鳴瀬川成志の憂鬱レシピ

おおさわ

鳴瀬川成志の憂鬱レシピ

「美味いか?」

「にがいぃ……」


 俺様の作った肉野菜炒めを苦い、だと?


「ピーマンいやっ」


 俺は天国の姉貴を恨む。


 世は音楽不況真っ直中だが、既に終わったと評されていたヴィジュアル系バンド空前のリバイバルブームが到来。

 それを象徴する人気絶頂バンド『ナルコプレシー』のボーカル『ナルシ』、抱いた女は数知れずの俺が、幼女の好き嫌いに四苦八苦しているときた。


 あれから10年――

 清々しいほどの一発屋『ナルコプレシー』も活動休止という事実上の解散状態。

 芸名を『ナルシ』から本名の鳴瀬川成志なるせがわ なるしに変え、タレント業に手を出した後はあまりにも順調で。

 ヴィジュアル系メイクを落とした素顔は世のオバサマ方にウケ、勝手の分からないバラエティの受け答えのちぐはぐさが天然とウケ、売れない時代に今も連絡を取り合うバンドメンバーと共同生活していたときの貧乏飯のネタがウケ、そのまま料理番組にゲスト出演した回がウケ、料理を中心とした芸能人ブログもウケ、レシピをまとめた料理本もウケ、トドメに亡き姉の一人娘を引き取った話が美談としてこれ以上ないくらいに、ウケた。


