散した。

 僕が国宝さんの部屋で掃除をしていると、

「たまにはジェフの活躍を見て来たら」

 と輝美さんが声を掛けた。

「僕が行って大丈夫ですか」

「まさか、あれぐらいで出入り禁止にはならないでしょう」

 輝美さんに背中を押される感じで都座に向かった。

 僕は上手のロビーから舞台袖に入り、舞台に出た。

 丁度盆(回り舞台)、セリ体験が終わった後だった。

 案内係が、上手舞台前から下手に向かって、等間隔につけ板を十枚づつ並べてその後ろに座布団を置いた。

 めいめい、つけを打ち始める。

 ジェフは試験監督の様に、上手から下手にゆっくりと歩く。

 時折、立ち止まり助言した。

「つけは音も大事ですが、リズムも大切です」

 ジェフの後ろに僕はいた。

 お客さんは、嬉々としていた。

(皆、こんなにつけを打つのが楽しいんだ)

「視線は、つけ板ばかり見ていては駄目です。

 今は、舞台に役者がいると思ってそちらにも、視線を向けて下さい」

「ジェフ、君はどこでつけを勉強したの」

「ここに入る前は、ビデオやユーチューブ、来日した時は、一番前の客席で勉強しました」

「相当ですねえ。この上手下手にずらっとつけ板を並べるのは、ジェフのアイデアなの?」

「今出川支配人から、一度に多くの人がつけを打てる様にするには、どうしたらいいか相談を受けました。それでこの形を思い浮かべました」

 案内チーフの美香が舞台に出て来た。

「皆さん、つけの練習はいかがですか」

「何か始まるの」

「ええ。まあ見てて下さい」

「では、ここで花道から役者さんが出て来ます。その役者さんの歩調、足の歩みに合わせてつけを打って下さい」

「つけ板と役者さんの足、両方見て下さいよ」

 ジェフが説明した。

「では登場して戴きましょう。どうぞ」

 花道の鳥屋口の揚幕が左右に開く。

 チャリンと音が場内に響く。

 狐の縫いぐるみを被った人が小走りで、傘を持って走って来た。

 花道七・三で立ち止まる。

 ここで番傘を開き、見得を切る。

 これに合わせてつけを各自が打つが、素人集団なので、タイミングはバラバラである。

「はい、狐さんご苦労さまでした」

 狐は、舞台にいる客に盛んに手を振った。

 縫いぐるみの頭を取る。

「あっ利恵さん」

「東山君来てたんだ」

「利恵さん何やってるんですか」

「都座の舞台に立てるなんて夢みたい」

「狐役の常盤利恵さんでした。皆さん盛大な拍手をお願いします」

「では私、六方を踏んで帰ります。皆さんうまく六方(ろっぽう)に合わせてつけを打って下さい」

 六方とは、花道などで、片足ケンケンしながら、左右の足を片足でリズムよく踏みながら前へ進む事である。

 一番有名なのは、勧進帳の弁慶の引っ込みである。

 利恵さんは、今度は六方を踏みながら戻って行った。

 再び、つけ打ち参加者はそれを見ながら、思い思いにつけを打っていた。

 出の時よりも、若干うまくなっていた。

 都座の東隣に(満月庵)と云う和菓子屋さんがある。

 店舗の奥に、蔵を改造した茶室がある。

 昼休み、そこで僕らは昼食を取った。

「ジェフ君、どうして歌舞伎のつけに興味を持ったの」

「木と木を手の力で叩いて音を出すのが新鮮でした。叩くのは興味あったんです」

「歌舞伎の芝居には、興味なかったの」

「入り口、きっかけがつけです。それを極めるために日本に留学したんです」

「それにしても、日本語うまいですねえ。どこで勉強したんですか」

「アニメとネット。日常会話ならアニメが最適です。日常生活が舞台ですから」

「今度英語教えて下さい」

「いいですよ」

「ところで利恵さんは、何で狐の被り物やってたんですか」

「本来なら、案内さんがやるんだけど、病欠したんで代わりにやる事になったの」

 午後からは、僕とジェフは都座でつけを打つ客の相手を務める事になった。

 お客様は、つけ打ちの素人なので、素朴な疑問や質問が相次いだ。

「女性は駄目なんですか」

「はい駄目です」

「どうして駄目なんですか」

僕は、利恵さんがつけ打ちになりたいと都座の楽屋口に訪ねて来た事を思い出していた。あの時と全く同じ質問だったからだ。

「決まり事です。歌舞伎は男だけで演じるものです。ですからスッタッフも男だけです」

「眼鏡かけてつけを打ってもいいんですか」

「昔はいましたが、今はいません」

「つけはどうして上手袖で打つんですか。下手は駄目なんですか」

「江戸時代の昔から、上手になっています。下手には鳴り物音楽の方が御簾内の中にいます。それらの人は、つけ打ちのつけを見て音楽を奏でるんです」


 八月。堀川さんが京都に戻って来た。

 一か月休みが貰えたと云う。

「いよっ、戌年生まれの犬嫌いのお兄さん、元気だったか」

 堀川さんは、一か月の休みが貰えたとあって、意気揚々として、どこまでも明るい。まあこの人の暗いところは、余り見ませんですけど。

「東京で、僕と犬の一件を面白おかしく吹聴してたでしょう」

 ダメもとで一応抗議を試みる。

「人の失敗談は、多少脚色して膨らませた方が聞いている者も喜ぶでしょう」

「あなたは講釈師ですか」

「似たようなもんだ」

 一体つけ打ちと講釈師との共通項を見つけようと試みたが、途中でやめた。

「犬乗りもされてないし、おしっこもちびってません」

 まず事実確認を行った。

「まあまあ、そう怒りなさんな。でもお前さん東京では人気者になったよ」

「そんな人気者になりたくないです」

「この世界では名前を売るのはいい事ですよ」

「僕は芸人じゃないですから」

「舞台の裏方で、舞台に出るのは俺達つけ打ちだけだぞ。その意味では役者と同じだよ」

 パソコン、スマホで「つけ打ち」「犬」を打ち込むとあのワークショップでの僕の失敗出来事の検索記事、動画が百件は出て来る。

 ビデオに関しては、客席中央、舞台、舞台袖、二階客席からとあらゆる角度から撮られていた。

「まあ過去の出来事をいつまでもああだ、こうだと云っていたら人間成長しませんよ」

「それもそうですね」

 いつものように、丸く収められてしまった。

「双龍寺での修行の成果を見てやろうか」

「ぜひお願いします」

 いつもの裏庭の稽古場に行こうとした。

「今日はここでやらないよ」

「じゃあどこでやるんですか」

「いいからついて来いよ」

 京都の東山の頂上に将軍塚がある。

 ここは、平安京を開いた桓武天皇が、鎧、兜をこの地に埋めたと云う。

 京の都に一大事があれば、将軍塚が鳴動されると云う。

 双龍寺の飛び地境内(双龍殿)

