星団(9/9)
笠井が慎重に言葉を紡いでいく。
「東さんって、キャッチャーの東さん? あなた、最近会ったの?」
香苗は前のめりの気持ちとともに、かつてのチームメイトと再会した元夫に驚きの表情を向けた。
東の仕事やフィアンセのことなど、笠井はありのままを伝え、ダンガリーシャツの襟元のボタンを外した。顔が上気し、心拍が高まっている。元の相棒と自分の現在(いま)の生活は、まるで、幸せという名のファールラインの内と外だ。
ガラス窓から飛び込む子供たちの嬌声に香苗は眉をひそめ、和哉の膝に手を置いた。
「今度、お前と和哉とオレの三人で、三井さんに会いに行こうか?」
ひと呼吸置いた声は他人のものみたいに鼓膜に響き、胸につかえていたものが笠井の体から抜け出していく。
しかし、言葉を受け取った側はとまどいの色を隠せず、深呼吸さながらに鼻から息を吸った。
突き刺さる視線を避けて、笠井はアイスコーヒーをストローで乱暴にかき混ぜる。
「……いや、電話で話せばいいだけかな?」
「……あのね……わたしね、再婚するかもしれないの」
息を深く吐き出してから、香苗が凛とした口調で言った。
笠井のストローが止まり、慣性で時計回りに動き続ける液体が緩い回転を氷に促していく。
「別に隠しているわけじゃないのよ。和哉のためにもね、そういう選択もあるかなって……片親だと受験にも何かと不利なの」
両親の不自然な態度を察した和哉が、口をへの字に曲げて、プールサイドで水遊びする子供みたいに足をばたつかせた。母親が片手でそれを制し、再びの無言が時計の針を刻む。
「……最後の試合で、オレは親父のサインを読み違えたらしいんだ」
ようやく、笠井が口を開いた。
話題をあえて替えようとしたわけではなく、整理のつかない頭が勝手な方向を選んだ。
「でも、試合に負けたのはそれだけが原因じゃないでしょ? もし、あの試合に勝って、あなたが甲子園に行ってたら、わたしたちは結婚してなかったかもしれないし、和哉は生まれてなかったわ」
頷いてから、笠井は何も返さずにグラスの水で喉を湿らした。
「……あなたが和哉の父親なのは変わらないわ。こうして、会えるわけだし……もしよければ、和哉とキャッチボールしてあげて。野球がいちばんうまいのはあなただから」
一語一語を舌の奥で点検するように、香苗はゆっくりと自分の考えを告げた。
肩をすくめ、居心地の悪そうな瞳で、和哉が父親を見つめ返す。
数秒の間を置いて、「気を悪くしたらごめんなさい」と香苗がつぶやき、沈黙がまた、古くからの友人みたいに三人のテーブルを訪れる。
医療器具を心臓に繋げた父親が、再会した息子に「思い切り振っていけ!」のサインを送る……そんなメロドラマのワンシーンには巡り合わないだろうが、父親ともう一度キャッチボールをしてみたい。笠井は素直にそう思った。
ソーダ水を音をたてて啜る和哉が、上目づかいで父親を待つ。
喉に貼り付いた痰を咳払いで消してから、笠井は右手の人さし指と中指をたててVサインを作った。それから、牡牛の角になったその二本の指を関節で曲げ、野球のボールをつかむジェスチャーを見せた。
沿道を埋めた背中が先とは別の鼓笛隊を見送り、太鼓のリズムにブラスバンドのマーチが軽快に重なっていく。
管楽器が晩秋の陽光を金属の縁に反射させて、ひとすじの明かりをガラスに透過させる。
そして、天井をかすめたそのリフレクションが、小さな星の光になって笠井を見下ろした。
おわり
■単作短篇「星団」by T.KOTAK
短篇小説「星団」 トオルKOTAK @KOTAK
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