♯5

みゆき ねえ、ハイチにも五寸釘の呪いがあるとしてさ。

中年男 ハイチは外国ですから尺貫法は使わないと思います。ですから五寸釘もありません。藁も米ではなく小麦の……。

みゆき ああ、もう。ハイチにも人形を使った呪術があるとしてさ。

中年男 はあ。

みゆき ハイチにも丑の刻があるの?

中年男 ですからハイチに日本の単位はありません。だから丑の刻もありません。

みゆき ねえ!じゃあハイチ式の呪いなら丑の刻を過ぎちゃっても、丑みっつと関係ない時間にやっても全然オッケーってことじゃない?

中年男 そういうことになりますかねぇ。

みゆき じゃあさ、それをトシオくんに教えてあげたら喜ぶんじゃないかな?だってあんなに一所懸命お参りしてたんですもの。ちょっといじらしいというか、せっかくだから願いをかなえさせてあげたじゃない。


 盛り上がるみゆきの背後に戻ってきたトシオが立っている。


トシオ ……みゆきさん。そこまでぼくのことを。(涙)

みゆき うわぁ、びっくりした。ちょっと、黙って後ろにぬぼーって立つのやめてよね。

中年男 おかえりなさい。

みゆき 早かったじゃない

トシオ コンビニ、すぐそこですから。はい、みゆきさんはクッキー&クリーム。おじさんは自然薯ハニーシロップ。お釣りです。お遣い賃としてぼくもいただきますから。ごちそうさま。

みゆき トシオくんは何にしたの?

トシオ ストロベリーカスタードタルトです。

みゆき え?なに、その少女趣味なチョイスは。

トシオ いいでしょ、好きなんだから。

みゆき むさくるしい成人男性がかわいらしいピンクのパッケージのストロベリーカスタードタルトをちまちま食べているなんて。ダメよ。イメージが壊れちゃう。ハーゲンダッツに訴えられるわよ。

トシオ みゆきさん、それ男女差別ですよ。


 三人はベンチに並んで座ってアイスを食べる。


トシオ (アイスを食べながら)みゆきさんはなんで丑の刻参りをすることにしたんですか?

みゆき え……いいでしょ、別に。そんなこと。

トシオ いいじゃないですか。聞かせてくれたって。ぼくだって自分のこと話したんですから。(中年男に)ねぇ。

中年男 そうですね。よかったら聞かせてください。

みゆき ひとりぼっちの独身アラサーOLの日常には人にいえない闇があるのよ。

中年男 闇……ですか。


 間。トシオと中年男はとてもとてもすごいことを想像して身振りを交わす。


みゆき ……そんなんじゃなくて、よくある話。失恋したの。それで「このストーカーが」って追われるように会社を辞めさせられて。接見禁止っていうの?もうその人とは会えなくなっちゃった。近寄っちゃダメ、話しかけたらダメ、物陰からこっそり見るのもダメ。

トシオ ストーカーって……。

みゆき そんなつもりはなかったのよ。でも好きだって気持ちがたかまりすぎて……積極的にアプローチしてたつもりが、その人にドンびきされちゃって。

トシオ ドンびきって……何をしたんですか?

みゆき 別にそんなたいしたことをしたわけじゃない。恋する乙女はみんな多かれ少なかれするようなこと。一途な恋とストーキング行為は紙一重なのよ。やってることは同じなんだから。相手に想いが届けば一途な恋心。届かなければストーカー。

トシオ わかるような、それでいいのか疑問を抱いちゃうような……。

みゆき あたしの恋は届かなかったから……。

トシオ みゆきさん……。

中年男 ああ、なんて切ない……。


 三人は黙ってアイスを食べる。


みゆき あたし、昔からなんか恋愛下手でさ。高校を出てすぐ就職したの。それまで女子高でそういうチャンスが全くなかったから、社会人になったら絶対彼氏つくるぞーってすんごい気合を入れて、念願の一人暮らしをはじめたんだ。

中年男 うーん、この自然薯のまったり感が……。

みゆき (無視)彼氏を作るためには女子力を高めなきゃって思ってさ、子供の頃から恋人にお手製のシチューを振舞うのが夢だったの。それで立派な寸胴鍋を買って仕事が終わるとアパートに帰っては料理の研究をしたわ。毎日毎日。おかげさまで煮込み料理は得意よ、あたし。

