第二幕 ―― 一本の長い道

 お揃いの大きなつば付き帽子をかぶり、アイリスを連れて中庭へ出る。 昼食が入ったバスケット、おすそ分けのクロワッサンを詰めた袋を手にしてカシアを待っていると、ガレージのシャッターがモーター音とともに開かれていく。

 昇降台で地上に上がってきたエスペランサーが、薄暗闇の中からライトを一回点灯する。新品と見違えるほど綺麗になった機体が太陽の下に姿を晒し、漆黒の装甲が鋭く光を反射させた。ゆっくりとした歩みでヒマワリとアイリスの前に停車すると、ホバーが吐き出す空気でワンピースの裾がふわりとはためく。


「おめかし頑張ったようだね、お二人さん」

「うん! ヒマワリおねーさんがね、アイリスの胸が大っきくてね、カシアにげんこつするんだって!」

「げ、げんこつ……?」


 久々のお出かけに興奮気味のアイリスが、考えてることをごちゃ混ぜにして話すので、カシアは困惑しながらこちらを一瞥する。ヒマワリはギクリとした顔で目を逸らした。


「な、何でもないの……ほら、今日のアイリスはとっても可愛いわよ~?」

「そうだね、今日のアイリスはとってもお姉さんぽくてよく似合ってるよ」

「やったー! カシア大好き~!」


 すっかり気を良くしたアイリスはその場で飛び跳ねると、はち切れんばかりの胸が大きく上下する。二人が満足してくれてコーディネートしてあげたヒマワリも嬉しくなった。カシアもニコニコと笑いハンドルを握っていた手を差し出すと、礼儀正しくエスコートしてくれた。


「さぁお姫様方、文化の都アキヴァルハラまでのご案内致します」




 春の陽光を浴びながら、3人を乗せたエスペランサーが時速20キロほどの速度で郊外へ続くレンガ造りの道をひた走ると、右には森、左には田園、それに建築途中の民家が見えてきた。

 以前、この辺り一帯には人は入ることができず、自動化されたマーキナーが機械的に農地を管理していたが、ジューク崩壊後は都市から静かな郊外へ移り住む人も増えた。だが、そのことにより鋼材などの資材が不足したため、シーヴァの外壁やドームが解体されて、様々なモノへと姿を変えていった。

 空を仰ぐと天幕のように覆っていたパネルが全て取り外されて、今はむき出しになった鋼鉄の骨組みだけが虚しく残るだけ。それでも外の空気や陽の光を直接肌に感じる方が幾万倍も気持ちがいい。

 ヒマワリは清潔さよりも、自然のままを感じられる今のシーヴァが大好きだった。


 そして、巨大な外壁に差し掛かると壁の一部が崩されてできた南口ゲートが目に飛び込んでくる。この辺りまで来ると人の数が一気に増え、よその箱庭から行商に来た人やこれから旅に出る客を目当てに市場が形成されていた。

 普段あまり目にしない人集りにアイリスが怖がって左手に腕を絡めてくる。


「知らない人がいっぱい……」

「そうね、ここは交易の中心地になってるからいつもこんな感じだけど、今から向かうアキヴァルハラはもっと沢山の人が集まるのよ」

「え……いっぱいってどのくらい?」

「ん~、箱詰めされたうちのお野菜くらいかな?」

「ギュウギュウだよ……」


 青ざめたアイリスが今にも泣きそうになる。

 ヒマワリは苦笑いして頬に手を当ててやった。


「怖がらせちゃってごめんなさい。でも大丈夫よ、お祭りの間はわたしがずっと手を握ってあげるから迷子にならないよ」

「本当に?」

「うんうん」

「本当に本当の本当?」

「あら、私が嘘を言ったことがあったかな?」


 ヒマワリが彼女を安心させようとして笑顔で尋ねると、


「うん、ヒマワリおねーさんがこっそりわたしのアイス食べたの知ってるよ。妖精さんの仕業だって言ってたけど、妖精さんなんていないんだよ」

「………………」


 無邪気な子供の言葉は時に心を抉るものだ。予想外の反撃にあってヒマワリは落ち込み、逆にこっちが泣きそうになってきた。すると、その会話を聞いていたカシアが思わず噴き出す。


「こりゃ、アイリスの方が一枚上手だったね」

「うん、アイリスはものしりなんだよ~!」

「あははは……」


 何も言い返せないヒマワリは苦笑して帽子のつばを摘んで顔を隠す。すっかり気を良くしたアイリスが肩に寄りかかってきたので、降参したヒマワリは帽子の上から優しく頭を撫でてやった。




