しかし、ある日突然重度の卵アレルギーになった王子は、鳥族の女が我が子を卵で産むことを知り婚約を一方的に破棄しました。その罪を償うために下界に落とされたのです。

「いらっしゃいませ。

 本日はこちらにお席をご用意しております」


 メートルディーのサトリが、先日の女性をオープンキッチンのカウンターに案内する。


「え? ここで食べるんですか?」

「はい。通常こちらはお客様の座る席ではないのですが、王子がこちらにお座りいただくようにと」


 女性が一つだけ用意された椅子におずおずと座ると、奥のコンロでオムライスを作る王子の姿が見えた。


 王子も女性の来店に気づき、ふと彼女の方を見る。

 途端に込み上げてくるのは、昨日と同じ胸が締めつけられるような感覚。

 自分の鋭すぎる眼光が彼女を傷つけるのではないかと慌てて視線を逸らす。


「注文はきかねえ。今おすすめを作るから待ってろ」

「あ、はい…」


 先にオーダーを受けたオムライスが出来上がる。

 チキンライスにふわとろの半熟オムレツをのせた皿をカウンターに出す。

 フランケンがそれをホールへ運び、むっちゃんが新しいオーダーを持ってきた。


「オムレツ二つとオムシチュー一つ」

「だぁかぁらぁ!!

 玉子料理ばっか注文すんなって言ってんだろーが!!!」


 脊髄反射のように間髪を入れず放たれる怒声。

 これを待っていたとばかりにホールの女性客からは「きゃあっ」といつもの歓声が上がる。

 しかし、目の前の女性は飛び上がるほどにびくんと体を震わせ、黒い瞳を途端に潤ませた。


 カウンターのダウンライトが瞳いっぱいの涙に映り込んだのを見て、王子はまたしても胸を抉られるような痛みを覚える。


「いや、今のはホールの客へのリップサービスみたいなもんだから」


 王子が気まずそうにそう言うと、涙をこらえるように長い睫毛をまたたかせた女が顔を上げた。


「わかってます。

 私、王子さんの怒声に慣れようと思って毎日ToTこの店に通ってるんです」

「は?」


「実は私、この近くの花屋で働いているんです。

 でも、要領が悪くて、いつも店長に怒鳴られてばかりで…。

 このお店は王子さんの怒声が売りだって聞いて、怒鳴り声に慣れたくて仕事上がりに通うことにしたんです」


「ハニー。そんな辛い職場なら、辞めちゃえばいいんじゃない?」

 レッドアイを片手に、いつの間にかカウンターに肘をかけたキュウが彼女の瞳を覗き込む。

「なんなら僕のところに永久就職…」

「キュウ!てめーは卵でも割ってろ!!」


 キュウに近寄られて精一杯後ろに身を引いた彼女とキュウを隔てるように、王子はどん!と皿を置いた。


「衣に卵をたっぷり使った小エビとアスパラのフリットだ。ソースをつけて食ってみろ」


 カウンターに置かれたそれは、黄金色の衣がもこもことついた揚げ物だった。

 彼女は躊躇いがちにフォークでアスパラガスを刺し、小皿に入ったオーロラソースにつけて口に運ぶ。


 口を動かす彼女の表情を、王子がじいっと見つめていると、戸惑いの混じっていた彼女の瞳がみるみる輝きだした。


「あ…美味しい!」

「だろ? でもまあこれは序の口だ。

 明日はもうちょっと玉子をメインに使った料理を出してやる」


 安堵しつつ得意満面な様子の王子に、女性は思わずぷっと吹き出した。


「王子さんの笑顔、初めて見ました。

 犬歯がとがっててなんか可愛い」


 その言葉に、王子の心臓が早鐘のように打ち始めた。

 加えて、まんまるの瞳を細めて微笑む彼女を目の当たりにし、怒りとは全く違う感情で体温が瞬間的に上昇する。


「あんただって、いつもびくついてないで、そうやって笑ってたらいいんじゃねーか」


「そうですね。王子さんの怒号に慣れたら、お店でももっと笑顔でいられるかも」


 滅多に見せない笑顔を褒められ、どういう表情が自分のニュートラルなのかわからなくなってしまった王子。

 仕事に集中しようと、ラストオーダーをこなした後に明日の仕込みに取り掛かっていると、フリットとスープ、パンを綺麗に食べ終わった彼女が席を立った。


「ごちそうさまでした。

 明日のメニューも楽しみにしていますね」

「おう」


 彼女にどんな顔を向けてよいかわからず、フライパンから目を離さずに王子が言葉だけを返すと、サトリのエスコートで彼女が出口に向かう気配がした。


「“あんた” って呼び方じゃお客のあんたに失礼だろ?

