第36話 エンディング
東京サンセットボーイズ特別公演『ホテル巌流島』
作・演出 二山幸雄 (於・東京ペルコ劇場)
出演
東村雅彦
黒上純子
遠藤芳正
阿呆健治
横島一之
遠野和男
井戸俊人
加藤虎将
戸棚恵子
他シークレットゲストあり
★★★
舞子は目覚めていた。真夜中のことである。この病院は完全看護なので、一晩中見舞客が詰めることはできなかった。其田も、馬場正子も午後七時には追い返された。彼らが帰ると、舞子は目を覚ます。と言うか目を開く。二人のいる間に目を開けると、慰めの言葉の洪水が襲ってくる。それが煩わしかった。自分は死ぬのだ。舞子は自覚していた。そして、せめて女優として、舞台やスタジオで死にたいと思った。けれども、それは無理な話だった。舞子の体は起き上がることができないほど衰弱していた。もう、ベッドから離れることはできないであろう。冬枝雅美は今際の際に「死んでも女優はやめない」と絶叫したそうだが、舞子は叫んだりしない。恩人の二山幸雄がメガフォンを撮る映画をクランクアップまで撮り終えた。それでいいだろう。そう考えていた。抗がん剤や放射線治療を舞子は拒否するつもりだった。もう、そんな段階ではない。苦しみを和らげる薬を処方してもらって、安らかに逝こう。其田や正子は猛烈に反対するだろう。でも、最終的に自分の命に責任を持つのは自分自身だ。反論は受け付けない。二十歳での死は早すぎると思う人も多いだろう。夭逝と言われるかもしれない。けれど、自分はたくさんの体験をした。常人には味わえない喜びがあった。それを思い出としてこの世を去る。それもいいだろうと舞子は達観していた。
その頃、其田と正子は、主治医から舞子の病状を聞いていた。
「残念ながら、非常に厳しい状態です」
主治医は淡々と語った。そして、
「水沢さんにご家族はいますか?」
と其田に質問した。
「舞子は親に見放され、天涯孤独の身です」
其田は答えた。
「そうすると、さらに状況は厳しい。骨髄移植をするにも、兄弟なら25パーセントのの確率でHLA型が一致しますが、骨髄バンクに登録された非血縁者のHLA型の一致は数万分の1です。まず、一致しないでしょう」
「そうすると?」
「放射線や抗がん剤での治療になりますが、生存確率はかなり低くなります」
ふう、と其田はため息をついた。馬場正子は涙を流していた。
「もう、治る見込みはないと……」
「最善は尽くしますが、覚悟を決めていただきたい」
「わかりました」
其田は力なく言った。
「そんな、社長。諦めが早すぎます」
正子が其田をなじる。
「これも、舞子の運命だ。私は冬枝雅美で、同じ経験をしている。舞子には苦しまないようにしてあげたい」
其田はなぜ、自分の育てた才能は、若くして逝ってしまうのだろう、と考えていた。古くは立石鉄男、冬枝雅美、そして舞子。自分は呪われているのではないかと天を恨んだ。
舞子の入院した病院の前には多くのファンや報道陣が詰めかけ、ひと騒動が起きていた。
其田はその対応に追われた。そして、異例なことに、はっきりとマイクの前で語った。
「残念ながら、舞子の命はあとわずかです。みなさん、そっとしておいてくれませんか」
ファンからすすり泣く音が聞こえた。芸能レポーターも思わず涙した。そして、取材は自粛され、病院前は静かになった。
一人の若い男が病院を訪れてきたのは、騒動が収まってすぐのことだった。男は受付で唐突に喋り出した。
「水沢舞子が入院しているのはこの病院で間違いないですか?」
受付の女性はその率直な問いに面食らった。
「個人のプライバシーに関わることには答えられません」
すると、男はこう切り出した。
「僕は水沢舞子の肉親です」
「ええっ?」
「水沢舞子の双子の弟です。
「お待ちください」
受付の女性は慌てて、其田に連絡を取った。
其田は一目見て、
「本物だ」
と確信した。木村踊と名乗る男が、舞子に瓜二つだったからだ。
「なぜ、今頃になって、現れたんですか?」
其田は尋ねた。
「実は、昨日母が亡くなりました。その今際の際に、母は私が水沢舞子と姉弟だと教えてくれたのです。それまでは何も知らされていませんでした。青天の霹靂のような一言です」
「そうですか」
「私は一ファンとして、水沢舞子を見ていました。でも、母の最期の言葉を聞いて、思い立ったのです。私には水沢舞子を救える可能性があると」
「まさに、おっしゃる通りだ。あなたが舞子とHLA型が一致すれば、舞子は救われる。でも、確率は25パーセントです。型が合わなければ、それまでです。諦めるしかない」
「私には、自信があります。水沢舞子を救うのは私しかいません。早速、検査をしてください」
「主治医に相談してきます」
其田は急いで主治医のところに向かった。
検査の結果が出るまで、一週間かかった。主治医に呼び出された、其田と木村踊は不安と期待の両方を胸に抱いて、診察室に入った。
「結果をお知らせします」
「はい」
「残念ながら、木村さんのHLA型は水沢さんのそれと、一致しませんでした」
「えっ、嘘でしょ?」
木村踊が身を乗り出す。
「私と舞子は双子なんですよ」
「でも、二卵性ですよね。これが一卵性ならば、可能性は高かったかも知れません」
「そんな……」
木村踊は天を仰いだ。
一方、其田の方といえば、静かに結果を受け入れた。舞子は間も無く死ぬ。木村踊の登場で、一縷の望みはあったけれど、それも砕けた。あとは舞子が苦しまずに逝くことを祈るだけだ。
その時、診察室の電話が鳴った。
「ご無礼します」
そう言って、主治医が電話をとる。
「我々は失礼しよう。これ以上ここにいても何も変わらない」
