ColorfulTime"Red"=(1,2,3)

 大雨が上がった後、空気が冷やされて、灼熱地獄の前のしばしの涼しい時間帯。

 ギラギラ怒ってたり、ザーザー泣いてたり。夏って何でこんなに気まぐれなんだろう。


 天然のマイナスイオンを感じつつ、大通りをてくてくと歩き抜ける、私の右足のスニーカー、左足のスニーカー。建物と建物の間に渡された大きな屋根を見上げたり、本屋でキラキラのファッション雑誌をちょっとだけ開いてみて、「へえー最近はこう言うの流行ってるんだ、みんな頑張ってね」とすぐ棚に戻してみたりとか、誰が買うんだろうって言う様な、古いおもちゃ屋さんのショーウィンドウを覗いてみたり、馴染みのたい焼き屋さんの匂いを嗅ぎに立ち寄ってみたり。

「アカミちゃん、今丁度焼きたてのがあるよ、買ってかないかい?」

 うーん今お腹空いてないからいいや、帰りに来るね、とたい焼き屋を後にする。ごめんねたい焼き屋のおばさん。私がこれから本当にしたい事は、どうやらそれじゃ無いみたいなんだ。


 学園祭の企画案に、大学の映画サークルの為の飲み会の場所の下見、何かまたバイトも始めなきゃだし、次の個展の構想を纏めたり、それに西洋美術史のレポート。

 夏って季節の間は、私も気まぐれになっちゃう。どの仕事もあとちょっと、ほんの少しだけ頑張れば片付く筈なんだけど、何て言うかな、何の前触れも無くエネルギーがダウンしちゃって、何にもやる気が起きなくなる時って、あるよね。

 私はそういう時は、近所をぶらぶら歩くことにしてるんだ。急いでアイデアを出さなきゃいけない時はジョギングする事もあるけど、まだそんなに急がなくても良い時は、そうやって日常の何処かに隠れてる、心にガソリンを入れられる場所を探すんだ。


 なーんて、ちょっと気取ってみたけれど、そうやってゆるゆる探検している内に、結局何時いつも最後には足は同じ所に辿り着いちゃうんだな。

 商店街のある大通りから少し離れた、大衆っぽい飲食店や小物屋なんかがひしめく様に建ち並ぶ小路。

 ラーメン屋と花屋の間、かばんくつを売ってるお店の二階にそこは建っている。

 狭い螺旋階段を登り、「喫茶店Dream OPEN」と表札のかかったドアを開けると流れて来る、名前も知らないピアノの曲。


「いらっしゃいませ…………おや、アカミちゃん」

 白髪に白ひげ、でも背筋はしゃんと伸びた、穏やかなにっこり笑顔のジェントルマンがこの店のマスターだ。

 多分この店は、彼一人の手によって回されている。バイトもたまーに見るけど、本当にたまーに。一人か二人位。私も時々、日雇いでバイトさせて貰ったりする。

「えへへ、今日も来ちゃった」

「いやいや、何時でもゆっくりして行って良いんですよ」

「コーヒー、マスターのお任せで一杯頂戴」

「かしこまりました。何時いつも通りだね」

 

 O・ヘンリやトルストイなんかが一杯に詰まった本棚の隣には、親分みたいなでっかいレコードプレーヤー。その隣には首にリボンを巻いたテディベア。去年はそこに、段ボールの恐竜の骨格の模型が置いてあった。

 マスターの家では、毎年結婚記念日に、奥さんとプレゼントを交換するんだって。その位置には、毎年奥さんからプレゼントに貰った物を飾っておくんだって。夫婦仲良いなあ。愛妻家って素敵っ!

 そして、素敵なプレゼントの隣には、何故かピンクの公衆電話。何で?と一度マスターに訊いてみたら、何と無く飾っているだけ、らしい。って言うか、こんな物何処から仕入れて来たんだろ。古い物である事は間違いない。だってダイヤル式だもん。知ってますか、皆さん。昔の黒電話にはボタンが無いんですよ。数字が書いてある所を指で押しても、何も起こらないんですよ。


 私の秘密の探検は、今日は色々家でやる事もあるし、もう少しだけ続ける予定。だけど街を歩き回ってちょっと疲れたから、取り敢えず一息つかなきゃね。私のお気に入り、何時ものショッピングモールが見える窓の丁度反対側の席は埋まってやしないかと、覗いて見たらば、


 平均と比べるとほんのちょっぴりじっとりした目をしたポニーテールの子が、こっちにひらひら手を振っていた。


 ええとすいません、どちら様でしたっけ?

 ………………あ。


「…………ウコンちゃん⁉久しぶり!」

「おいぃー、今一瞬忘れてたっしょ?」


 ちょっとはにかむ様なその笑い方、高校の時と全く変わっていなかった。


 ▲ ◥ ▶ ◢ ▼ ◣ ◀ ◤ ▲


「……それでさ、教授が私の作品見て『……良いなぁ』ってぽつっと一言だけ言ってさ」

「良かったじゃん」

「今ではたまに個展開いたりしてるんだよ」

「個展って、アカミの?マジか、すげー。え、今もやってる?」


 空気には温度があるんだ、と何かで読んだ。

 高校を卒業してから5年もの間会っていなかった親友の貴河右近ちゃんと、こうしてぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃと、若かりし日の様にお喋りしていると、花のJ女子K高生だった頃の私達の間に流れていた格別にほんわかとした特別の空気がよみがえって、心がぽかぽかして来るみたい。