 人混みでノロノロ運転だったエスペランサーがようやくゲートをくぐる。

 眼前には見渡す限りの森が広がり、その中を1本、真っ直ぐに伸びるアスファルトで舗装された道路がある。これは議会で可決された案件の一つで各箱庭を幹線道路で繋ぐ計画で整備された一本だ。

 人とモノが往来するために不可欠なものであり、荒廃した外界で迷わず行き着くための道しるべでもある。出来上がって間のない道路の脇には等間隔で外灯が設置されていて、夜間に移動する旅人の心と足元を明るく照らしてくれる。

 森の中に入ると木々の枝が道の上へせり出し、広葉樹の葉から漏れる日光が無数の光芒を引いていた。それはカシアやアイリスの顔に斑を作って次々と後ろへ流れていく。ヒマワリはまぶたを伏せ、この森にまつわる思い出を想い起こした。


「ねぇカシア」

「ん、なんだい?」

「昔、アナタが箱庭を飛び出した時にこの森で一緒に野宿したことがあったわよね」

「あ~、あの時は僕が暴走してみんなに迷惑かけちゃったからなぁ……」


 バツが悪そうにカシアが鼻を掻く。


「でもアナタがその一歩を踏み出したおかげで今があるし、私が森をさまよってた時も助けてくれたもんね」

「あはは……あの時は本当生きた心地がしなかったよ。キミは熱を出して倒れるし、キスをせがむし――」


 二人は同時に「あっ」と言葉を漏らす。

 すると、アイリスが指を咥えて不思議そうにこちらを見た。


「キスってなぁに?」

「え? え? キスっていうのは、ほらねぇ、カシア?」

「ぼ、僕に振るのかい……?」

「ねぇ~、教えて教えてよ~!」

「ちょ、ま……!」


 とぼける二人に機嫌が悪くなったアイリスは操縦するカシアの背中に乗っかかり、腕を首に回して締め上げた。右へ左へと機体が揺れて危うく路肩へ飛び出しそうになると、慌ててヒマワリがアイリスを引き離す。ムスっとしたアイリスが悲しげにこちらを見るので、ヒマワリは仕方なくキスの何たるかを答えることにした。


「キ、キスねぇ、キス。それは……仲直りの証しなの! 喧嘩した後に口と口を合わせたて仲直りするものよ……?」


 上手い言葉が思いつかず、その昔馬鹿で愚かで残念な男に教えられた内容を時と場所を変え、そのまま伝えてしまった。自分も通った道ではあるけれど罪悪感がトゲとなって胸の奥に刺さる。


「ふーん、だったらヒマワリおねーさんはよく怒るからいつもカシアとしてるんだね、キスを」

「えっ?」


 再び、カシアがハンドルを切り損ねて機体が揺れる。

 ヒマワリは顔だけでなく耳まで真っ赤にして首を振った。

 

「わ、私たちは喧嘩なんてしないわよ?」

「ふーん、本当かなぁ? じゃあアイリスとしようよ。したい、したい、した~い!」


 やる気満々のアイリスがヒマワリの肩を掴んで後部シートに押し付ける。中身は子供でも外見はシキミ。力で敵うはずもなく、身動きできないヒマワリの顔に彼女の艶やかな唇が次第に近づく。

 一方、カシアはと言うと興味津々にこちらをチラ見している。本当なら後頭部に蹴りでも入れてやりたかったが、アイリスに勘違いされると更に厄介なことになるので諦めた。彼女の甘い吐息が首筋にかかると、ヒマワリの背筋にゾクゾクした快感が走った。


「あふん、ダメよ……ダメダメ、ちょっと待って……!」

「うう、アイリスのこと嫌いになったの?」


 彼女が鼻水を垂らし目許に大粒の雫を弛めると、ヒマワリはそっと指で拭いてやり頭を胸元に抱き寄せる。ズズズっと鼻水をすすったアイリスが上目遣いでこちらを見上げた。


「そうじゃないのよ、キスは女の子同士でするものじゃないの」

「じゃあ、男同士ならいいの……?」

「それはもっとダメです!」


 この子の将来が少し心配になってきたヒマワリは身を起こし、捲れたワンピースの裾を直して顕わになった太ももを隠すと、もう一言付け足した。


「キスはね、好きな大人の男女がするもの。だからアイリスにはちょっと早いかな~」

「むう……じゃあ、大人になったらカシアとするもん!」

「――そうね」

 