其田は木村踊を伴って診察室を出た。しばらく廊下を歩く。その足取りは重い。
「私の存在価値はなんだったんでしょう。救世主を気取って、病院にやってきたのに、なんの役にも立たなかった。私はただのクズですね」
木村踊がつぶやく。
「君は全然、悪くない。これも舞子の運命だ。どうだい? 私の事務所に入って俳優をやらないか。君のような美形なら、すぐに人気が出るだろう」
其田は気持ちをもう、切り替えていた。
「ご冗談を。私は学芸会で、草の役をやらされるほどの大根役者です」
「そうなんだ。じゃあ、モデルとして働かないか?」
「考えてみます」
そう、木村踊が答えた時、主治医が血相を変えて、走ってきた。
「状況が急変しました!」
主治医は興奮気味に叫ぶ。其田はそれをみて、舞子臨終の時を見守ってやりたいと思った。
★★★
舞台の幕が開いた。一人の女優が着席している。それを観た観客からは驚きと興奮が満ち溢れ、会場は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。女優は座ったまま、マイクも使わず語り始めた。
「こんにちは。水沢舞子です。この度はたいへんなご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。皆様ご存知かと思いますが、あたしは急性白血病に侵されました。事務所の大先輩、冬枝雅美さんと同じ病気です。治療には骨髄移植が必要でした。でも、あたしは天涯孤独の身。骨髄の移植を頼める人はいませんでした。ところが、あたしも知らなかったのですが、あたしには双子の弟がいたんです。彼が勇気を絞って、あたしを助けてくれるために、病院に来てくれました。でも、彼と私のHLA型は一致しませんでした。これで、出せる駒は全て出し尽くされてしまいました。あたしは静かに死を迎えるために、モルヒネで痛み止めをしました。そうしたら、主治医の先生が血相を変えて病室に現れました。先生が言うには、骨髄バンクに登録された人の中に、あたしと同じHLA型の人物がいたと言うのです。あたしは耳を疑いました。それは非血縁者とのHLA型の一致は何百万分の1だと聞かされていたからです」
ここで、舞子は言葉を区切って、深呼吸した。
「役柄を演じるのではなく、自分自身の言葉でお話しするのは照れますね。でも、大事なことなので勇気を持って喋りますね。あたしの命を救ってくれたドナーは、十年前に失踪した実の父でした。あたしは、幼少期に暴力を振るわれた父に命を助けてもらったのです。父のHLA型とあたしのそれが一致したのは奇跡でした。聞けば、父は失踪したあと、とても苦労したそうです。そんな厳しい環境が、父の性格を変えました。そして、誰かの命を救うために骨髄バンクにドナー登録をしたそうです。それが、あたしを救ったのです。今、あたしの体を流れる血液は、父の血液です。あたしのために、脊髄を授けてくれた父に感謝しています」
観客の中には涙ぐむ人が多数出た。
「今はまだ、体力が戻らないので、座ってお話させていただいていますが、いずれ、また女優として、舞台に立ちたいと思っています。今日はシークレットゲストとして、呼んでいただきましたが、必ず、女優として復帰します。女優こそ、あたしの天職。あたしは死ぬまで女優です」
舞子は立ち上がって客席に一礼した。大声援が起きる。
「女優復帰の第一歩としての挨拶をさせてくださった、二山先生には心から、感謝します。今日は、ナレーションとして、出演させていただきます。でも、いずれ、主役として、舞台に、ドラマに、映画に、あたしはきっと立ちます。貴重なお時間をいただき、今のあたしの心境を聴いてくださって、ありがとうございます。それでは舞台をお楽しみください」
舞子はまた一礼した。拍手が鳴り止まない。
多少、おぼつかない足取りで舞台袖に戻って来た舞子を二山は抱きしめた。其田、馬場正子、舞台に出演する黒上純子や加藤虎将がやってくる。
「よくやった、よく話せた」
二山の顔はくしゃくしゃだ。
「先生」
「なんだい?」
「台本を見せてください」
舞子は冷静さを取り戻していた。舞い上がっているのは周りのメンバーたちの方だった。
★★★
「はい、カット。オーラス撮影終了」
二山が叫んだ。スタッフから拍手が起こる。
田中花子は微笑んだ。
二山が作、演出した映画『女優』が撮了したのだ。無名の新人を主役に抜擢したこの映画の出来に、二山は満足した。新人の田中花子は二山の期待に応え、白血病に侵された演技をするために、十キロのウエイトダウンを行い、病気で、動けなくなる役どころをストイックに演じた。
「辛かっただろう。この役は。よく頑張ったな」
二山は花子をねぎらう。
「監督の要望に応えるのが女優の仕事です」
花子は言った。
「迫真の演技だった。僕の思っていた以上の作品になりそうだ」
二山は破顔した。
「ところで先生、あたし、本名でなく、芸名をつけてもらいたいんですけど」
花子が懇願した。
「そうだなあ……思い切って、冬枝雅美なんてどうだろう。僕の創造したキャラクターの中では、良い出来だと思うのだけど」
「はい」
「じゃあ、そうしよう。田中花子改め、冬枝雅美だ」
「ありがとうございます」
ここに、一人の大女優の卵が生まれた。冬枝雅美。彼女は抜群の演技力で、これからの演劇界を盛り上げていくことになる。だが、その活躍はまた別の話となる。
女優 よろしくま・ぺこり @ak1969
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