♯4
中年男 おや、どうしました?暗い顔をして。おふたかたともおやりにならない?おやりにならない、と。あーそれではお先にちょっと失礼して。(木に近寄ってハンマーを振り上げる)
トシオ (気付く)あ!
みゆき (反射的に)ちょっと待てい!
中年男 (動作が止まる)は?
みゆきは中年男と銀杏の木の間に割って入る。
みゆき やらないとは言ってないでしょう。ちょっと……その、あれよ、休憩してただけよ。勝手なことしないで。
中年男 でもほら、おしゃべりばかりしているから丑みっつは過ぎてしまいました。
みゆき うしみっつ?
中年男 丑の刻とは古い日本の時間の数え方で、深夜一時から三時までの間の二時間のことをいいます。これを三十分ごとに四つに区切って一時から一時半を丑ひとつ、一時半から二時のことを丑ふたつと数えます。ですから先程までの二時から二時半までが……。
みゆき 丑みっつ。あー、丑三つ時ってそういう意味だったの。
中年男 ところで今何時ですか?
みゆき え?あれ?(腕時計をみて)えーと二時四十分くらい。
中年男 と、いうことは?
みゆき ……丑よっつ?
中年男 その通り。丑の刻参りの二時から二時半という時間指定は、もともと京都の貴船神社へ貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると心願成就するという言い伝えがありまして、そこから来ているのですね。元祖丑の刻参りといえば「宇治の橋姫」ですけれど、この橋姫が妬ましい女、恋のライバルを呪い殺したいと丑の刻に貴船神社に詣でましたところ「三十七日間宇治川に漬かれ」という啓示をうけるのです。橋姫は指示通り宇治川に漬かってついに満願の日、鬼に変身します。そして呪いの対象である妬ましい女性は勿論その親類縁者、しまいには通りすがりの無関係なその辺の人まで誰彼構わず手当たり次第にとり殺し……。
トシオ、それをきいてへなへなとへたり込む。
トシオ 過ぎちゃった……。丑三つ時が過ぎちゃった。雨の日も風の日も何があろうと毎晩通い続けてきたのに……。
みゆき 今週、雨降ったっけ?
中年男 いいえ、降りませんでしたけど。
みゆき 今週は雨の夜なんかなかったわよ?風なら吹いてたけど。何か勘違いしてない?
中年男 スマホで今週の天気を検索してみましょうか?
トシオ いや、そこは……それ、言葉の綾ですよ。
中年男 いけませんね。そういう安易な嘘は。物事を正確に捉えなくては正しく現実に対処していくことはできません。そのようないい加減な姿勢がこれまでのあなたの人生において……。
トシオ (気落ちして言い返せない)どうせそうですよ。ぼくなんか。だから満願を目の前に、あとちょっとのところでダメになっちゃうんだ。ぼくの人生ずっとそうだった。だから丑の刻参りしてここで一発人生を切り替えようと決意したのに……。
みゆき あれ?あれあれ?トシオくーん、どうしたのかなー?
トシオ (うずくまり膝に顔を埋めて)もう、もういいんです。ほっといてください。
みゆき あのー、あれ?あの、ねえ?
トシオ (膝に顔を埋めて微動だにしない)……。
みゆき ……。
中年男 ……。
沈黙。みゆきはうずくまるトシオの横に座る。
みゆき 悪かったわよ。そんなに落ち込まないで。
トシオ ……話しかけないでください。
みゆき そんなこといわないの。おねえさんが話きいてあげるから。
中年男 わたしもご一緒しましょう。(トシオを挟んで反対側に座る)
みゆき (優しく)ね。何があったの?話してごらん?