 …名前、なんていうんだよ」


 咄嗟にかけた言葉に、なぜか頬が熱くなるのを感じる。

 驚いたように振り向いた彼女もまた頬を赤らめ、

希咲きさきです。胡堂こどう希咲」

 そう名乗ると控えめに微笑んだ。


 *****


 翌日も、希咲はカウンターに椅子を一つ置いただけの特別席に案内された。


「玉子料理を食う希咲の反応が見たいから」


 王子は特別席の理由を彼女にそう伝え、本日の特別メニューを作り始める。

 ボウルに卵を取り出し、ホールの誰かに割らせようとカウンターから身を乗り出すと、先ほど出したばかりのビーフシチューを手に慌ててカウンターへ戻ってくるミイラ男とぶつかりそうになった。


「うわっ! どうしたんだよ!?」

「すみません…。

 包帯の端がいつのまにかビーフシチューに入っていて、お客様からクレームが」

「ったく! 包帯はきっちり巻いておけっていつも言ってるだろーが!!」


 自分のすぐ横に希咲がいるのを忘れ、カウンターがびりびりと震動するほどの怒声を放つ。

 はっとして隣を見ると、案の定射竦いすくめられたように体を強ばらせて俯く希咲の姿があった。


「…とにかく汚れた包帯を取ってお客に謝りに行ってこい! 新しく巻き直すのはその後だ」

「はい…」


 普段から陰鬱な雰囲気をさらに暗くして、とぼとぼと従業員室に下がるミイラ男を呆れて見やる。

 その後盛大なため息を一つ吐くと、ビーフシチューを火にかけながら王子が希咲に声をかけた。


「隣で怒鳴ったのは悪かった。

 けど、怒鳴られる度にそんな反応じゃ、仕事だって辛いだろ?」

「でも、やっと見つけた仕事なんです。どんくさくて気の弱い私を雇ってくれるところなんてなかなか見つからなくて。

 お花が好きっていうのも、もちろんあるんですけど」


 俯いていた希咲が、潤んだ瞳に決意を込めて王子を見上げる。


「だから、王子さんはこれからも私の前でどんどん怒鳴ってください!

 お願いします!」


 妙なお願い事をされて反応しあぐねている王子の背後から「では謝罪に行ってきます…」と鬱々とした声が聞こえてきた。


 従業員室から出てきたのは――

 彫りの深い端正な顔に陰影を纏い、その影がアンニュイな雰囲気を醸し出す、ため息が出るほどに暗い美しさをもった男だった。


 とぼとぼとホールへ出た途端、きゃああっ!と絶叫のような歓喜の声が沸き上がる。


「あいつが包帯を取ると、いつもああやって客が大喜びすんだ。

 もっとも、すげー根暗な奴だから、視線を集めるのが嫌だって言って普段は包帯を外さないんだけどな」


「確かに、すごく整ったお顔されてますよね…。

 でも、私は王子さんのお顔の方が好きです。笑顔が可愛いし」


 希咲からの予期せぬ一言で、碧味を帯びたトパーズ色の髪が逆立つほどに全身の血が沸き立った。


「な…っ!俺に向かって可愛いとかゆーなっ!!!」


 その怒号に一瞬びくっと肩を竦めながらも、彼女はふふ、と笑う。


「その照れた顔も可愛いです」


 希咲の反応は、いちいち自分のペースを狂わせる。

 鍋底のビーフシチューを焦がしていたことに気づき、王子は行き場のない苛つきを怒号に込めて発散した。


「おい!!キュウ!!!