 清水寺の舞台の広さの十倍はある檜舞台が今年の春にオープンした。

 ここからは、京都市街が一望出来た。

 夏の夕暮れ時、観光客、恋人同士もいた。夕闇迫る空と、市街地の家々の明り。この二つのコントラストは、人のこころの扉を開ける要素は多々ある。

 期間限定で、檜舞台中央に、ガラス透明の茶室が設営されていた。

 夏の暑さを避けて、夕方僕らは来た。

「いいね、いいね。夜風が涼しい」

 一番前まで行き堀川さんは大きく伸びをした。

「一つ、将軍塚が鳴動するようなつけをお願いします」

「はい」

「この舞台も総檜作りだ。観光客は土足で歩いているけど、俺なんか恐れ多くて出来ない」

 僕も堀川さんも上は、黒の着流し、下はたっつけ袴に着替えた。

 もちろん、堀川さんの言葉通り、靴を脱ぎ黒の足袋である。

 別に舞台稽古ではないから、ティーシャツに短パンでもよかった。

 しかしそれでは遊び半分のようで、気分が出ない。

「じゃあ手始めにあのカップルの女の動きを打ってみるか」

 僕らの前を下手から上手へゆっくりとカップルが談笑しながら歩いて行く。

 僕は慎重にゆっくりとつけを打つ。途中で女がハンカチを落とした。

 無論、仕込みでも何でもない。

 すかさず、即興で小さくぱらっとつけを打つ。

「腕上げたな」

 堀川さんが呟いた。

 僕は無言で頷き前を向いたままである。

「じゃあここで役者役に登場して貰おうか」

「堀川さんが、役者に早替わりですか」

「馬鹿云え。そんなに器用じゃねえよ」

 僕の背後から一人の僧侶が登場した。

「北野さん」

 思わず僕は声を上げた。

「本日の特別ゲストです」

「どうしたんですか」

「堀川さんからの要請で来ました」

「ではやって貰いましょう」

 堀川さんの声で始まる。

 まず北野さんは、上手から下手に向かってゆっくりと出て来た。

 中央で一礼して踊り始めた。

 禅の修行を思わす、ヨガの様な不思議な舞いだった。

 演者と何の打ち合わせもないままの、つけ打ち。

 即興のジャズ演奏に似ていて、こればかりは感性だけの勝負といえた。

「タン!」

 一つつけを打つ。

 欄干にもたれて京都市街の夜景をを見ていたカップルや観光客が一斉に振り向いた。

「何やっているんだ」

 おそらく各自の人生で一度も歌舞伎を見た事がない、つけも見た事ない。

 不思議な面持ちでゆっくりと恐る恐る僕と踊る北野さんに近づいて来た。

 何かに覚醒されたかのように、北野さんは突如立ち上がり、手を広げて大きく円を描く様にゆっくりと歩みを進めて踊り出した。

 軽快さを出すために、僕は出る音よりも、リズム感を優先した。

「パラッパラッ」

 久し振りのリズム感だった。

 打っていてこちらも楽しくなった。

 もう堀川さんの存在など飛んでいた。

 僕の視線は、北野さんだけだった。

 北野さんは、また動きを止めた。後ろを向く。

 大きく息を吸って次の動作に備えているようだった。

 今度は身体を左右に大きく振る。さらにのけ反る。

 全く今まで見た事ない動きだから予測がつかない。

 この目で動きを見て、つけを打つべきか瞬時に判断しないといけなかった。

 反射神経を試すテニスのラリーを続ける様なものである。

 もうこの頃になると誰も夜景を見ている人はいなかった。

 今、将軍塚劇場は、佳境を迎えていた。

 のけ反りから、一転して舞台全面を使っての疾走に移った。

 僕はつけ析を握り直した。

 乱れ打ち。夜空に僕のつけ音が響く。

「タンタンタンタン」

 つけの音は、左手で始まり、右手で終わると云う約束事がある。

 始まりは簡単だが、止めを右手で終えるのは慣れるまで結構難しい。

 自分ではこれで終わりだと止めの右手で打っても、役者のこころで残っていてさらに一歩踏み出せば終わりである。