トシオ もういいんです。どうせもうぼくの人生なんかこれまで通りずっと負け犬のまま……。丑の刻参りだって最後までちゃんとやりとげることができない中途半端などうしようもない人間なんだ。そんなしょーもないやつにはしょーもない人生しかありえない。でも、ぼくだって……ぼくだって(声にならない悔し泣き)
中年男 素晴らしい。的確な自己分析ですねぇ。
みゆき うるさい!黙れ。(中年男、黙る)
トシオ 結局おじさんは物知りでインテリっぽいし、身なりもちゃんとしてて、それなりの社会的地位がある人なんでしょ。みゆきさんは、まあ、なんだかんだっていってかわいいし……。そんな人たちに社会のど底辺にいるぼくの気持なんかわかりませんよ……。
みゆき かわいいだなんて……まあ、そんなぁ……。(照れる)
トシオ (無視)どんなに頑張ったって、ぼくの想いなんか誰にも届かないんだ……。
みゆき ねえ、そもそもあなたどうして丑の刻参りなんかすることにしたの?
トシオ 丑の刻参り「なんか」って……よくあなたがそんなこといいますね。
みゆき あ、いや、言葉の綾よ。
トシオ (あきれて)いいですよ。もう「なんか」で。実はぼく、俳優なんです。
みゆき 俳優って……役者さん?芸能人?(ミーハー丸出しでトシオの顔を穴が開くほど見つめる)……でも、テレビであなたの顔を見たことないけど?
トシオ テレビに出たことだってありますよ。有名人だけが俳優じゃないです。物語には脇役だって必要でしょ。
みゆき ごめんなさい。そこまでちゃんとテレビ観てないから。どんな番組にでてたの?
トシオ 今週の火曜夜に放送された連続推理ドラマの……。
みゆき え?嘘ォ。あれ大好き。火曜日あたし観たわよ。でもあなたでてた?主役のエリート刑事がイケメンで……。
トシオ 海から発見されたチンピラAの死体役。
みゆき ……ごめんなさい、覚えてない。
トシオ そのほかには先月の昼の連ドラでは借金の取り立てに来たヤクザの舎弟Dとか、三カ月前の時代劇では三番目に主役に斬られたお侍Cとか……。去年の夏のスペシャルドラマでは、主役がデートに立ち寄ったホットドック屋の店員Bとか。
みゆき ……アルファベットが付く役が得意なのね。
トシオ わかってますよ。そんな素人にだって出来ちゃうエキストラをいくらやったところで俳優を名乗るなんておこがましいですよね。でもいいんです。ぼくの本業は舞台俳優です。テレビじゃありません。
みゆき 舞台俳優?
中年男 ほう?
トシオ 高校を卒業してからずっと、ちっちゃいけど定期的に公演する劇団に所属していて。舞台の上でライトを浴びながらいろんな役をやりました。通行人B、農民E、城砦の衛兵F……。
みゆき ……やっぱりアルファベットが付く役なのね。
トシオ そりゃ最初は下積みからそういう小さな役をコツコツとこなして経験を積んでいかなくちゃ。芝居やってる時間より大道具をたたいてる方が多いくらいな毎日でしたけれど。でも芝居をしながら生きていけるって、すごく充実していました。
みゆき あー、それで大工仕事に詳しいんだ。
トシオ アルバイトしながらそんな地道な演劇活動をずっと続けてきたことが認められて、このあいだ演出家から次の公演で準主役を演じてみないかって話が来たんです。
みゆき すごいじゃない!