「おはよう、成志」


 真新しい高校の制服に身を包むかなでの挨拶だが、さんを付けろ。さんを。オジサンはノーサンキュー。


 美女の黒髪の如く艶やかな鉄フライパン。情熱の炎に身を焦がすサラダオイル。

 己の殻を破り色づく玉子のビートに菜箸をドラムスティックさながらフライパンの縁を叩くと……


「食べ物で遊ばないで。いってきます」


 見慣れた背中だ。

 彼女は朝食を食べる習慣を失って久しく、俺は酒とツマミが夕食代わり。食卓を並べた記憶も数少ない。

 立ち入らず踏み込ませず。学校の行事に参加したこともないし、金だけ渡してお弁当を持たせてやったこともない。

 悩みらしい悩みもこちらに気取られることもなく、進路だろうが生理だろうが、全て1人で片付けちまった。

 報告だけで相談らしい相談も喧嘩らしい喧嘩もなく、すれ違うだけの共同生活は、まるで中身のないピーマンのようだ。


 いや、1度だけ大喧嘩をしたか。


『お母さんのレシピで金儲けしないでッ!』


 姉が残した手書きのレシピノートを参考に、料理番組に出たときのことだ。

 蓄えはあったが、先の生活を考えないわけにはいかない。タレント業の方向性も決まった折、あの台詞はキツかった。

 トースト、目玉焼きに添えてハムとレタス、濃いめのブラックコーヒー。今日はやけに苦みを感じる朝食だ。

 コーヒーの湯気を溜息で吹き飛ばし、立ち上がると食器棚の隅から小さめのノートを取り出す。

 端は傷んで丸みを帯び、色は黄ばんでいるそれは俺にとって憂鬱なレシピ。

 紙一面びっしりと書かれた文字と簡単なイラスト。料理名の横にある、×や○、或いは花丸は、恐らく娘の反応だろう。


「意味ねえだろ、食わねえんだからよ……」


 午前中に自分の物は自分でやる不文律の掃除や洗濯を済ませ、お昼の短時間料理番組をぼんやりと眺めていると、玄関先に置いてある固定電話のコール音が鳴った。


「はい、鳴瀬が……」

『成志』


 聞き間違いようがなく、父、志郎の声。


「あぁ、親父」

『荷物送ったから』

「は?」


 インターフォンが鳴る。


「え?」

「お届け物でーす」


 ドアの外から配達員の声。

 顔を上げた拍子に耳から離れた受話器から、いつも言葉が足りない父の声が遠退く。


「あ、親父! 農場の宣伝に俺の顔写真を勝手に使うんじゃ、切れてる、くそうっ!」


 配達員から受け取った段ボールは重く、側面には、鳴瀬川農場――narusegawa farm――のロゴがプリントされている。

 床に置き、ガムテープを剥がしてみれば、中に野菜がたくさん詰め込まれている。

 大量のピーマンを片手に、段ボールの底に敷かれたチラシ紙を見る。無断掲載された成志の営業スマイル写真。事務所に怒られる。


 昼は外食で済ませた。

 料理研究家などと胡散臭い紹介をされる手前、人気店には足を運んで勉強。食材の目利きも、早朝の市場や人気のデパート、商店街の肉屋・魚屋・八百屋に至るまで足を運んで勉強。これでも努力しているのだ。


「ナルシさんッ!」


 とあるスーパーで生鮮品を物色していたとき、背後から声をかけられた。

 バンド時代のイントネーション。

 たまに行く24時間カラオケ店のスタッフだ。当時『ナルコプレシー』の大ファンで、会計をしたとき一目で分かったのだそうだ。以降、馴れ馴れしい態度で接してくる。

 多少鬱陶しくもあるが、中学卒業して板前の住み込み修業を逃げ出してきたわりに料理の知識もあり、たまに話をする仲だ。


「食材探しッスかッ?」

「まぁな」

「さすが、一流は目利きもちげえッ! このスーパー、元は肉屋なんで、国産肉に関しちゃ独自ルート持ってて穴場なんスよお!」

(あ……そうなんだ、初耳)

「修業時代の受け売りなんですケド!」


 食肉売り場の前に立つと、確かにしっとりと潤いを湛えみっちりと密度の詰まった良いお肉に見えてきた。

 思わず手にしたい衝動に駆られるも、親父が送り付けてきた野菜が頭を過ぎる。あれを消費することから逆算して献立を考えなければならない。

 特に、ピーマンだ。

 俺が食べるペースでは腐らせる。何とか奏にも食べてもらわなければ勿体ない。


(ピーマン、何がある? 青椒肉絲、ラタトゥイユ、シンプルに野菜炒め……)


 花丸。


「……肉詰め、ハンバーグの……」


 姉のレシピノートの最初の花丸は、ピーマンの肉詰めじゃあなかったか。


(……)


 合い挽き肉300グラムを手に取る。


 夕暮れ時。キッチンでまずハンバーグのタネを作り始めていた。


「ふふっ、俺の可愛いお肉ちゃんたち」


 誤解しないで欲しい。

 これはバラエティ用のキャラで料理をするとヴィジュアル系時代に戻るというお約束なのだ。実際、今の仕事の3割はコレだ。


「さあ、俺の指で気持ちよくおなり?」


 玉葱の微塵切りと合い挽き肉を塩と共に捏ねる。パン粉の後に、臭み消しのナツメグと胡椒を入れて良く混ぜる。


「白い液体をたっぷり注ぎ込んであげる」


 牛乳と玉子だ。たっぷりとは言ったが、そんなにたくさんは要らない。


「ふふん、叩かれて嬉しいのかい?」


 形を整えたら空気抜き。両手でキャッチボール。加熱で空気が膨張したら破裂する。


「あぁ、瑞々しい肌だね、あぁ!」


 実にいいピーマンだ。半分に切り、種を除いて、小麦粉をまぶす。


「俺と君の熱い夜の始まりだね?」


 フライパンで弱火から中火、ピーマンに詰めたハンバーグのタネを下に焼き色を付けたら蒸し焼きにしていく。


「美味しい君を1度しか味わえないなんて、うぅん、メランコリッ~ク」


 完成と同時に決め台詞。

 ヴィジュアル系時代とは完全にキャラも違うし、古参ファンからは叩かれてたりするのだが、同じ事務所のシチュエーションコメディの大御所から「いいねー、シーナルちゃーん」と褒められてしまった手前、顔を立てなきゃいけない事情がある。


「……何やってんの?」


 俺の恥ずかしい姿に一瞥くれると、奏は部屋に行って着替えてきた。

 しかし本当に愛想が無い。俺や姉貴に似て整った細面でスタイルもいい。これで笑えば可愛げもあるものだが。


「ほらよ」


 ご飯を盛りつけ、大根と人参の味噌汁をよそう。メインディッシュのピーマンのハンバーグ詰めだ。玉葱と赤ワイン、残った肉汁で作ったソースをかけて出来上がり。キャベツの千切りも添えてある。