 さっさと卵を割れーーーっっっ!!!」


 *****


「今日のおすすめは白身魚のピカタだ」


 王子が希咲の前に出した白い皿には、黄色いドレスにくるまれたような一口サイズの魚が四切れ。彩りよくベビーリーフが添えられ、オレンジソースの鮮やかな色が食欲をさらに刺激する。


 昨日同様、希咲が料理を口に運ぶ様子を王子は見守るようにじいっと眼差す。


「ん…」

 彼女が戸惑うような声を漏らした途端、王子はがばっとカウンターに身を乗り出した。


「なんだっ!? 美味くなかったか!?」

「食べれなくはないです…。けど、お魚より卵の味が後に残るのがちょっと気になるかな」

「そっかぁ! 淡白な白身魚にしたのがまずかったかな。旨味の強い豚肉にした方がよかったか…」


 額に手を当てて顔をしかめる王子の顔を、希咲が笑顔で覗き込む。


「でも、苦手だった玉子料理をここまで食べられるようになったなんて、私の中ではすごい進歩です。

 やっぱり王子さんの料理のセンスは素晴らしいです!」


 落胆の後の安堵と喜び。

 希咲によって自分の心に作用した感情がどういうものであるのか、王子ははっきりと認識した。

 そして、一昨日から雪のように静かに降り積もっていく輪郭のぼやけた感情も、自らの内で次第にくっきりと形を持ちつつあるように感じた。


 *****


 王子の試行錯誤は、ToTの裏メニューを連日増やしていった。


 特別席に希咲を座らせて四日目のこと。


 卵液をたっぷりと含ませたフレンチトーストにハムをはさみ、チーズをのせてこんがりと焼き色をつけたモンテ・クリスト・サンドイッチを作っていた時だった。


 厨房の裏口のドアがそろそろとためらいがちに開き、外の暗がりがドアの隙間を埋めるその下から、キラキラと輝く宝石のような瞳が明るい厨房を覗いた。


「え、子ども…?」


 特別席で厨房の様子を見ていた希咲が上げた声に、王子とうっしーが気づいて裏口を見遣る。


「なんだ小夜さや。またこんな時間に遊びにきたのか」


 フライパンにフレンチトーストをのせた王子が、ドアの隙間に見える瞳に向かって話しかけた。


「ふんもお」

 うっしーがドアを開けていざなうと、その瞳の主は遠慮がちに、けれども慣れた様子で厨房へと入ってくる。


「だって…。お店のラストオーダーの時間になんないと、むっちゃんとゆっくりお話できないんだもん」

 うっしーの大きな背中に隠れながら、顔だけ出した少女がおしゃまな言い訳を呟いた。

 おそらく小学生だろう。異形のうっしーや王子に怯えることもなく、自分を見つめる希咲の視線に気づくと、気恥ずかしそうにぺこりと会釈をした。

 希咲も微笑んで会釈を返す。


「しょうがねぇなあ。いくら家が近いからって、もう夜遅いんだから早く帰るんだぞ。

 今を呼んでやるから」


 王子は希咲の横からカウンターに身を乗り出し、「おい!ろく!小夜が来たから相手してやれ」と声を張り上げる。

 王子に向けられた桃色の声の中、ホールで女性客と親し気に語らっていた夢魔むっちゃんが、“今いく” と海の色に似た瞳で目くばせをした。


「ねえ。なんで王子だけ、むっちゃんのことをいつも “ろく” って呼ぶの?」


 コンロに戻ってこんがりと焼けたトーストを皿にうつす王子に、小首をかしげながら小夜が尋ねる。


「お前、ろくのこと好きなくせに知らねえのか? 夢魔あいつの本名、六郎っていうんだぜ?