トシオ ところが最近その劇団に新人がはいってきて……。
みゆき へぇ、あなたももう先輩ね。こういうことははじめが肝心よ。その準主役を演じきってびしっとその新人に先輩後輩の格の違いをみせつけなきゃ。あたし応援する。きゃー芸能人の知り合いができちゃった。
トシオ ぼくなんかその新人の眼中にありませんよ。入団するなりその新人は脚光を一身に浴びちゃって。ぼくよりもちょっと顔がよくて背が高くてスタイルがよくて足が長くて芝居がうまくて爽やかで社交性があって頭がよくて演劇の名門養成所出身のエリートだってだけなのに。
みゆき (トシオの台詞を指折り数えて)……それって完敗してない?あなた。
トシオ (苦笑い)先週の土曜日に次の公演の配役発表があったんですけど、その新人が決まりかけてたぼくの役に抜擢されることになりました。ぼくはその新人の従者Aに変更です。
みゆき あー。(憐れむ視線)
トシオ だからその可哀そうなモノを見る視線やめてくださいってば。
みゆき あ、ごめん。
トシオ 謝らないでください。なおさら情けなくなる。わかっているんです。芝居をやる以上相手役を盛り立てていかなきゃいけない。ぼくだって演劇を志す人間です。作品の為だったら自分の気持ちを押しつぶしてでも演劇に、上演する作品に貢献するつもりです。でも……そうしたらぼくのこの気持ちはどこへ行っちゃうんですか?……。このどす黒い気持ちを抱えたまま台本の指示通り爽やかに笑っていることが本当に正しいことなんですか?
みゆき えーと……。
トシオ 人が平等だなんて嘘です。頑張ればいつか努力が認められるなんて嘘です。世の中には運と才能に恵まれてあれよあれよとうまくいくやつと、ぼくみたいに何をやっても認められず社会の底辺でくすぶっているしかないやつがいるんです。
みゆき えーと、えーと……。
トシオ はち切れそうな想いを抱えて、どうしてもその夜眠れなくって。ネットの演劇系掲示板で愚痴を書き込んだら追い打ちかけるようにたたかれて……。泣きながらグーグルで色々検索してるうちにアマゾンの通販でこいつ(藁人形と五寸釘)を見つけたんです。
みゆき オンライン爽やか健康ショップのタナカ商会アマゾン支店?
トシオ やっぱり。みゆきさんもそこで買ったんですか?
みゆき うん。商品レビューを書いたら送料無料だっていうから……。
中年男 それはお得ですねぇ。(みゆき「黙れ」中年男は言わ猿のポーズ)
トシオ (苦笑)……役を外されたのはぼくに俳優としての力がないからです。その新人を呪い殺したってぼくが役に戻れるわけじゃない。藁人形に釘なんか打ってる暇があったら芝居の稽古でもしろって。そうですよ。わかっているんですよ。ねえ?……でもね。理屈でわかっていても役を奪ったあいつが憎い、妬ましいってただその一念に凝り固まってそれしか考えられなくなっちゃった……。(陽気に)はは、は。この一週間、ぼくは真剣になって何をやってたんだろう。あーあ、馬鹿らしい。憑き物が落ちたみたいだ。
トシオ「よいしょ」と勢いをつけて立ち上がる。
トシオ じゃぁ、ぼくはこれで。
みゆき (トシオの虚ろな明るさを不安に思って)あのねトシオくん。やけを起こしちゃダメだよ?ね、大丈夫?ってちょっと、おじさん、何とかいいなさいよ。
中年男 え?喋っていいんですか?先ほど「黙れ」とあなたが……。
トシオ (遮って)もういいです。すいません。お騒がせして。もう帰ります。皆さんはお参り頑張ってください。
トシオは悄然と去ろうとする。みゆきは慌てて。
みゆき あたしアイスが食べたい!ハーゲンダッツ。
トシオ は?アイス?なんですか急に。
中年男 アイス!いいですねぇ。
トシオ 何で今そんな話を……。
みゆき いいでしょお。急に食べたくなるものなのよ。アイスって。トシオくんアイス嫌い?食べたくない?おいしいよ?
中年男 わかります。夜中に食べるアイスってなんであんなに抗いがたい魅力があるんですかね。ハーゲンダッツだったら今、期間限定で「自然薯ハニーシロップ」が販売中で……。
みゆき 自然薯?とろろの強力なやつ?ハーゲンダッツって時々よくわかんないのだすよね。紫芋とか黒蜜きなこアズキとか……あたしは定番のクッキー&クリームがいいな。ね、トシオくん買ってきて。
トシオ ええ?ぼくがですか?なんでぼくが……。
みゆき (決めつける)あたしはアイスが食べたいの。だからあなたが買ってきて。いいじゃない。もう帰るんだから。そのついでにちょろっとお遣いしてくれったって。はい。あたしの分とおじさんの分とそれからあなたの分。三個。(財布から千円札をだしてトシオに押し付ける)あなたも好きな奴を買ってきていいから。ね?
