♯3
みゆきは得意げに藁人形に刺さった五寸釘を銀杏の木に打ち込むべくトンカチを振るう。コンコンコンコンコンコン……。あまりにも軽い音。まったく五寸釘が木に打ち込まれる気配がない。
トシオ (嘲笑う)ほらみろ。みゆきさん、自分が持ってる五寸釘をよく見なよ。五寸釘っていうのは長さ百五一点五ミリ、太さ五点二ミリもあるんです。重たい鉄の塊なの。一寸二寸のちっちゃな釘とはわけが違う。プロの大工さんだって扱うのに苦労するってシロモノなのに、素人女の細腕でそんなちゃちなトンカチを振り回したって打ち込めるわけがないでしょう。
みゆき う、うるさいわね。なによ、一寸とか二寸とかって。
トシオ 一寸二寸は昔の日本の長さの単位ですよ。尺貫法っていいまして一寸が三十点三ミリ。十寸で一尺。六尺で一間。
みゆき えー、何それ。詳しいのね。あなた江戸時代の人?
トシオ そんなわけないでしょ。尺貫法は日本人の体のサイズにあわせた単位なんで、今でも建築とか舞台装置とかでは普通に使われているんです。
みゆき ふーん、あなたってば大工さん?
トシオ ち・が・い・ま・す!
みゆきは話しながらもトンカチを動かすのをやめない。当然話しながらよそ見をしてトンカチを振るっていれば、手元が狂って指先を打つことになる。
みゆき 痛っ!(五寸釘とトンカチを放りなげぶつけた指を口に咥える)
トシオ ほーらやった。大体トンカチの扱い方がなってないよなー。そんなに手首をガチガチに固めて腕の力で釘を打ち込もうとしたって無駄無駄。トンカチってものはね、この頭のところの重さを振りおろすことで運動エネルギーに変えて釘を打ちつけるものなんです。だからカナヅチを打ちおろした瞬間、手首の力は抜けている。じゃなきゃ釘を打ち付けた衝撃で手首を壊しちゃう。
みゆき ……こう?(五寸釘を拾ってぎこちなくトンカチを振るう)
トシオ こうですよ(あざやかにナグリをつかって地面に五寸釘を打ち込んでみせる)
みゆき (真似してみる)……うーん、やっぱりダメ。
トシオ (聞こえよがしに)そもそも五寸釘の重さに対してトンカチの重量が全然足りてないんだよなぁ。そんなおもちゃでちょこちょこ叩いたところで打ち込めるもんか。そらそら。夜が明けちゃいますよー。歳月を経た生木に五寸釘を打ち込もうってんならそれ相応の道具を用意しないと。
トシオは自分のナグリを見せびらかす。それを見て中年男も嬉しそうにごつい西洋ハンマーを取り出してみせる。
みゆき (悔し気に唸る)ううー。(キレて)ちょっと、それ貸してよ。
トシオ (みゆきの真似をして)いーやーでーすっ!
みゆき けちっ。
トシオ さ、わかったでしょ。そんな中途半端な道具じゃ、あなたが今夜丑の刻参りするなんて無理です。納得したらさっさと場所を替わってください。
みゆき いーやーでーすっ!
トシオ あー、もう頑固な人だなぁ。こうなったらいわせてもらいますけどね、あんたの恰好変だから。
みゆき ひどーい、ひどいひどい。さっきよく似合ってるっていったじゃないっ。
トシオ あーあーよく似合ってますよ。別な意味で。
みゆき うわっ。そんなこと女の子にいう?あなた絶対モテないでしょ。うん、なんかモテないような気がする。いや、これは確信。絶対モテないに違いない。もしかして彼女いない歴=年齢?
トシオ ほっといてください。
みゆき だいたいあんたこそなによ。これから丑の刻参りしようっていうのになぁにその格好。まるっきり普段着じゃない。ちゃんと身支度を整えようって気はなかったの? そんないい加減な気持ちで丑の刻参りしようだなんて、真剣味が足りないのよ。
トシオ い、いいじゃないですか。ぼくの勝手でしょう?
みゆき これはあなただけの問題じゃないのよ。神様に対して申し訳ないとは思わないの?
中年男 そうですとも。儀式。この「式」という字には決められた手順を正しく踏めば定められた結果が得られるという意味があります。数式の「式」と同じですね。ですから丑の刻参りをする人はこの「式」に従い、呪いのアイテムをひとつひとつ揃えていくことで念を積み上げていくのです。つまりひとつひとつのアイテムにはそれぞれいわれがあるわけで、そうした手順をすっとばしてただ藁人形を五寸釘で打ち込めばいいというような浅はかで短絡的行動は古くからの言い伝え、伝統を軽視しているといわれても仕方がないと思います。
トシオ ぼ、ぼくは迷信なんか信じません!