 少し胸がチクリとしたが、元々二人は相思相愛の仲で自分はそのおまけで側にいるようなものだ。そのことを改めて再認識したけれど、昔のように取り乱しはしない。

 ヒマワリはただまつ毛を伏せて頬を流れる風を感じた。





 しばらくすると森を抜けて荒野に出る。視野が広がり雲一つない深い藍色の空が天上の全てを覆うと、西に太陽、東に薄らと月が浮かんでいるのが見える。ヒマワリたちはエスペランサーを停車させ、朝の残りで作ったサンドイッチを頬張った。

 陽の下でとる食事は清々しくアイリスは大いにはしゃいでいたけれど、疲れが出たのか、今はヒマワリの膝に頭を乗せて小さな寝息を立てている。

 そんな中、ヒマワリとカシアは久々にお互いのことを話し合った。


「カシアが議会のまとめ役してるのは知ってるんだけど、普段は何してるの? いつも夜遅くまで部屋に篭もってるから気にはしてたのよね」

「うーん、やることが多すぎてコレと言いづらいんだけど……」


 カシアはフサフサした白髪を掻いて少し言葉に詰まったが、ふと何か思い出したように語り出した。


「そうだな。今、一番力を入れてるのはお金かな」

「お金……? たくさん必要なの?」

「いや、お金がほしいのではなくて方だよ」

「へ~?」


 突拍子もない話にヒマワリが首を傾げる。

 すると、カシアは口元を緩めた。


「ほら、今ってそれぞれの箱庭が独自の通貨を発行してやり取りしてるでしょ?」

「うん、そうね。種類が多すぎだし、価値が変動したりで野菜を届けてもちゃんと支払ってもらえないことがあるって、配達のおじさんも嘆いていたわ」

「そうそう。これまで場当たり的にやってきたせいで、モノの価値が定まらなくなってるのさ。その問題を解消するため、僕はかつて箱庭で使っていたCP(シェルポイント)を復活させようと思ってる」


 CP――それは昔、箱庭で住人たちが使っていた黒い腕輪に蓄積されていた電子通貨のことだ。しかし、あの腕輪の正体は機械が人を支配するために造られた代物だったことが分かり、忌み嫌われ今では誰も使ってはいない。


「でもあれでしょ。あんな腕輪をまた付けさせるなんて誰も賛成しないし、下手したら暴動が起きちゃうわよ……?」


 そう、ヒマワリでも思い付くことを彼が考えていないはずもない。

 カシアはそれも折り込み済みのようで、ヒマワリの言葉にコクコクと頷いた。


「そうだね、腕輪は使わない。替わりにを使おうと考えてるんだ」


 そう言って彼は掌を太陽にかざす。

 二人でその手を覗き込むと、赤く透き通った皮膚の下にいくつもの血管が見えた。

 だが、ヒマワリにはまだピンと来ない……。

 眉間にシワを寄せてカシアの顔を覗くと、彼はその答えを丁寧に教えてくれた。


「僕ら新人類やバイオノイドには、環境に適応するため無数のナノマシンが血液と一緒に体を巡ってるのは知ってるよね」

「うん、聞いたことあるよ」

「このナノマシンに個人情報や獲得したCPを記録させることによって、端末に手をかざしたり、握手するだけで取り引きができる仕組みを作るつもりなのさ」

「ふぇ~、スゴイこと考えつくものね……」

「それにナノマシンにお金を蓄えるだけじゃなく、体内代謝によってCPを消費させてインフレーションが起きないよう相場をコントロールすることも考えてるんだけれど――この先の話は難しいよね?」

「うん……何を言ってるのかさっぱり分かんない」

「ん~まぁ、他にもこんなややこしいことを発案ってことさ」

「へ~。マツリカの言い草ではないけれど、をやるのも大変ね」

「ははは……まったくだよ」


 頭のいい人が考えることは理解できない。ただ、沢山のお金を持ち歩いたり数えたりする必要がなくなるのは、とても素敵なことだとヒマワリは思った。カシアはニッコリと笑いこの話題はここで切ると、今度は彼にヒマワリのことを尋ねられる。