トシオ へー。

中年男 おいしそうですねぇ。

みゆき だけど、ある日気付いちゃった。シチューはどんどん上手になるんだけど、それを食べさせる恋人が一向にできないのよ。そりゃそうよね。家に籠ってシチュー作って妄想してるだけじゃ出会いなんかないもん。合コンだなんだって遊び歩いてた同期が次々と彼氏を捕まえてくなかでさ、あたしは新入社員、ピチピチОLとしてちやほやされるゴールデンタイムを寸胴鍋と一緒にスルーしちゃってたのよ。

トシオ あー。

みゆき 何?可哀そうなモノを見る視線であたしを見たら蹴るわよ。

トシオ ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

みゆき 作ったシチューは全部ひとりで食べた。気が付いたらおばさん扱い。

トシオ みゆきさんはまだ若いじゃないですか。

みゆき そうよ。まだギリ二十代。でもね、高校でてすぐ会社に就職したからこの歳でもう勤続十年。会社の社員や若い娘からは見飽きた古株よ。お局様?

トシオ ……。

みゆき そんなときにね、出会ったのが彼。地方の支社で成績あげて本社勤務になった叩きあげでさ、寡黙だけど誠実そうで。でね、通りすがりに挨拶するときのはにかむような仕草がかわいくて。はじめて会った瞬間、あたし啓示をうけたの。あたしにこれまで恋人ができなかったのはこの人と出会うためだったんだわ!って。

中年男 運命ですねぇ。

みゆき 彼もあたしのこと気になるみたいで。思い出しちゃう。彼と交わした甘い会話。「おはよう」「おはようございます」「過去の営業資料を閲覧したいんですが」「はい、どうぞ」「これ経費で落ちますか?」「うーん、これはぁ……」

トシオ それって単なる業務連絡じゃ……。

みゆき ある日そんな会話の最中に、なんて素敵な人だろうとポーっと彼の顔に見とれていたら、彼は「大丈夫ですか?」ってとても真剣な眼つきでであたしをまっすぐ見つめてきたの。その熱い視線に射貫かれてあたしは確信したわ。この人もあたしに強い想いを抱いてるって。(トシオを制して)ううん、だまってきいて。それからはもう毎日必死にアピール。でも彼とは部署が違うからなかなかうまくいかないの。お弁当とか差し入れとか作ったんだけどタイミングが悪くて渡せなくて。彼はモテたからライバルは多いし告白しようにもきっかけがつかめなかった。

トシオ はぁ。

みゆき 焦ったあたしは心の中で叫んでた。神様お願い助けて。あたしに力を貸してって。……この神社にはね、古くから伝わる有名なおまじないがあるの。

トシオ おまじない?

みゆき そう、ほらここの境内は銀杏の木がすごいでしょ。この銀杏の葉にね、好きですって書いて気付かれないように想い人のカバンとかポケットとかにしのばせるの。そうすると恋する気持ちが少しずつ想い人に届いて恋が叶うんですって。

トシオ (ぷっと吹き出す)そんなバカな。

みゆき バカなって、そんないい方はないでしょ。昭和初期の少女小説にも出てくるくらい由緒正しいおまじないなのよ。切ない乙女心なんだから。

トシオ ごめんなさい。

みゆき 会社の行き帰りに「この恋が叶いますように」ってこの神社によくお参りに来てたんだ。それで銀杏の葉を拾っては想いを込めて「好きです」って書いて彼の上着のポケットやカバンや彼のアパートのポストに入れてたの。

中年男 なんか、そんな様子を想像するとかわいらしいですね。

トシオ ……いや、ポケットやカバンはともかく、彼のアパートのポスト?