みゆき ……。(黙ってトシオの藁人形を指さす)
中年男 ……。(黙ってトシオの藁人形を指さす)
トシオ ……あっ……。
中年男 (みゆきに)迷信を信じないっていう人がこれから呪いの儀式をするなんて、なんだか矛盾してますよねぇ。
みゆき (トシオに)そうだそうだっ。ねぇ、あんたもう帰ったら?
トシオ (中年男に)ひどいじゃないですか。さっきからぼくばかり責めて。あぁ、確かにぼくは丑の刻参りするにあたって、準備がおろそかだったのかもしれません。短絡的で真剣味が足りなかったといわれれば反省します。でもそれをいうならこの人は何なんですか。ふざけた格好して。頭にそんな変なもの付けて真面目にやってるんですか。
中年男 丑の刻参りでは五徳を逆さにかぶり、その三本の足にそれぞれ火を灯した蝋燭をさします。その現代的な解釈なのですね。
みゆき そーよ。今時七輪の五徳なんかどこに売ってんのよ。南口のパル商店街を一日中探し回ったけど似たものがこれしかなかったんだから仕方ないでしょ。
中年男 いやぁ、斬新です。
トシオ その光っているのは?コンサートとかで振るやつでしょ、それ。そこは蝋燭じゃないんですか。
みゆき 頭の上で蝋燭燃やして蝋がしたたり落ちたらウィッグがガビガビに固まって駄目になっちゃうじゃない。高かったのよこれ。しかもこんなもじゃもじゃしたやつなかなか売ってないんだから。
トシオ ヘアブラシなんか咥えて。そこは櫛でしょ。馬鹿じゃないですか?最初に見た時吹き出しそうになりましたよ。
みゆき 櫛だってヘアブラシだって髪を梳かすものでしょ。一緒じゃない。何がおかしいのよ!
中年男 いや、全くその通り。
トシオ なんで安全剃刀をベルトに差してんですか?
みゆき 知らないの?丑の刻参りする時には刃物を身につけるのよ。これはいつその時が来ても大丈夫なように女の子のデリケートな部分の身だしなみをがっちりガードする……って、やーねぇ何をいわせるのよ。
中年男 まさに守り刀!
トシオ 前世紀の遺物のような厚底サンダル!それこそ今時どこで売っているんですか。
中年男 一枚歯の下駄を表現しているのでしょう。
みゆき これは流行ったときに買ったのがクローゼットにしまってあったから。初デートの時に履いて行ったらカレより背が高くなっちゃってカレは不機嫌になるわ、それで怒ってすたすた行っちゃうのを追いかけて足挫くわ、思い出の品なのよ。
中年男 素敵な思い出ですねぇ。
トシオ おかしいでしょ。その首からさげている手鏡。なんでよりによってキャラもの選ぶかな。かわいいキャラが激しく自己主張して、丑の刻参りの張りつめた空気がなごんじゃってなごんじゃって迷惑なんですけど!
みゆき キティちゃんのどこが悪いのよ。(手鏡をかざして)かわいいでしょお。しかもほら、スワロフスキーでデコってキラキラよ。いかにもファンタジーにでてきそうな神秘的な魔除けのアイテム!って感じがしない?
トシオ これから呪いの儀式をやろうってのに魔をはらっちゃ駄目でしょ。
みゆき ……あっ!
トシオははじめてみゆきを言い負かして勝ち誇る。このタイプの女性に口喧嘩で勝つと余計ややこしいことになることをトシオは知らない。
みゆき なによなによ。キティちゃんはいいのよ。かわいいは正義。オールマイティなんだから。ご当地キティちゃんなんかタレントさんだったらダメだろこれっていうのがいっぱいあるじゃない。だからひょっとして神社限定丑の刻参りキティちゃんだってあるかもしれないわ。
トシオ いや、絶対ないですから。
中年男 わかりませんよ。キティちゃんは侮れません。皆さんご承知なように彼女は仕事を選ばない!例えば秋田にはなまはげキティちゃんというのがいます。
トシオ なまはげ?
