集団が密室に閉じ込められることでトラブルが起きる話はよくありますが、本作では冒頭からいきなり主人公が単独行動を選びます。トラブルの詳細は読者の想像に委ねられるというところがユニークです。
「一人で考え、一人で死ぬか生きるかしたかった」
この一文にとても共感します。主人公は結局このあと西口という他者と関わり合うわけですが、それも一度集団を離れたからこその出会いなのです。最近の人間関係に並んでいる読者は勇気づけられるのではないでしょうか。
ケアマシンの存在が面白いです。実は我々も日常的に多かれ少なかれケアマシンのようなものを使っている気がするのですが、そのように考えられたのも名前付きのギミックとして登場したからです。
テクノロジーは進化していても鉱山町の構造はあまり変わっていないというところにリアリティを感じました。個人的にちょうど昨年、足尾銅山を見学してきたばかりだったので、興味深く読むことができました。
西口の「強さ」の根底にあるものがもう少し明確になったら、より傑作になると思われます。
あらすじから何とも奇妙な印象を受ける作品だ。
「カーボン素材」という未来的な用語が冒頭に来るものの、後に続くのは三笠、炭鉱、崩落事故……。
SFとは縁遠く、どこか昭和の匂いをくゆらせる。
ところが、本文は正真正銘のSFである。
まず気付くのは描写の繊細さ。
被災した人間同士のドラマでなく、現在の状況や炭鉱の構造、そこで用いられる近未来の技術を簡潔に説明する手法はとてもSF的だ。
普段触れない炭鉱という異世界の描写も相まってぐいぐい引き込まれる。
加えて主人公は、生き残るため一人で行動を開始する。ひたすら冷静に、自ら道を切り開いていくのだ。
ある種冒険小説の雰囲気を纏い、けれど災害をシミュレートする作品としても事細かに描写が掘り下げられていく。
ガジェット群の描写は頭一つ抜けている。
ナノマシンやARでくるまれた未来的な鉱夫の描写は圧巻だ。
一つ一つのガジェットに確かな裏打ちがあり、頻出する具体的な数値――距離や電力残量など――がそれをさらに強化する。
特に〈ケアマシン〉と呼ばれる装置への依存は印象深い。決して深入りしないものの、正気とは何かと考えさせられる。
こうした魅力的なガジェットは『虐殺器官』を連想させるが、その描き方はむしろ小川一水のようなきめ細かさがあった。
淡々とした語り手もこれらを引き立てる。
災害を扱った作品では人災も大きく描かれることが多い。そこで生まれる人間ドラマも見どころではあるのだが、本作はそういった「お涙頂戴」を徹底的に排している。
生き残るために何をすべきか。そのシンプルな原理で物語は展開する。
この淡々とした感じ、そして昭和の香りとSFの空気はどこか安部公房を思い起こさせた。
特に、中盤や後半のとある場面では『砂の女』を連想する。少し違うかもしれないが、地下の閉塞感は『方舟さくら丸』も近いかもしれない。
とにかく骨太な作品だった。
ひたすら丁寧に丁寧に作り込まれた未来の炭鉱。
立ち昇る昭和な香りとともに、ぜひ多くの人に読んでほしいと感じた。
〈カクヨム計劃トリビュート/〉の主催者七瀬夏扉さまも書いていますが、やはり安部公房の雰囲気が印象に残ります。
カッチリしたSF的ガジェットを描きながらこの空気を醸すのは、ものすごい技術なんじゃないでしょうか。
感服いたしました。
舞台は体内にナノマシンがあることによって疲労や心的不安を和らげ、また身体的補助もなされるという近未来。その中で石炭カーボンというエネルギーを得るために働く私を主人公にした物語です。
しかし事故によって炭坑が大崩落してしまい大勢の人が炭坑に取り残されることとなります。ナノマシンを動かす電力も食料も、無尽蔵にあるわけではありません。残り僅かの食料と電力、それから予想される数日後の大混乱。主人公はそれから逃れるために、ひとまず更に下へと赴き、物資を補給することを思いつきます。そこで西口という女性に出会い、共に地上を目指すことになります。
SFと骨太人間ドラマを掛け合わせたようなストーリーで、彼らが無事に地上へ戻ることができるのか、読んでいてはらはらしました。物語の中では西口がどうしてそこまでに冷静でいられるのか、そして主人公よりも豊富な知識を持つ理由は、主人公のわたしがナノマシンが作動させながらも最後に二人で協力して脱出しようとしたシーンで取り乱すほどの不安定になったのか、が明かされていなかったのでとても気になりました。