ろく” で “六つ” だから、みんなからも “むっちゃん” って呼ばれてんだ」


 悪戯っぽく笑う王子から得られた新情報に、小夜はへえ、と宝石のような瞳をさらに輝かせた。

 そのやりとりに、希咲の口元が思わずゆるむ。


 いつも怒鳴ってばかりいる印象だけれど、小さな女の子にはこんな表情も見せるんだ――


 王子の用意した特別席に未だ緊張感の拭えなかった希咲だったが、この日を境に特別席から見える王子の様々な仕草や表情を追うのが毎日の楽しみとなった。

 希咲だけのために作った特製玉子料理を口に運ぶときの、心配そうな表情。

 美味しい! と伝えたときの、安堵と喜びの表情。

 お皿をきれいに空けたときの、得意満面な少年のような笑顔。

 切れ長で金色の瞳をもつ彼の目がころころと変えるその表情を、希咲はいつまでも追い続けていたいと思うようになった。


 *****


 水曜日は勤める花屋の定休日のため、希咲は店に現れなかった。

 その日の王子の怒号は内装で吸収しきれなかった魔力が窓ガラスにひびを走らせるほど不機嫌に満ちていた。


「王子が魔界に戻ったら、この店の料理の評判もがた落ちになるね。

 お客さん来てくれないと困るなあ」


 しかめっ面でオムレツを作る王子に、カウンター越しから夢魔の六郎むっちゃんが意味ありげに冷たい微笑みを投げかける。


「クソ不味い料理しか作れないお前らを置いて俺が帰れるわけねーだろ。

 それに罰金だってまだまだ貯まってねーし」


「だって、連れて帰るつもりなんでしょ? 希咲ちゃんのこと」

「なっ…! てめー何言ってんだ!!」


 強靭な心臓が跳ね上がるほどの動揺。

 しかし、その後に襲ってきた自責の念が王子の顔を曇らせた。


「…俺だけが幸せになるわけにはいかねーんだよ。

 あのが幸せにならなきゃ、俺は魔界には戻れねえ」


 その呟きに、厨房の奥で黙々とスイーツを仕込んでいたうっしーが「ふも」と声をあげた。

 角と角の間にウシツツキ小鳥をのせて、王子の傍に歩み寄る。


「ふんもお」

「え? うっしー、お前マーレを知ってるのか?」

「ふんもふんも」

「…本当か? 本当に彼女は幸せに暮らしているのか?」

「ふんもふんもお」

「そうか…。俺はすでに十分過ぎるほど罪を償っていると。マーレは俺の幸せを願ってくれていると…」

「ふも!」


 うっしーとウシツツキの穏やかな眼差しが、暗く沈んだ王子の心を柔らかに照らす光となった。


 王子は日ごとに大きく膨らんでいく感情に輪郭を与えることをもはや厭わなくなった。


 *****


「今日は私にオーダーさせてください」


 カウンターの特別席に座り続けて二週間。

 緊張の面持ちで自分を見上げる希咲に、王子は一抹の不安を覚えた。


「なんだ? どうしても食いたいもんでもあるのか?」

「はい。

 このお店の看板料理を…

 プレーンオムレツをください!」

「玉子料理を注文するなって言ってんだろーがっ!!!」


 反射的な王子の怒声にも、ぴくりと肩を竦めた後にすぐに笑顔になった彼女。


 その注文と反応は、目の前に座る希咲がこの特別席から卒業することを意味していた。

 それが、玉子料理の鉄人である王子のプライドを満足させる到達点であったはず。

 しかし王子の心には一筋の晴れ間すら覗かない。低く垂れこめた雲に心を覆われたような重苦しさに、深い息が何度も口から漏れた。




 いつまでも自分がこの特別席を占領するわけにはいかない──


 卒業を自分自身で決めたはずなのに、希咲の口からも同じようにため息が漏れ出てきそうになる。

 けれども希咲はそれをぐっと押さえて、ホールの一般席からでは決して見ることのできない王子の間近な横顔を心に刻もうと見つめ続けた。




「俺の自慢のプレーンオムレツだ」


 艶やかさを失わない絶妙の火加減で形を整えられたアーモンド型のオムレツが、グリーンサラダに付き添われて希咲の前に姿を現す。


 ナイフとフォークでぷつりと真ん中を割ると、オレンジ色の黄身がとろりと流れ出てくる。

 形の残る部分を黄身とトマトソースに絡めながらフォークですくい、希咲がそれをゆっくりと口に運ぶ。

