エピローグ

エピローグ


 七月一七日は祝日だった。ケイはその日、なにもせずに過ごした。ただ春埼に会ってセーブするよう言っただけだ。

 昼前から雨が降って、雷が鳴り、夕方ごろに降りやんだ。そして、梅雨が明けた。


 翌日――七月一八日。

 ケイはいつものように、屋上へと続く階段の踊り場を目指して歩いていた。

 津島に事情を説明するため、職員室に顔を出した帰りだ。そのせいで、少し遠回りしなければいつもの階段にたどりつけない。

 一定の歩調で歩きながら、ケイはマクガフィンについて考える。

 マクガフィンは今、ケイのポケットの中にあった。今朝村瀬が津島に返し、先ほど津島の手からケイに渡った。別に欲しいとは思わなかったが、拒否する理由も特にない。

 結局、これはなんだろう。本当にただの小石なのか。その可能性は高いけれど、それならどうしてあんな噂が流れたのだろう。

 考えてもわかることではなかった。あるいはこれは本当に、スコットランドのライオン捕獲器なのかもしれない。その可能性がないなんて、誰にも言いきれない。

 廊下を進む。津島が担任をしている教室の前を通るとき、窓越しに村瀬陽香の姿がみえた。彼女は頬杖をついてこちらをみていたけれど、目が合うとすぐに視線を逸らされてしまう。

 睨まれるのと、目を逸らされるのと。いったいどちらが大きな問題だろう、と考えながら、ケイは足を止める。


「どうです、久しぶりの学校は」


 彼女は長い時間をおいて、どこかまったく別の方に顔を向けたままで、ぽつりと答えた。


「別に。約束だから、来ただけよ」


 ケイはつい、笑いそうになるのをこらえる。


「昼食はもう済ませましたか? まだなら、一緒にどうです?」


「春埼は?」


「もちろん一緒ですよ」


「なら、やめとく」


「仲間なんだから、遠慮しなくてもいいのに」


 村瀬は、表情を歪める。あるいは彼女も、笑いそうになるのをこらえたのかもしれない。いつか村瀬の素直な笑顔をみることができるだろうか。


「やめておくわよ。きっと、あの子は嫌がるわ」


 それは否定できないけれど。


「もしよければ、春埼と仲良くしてやってください。彼女、友達少ないから」


 そう頼むと、村瀬は真剣な表情で頷いた。結局最後まで、目を逸らしたままだった。

 彼女とは手を振って別れ、さらに廊下を進む。階段を上って、教室から離れると喧噪も遠のいていく。野ノ尾の話を思い出した。ずっと遠くまで見渡せる、高い木の上に、野良猫みたいなあの子はいたのだろうか。

 一歩ずつ階段を上り、踊り場を回る。過去の楽園には届かない。屋上は冷たい扉と鍵で閉ざされている。少しだけルールを破れば、その先に進むこともできるだろう。だが今はまだ、その必要も感じない。扉の手前に春埼がいる。膝に二つの弁当箱を重ねて、隣に水筒をおいて。

 そっと目を閉じる。

 記憶の中で、女の子が笑っている。

 ケイは尋ねた。

 もし伝える言葉が、悲しいものなら?

 彼女は迷わない。


 ――伝え方を工夫するわよ。それが伝えるべきことなら、正しい方法で、正しい言葉を使って、正しく伝える。


 それでも伝わってしまったら、相手は悲しくなるよ。


 ――そうね。でも私は、伝わらないよりはずっといいと信じている。ただ悲しいだけなら、そんな言葉、伝えるべきものじゃない。


 正しい方法を、きちんとみつけられるかな。


 ――怯えなくても大丈夫よ。きっと、あなたなら上手くやれるわ。


 そうできればいいな、とケイは思う。心の底から。

 目を開けて、窓の外をみる。よく晴れていた。晴れの日は好きだ。

 これからは、正しいことをたくさんしよう。春埼と一緒に、村瀬も誘って、他のみんなとも協力して。

 悲しいことをひとつずつ消して、幸せなことをひとつずつ作っていこう。

 最後の踊り場を回ると、春埼の声が聞こえた。

 それはシンプルに、ケイの名前を呼ぶ声だった。


                        「猫と幽霊と日曜日の革命」了

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