第十七話 「ノエル」
ーーーノエルという少女は吸血鬼という境遇を背負って生きてきた。
吸血鬼は亜人族の中でも魔族という枠組みに分類される。
尋常でない再生速度、澱みない純麗な魔力を保持する吸血鬼。異常なまでの莫大な魔力保有量は亜人族の頂点に君臨する。
吸血鬼に欠点があるとすれば、それは無意識に振り撒く魔性の香りである。
比類なき戦闘力を有する魔族は、全身から魔獣を誘惑する体臭を放つ。本人の意思に関係なく放出される香りには催眠作用があり、魔獣を暴走状態に陥らせ、大勢の生命を危険に晒す。
故に魔族は怖じ恐れられ、誰からも忌み嫌われる存在となった。
そのため魔族は人里離れた土地での生活を強いられた。
森奥で息を潜めて暮らしていた者の中には、不満を募らせる者も少なからずいた。
しかし、現状に異議を唱えた場合は叛逆者と見なされ、同族の手で命を奪う規則が存在する。絶対遵守される掟を前にして、魔族の者達は森奥の生活を余儀なくされた。
ある日の出来事を境に、偽りの平和は引き裂かれる事になる。
不満を抱く魔族の集団が掟に異論を訴え、吸血鬼は二勢力に分裂した。摩擦は次第に大きくなり、そこから闘争に発展。同族内で互いに互いを殺し合う惨劇が巻き起こった。
その抗争は村長が命を捧げて鎮静化し、多大な犠牲者を払いながらも終戦。叛逆した吸血鬼達は掟を破った罰則として、集落からの追放を受ける。
魔族である吸血鬼にとって追放とは生き地獄となんら変わりはない。
なぜなら、魔性の香りを放つ吸血鬼は魔獣を引き寄せる。正体が露見すれば早々に処理されるのが世界の理だ。
魔族は天命を授かった時点で、死という宿命を背負って生きている。
吸血鬼として世界に生誕した少女は、ノエルと名付けられ人間に紛れて生活する事になった。明朗闊達な少女 アンリと、引っ込み思案な少女 リサ。ノエルとリサは魔族だが、正体を知るアンリは気にする事なく、三人で毎日を有意義に過ごした。
果報そうに聞こえるが、彼女らの生活は決して充実していたとは言い切れない。
平和に過ごしてはいるが、魔族という正体は紛れもない真実で、拭い切れない事実だ。
それを自覚していた彼女らは家内での遊戯に浸った。何不自由ない生活。同じ事を繰り返す日常。そんな悪循環な生活が、ノエルに外の世界への興味を抱かせた。
一度も外の景色を見た事がないノエルにとって、外の世界は未知の領域であり、憧れの場所だった。
積み上げられた童話の書籍を読み開き、ノエルは未知の世界への空想を膨らませる。また、アンリの雑談を聞いて世界への憧れは更に強まった。
空は本当に青いのだろうか。
大海の向こう側には何があるのだろうか。
視界いっぱいに広がる草原はあるのだろうか、と。
それは妄想だけに収まらず、状況を変えようと彼女は二人を引き込んで実行に移す。
幼少のノエルには感情の歯止めが利かず、彼女は己の好奇心には勝てなかったのだ。
幼い子供の浅はかで単純な試行錯誤に過ぎなかったが、三人はあらゆる手段を尽くして、外の世界を見ようと試みたのだ。
あらかじめ計画した作戦を深夜に決行。三人はノエルの母親の書籍に潜り込み、こっそりと魔道書を覗いた。そこで魔術式の一節を発見し、彼女らは初めて魔術に触れる。
退屈な日常を費やし稚拙な幻惑魔術を習得。両親が不在の機を見計らって、少女達は家から飛び出した。
快晴の青空に掛かる真紅の太陽。世界を照らす眩い陽光を体で浴びる。立ち並ぶ商店、行き交う人々。世界を視認した途端、未だかつてない衝撃が全身を迸った。
同時期にノエルは齢五歳にして『未来視』を瞳に宿した。その日から毎晩のように予知夢を視て、凄惨な悪夢に頭を悩ませる。
何度も何度も親友の首が跳ね飛ばされる光景。ノエルは悪夢について二人と密談し、いつも以上に魔術を強化して外出した。
