第2話不老者クローリー
古ぼけたビルの一室にその人は住んでいるという。エリザはメモと住所を見比べて、確認した。
「ここね。本当に……いるのかしら」
呼び鈴を鳴らすと、はい、という愛らしい声とともに扉が開いた。
金色の奔流と一瞬見えたのは、見事な金の巻き毛だった。ビスドールが動き出したかと思えるほどの愛らしい少女がそこにいた。
少女は首をかしげてたずねた。
「なんの御用でしょう?」
「クローリー・クラウド様はご在宅でしょうか? ここだとうかがってきたのですが」
「はい。クローリー様はおられますが……どなた様?」
「私はエリザ・ロンドと申します。教団から参りました」
「──まあ、大変。どうぞお入りください。すぐにご主人様をお呼びしますわ」
少女はエリザを招き入れると、じっとエリザを見上げた。
「なにか?」
「お美しいですわね。お若いし」
「──え?」
自分より若くて美しい少女に言われ、エリザは戸惑った。
「そんなことはありませんわ」
「ご謙遜なさらないでください。綺麗な黒髪。意志の強そうな黒い目。肌にも張りと艶があって、お美しいですわ──主人が少々妙な行動を取ると思いますが、お許しください」
「え?──」
少女はエリザの戸惑いをそのままにして、階段を上がって行ってしまった。
わざわざ忠告するとは、クローリー・クラウドとはどういう人なのだろうと、エリザは不安になった。
真の不老者、聖痕を持つもの『選ばれし者』。エリザが知っているのはそれだけだ。
かつて地上は神と悪魔が一堂に会し、一度灰塵と化した。再び人の歴史が始まり、時が流れ始めると、その中に『選ばれし者』が現われ始めた。
彼らはごく普通の夫婦から生まれる。その体に聖なる印を持って。彼らはあるときを境にして老いを止める。選ばれし神の戦士として与えられた能力の目覚めとともに。彼らは時に侵食されることなく神に召されるその日まで生き続ける。
神の敵──その配下であるバスタードと戦うために。
階段を下りてくる足音がした。
エリザは思わず緊張した。
現われたのは、中背に痩身、くすんだ茶色の前髪を目が隠れるほど伸ばしたのと、黒い皮の手袋をしたのをのぞけば──少年と青年との境い目にいるような年頃の──どこにでもいそうな男だった。
少年は口を開いた。
「き、教団、か、から、いらした──そうですね。は、はじめ、ましてクローリーです」
声が震えていた。
これが──クローリー・クラウド。確認されている七人の不老者の一人。百年を生き、数々のバスタードを葬った聖者。
エリザの姿を認めたクローリーが、ビクッと体を振るわせた。
「クローリー様、もう少しですわ」
「う、うん」
少女に励まされ、クローリーは震えながらエリザを誘った。
「ど、どうぞ奥へ。掛けてください」
奥には使い込まれたテーブルと椅子があった。クローリーとエリザがそれぞれに席に座ると向かい合う形になる。
クローリーはエリザと目をあわすことなく、必死に視線をそらしているように見える。
「お、お茶は、紅茶ですか、そ、それとも、コ、珈琲がよろしいですか?」
「あの、同じもので」
「そ、そうですか。マリア、いつものを」
「はい。ご主人様、かしこまりました」
少女は一礼すると部屋を出て行った。
しばらくして運ばれてきたものは、褐色の──色といい甘ったるい香りといい、どこからどう見ても──ココアだった。
クローリーはそれを取ろうとして、カップとソーサーをカタカタとぶつけていた。
「失礼」
そういってクローリーが後ろを向くと、すかさず金髪の少女がクローリーの前に大きな姿見を置いた。
「すまないね、マリア」
「それは言わない約束ですわ。クローリー様。よく、我慢なされましたわ」
クローリーの震えが止まった。後頭部の向こう、鏡の中からクローリーの顔がのぞいている。
「すみません、人と向き合うのが苦手でして。不愉快かもしれませんが、これでお話させてください」
「───かまいません」
どうも、クローリー・クラウドという人は、ずいぶん変わっている。
「改めまして、僕がクローリー・クラウドです。いまはクローリーと呼んでください。それから、彼女はマリア・テレーヌ。僕の身の回りの世話をしてくれています」
「マリア・テレーヌですわ。よろしく」