 その様子をいつものようにじっと見守る王子。


「うん…! 美味しい…!」


 特別席に座って以来、希咲は最高の笑顔で王子を真っ直ぐに見つめる。

 キラキラと輝く笑顔が眩しいせいか、いつものような安堵の色を出せない自分に気づかれたくなかったのか、

「よかったな」

 それだけ言うと王子はカウンターを離れて厨房の奥へと引っ込んでしまった。


 *****


「ごちそうさまでした。

 王子さんのおかげで玉子料理にも怒声にも慣れることができました。

 これで仕事を続けられそうです」


 いつもは注文しない、食後のコーヒー。

 最後の特別席が名残惜しくて、ゆっくりと時間をかけて飲み終えた希咲がとうとう立ち上がる。

 ラストオーダーからはだいぶ時間が経ち、店の客はいつの間にか自分ひとりとなっていた。


「仕事、がんばれよ」


 コンロで仕込みを続ける王子が言葉だけのはなむけを放ると、「はい…」と希咲は寂しげに微笑んだ。


 希咲にとって、王子からの餞の言葉はシンデレラに夢の時間の終わりを告げる鐘の音のようなものだった。

 明日からの自分は、魔法の解けたシンデレラ。

 ホールの客席から、時おり垣間見える王子の姿を眺めるだけ。


 王子の端正な横顔を目に焼き付けるように眼差した後、サトリのエスコートを受けて会計へ向かう。


「ありがとうございましたー」

 サトリの声と、ギイと軋むドアの音。


 それが耳に届いた瞬間、王子は厨房を飛び出して、閉まろうと眼前に迫るドアを押しのけた。


「おい!待てっ!!」


 ポーチの石段を降りかけた希咲の二の腕を掴む。

 驚いて振り返った希咲の体はいとも簡単に王子の腕に捕らわれた。

 顔を上げようとしても、硬い胸板に押し付けられて身動きがとれない。

 微かな震動とともにトクトクと早鐘のように打つ王子の心臓の音は、人間と何ら変わらないリズムだった。

 突然の出来事に動揺した希咲だが、その規則的な鼓動と自分の鼓動が共鳴していることを感じたとき、頭上から粗削りな低い声が降ってきた。


「いくら怒声に慣れたからって、俺は許せねえ」

「え…?」

「お前が他の奴に怒鳴られるってことがだよ!」


 怒声を上げかけて、王子ははっとした。

 ここはレストランの外。

 自分の魔力が怒声と共に放たれたら、腕の中にいる小鳥のように儚い希咲を傷つけてしまう。

 だから王子はできるだけ静かな声で、囁くように言葉をつなげた。


 「希咲が聞くのは俺の声だけでいい。

 俺の声だけをずっと聞いてろ」

「王子さん…」


 自分を絡めとる腕の力が弱まったのを感じて、希咲が胸から顔を離して見上げると、切なげな表情の王子が自分を真っ直ぐに見下ろしていた。


「希咲。お前にはもっとふさわしい働き先がある」


 恥じらいと困惑と期待に揺れる黒い瞳は、夜闇に鋭さを増す金色の瞳に射止められたままで。


「魔界の皇太子妃にならないか?」


 手の中の小鳥を傷つけないようにそっと力をほどいた王子は、左手で希咲の顎を挟んでゆっくりと持ち上げた。

 初めて彼女を見据えたときと同じ、燃えるような金色の瞳。

 けれども今はその瞳の中に、明瞭な輪郭を持った感情がくっきりと映り込んでいる。


「お前が好きだ」


 形の良い唇がそう動いたのを見て、希咲は黒い瞳を潤ませた。


「私も…好きです」


 それから、そっと目を閉じる。


 小さな顎をのせた我が手に引き寄せられるように王子の顔が近づいて、やがて二人の唇が重なった。


 お互いの体を隔てていた希咲の腕がするすると抜け出て王子の背中にそっと回されると、二人の重なりはいよいよ深くなり、“ T o T ” の文字を照らすレトロなウォールランプがアプローチの石畳に一つになった影を落とすのだった。





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小鳥は王子の手の中に ~Twilight Alley ~ 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari

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