「頂きます」


 一瞬、奏の唇が震えた。

 ピーマンはダメか、と俺は視線を落として冷蔵庫からビール缶を取り出す。

 プルタブの軽快な音。

 跳ねる炭酸の飛沫。

 俺は、泡に口に付けることを忘れ……


「え、いや、おい?」


 奏は、一口箸で運んだ後、固まった表情で片方の瞳から涙をこぼした。


「……お母さんの、味だ……」


 俺の憂鬱な気分は一気に吹き飛んだ。


「や! ハンバーグ? 何度も作って! え?」


 言い訳がましい俺の言葉に、奏は顔をくしゃくしゃして泣きじゃくる。


「ピーマンのは、作って、くれ、なかっ……」

「ピーマン苦手じゃねえかっ!」

「子供、だもん! だから、お母さ……何とか食べさせ、っくれようとっ……!」


 結露したビール缶を思わず落としそうになり、奏が成長しているのだということを今更ながらに思い知らされた。図体ばかり大きくなりやがって、と心のどこかで侮っていたのかもしれない。

 父が離れ母を失い、友達や学校、小さな世界を守る為に、奏は俺の元に来たのだ。

 俺は、何を見てきたのだろう。

 そりゃあ、不器用にも無愛想にもなる。この子は、俺を見て育ったのだから。


「苦いか……?」


 泣いては食べ、食べては泣く、その姿に。


「……美味しい……」


 ビール缶を持たない左手が、エプロンのポケットに入った姉貴のレシピノートに、そっと触れていた。


 昨日の様子が嘘のように登校していった奏を見送った後、俺は愛車を駆りカラオケ店に突っ込むように足を踏み入れた。


「ナルシさんっ! お時間はっ?」

「俺の気が済むまでだ!」

「か、かかか! かっけえぇー! お供するッス」


 仕事しろ。

 天井のミラーボールが緩やかに回り、色彩の斑点をルームに灯す。

 カラオケ機器に配信されている『ナルコプレシー』の曲は、オフィシャルPVが流れる仕様である。


「で、ででで、出たぁー! 1発目から代表曲! 『シープ・スリープ・シープ』だあ!」


 何でタンバリンを持っているんだ、お前は。

 イントロと同時にマイクを握り、画面に映る10年前の自分と対峙する。


「絶望の闇に、抱かれ、お前は、今夜、生贄の羊。か弱いメスの唇が。いななく様に、俺もおののく。アァー、命の光よ。俺が刻む、血の色に染まれ」


 ひでえ歌だ。よくもまあ作詞作曲までやったよ、俺も。


「アァーン、瞼切り裂いて、その瞳に、俺を映してよ。アァー、心切り裂いて、その隙間に潜り込むのさ」


 ロック! ろくでもない弟から姉貴へ。アナタの娘は今年16になります。


「理性を無くした二つの獣が、まぐわう、夜の旋律、満たされて眠れ、生贄の羊」


 ファック! 薄情な弟は、田舎の両親へアナタの娘を押し付けようと考えたこともあります。


「シープ、シープ・スリープ・シープ、哀れな羊よ。神も奪えない、俺だけの供物」


 シャウト! しょうもない俺の喪服の裾を掴んで離さなかった小さな手を思い出した。


「時は来た、さあ解き放とう、とうに過ぎ去りし日々よ――」


 本当、ひでえ歌……


「ナルシー! ナルシー! サイコー! 『ナルコプレシー』! サイコー!」


 何泣いて叫んでんだよ、お前……これ、俺が田舎の農場継ぐのが嫌で嫌でしょうがなくて作った歌だぞ。


 今晩の献立は、何を作ろうか。

 中身のないピーマンに、何を詰める?

 憂鬱な気分にさせるレシピを残してくれた姉貴へ。

 遅ればせながら、アナタの弟は、この度、奏の親に、なります。

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