「教団からきました。エリザ・ロンドです」
「ロンド? 確か、教団の今の室長の方も、ロンドだったと記憶しておりますが」
「ハザム・ロンドは兄です」
そこまで言ってエリザはココアを一口飲んだ──死ぬほど甘い。
「そうですか。ハザムさんにこんな美しい妹さんがおられるとは、知りませんでした」
鏡の中のクローリーはそういうと、嬉しそうにココアを啜っていた。
「申し訳ございません。ご主人様の行動をおかしいと思われるかもしれませんが、これには深い訳が──お話してもよろしいですか」
「うん──不愉快に思われているかもしれないからね」
マリアはエリザに尋ねた。
「『聖餐』事件をご存知ですか?」
「ええ──確か五十年前くらいの、不老者の血肉を食べると、不老者になれるという──協会がまったくの事実無根と否定したデマのことですね」
「はい──ご主人様は、それを直に体験しておりまして──」
「まあ、そうでしたか」
エリザはクローリーに同情した。エリザにとっては、生まれる前の出来事でも、クローリーにとっては生きてきた時間の一部だ。
『聖餐』、神に選ばれた聖なる者の血肉を口にしたものも、また不老となる──いつから流された噂かははっきりしない。しかし、それは教団が『選ばれし者』の所在を隠さなければならないほど信じられた噂である。
一部の不老者やそれに準ずる者を除けば、人の寿命は五十年。長く生きても八十年がせいぜいだ。それも青年期をのぞけば老いに悩まされることになる。若々しいまま何十年もの時を生きる不老者と同じものになりたいという願望が、優れたものの肉を口にすると、優れたものに成れるという地方の言い伝えと混じったものか。
おぞましい事に、実行に移した権力者もいたのだ。何人もの『選ばれし者』が犠牲になったという。
教団が異例の否定会見を行い──実際に『選ばれし者』の肉を口にした──食人の罪を犯した犯罪者──が老いると噂は消えた。
罪を犯したものは老いとともに、自分がいかに罪深いことをしたか思い知り、正気を失ったという。
「特に、若く美しい方ほど、若さ美しさへの執着が強く、ご主人様は酷い目にあい、美しい方ほど苦手におなりなのです」
「すみません。もう何十年も前のことですし、ラフィに比べたら、僕なんて、無傷みたいなものですが──どうしても、だめなんです」
「お気の毒に──そのような理由なら、仕方ありませんわ」
「本当にすみません。教団から来た方ですから、そんなことはしないと分かっているんですが──どうにも」
クローリーは何度もエリザに謝った。
「クローリー様、そのくらいに致しませんと。エリザ様も、御用があっていらしたのですから」
「ああ、そうだね。ありがとう。マリア。それで、どのようなご用件でいらしたのでしょう」
エリザは我に帰った。
「あ、はい。教団からの依頼をもってまいりました」
「バスタード……ですか?」
「確認は取れていませんが、おそらく」
「では、話を聞かせてもらいましょう」
クローリーの声の調子が変わった。バスタードの名前が出て以来、どこか気後れしたような調子が消え、冷たく、しっかりとした口調になった。
エリザは不審に思ったものの、仕事の内容を話し始めた。
一通りの話を聞くと、クローリー・クラウドはエリザに向き直った。
「神の敵──の支部ですか。大事ですね」
「は、はい」
突然のクローリーの変化にエリザは戸惑った。それまでおどおどしていた気弱な表情が消え、抜き身の刃のような、触れたら切れそうな気配を放っている。
「そのため、教団は集められる『選ばれし者』を全て集めるつもりではあります。参加いただけますか? クローリー様」
「当然です。それが我々の勤め……それから、今は、クラウドと呼んでいただきたい。様はいらない。マリア、出かけるよ」
「はい。クラウド様」
いつの間に用意したものか、マリアが旅行鞄と外套をクローリー・クラウドに手渡した。その足元にも女物の旅行鞄があった。
「マリアさんは……」
「私も参ります。ご主人様の世話はマリアの役目なのですわ」
偽りの魂よ やすらかに 牧原のどか @nodoka-2017
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