トシオ (気圧されて)……わかりました。
みゆき ネコババしちゃダメよ。ちゃんと買って戻ってくるのよー。
「なんでぼくが」とぶつぶついいながらトシオはアイスを買いにコンビニへ行く。みゆきは深く息をつき、トシオを待つ間中年男と並んでベンチに座る。みゆきは会話に困って無意識に藁人形を弄んで人形遊びをしている。
みゆき (ふと)おじさんのそれ(不気味なぬいぐるみ)……藁人形じゃないのね。
中年男 (満面の笑み)エリザベスですか?
みゆき エリザベスちゃんっていうの?その人形。
中年男 はい。「あたし、呪いのブードゥー人形エリザベス。よろしくね」(ぬいぐるみを操って手を振る)
みゆき (藁人形を操って返事する)……よろしく。ブードゥー人形って?
中年男 そもそも人形を使った呪術は中国が発祥で巫蠱の術といいました。有名なのは漢の武帝の時代。憎い相手の依り代となる人形を作り、それに針などを刺して地中に埋めるという呪術が流行しました。皇帝の息子である皇太子が父である武帝を害そうとこの厭味の術を試みた咎で国家規模の内戦まで起きています。もっともこれは皇帝の側にいた佞臣のでっち上げであるという説が有力ですが。その後この巫蠱の術の術式は世界中に広まり、日本では厭味の術として定着しました。
みゆき エンミノジュツ?
中年男 今となっては丑の刻参りがそれです。人形を使った巫蠱の術の術式が取り入れられ、江戸時代に現在の藁人形に五寸釘を打ち込むという様式が完成しました。先ほども申し上げた通りもともとの丑の刻参りは『源平盛衰記』という文献に納められた貴船神社の橋姫伝説が起源ですから術式に人形は使わなかったんですね。川に漬かって自らを鬼人と化し直接呪う相手を殺してまわるという、人形を使った呪術とは全く違うものでした。
みゆき へー。
中年男 日本において巫蠱の術が厭味の術へと変貌して丑の刻参りとして完成されたように、ブードゥー人形はハイチで成立した呪術です。当時のハイチはカソリック教会によって植民地にされていました。ハイチの民は奴隷にされ入植してきた白人から虐げられてたんですね。そこでハイチの民を救うため、逃亡奴隷たちの英雄マッカンダルが現地の民間信仰とヨーロッパの魔術、悪魔崇拝などを習合して作り上げたのがブードゥー教です。その呪いや魔術によって憎き圧政者である白人を打倒しようとしました。ブードゥー人形の呪いはゾンビと共にブードゥー教の二大柱とでもいうべき魔術で、呪う相手の人形を作りそれに針を刺したり焼いたりすることで奴隷にされた恨みを晴らそうとしました。
みゆき (長台詞にうんざり)……おじさんって物知りなのね。
間。
中年男 さて……ところであの青年をお遣いに行かせて、何か彼に聞かせたくないお話があったのでは?
みゆき あ、うん。ほら、もさもさしたやつだから何だこいつって思ってたんだけどさ、結構真剣にお参りしてたみたいじゃない?さっきの落ち込み具合からすると。結果的にあたしが邪魔しちゃったわけだし、ちょっと悪いことしたかなーって思って。
中年男 優しいんですね。あなたは。
みゆき おじさん物知りだから何か元気づけるようなこと知ってたら教えてくれないかな、と思って。
中年男 今更そんなことをいうくらいなら順番を替わってあげればよかったじゃありませんか。
みゆき それはいや。
中年男 わがままですねぇ
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます