レビューが書けない意気地なしの僕

ペグペグ

なぜ僕はレビューが書けないのか

「傑作じゃないか……!」

 モニターに表示されている何千という文字の羅列を目で追いながら、僕は思わずつぶやいていた。否、僕が読んでいるのはただの文字の羅列ではない。何らかの意図があり、何らかの願いが束ねられ、紡がれた言葉のタペストリー。つまりは、物語だ。

 Web小説サイトの閲覧にハマって早二ヶ月、まさか無料タダでここまで美しい作品に出会うとは、まったく思いもよらなかった。細やかな筆致で描き出される、作りこまれた世界観、魅力的な登場人物と、彼らが生み出す壮大なドラマ、そしてゆっくりと絡み合い、解きほぐされていく謎――Web小説って、すごいんだな。

 僕は熱くなる目頭を押さえながら、そっとその作品をお気に入りのリストに登録した。

 いや、本当ならば、ここはまず作者さんに「おもしろかったです!」と感想を伝え、然る後にtwitterなりブログなり、レビュー機能なりで評価をして、多くの人に拡散すべきなのだろう。この作品は、それぐらいの名作だ。少なくとも僕はそう思う。


 だが、僕はレビューというものが書けないのだ。


 書かないのではない。書けないのだ。なぜか? その理由を説明しようとすれば長くなるが、一言で言うと僕が無類の臆病者だからである。


 僕ごときがレビューを書いて作品に点数をつけるなんて、おこがましいんじゃないか。

 見当はずれのレビューを書いてしまって、作家さんの迷惑になるんじゃないか。

 そもそも僕なんかが、レビューを書いて意味があるのか。


 そんな自己否定的かつ悲観的な予測が頭の中をぐるぐると回って、まず書こうという気持ちを削いでしまう。僕は、小心者なのだ。


 そういう気持ちをどうにか脇に追いやり、自分を奮い立たせていざレビューを書こうとすると、今度は自分の語彙の少なさと技量の拙さに絶望する。

 単行本一冊程度なら一日で難なく平らげてしまう僕だが、レビューを書こうとするとそうはいかない。それまで心地よく没入していたはずの言葉のシャワーから、適切なものを拾い上げるだけで溺れそうになる。たった百や二百の文字を打ち込むために、一時間も二時間もかかってしまうのだ。

 言葉の大海から適切な表現を見つけ出す大航海は、どうやら僕には荷が勝ちすぎるらしい。常日頃からそういう場所で戦う作家の方々には、僕など及びもつかない才能と努力があるのだろう。


 そうしてようやく搾り出して何とか形になった言葉の群れも、見返してみるといかにも凡庸で、ひとつも的確にその作品の魅力を描き出せていないのじゃないか、と思ってしまう。そしてそれは作家さんに対してとても失礼なことなのではないか、とも。


 そもそも、僕などがレビューを書いて、作家さんが得をすることなんて万に一つもないだろう。 僕はただの一読者にすぎず、影響力のある人間でもない。twitterのフォロワー数だってたかだか五十人ほどだ。僕の声で誰かを動かせるなんて、甚だ傲慢もいいところである。

 それに、僕ごときに感想やらレビューやらを送りつけられても、作家さんからすればただ迷惑なだけかもしれない。大部分の作家さんは感想を喜ぶけれど、そこから派生するコミュニケーションの煩わしさなどを理由に感想をもらいたがらない作家さんは一定数いる。何より、僕なんかの駄文を読ませるのは作家さんの貴重な時間の無駄だ。



 長々と書いてきたけれど、早い話、僕は本物の意気地なしなのだ。

 自分の言葉に、耳を傾けられないことが怖いのだ。

 自分の気持ちを、誰かに拒絶されることが怖いのだ。

 僕はそういう、卑怯な人間なのだ。



「はあ……」

 僕は完成することも日の目を見ることもなかった数多のテキストデータと、つい先ほど読み終わったWeb小説の作家ページを交互に見比べながら、深いため息をついた。

 この作家さんは読者との交流を大事にしており、ファン数は決して多くはないが総じてつながりが深い。近況のコメント欄には感想やレビューに対する返礼のコメント、それから作品の質問に対する回答がずらりと並んでいる。


 レビューも感想も書けないのは、よくないことだと自分でも思う。プレビューが増えず、感想ももらえず、筆を折ってしまうWeb作家の話はよく耳にするし、商業誌だって熱心なファンレターひとつで存続が決まる連載もあるという。

 でも、この作家さんにはもうこれだけファンがいるのだ。僕なんかには到底書けない、鋭い切り口からのレビューや、一目見ただけで読みたくなるようなコピーがすでにいくつもつけられている。はたして、僕の拙い感想で作品を汚す必要はあるんだろうか?


『私は「おもしろかった」だけでも嬉しいですよ。ただ、どこがおもしろかったのか、書いてもらえるともっと嬉しいですね。

 人によって、そういうのは違いがあるので……。

 自分でも気に入っている部分が「おもしろかった」と言ってもらえれば、そうでしょう、私も気に入ってるのよ、となりますし、まったく予想だにしなかった部分を「おもしろかった」と言ってもらえれば、おお、読み手はこういう部分も見ているんだな、とわかりますし。

 まあ、基本の精神構造が単純なので(笑)、褒めてもらえれば何でも嬉しいんです』


 作家さんのコメント欄には、あたたかい返信が書き込まれている。僕はテキストファイルに少しばかり文字を打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを何度か繰り返す。いくらも進まないうちに、また恨みがましい顔でWebブラウザのほうに視線を戻した。


 拙くてもいいじゃないか、気持ちがこもっていればいいじゃないか、と自分をごまかしてみようとしたこともある。

 でもすぐに、拙くては何も伝えられない、気持ちだけでは他人の時間を買えない、そう思い直した。実力もないくせに、潔癖な理想主義者ぶるのは得意だった。


 結局、心の中に築いたハードルばかりが高くなって、僕はいつもそれを超えられない。超えるどころか、スタートダッシュでつまづいてばかりだ。情けなくて、泣きたくなってくる。


 こうやって気分が落ち込んでくると、もうどうあっても一歩も進めなくなる。一言も、一文字も、正しいと思える言葉が見つけられない。これはもう、僕の脳みその中の、気持ちを言葉に書き換える機能が壊れてしまっているからじゃないだろうか?


 僕の何度目かのため息は、誰にも聞かれることなく消えていく。せめて、せめて一言、感想だけでも伝えられたなら。「この物語を、書いてくれてありがとうございます」と。でも、それすらも僕の自己満足じゃないのかと思えてきて、キーボードの上に乗っかったままの指は、ぴくりとも動かなかった。


 たぶん、僕はずっと、自分の宝箱の中に大事に大事に言葉をしまいこんで、時折それを眺めて満足するだけの人間でい続けるだろう。それを伝える喜びに目覚めるか、この臆病が治らない限り、ずっとだ。


 それまでは――SNSの片隅で、身の丈に合った言葉を一言二言並べて、自分の本棚に入れる作品がひとつ増えたことだけを簡単に伝えるような、卑怯でささやかな、言葉の海への冒険を続けるだろう。


 結局、まだ伝えるべき言葉を持たない僕にはそれくらいがちょうどいいのだ。

 意気地なしの僕は、ため息と一緒にブラウザを閉じて、苦々しく笑った。

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