石彫の守り手

 沖縄を旅すれば至る所で見かける、沖縄の守り神「シーサー」。


 建物の門柱や民家の屋根の上に鎮座しているのは当たり前。

 繁華街の店舗の入り口には、招き猫ならぬ「招きシーサー」が愛嬌ある表情で観光客を手招きし、居酒屋の前には、ほろ酔い気味のシーサーがご機嫌な様子で三線を抱えて島唄を爪弾いている。工事現場では、アニマル柄バリケードのご当地バージョン「シーサーガード」が周囲を行き交う人々に危険が及ばぬよう見守り、自動販売機の上には、喉の渇きを癒そうとする人々をおどけた表情で見下ろす守り神の姿が──


 まさに「沖縄を歩けばシーサーに当たる」のだ。




 沖縄本島南部、八重瀬町富盛ともりの小高い丘の上にある勢理じりグスク跡。

 その片隅に、緑の木立に護られるようにして鎮座する石の獅子は、丸っこい口をぽっかりと横に開けて、にんまりと優しい笑顔をたたえていた。

 どっしりと逞しい身体と大きな頭のおかげで、ほぼ三頭身に見えなくもない。高さ約141センチ、幅約50センチ、全長は約176センチにもなり、沖縄の村落獅子としては最大にして最古。身長157センチに満たない私が横に立つと威圧されるほどの体格にも関わらず、まん丸の大きな瞳と、毛先がくるりくるりと渦を巻くクセのあるタテガミ、ぴんと立ったふさふさの尻尾がなんとも愛らしい。

 今にも「あい! めんそーれー(あらまあ、よく来たねえ)」と言いながら動き出しそうな愛嬌のある顔立ちの獅子像シーサー。それが「富盛の石彫大獅子いしぼりうふじし」だ。

 その名のとおり、一つの大きな石の塊を切り出し、彫り師が時間と手間をかけ、心を込めて掘り上げた芸術作品だ。

 

  

 琉球王国の正史である歴史書『球陽きゅうよう』の記録によれば、尚貞しょうてい王21年(1689年)のこと。

 当時、富盛とぅむい村は不審火の頻発に困り果てていた。村人が風水師に相談したところ、「火の山」である八重瀬岳やえせだけが原因だという。これを防ぐために石獅子を造り、その山に向けて「火返ひーげーし(=火除け)」とせよ、と助言を得た。村人がその言葉に従いシーサーを置いたところ、その後、ぴったりと火災の被害はなくなったと言う。これを機に、「獅子を置けば災難を防いでくれる」との村落獅子信仰が広まっていったのだとか。

 現在でも、沖縄では集落入口に設置されたシーサーを各地で見かけるが、この「富盛の石彫大獅子」が、村の守り神として置かれた獅子像の始まりだと言われている。



 写真を撮ろうと大獅子をまじまじと眺めていたら、身体のあちこちに丸い穴が空いていることに気がついた……



***



 ここに、一枚の写真がある。

 

 焼け野原の真ん中で、八重瀬岳に向かって立ち竦む巨大なシーサー。それを弾除けにしながら日本軍の様子をうかがうアメリカ軍の兵士達。

 沖縄戦に関する文献やサイトに必ずと言って良いほど登場するモノクロ写真だ。気になる方は「沖縄戦 シーサー」で画像検索して頂きたい。


 沖縄戦も終局間近の1945年6月中旬。日本軍は富盛の八重瀬岳付近に陣地を構え、辺り一帯は激しい地上戦の最前線となった。はからずも敵陣の真っ只中で、アメリカ兵士達の弾除けとなっていた大獅子が見つめるその先に、「白梅学徒隊」の女学生達が従軍看護婦として配属された塹壕があった。

 米軍の猛攻によって犠牲となったのは、10代半ばの少女達だ。現在、「白梅の塔」に慰霊されている彼女たちの過酷な運命を見つめながら、大獅子の石の心は嘆き悲しみ、血の涙を流したに違いない。


 大獅子の周囲の風景は戦後の植林によって緑豊かな木立に姿を変えたが、写真の中と同じ姿のまま、彼は今でも富盛の丘の上にたたずんでいる。

 身体の表面にある無数の穴は、地上戦の最中に穿うがたれた「弾痕」だった。



 「富盛の石彫大獅子」は、記録にある中で県内最古で最大の石獅子として、沖縄県指定有形民俗文化財に指定されている。

 「民俗文化財」とは、文部科学省の外局の一つである文化庁によれば「信仰、年中行事等に関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、人々が日常生活の中で生み出し、継承してきた有形・無形の伝承で人々の生活の推移を示す」貴重な資料であり「保存のための措置や施策が功を奏すると期待される資料を、国や地方公共団体が文化遺産保護制度の一環として指定した文化財」の総称だ。

 そんなたいそうなものに指定されていながら、大獅子の周囲には「さわらないで下さい」などの但し書きなど一切なく、触れられないように高い柵で囲まれているわけでもない。

 触り放題、したい放題、なのだ。


 私が写真に収めようとしている間にも、若いバカップルの片割れが、大獅子の上に馬乗りになってVサインするカレシの写真を嬉しそうに撮りまくっていた。


 文化財の上に「馬乗り」!?

 あかんやろう、それ……常識ないんとちゃうの、こらっ!


 怒りに駆られ、心の中で大阪弁で毒づく私の不機嫌な顔に気づいた相方が、「触ってくれ、と言わんばかりの展示の仕方が問題なんだ」と無感情にささやいた。

 さすがは合理主義の国出身の人らしい言葉だと、相方を思わず睨みつけたのは言うまでもない。



 富盛の大獅子の他にも、沖縄本島には多くの古い石獅子が現存している。その多くが、昔から据え置かれた場所に、そのままの姿勢で風化にあらがいながら、ちんまりと鎮座している。歴史を体現するかのような路傍の獅子たちを散策途中に見つけるのは、密かな楽しみでもある。

 民家の外壁すれすれ、車道にはみ出そうな路肩の上や、バス停の隣、雑草に覆われた空き地のど真ん中など、「なぜ、こんなところに?」と思う場所に彼らは静かに佇んでいる。それは、「一度、安置された聖域を、むやみに動かしてはならない」という沖縄の人々の思いに支えられているからこそ。

 ましてや、戦火をくぐり抜け、沖縄を見守り続けた大獅子を、狭い柵の中に閉じ込めようなどと考えもしないのだろう。



 石獅子は沖縄の守り神である。

 その土地に息づく信仰を無下にするような、心無い観光客になってはならない。


 戦後から半世紀以上経ち、大獅子の身体に刻まれた弾痕は薄くなっていると言う。

 巨大な石像も時の流れと共に劣化の運命を免れない。やがては、他の石獅子達がそうであるように、富盛の大獅子も「風化」という魔物の前に、少しずつその姿を変えていくのだ。

 その前に、戦争の記憶を留める大切な国の文化財として、一刻も早く保護される事を願って止まない。



〜「獅子は語る」 了〜

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

たゆたうは、花緑青の間 由海(ゆうみ) @ahirun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