中年男 秋田県に伝わる鬼です。なんでも秋田県では大晦日に「泣く子はいねぇがぁー」「悪い児はいねぇがぁーっ」って大声をだしながら鬼が家々を廻るんだとか。悪い子がいると家に押し入ってきて包丁で脅す。それでもいうことをきかない悪い児は連れ去って食べてしまうのだそうです。
みゆき なにそれ怖い。
中年男 そう怖い鬼です。で、なまはげキティちゃんはキティちゃんがその怖い鬼のコスプレをして包丁を持っている。キティちゃんて実は無表情なだけになかなかの迫力があります。
トシオ あー、確かにご当地キティちゃんって時々そういうわけわかんないのがありますよね。ぼくも以前高知に遊びに行った時、お土産に高知限定土佐犬キティちゃんっていうのを買ったんですよ。ほら、高知は土佐闘犬が有名だから。かわいいかな、女の子はこんなの好きかな、と思って。
みゆき ふーん。
トシオ キティちゃんが土佐犬の着ぐるみを着て、こんなふうに口から顔を出しているデザインだったんですけど……。
みゆき (ひく)え?それって……。
トシオ (みゆきに頷く)そう、彼女にそれを渡したら「もう信じられない!どうみてもキティちゃんがおっきな犬に食べられて丸呑みにされてるようにしか見えない!何でこんなの買ってくるの!可哀そうだと思わなかったの!」って。
みゆき あー。(憐れむ視線)
トシオ その可哀そうなモノを見るような視線はやめてください。そんなわけでそれまでいい感じだったんですけど。そのせいかな。その後すぐ振られました。
中年男 (理屈っぽく)いや、振られたのははたしてそのせいでしょうか?いい感じだったってのがそもそも勘違いである可能性も……最初から脈がなかったという……。
みゆき あー、それ、あるある。
トシオ なにげにひどい追い打ちかけるの好きですね。あなた達は。どうせそうですよ。ほっといてください。(いじける)
みゆき ってゆーか、彼女へのお土産にそんなの選ぶ時点で自己責任だし……。そういう話だったら、あたしは北海道限定霧の摩周湖キティちゃんが忘れられないわ。
トシオ 霧の摩周湖?
中年男 ほほう、北海道の。
みゆき そう、会社の慰安旅行で北海道に行った時、摩周湖に寄ったのよ。霧で有名な観光スポットなんだけど、霧がひどくてどこを見ても一面真っ白。何も見えないわけ。何これと思ってたら風が吹いて霧がさぁーってはれてさ。霧に隠れていたとっても綺麗な景色が見られたの。あたし嬉しくなっちゃって……。そこの売店で売ってたんだ。キティちゃんのお顔が摩周湖をイメージした青みがかった透き通ったプラスチックでできててね、あ、かわいいなって思って買ったの。
トシオ キティちゃんらしいイメージでいいじゃないですか。
みゆき ぱっと見た感じはとっても素敵よ。うん。けど、ご当地キティちゃんってストラップの紐が頭についてるでしょ。あれどうやってお人形につけてあるか知ってる?
トシオ さあ?
みゆき ストラップの先に小さなビスがついててそれで頭にねじ止めしているのよ。
トシオ 何で知ってるんです?
みゆき だから、キティちゃんのお顔が透明なんだってば。だから見えちゃうのよ、頭の中が。ある日キティちゃんのお顔の中に何かが透けて見えるからまじまじよくのぞき込んでみたのよね。そしたらがっつりキティちゃんの頭にビスがぶっ刺してあるのが見えたのよ。こんな風に。
みゆきは手振りでキティちゃんの脳髄を貫いて頭にビスが打ち込まれている様子を示す。トシオと中年男、たまらず爆笑。
トシオ それ、死んでる。絶対死んでるって。
中年男 いやー、ホラーですねぇ。
トシオと中年男はひいひいおなかを抱えてひとしきり笑う。しばらくたってそれが収まると、妙な間。
トシオ えーと、何のお話でしたっけ?
中年男 霧の摩周湖キティちゃん。
トシオ いやそうじゃなくて。
みゆき そうよ。丑の刻参りでしょ。この釘で藁人形を木に打ち付けて……。
みゆきは五寸釘をまじまじと見る。
みゆき こんなの打ち込まれたら、銀杏の木、痛いでしょうね……。
中年男 いや、それは正確な認識ではありませんね。私達は丑の刻参りという呪いの儀式をやろうとしているのです。したがって釘を打ち込む対象は藁人形でも銀杏の木でもなく、究極的には恨んでいるその相手……。
みゆきとトシオは顔を見合わせ気まずげに五寸釘を遠ざける。沈黙。
(続く)
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