 ぽかぽかなんて言うと、またあの夏の暑さを思い出しそうになるけれど。


 まあそれでも、高校時代とは違う事ももちろんある。

 昔、私は相手の発言を待たずに自分ばかり喋ってしまいがちで、私が5か6、喋る間にウコンちゃんが1つ喋る様な感じだったが、大学で私は他人ひとの話の聞き方を学んだ。

 今は良い感じに発言の比率が6:1から、3:1位にはなっていると思う。


「私の芸大の事は良いけどさ、ウコンちゃんはお仕事どんな感じなの?最近は何かおっきな事件とか解決した?」


 その時々に過ごした一瞬一瞬に感じた心の色の変化を、すぐに誰かに話したくなる私にとって一番大事な友達、ううん、友達はみんな同じ位大好きだけど、その中で、何でも話せるって意味ではナンバーワンのチャンピオン。

 そんなウコンちゃんが現在は婦警さんをやっていると聞いた時、私は思わず席を立って「きゃーっ」と叫んでしまった。「きゃーっ」と叫ぶ程嬉しくなる気持ちなんて、大学に入ってから本当に忘れかけてたかもしれない。店内にわずかに居る他のお客さんがこっちに冷ややかな目を向けて来たけど、そんなの気にしないもん。

 

 勿論、警察って言うのは収入が安定していて、かっこいいお仕事だから凄いね、良かったね、って言うのも、まああるけれど…だけどそれよりもやっぱり、昔からの夢が叶ったって聞いたら、抱き着いて大袈裟な位に喜んであげるのが、親友同士って物でしょ?違う?そうじゃない?

 高校最後の、あの文化祭の帰り道。

 私はアーティストに。

 ウコンちゃんは刑事さんになれたら良いねって。

 思い出の情景一つ一つが全部写真になっているなら、あの日からずっと心の真ん中に写真立てに入れて大切に飾ってある、まぎれも無い最高の一枚、ベストショットだ。


「夢って程のもんでも無いって。アカミのに比べたら」

「良いの良いの。そういう事にしとくの。で、どんな感じ?……何かあったの?」

 私がそう訊いたのは、ウコンちゃんがちょっと下を向いて、ほんの少しだけ、苦そうな顔をして笑ったからだった。

「いや、何かあったって程の事でも無いんだけどさぁ…自分で言うのもアレだと思うけど、あたしもこれでも最初は若手エリート、とか言われてた時期もあったんだけどね…」

「うん、そうだろうね。ウコンちゃんならそうなれると思うよ。ちょっと言葉遣いは悪いけどさ」

「あはは………ありがとう。やっぱアカミも変わってないね。照れる台詞をさらりと言うとことかさ」

 ん?と、フクロウの様に首がかしぐ。そうなのかな?友達の良い所が良く分かっているのは、当たり前の事じゃない?

「何かさ…………最初は仕事内容の一つ一つがいちいち新鮮で、世の中の役に立ってる実感も凄くあったから、張り切る事が出来たんだけどさ」

「うんうん」

「何て言うかな、疲れちゃったのかな?色んな出来事をうちに。

 兎に角最近はちょっと心にエナジー補給したい気分なんだよねー」

 おっ、と思った。やっぱり、夏に力を奪われてしまうのは私だけでは無い様だ。

 親友と心の状態が同じ。些細な事だけど、ちょっとだけ嬉しくなった。

「分かるよ~、夏は急にサガっちゃうよね」

「いや、夏って言うか、あたしのはもっと慢性的な奴なんだけどさ………」

 くきくきと椅子の上で体を捻るウコンちゃん。

「ウコンちゃん、大丈夫…………?」

 心配になって声を掛けてしまった。

「結構大丈夫じゃないんだよね~、ダラダラしてる内に知らない間に捜査第十課そうさだいじゅっかってとこに飛ばされちゃうしさ」

「捜査第十課。何それ初めて聞いた。どんな事するの?」

「他の課が放棄した面倒臭そうな事件ヤマが回って来たりとか、足りないとこへの人員派遣とか……広報活動とかクレーム処理とかたまに大掃除とか、要するに雑用………?」

 そう言って自分自身の肩を叩くウコンちゃんの姿は、本当に疲れたお年寄りみたいだった。思わず敬礼。

「おつとめご苦労様です」

「ありがとう。アカミも良い加減無理してでもやる気出さないとやばい事になっちゃうかもよ」

「いや~~~~~、単位落としたくない~」

 最後はお互いに馬鹿みたいに笑い合える。ああ、やっぱり私達は、本当の親友同士なんだなぁ。スッキリした。


 ふと、ウコンちゃんが窓の外、何処か遠くを見る。


「どうしたの、ウコンちゃん?」

「いや、ちょっと……………!」


 彼女はそう言うと、不意に席を立って外へ駆け出そうとする。

「あっ、ねえ!」

 急いで私も席を立つと、ウコンちゃんの後を追いかけて走る。去り際にカウンターに少し多めにお金を置いて、「ありがとうございました」を後ろに聞きながら店を出る。


 良く分からないけど、私の大切な友達は、自分が生き生きと輝ける場所を探して、こうして駆けているのかな。私と同じ様に。

 ここは付き合ってあげる事にしましょう。ひょっとしたら、それが私の探している物でもあるかも知れないし。

 予感に胸を高鳴らせながら、店の傍の路地裏に駆け込んだ。

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