みゆき でも恋心なんてそう簡単に通じないよね。なかなか振り向いてくれなかった。けれど、あたしはめげずに朝から晩まで彼を追いかけて、隙みては銀杏の葉っぱをしのばせる、そんな日々が続いたわ。それでね、彼に出会ってからちょうど一年たって、彼に送った銀杏の葉っぱが千六百八十七枚になった時……。

トシオ え?(二度見) ……せんろっぴゃくって……一年で?(絶句。ひいている)

みゆき ついに彼から社内メールが来たの。会議室で待ってるからすぐ来てくれって。やっとあたしの想いが彼に通じたんだわ、神様ありがとう!ってそりゃあもう天にも昇る気持ちでさ、恋の予感にはち切れんばかりに仕事ほうりだして会議室へすっとんで行ったわ。

トシオ ……ぼくには嫌な予感しかしませんが。

みゆき 会議室には彼がいたわ。

トシオ はあ。

みゆき それから会議室を囲むように机がぐるっと置かれててね、会社の偉い人たちが大勢ズラッと並んでたの。

トシオ あー、それって。

みゆき そう。職場での過度の付きまとい行為についての社内コンプライアス部による査問委員会。世界って無情よね。会社の命令で愛し合うふたりは生木を裂くように別れさせられることになったの。

中年男 なんて痛ましい!

トシオ 愛し合うふたりって……それ愛し合ってたんでしょうか?

みゆき だってあたし、ビビビって啓示を受けたのよ。彼が運命の人だって。運命で結ばれたふたりの間に愛がないだなんてそんなことあるわけないじゃない。

トシオ いや、みゆきさんに啓示があったのかもしれませんが、彼に啓示があった様子はないわけで……。

みゆき そーなのよ、何の手違いかしら?神様もそんなポカやるのよねー。おかげで彼とあたしは行違っちゃってもうめちゃくちゃ。査問の席で私は彼に言ったの「あたしたちは結ばれるべく運命の糸で結ばれているのよ!」って。でも彼は一言も喋らず目をあわせようとさえせず足早に会議室を出て行った。その後会社の偉い人や法務部の人にいろいろ言われたんだけど、あまりにショックでよく覚えてないわ。

中年男 お疲れさまでした。大変でしたねぇ。

トシオ いや、大変だったのはみゆきさんなのか、その彼なのか。

みゆき 運命の恋。ふたり幸せになるはずだったのにどこで道を間違えたのかしら。

トシオ 彼にしたことって、本当に銀杏の葉っぱだけですか?なんかアパートにまで押しかけていたみたいだしまさか他にもいろいろと……彼の視点では全く違う物語が……。

みゆき (聞いてない)その日のうちに会社の私物を始末して家に帰らされた。二度と会社には出社しちゃいけないって。彼とはそれ以来会ってないの。近寄っちゃダメ、話しかけたらダメ、物陰からこっそり見るのもダメ。悲しくて悔しくて寂しくて。三日三晩部屋に籠ってた。ストーカーだって噂が広まって元同僚も友達も誰も話をきいてくれなくて。仕方がないから『失恋』ってグーグルで検索したわ。最近はいろんなサイトがあるのねー。遅くまでいろんな記事を読み耽って、気が付いたらとあるサイトのアフィリエイト広告をクリックしてた。

トシオ オンライン爽やか健康ショップのタナカ商会アマゾン支店。

みゆき そう。送料無料にするために大長編の購入者レビューを書いたわ。

トシオ あ、それぼくはまだ書いてないんですよ。

みゆき あれ、商品到着後十日以内に購入者レビューをアマゾンのサイトにアップしないと送料を請求されるわよ。

トシオ えー、あと三日じゃないですか。文章書くのは苦手で。面倒くさいなぁ。

みゆき (他人事)がんばってね。……でね、世間体があるからって……あたしのじゃない、会社のよ?……世間体を守るために自主退職扱いになったから、ちょっとだけだけど退職金がでたの。昨日の朝、宅配便で藁人形セットとこの本(「イマドキ女子のための簡単呪い入門」)が届いてさ、代引きだったからその退職金でお金払った。残ったお金を握りしめてひとりアパートにいたらもういてもたってもいられなくなって一日街中を走り回って呪いのアイテムを揃えたわ。あたしは誰を呪おうとしているのかしら?彼?あたしを退職させた上司?あたしをばかにして笑った同僚たち?それともいつか彼と結ばれる誰だか知らない女性?なんで?なんであたしの恋はいっつもうまくいかないの?なぜ寄ってたかって皆が邪魔するの!この恨みはらさでおくものか!