 独楽の様に回り出す。

 最初はゆっくりと、段々回るスピードは速くなる。

 ここで居合わせた客、じゃなかった本来夜景を見に来た人達が一斉に拍手を始めた。

 今度は中央に戻り座った。

 一呼吸置いて、北野さんは一礼した。

 万雷の拍手が鳴り響き、ここにいた何人かがツイッター、フェイスブックに投稿した。

 外人も何人かいた。

「京都、将軍塚と云う異空間で、仏教徒のスピチュアルな踊りは見ている人達を一瞬にして宇宙の彼方へ、魂を飛びさせて肉体を解放させてくれた。

 見終わった後、感激のあまり泣いている人がいた。

 おそらく、その清々しさは同じに違いない。

 この瞬間つけ打ちの東山トビオとブッディストの北野は、全世界の人々の心の中に居座り征服した」

 この外人のフェイスブックの記事は、ニューヨークタイムスなど外国紙に転載された。

 また何人かの外人がビデオに収めていてユーチューブに動画をアップしていた。

 再生回数は、百万回を越えていた。

 その夜僕は、双龍寺の縁側で北野さんに単刀直入に聞いた。

「あなたは何者ですか」

「あなたと同じ修行の身です」

「役者さんですか」

「違います」

「では踊りの名手ですか」

「それも違います」

 スマホで検索しても、双龍寺の修行僧としか今のところ出ていなかった。

 北野さんはにっこりと微笑んだ。

 和尚さんにも執務長にも聞いてみた。

「それは個人情報のためお答え出来ません」

 翌日、国宝さんの邸宅で堀川さんに聞いた。

「お前、同じ双龍寺にいるんだから、直接聞けばいいじゃないか」

「それが答えてくれなかったから、堀川さんに聞いているんですよ」

「俺も知らないよ。それよりお前腕上げたな」

 見事にその話題から逃げられた。

 利恵さんは内緒で将軍塚へ行き、僕らの姿を写真に撮りホームページにアップした。

「名誉挽回って事ね」

 利恵さんは手放しで喜んでくれた。

「いやいや、あと二つ、三つホームラン打って貰わないと」

「そんなにワークショップの一件はダメージですか」

「負の遺産です」

「またまた大層な事を」

 この頃、利恵さんも堀川さんの性格が解って来たらしくまともに取り合わなくなっていた。

「京都には世界遺産が沢山あります。それは大きな大きなプラスの遺産。こいつの犬の失敗はそれを引っ張る負の遺産です」

 すました顔をして堀川さんは云った。

「そんな世界遺産と東山さん比較したら可哀想じゃないの」

「はい可哀想です。悲しいです、泣いてますよ世界遺産の社寺が」

「そこかよ」

 僕は叫びの合いの手を入れた。

 数分の内に、数百のコメントが寄せられた。

 その中に、鳥羽沙織さんのコメントを見つけた。

(一言。感動しました。あの将軍塚の舞台は、歌舞伎をやるのにピッタリですね。

 本当はもっと多くの人に見て欲しかったです。

 堀川さんと東山さんのつけが、東山山頂から、洛中に響き渡る。素敵でした)

「沙織さんもいてたのか」

 もう一つ欲を云えば(やはり、本来の劇場でつけを打ちたかった)

 これが僕の偽りのない本心だった。

(沙織さん・・・盲導犬?)

 一瞬びくっとした。

「堀川さん、昨夜沙織さんが将軍塚に来てたの知ってましたか」

 スマホから、堀川さんへ視線を移して聞いた。

「いやあ気づかなかったなあ」

「盲導犬見ましたか」

「いや、見てない」

「僕も見てません」

「盲導犬に気づかないほど、お前さんはつけ打ちに没頭していた。尚更いいじゃないか」

 そう云われたけど、何かもやもやしたものが、こころの中でじわじわと膨らみ始めた。













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