「今朝も何か言いかけてたてたけど、何か困ってることでもあるのかい? 僕でできることなら何でも手助けするけど」

「え? ああ……あれね、本当に大したことじゃないの。女の子同士の方が話しやすいっていうか……そんな感じ」

「そっか、なら僕の出番はなさそうだ」


 心臓がバクバクして今にも口から飛び出しそうになり、膝をギュッと握りしめる。

 こんな場所、こんなタイミングで切り出せる話題ではなく、お祭りの前にカシアやアイリスを悲しませたくはない。何よりヒマワリ自身も明確な目的や目標が決めているわけではなく、口にすには時期早々な事案だった。


 俯いた顔を上げてカシアを一瞥する。

 彼はヒマワリの悩みに気付いた様子は無かった。


 けれど……どういうわけか急に険しい表情で東の空に浮かぶ月をじっと睨んでいた。

 ヒマワリも釣られて同じように月を見澄ましたが、瞳には何も映らない。


「どうかしたの? 急に怖い顔しちゃって」

「いや、最近気になるがあってね」

「まぁ、お月様は満ちたり欠けたり常に動いてるわよね?」

「うーん、そういうのとはちょっと違うんだけど……」


 カシアは言葉を濁してそのまま黙り込んだ。普段は忘れているが、彼の体にもバイオノイドたちと同じヒマティオンが埋め込まれていて、人と違う世界が見えている。

 ヒマワリには捉えられない何かが見えているのかもしれないが、それを知る術はない。こんな時はついカシアが遠い存在に感じてしまうのだった。


 そして、膝の上で寝息を立てていたアイリスが目を覚ます。


「う~ん……首がいたい」

「あら、おはよう」


 太ももにはベッタリとヨダレが垂れていて、起き上がった彼女の口元から糸を引く。ヒマワリはハンカチを出して綺麗に拭き取ってやると、不安そうだったカシアも笑顔に戻り、再びアキヴァルハラへと歩み出した。


 


 太陽が更に西へ傾くと3人はようやくアキヴァルハラの郊外まで辿り着く。

 砂利道が舗装された道路へと戻り、周囲には旧世界の遺物である廃ビル群が目に飛び込む。その半分がシダ系の植物に飲まれていて、これから何世紀もかけて朽ちていくのだろう。

 さらに反対側にはスミダス川という大きな河川があり、子供たちが水遊びをする長閑な一幕が目に飛び込んできて、アイリスも仲間に入りたそうに様子を窺っていた。


 そして今夜は、セージとヨモギが経営するキョニューパフパフという破廉恥極まりない居酒屋に泊まる予定になっている。ヨモギの話では二階を増築して宿屋も始めたらしく祭りで賑わう中、わざわざヒマワリたちのために空けてくれたらしい。こんな時こそ、持つべきものは友である。


 のんびりとした短い旅もそろそろ終わりを迎え、懐かしい南の田園風景を視野に捉えると急にアイリスが手の甲をタンタンと叩いてきた。


「どうしたの、そんなに興奮して」

「あれみて、あれ~!」


 ヒマワリは彼女が指差す方角に目を細めて観察する。スミダス川の河川敷に見慣れた背格好の人影が2つ。一人は釣り竿を持って川に糸を垂らし、もう一人は背を丸めしきりに周囲を警戒しているようだった。

 胸元に引っ掛けていた赤縁メガネを鼻に乗せて見直すと、それは祭りの仕切りをカシアに押し付けて逃げたニゲラ。あと、店が忙しくなる時間なのにヨモギに丸投げしてサボるセージの姿が左右のレンズに映り込んだ。


「あんの、大馬鹿どもめぇえええ…………」


 歯軋りをしてエスペランサーの装甲を叩くと、怯えたアイリスが後部席の隅で頭を抱える。ヒマワリは頭に被ったつば付き帽子を投げ捨て、走行中のエスペランサーからスカートを押さえて飛び降りた。


「ヒ、ヒマワリ?」

「カシアとアイリスは先に行ってて頂戴。ちょっとをして川がキレイになったら合流するわ」


 カシアが慌ててエスペランサーを停車させると、彼も河原にいるあの二人を見つけて顔を手で覆う。そして、カラ笑いしながらヒマワリに告げた。


「日が暮れるまでには戻っておいでよ。できれば穏便にね……」

「まかせときなさい、顔の形が少し変わる程度にしておくわ」

「あ、うん……」


 腕をまくるとヒマワリは鼻唄を歌いながらズンズンと河原へ降りていく。カシアは心配そうにその後ろ姿を見送ると、何度か振り返りつつ一足先にアキヴァルハラへと向かった。

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エデンの箱庭でⅡ 誠澄セイル @minus_ion

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