 風の音。石燕の丑の刻参りの絵が舞台背景に映し出される。魔界を思わせる照明の変化。音楽。それに交じってどこからか猫の鳴き声が聴こえてくる。


みゆき (雰囲気に酔った調子で)素敵。いい雰囲気じゃない。もういいの、あたしの人生なんて。普通の幸せなんて。いっそあたしは魔道に堕ちて魔女となりましょう。魔女には猫がつきもの。さあ、いらっしゃい。不吉な黒猫。魔道の友よ。あなたにあたしの魂をあげる。だからこの呪いを叶えておくれ。


 高まる猫の鳴き声。みゆきは銀杏の木に藁人形を打ち付けようとトンカチを振り上げる。


トシオ みゆきさん、みゆきさーん。

みゆき 何よ、うるさいわね。今いいところなの!

トシオ いや、黒猫がみゆきさんのアイスを狙っています。

みゆき はっ!


 一瞬にして現実に戻ったみゆきはばたばたと自分のアイスを置いてある場所に戻り、しっしと黒猫を追い払う。アイスを確保して幸せそうに食べる。

 

トシオ (逃げていく黒猫を目で追いながら)あーあ。みゆきさん、いいんですか?黒猫を追い払っちゃって。呪いを叶えてくれたら魂をあげるっていったじゃないですか。

みゆき 魂はあげるといったけどアイスをあげるとはいってない。


 間。三人は並んでアイスを食べる。


中年男 おいしいですねぇ。

みゆき うん。

トシオ 夜中のアイス、たしかにたまらないです。(ガツガツほじくって食べる)

みゆき (トシオのアイスのカップをのぞき込んで)ちょっとぉ、なぁに、その食べ方。

トシオ え?何のことですか?

みゆき 何のって、アイスの食べ方よ。いい加減に手当たり次第あちこちほじくり返して。荒れ地のクレーターみたい。計画性のない性格がまるわかりよ。

トシオ 変ですか?じゃあ、みゆきさんはどんな食べ方をしているんです?

みゆき アイスはカップの淵からあったまって溶けていくから、淵を削るように外側から丁寧に円を描くように掬っていくの。そうすると真ん中に丸くアイスが残って、ほーらきれいでしょ?

トシオ えー、なんでそんな面倒くさい食べ方しなきゃいけないんですか。

みゆき こうすると同じくらいのちょうどいい溶け具合のアイスをずっと食べ続けられるの。あなたみたいに無秩序にほじくり返したら、アイスが溶けてるところと溶けていないところがムラになっちゃうじゃない。

トシオ 別におなかの中に入れば一緒だし。

みゆき アイスっていうのは舌触りとか、そういうのも楽しむものでしょ。そういうデリカシーのない人がかわいらしいピンクのパッケージのストロベリーカスタードタルトを食べてるなんて、これはハーゲンダッツに対する冒涜だわ。

トシオ みゆきさん、だからそれは男女差別……。

みゆき 男女差別じゃありません。消費者のデリカシーとブランドイメージの問題。

トシオ ひどいなぁ。アイスなんか何をどう食べたっていいじゃないですか。ねえ、おじさん。どう思います。

中年男 いや、わたしもカップアイスの食べ方にはこだわりがありまして。

トシオ え?こだわりって、どんな食べ方しているんですか?(中年男のアイスのカップを覗き込む。驚愕)……って、何ですかこれ!ちょっと!

みゆき なになに?(みゆきも覗く)……えーっ!すごーい。なんで?どうして?どうしてアイスが薔薇の花の形になっているの?

中年男 おいしいアイスは見た目も美しく食べなくては。一口一口薔薇の花びらをイメージしてちょっとずつ削っていく。そして完成する奇跡の造形。麗しくもおいしいパーフェクトなハーゲンダッツ!こうして食べてこそアイスを堪能するこの一瞬を最大限にエンジョイできるのです。

みゆき 食べ物で遊んじゃいけませんってのと紙一重なような。

トシオ でも、このクオリティはすごい。

中年男 これは私の技量だけではありません。ハーゲンダッツの和風アイス。自然薯とハニーシロップが練りこまれたこの粘り気が薔薇の花の完成度に貢献しているのです。いうなればこれはハーゲンダッツと私の幸福なコラボレーション!(恍惚)


(続く)

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