第十八話 「煉獄の記憶と己が大罪」
詠唱を終えた瞬間、膨大な量の魔力が鞘から溢れ出た。禍々しいまでに漆黒の魔力はエリクの周りで渦巻く。
引き抜かれたのは、濃厚な魔力と金属特有の光沢を帯びた一振りの魔剣だった。
宵闇を模したその刀身は、押し潰すような威光を放ち、騎士団の精鋭を恐慌状態に陥らせる。
エリクの片手には地獄の深淵よりも深い、漆黒の魔剣が握られていた。
「その漆黒の魔剣ーーー君は、まさか!」
『晦冥の魔剣』を見たノエルが目を剥き、想定外の現実に驚声を上げる。
満身創痍のエリクの眼前、騎士団の精鋭が行く手を阻む。
剣を向けて一人の騎士が述べる。
「貴様は帝国の叛逆者だ。これ以上抵抗すると言うのなら、問答無用で排除する」
「僕に引く気はありません。貴方達を倒してでも、ノエルを連れ戻します」
隊列を組んだ十人の騎士は、無駄のない動きでエリクを包囲する。エリクは警戒心を研ぎ澄ませ、魔装発動の機会を窺う。
視線で呼吸を合わせた騎士達は前後左右、全方向から攻撃を仕掛けた。日々の鍛錬による成果と、仲間同士の信頼が可能にする身技だ。俗に言う、阿吽の呼吸である。
鉄剣には魔力が施されており、魔力障壁など紙切れ同然に切り破られるだろう。
しかし、エリクは一向に魔剣を構えようとしない。
白銀の剣が同時に振り下ろされ、エリクの身体に刃が触れる寸前、
「ーーーーー」
消え入るような声音でエリクは何かを呟いた。
直後、空間を裂く無数の剣閃が軌跡を描き、鋭利な剣と頑強な鎧が無残に砕け散る。
ほんの一瞬の出来事だった。
鋼鉄の高度を遥かに上回る武具一式が、刹那の瞬間に破壊されたのだ。
「なん、だと」
目を大きく見開いて騎士の男は唖然と声を漏らす。
勢いよく振り下ろした鉄剣は気付けば折られており、身に着けていた鎧は瞬く間に粉砕された。
ありえない事実と対峙して思考が追い付かない。それらを踏まえて、分かることはただ一つ。
刹那、エリクが圧倒的な速度で魔剣を振るい、一瞬で十人の騎士を無力化したのだ。
「大人しく寝ててください」
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
事態を把握する前にエリクに手刀を打たれ、男は意識を刈り取られた。十人の騎士は力なく倒れ伏せる。
騎士達はおよそ数秒間で武具を破壊され、意識を失って戦闘不能となった。
「貴様、何者なのだぁ!」
三人同時に突進する騎士を前に、エリクは瞼を閉じ、
「根刮ぎ喰らい尽くせ、『晦冥の魔剣』」
小さく言葉を呟いた数秒後、エリクは目測で追えないほどの一薙ぎで突貫を弾いた。そして二度の切り返しで鉄剣を粉砕し、素早く騎士の意識を奪う。
「何なんだよ、一体何が起こってるんだ!」
「アイツが握ってるのってま、魔剣だよな。何で子供が所有してるんだ?!」
「分かんねぇよ!けど、奴の魔装かなりヤバそうだぜ」
騎士団に恐怖が伝染し、精鋭の騎士は狼狽え始めた。どよめきは徐々に肥大化し、騎士達は後ずさる。
その光景を目にしたエリクは濃密な剣気を放ち、瞑目しながら漆黒の魔剣を天に掲げた。
「怯えるな!早く防御態勢に移るんだ!奴の剣撃が来るぞっ!」
本能的に危険を察知したグランは、騎士団に叱咤激励する。しかし、恐怖に呑まれた騎士に外界の音など届きはしない。
恐慌のあまり感情を取り乱して、騎士団の配列が崩れている。隙を突くならこの場面を置いて他にはない。
大きく息を吸って一拍空けた後、エリクは言い放った。
「『
その言葉を発端に『晦冥の魔剣』の魔装が起動、周囲の魔素を峻烈に吸収していく。
空気中の魔素、騎士の魔力を喰らってーーーエリクの魔剣は強化される。
エリクが目を大きく見開いた瞬間、漆黒の軌跡が空間に刻まれた。風を切る虚しい音が聞こえた直後、武具が砕ける甲高い音が其処彼処から響く。
状況を確認する前に、グラン以外の騎士達はその場に倒れ伏せる。
一瞬の邂逅、エリクが振るった魔剣の斬撃が三十人もの騎士を斬り伏せた。絶叫や断末魔など根を上げる間も無く、騎士達は武器を粉砕され床に突っ伏せる。
「なっ・・・・」
一人で三十人の騎士を撃破する。その異様な光景にグランは驚愕を隠せない。
しかし、辛うじて冷静さを保つ。与えられた情報を統制して、『侵蝕』の能力を暴く。
