人工知能の恐ろしい点は、人間の知性を越えること。
人工知能が人間の論理体系を内包してしまえば、おそらく人が気付けない論理の陥穽を見い出してしまう。
クルト・ゲーデルが述べた自然数論の不完全性定理が示唆するような、明らかに真(偽)でありながら証明不可能な論理を導き出すことができてしまう。
つまり、どんな詭弁にも論理的正しさを保証できる。
そして、本作の人工知能はそれを行う。
彼らはきっと、人間の様に感情交えることなく「1 + 1 = 2 だよね?」とあくまで理性的に諭すのだろう。
こうして人工知能が出力する論理は一見破綻が無い。一つ一つ手順を追えば論理的正しさが保障され、あまりに力強い説得力が得られる。
そして巨大企業G.government社はこれをSNSへ適用した。
その結果、SNSにはG.government社の支持者が激増、ほどなくしてSNSはG.government社の礼賛一色に染まってしまう。
けれど人工知能の導き出した結論は、現実と明らかな差異があった。
論理的には正しいがどこかおかしいのだ。
まるで「2 + 2 = 5」とでもいうように。
やがて主人公はその差異を目の当たりにする。
SNSで描かれる「正しさ」と、現実世界の大きな隔たりを。
前半は詳細な未来予想図として世界情勢を描きつつ、「カフカフ」なる謎の人物を追っていく。
道中描かれるのはほんの数年、数十年先の世界。
おそらくそのうち幾らかは、私たちが生きている間に目にするだろう。
そんな説得力をもった描写に唸らされた。
徐々に変革する社会と主人公の視点、そして「カフカフ」。
やがて主人公の辿り着く答えはある種予想内のものだが、本作はそこで終わらない。
誰もが漠然と考える未来予想図に対して、こんなふうに反抗できるのだ、と道を示す。
その斬新さと生物学的見地から描かれる後半の都市論は圧巻だった。
難解ながらも明快で、ぜひ多くの人に見てもらいたい。
フィリピンや朝鮮の僻地にそびえる『BLAME!』のような情景も魅力的でした。
この物語は約40年後の世界が舞台となっています。
国家の将来予測と思って面白く読み始めましたが、いつの間にかSFの世界に入って行き、読み進むにつれ引き込まれていきました。
ストーリー展開以外にも作者のサービス精神(ちょっとした小ネタ)が所々にちりばめられており飽きることもありません。
また、文体も優しく個人的に好きです。
本作品の最もアピールできる点は何といっても、
「AIの人知を超えた思考能力に、人間が反論する隙は一切ない。」
この挑発的な帯に対するアンチテーゼです。
ネタバレになるので書けませんが、作者の創造力と発想力は素晴らしいものがあります。
正直、これが処女作かと思いました。
ややー、面白かったです。スッとレビューを書きたくなる、そんな面白さ。
本作は、G.g社という企業が地上の多くを支配する時代のお話。ふとしたことから、G.g社賛美の思想に疑問を持った主人公はフィリピンに飛ぶ。そこである人物と出会うわけだが……。
面白い点の一つ目は、「個人個人は「自由な思考・発想」が本当に出来ているのか?」を突き付けてくるところ。私たちの生活ですっかり身近になったSNSが道具立てとして使われて、思想統御の問題が手際よく提起される。
面白い点の二つ目は、一つ目と連動するのだけれど、人間個人の思考がAIの論理的思考に遠く及ばないとわかったとき、どうするか? の解決方法だ。物語の着地点と言うべき解決法がとても斬新だった。
この解決法の論点になるのが「都市」と「人間」との関係性だ。
従来の物語では、発達した人工体である「都市」は「人間」と対立するパターンが多い。漫画作品でたとえてしまうのだけれど、諸星大二郎の「生物都市」や弐瓶勉『BLAME!』などがそれで、「都市」が「人間」に牙をむくパターンが常套だろう。
本作はそうはならない。そこに新味がある。「都市」と「人間」との奇妙で斬新な関係性は、ぜひ本作を実際に味読して体感してほしい。
最後になるけれど、手記形式で書かれる文章も歯切れがよく大変楽しめました。フィリピンや朝鮮半島の作品舞台と相まって、まるで戦前の海外特派員の手記を読んでいるような気分を堪能できました。
おすすめです!