「それが貴様の所有する魔剣ーーー『晦冥の魔剣』の持つ魔装の能力か」
三度の魔装発動を視認したグランは、『侵蝕』の仕組みを看破した。
『晦冥の魔剣』の魔装、『侵蝕』。
一定の領域範囲内に存在する魔力を喰らい、吸収した膨大な魔力を一瞬で解放する能力。
エリクは吸収した豊潤な魔力を変換し、魔力回路で高速循環させる事により、身体能力を極限まで引き上げている。そして瞬間的に相手の動作を先読みしたエリクは、魔装を起動して武器の最も脆い部分に魔剣を当てて破壊した。
故に、騎士達の武具は瞬く間に粉砕され、無念にも敗北を喫したのだ。
これはエリクが日々修練を重ね続けた結果。
幾百にも及ぶ戦闘を経験して編み出した賜物。
敵が攻撃動作に移った瞬間、『侵蝕』と剣術を同時に繰り出し、相手を無力化する剣の奥義である。
「その技量に漆黒の魔剣、まさか貴様があの『黒剣の英雄』なのか!」
そしてグランはエリクの隠し続けた真実に至った。
七年前、王国軍と反乱軍を一人で壊滅させ、リンドブルム王国を崩落させた『黒剣の英雄』。その正体は王国の第三皇子エリク・クロフォードである。
「なら、尚更理解できんぞ。何故英雄である貴様が帝国に反逆する?どうして貴様は吸血鬼の味方などするのだ!」
「・・・・」
「答えろ、エリク!『黒剣の英雄』である貴様が帝国に反旗を翻す!吸血鬼を守るために歯向かって、救世主にでもなったつもりか?そんな英雄願望は叶わないぞ!今、貴様が行なっているのは立派な反逆行為だ!」
突き付けられたグランの発言に対して、エリクは皮肉気に自嘲の笑みを浮かべた。
片手に握る『晦冥の魔剣』に哀愁の視線を向け、頭を横に振って発言の一部を撤回する。
「・・・僕は英雄でも、救世主でもありません。何も救うことは出来なかった僕に、そんな資格はありませんから」
煉獄に焼かれた凄惨な記憶が脳裏を過ぎり、心の深奥から万感の感情が溢れ出した。自分の犯した大罪を想起し、自身への悔恨と憎悪が心中を支配する。
「これだけは、ノエルにも言っておかないと。君と同じように、僕にも隠し事があるんだ」
寂寥漂う微笑みを浮かべたエリクは、ノエルに優しい視線を向ける。そして過去に己が犯した、生涯を尽くしても拭い切れない大罪を自白した。
「僕は一国の王子として、平和の理想を掲げて戦った。国民の為と自分に言い聞かせて、大勢の人の命を奪った。けど、それでも何一つ、掴み取ることは出来なかったんだ」
エリクは怖かったのだ、身近な人を失う事が。もう散々だった、大切な人が屍となる光景は。
国民が、友人が、肉親が零れ落ちる恐怖に囚われていた。
不明瞭な理想を一人で追い求め、その道中で大勢の犠牲を払った。それでも必死に手を伸ばしたが、名もない理想は叶わぬ幻想となり、運命の螺旋の中に姿を隠した。
「僕は何も成し得なかった。一人で全てを掴もうとして、無様に盛大に転んで失敗した。その現実と向き合うのが怖くて、目を逸らして逃げてきた」
王子という高位の身分を偽り、エリクは一般市民の生活に溶け込んだ。自分に課せられた運命から視線を逸らすために。
「でも、やっぱり諦め切れなかった。助けたい、と願ってしまった。だから僕は救います。もう、そんな悲劇を繰り返したくない。誰かが悲しむ姿を二度と見るのは嫌だ。だって、その人達の笑顔をもう一度見たいから」
そんな時、セリナの言葉が鼓膜に優しく響いた。
『大切な人が危険に晒された時は、絶対に救い出してあげてね』
エリクは煉獄に焼かれた夜、崩落した亡国の前で強く誓った。二度と同じ過ちは繰り返さない、と。
「僕は絶対に諦めたりはしない。理不尽な未来なんて覆してみせる。運命が悲劇に塗り潰されているのなら、僕がこの手で喜劇に塗り替えてやる!」
「エリク君、君は・・・」
自分自身の全てを曝け出したエリクを縛るものは何もない。
『晦冥の魔剣』を騎士長グランに向け、精一杯声を張り上げて告げた。
「今、この場に立っているのは『黒剣の英雄』なんかじゃない!一人の少女を守ると誓った、没落魔剣士 エリク・クロフォードだ!!」
没落魔剣士の救世譚(メサイヴ・レコード) みなも@シャドウバン @0818
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