思い返せばこの行動がある事件の発端だった。家を抜け出す、そんな何気ない行動が、後に悲劇の結果を招く事など三人は知る由もない。
ある日、リサに施された幻惑魔術の効力が切れ、世間に彼女の正体が露見した。
リサが騎士に剣を向けられるーーーその光景を前にして、彼女らは遅まきにしてようやく気付く。
自分の、自分達の軽率な行動が招いた結果だと、ノエルはその結論に思い至った。その瞬間、ノエルは思考を放棄して、その場に崩れ落ちる。
友人をゆっくりと取り囲む、色々な格好をした人衆の隙間から、リサの顔が垣間見えた。
それは想いを何度も噛み殺した、悲壮に歪めた表情だった。滂沱の涙を流して訴えかける少女を前に、騎士は憐情など微塵も抱かない。
片腕を振り上げ、手に握られる白銀の刃を振り下ろした。飛び散る鮮血、宙を舞う生首、民衆から響く甲高い絶叫。
生首は赤い軌跡を描いてノエルの足元に飛んできた。見開かれた彼女の瞳と目が合う度、飛び跳ねるように鼓動する心臓。
声にならない声を上げて、ノエルはその生首を見取って泣き叫んだ。
齢十二歳にして魔術の才覚を発揮したノエルとは、国王から直々に魔導師としての活動を認証される。魔導師の任命は国民の前で大々的に発表され、彼女は大歓声の中で『魔女』となった。
国民は大いに喜び、国王から祝辞を受け取った。だが、ノエルの心中に渦巻く感情は歓喜などではない。彼女を支配しているのは、あの日命運を迎えた親友リサの死だった。
つまり、自分の我儘な好奇心のせいで、親友に最悪の結末を辿らせてしまった罪悪感。そして、その結果を知りながら全霊を尽くさなかった自分自身への憎悪。
リサに抱いた強い愛情は憎悪に塗り変わり、真っ黒な感情は肥大化していく。
鮮明に焼き付いたあの光景は、いつまで経っても解放してくれない。それは心を縛る封牢としてノエルを蝕んだ。
「私・・・・いや、ボクは魔女として人々の願いを叶える。それが自分の犯した罪を償う、唯一の方法だから」
一人称を変更し、幼少期の自分を捨て、ノエルは決意を固める。
あの日、友人を殺してしまった大罪の贖罪として、今の自分に何が成せるのか。リサへの罪滅ぼしに生涯を捧げる決断をしたノエル。
彼女はどんな依頼も承る『お助け屋』として、たくさんの人々の望みを実現させた。
魔獣の掃討、迷宮の探索、辺境の調査。リサに与えられた罪滅ぼしの機会として、どんな物事にも全力を尽くした。依頼者の要望に対して完璧に応えるため、身を粉にして依頼に臨む。
血反吐を吐き出すような過酷な日々に、ノエルの精神は磨耗していく。魂は擦り切れるまで傷だらけになり、生きる事に軽い絶望さえ感じていた。
それでも彼女に報いるために、ノエルはひたすら依頼に励んだ。
「ノエル、無理は禁物ですよ。体を崩しては元も子もありません」
もう休みましょうよ、と心配するアンリは囁いた。
けれど休んでいる暇はない。自分の犯した大罪に、体を酷使してでも報いなければ。
「ノエルを見てると辛くなる。もう、やめよう」
諦めよう、とノエルを案じてイリスは放棄を勧める。
そう簡単に諦められるものか。限りある命を尽くしても、罪を償うには程遠い。
彼女の尊い命を奪ってしまった自分に休憩など存在しない。『ノエル』として生きる権利などどこにもない。
なぜなら、彼女の人生は親友への償いのためだけに存在するのだから。
ーーーーーーーーーー
数年の月日が過ぎ去った頃、『未来視』の予知夢が再度ノエルを蝕んだ。
赤と白が交錯する奇妙な世界の中心で、ノエルは一人鎖に繋がれていた。視線を下ろすと床に鮮血の海が広がっており、嘔吐催す光景に嫌な焦燥感が溢れる。
鎖を破壊しようと踠いても、脱出しようと足掻いても運命は待ってくれない。
無数の鉄牙が背後から襲い、紅蓮の焔が全身を隈なく焼き焦がす。命を奪われる体験が幾度となくノエルを蹂躙し、容赦なく少女の魂を削り取った。
そして暴虐な悪夢の中でノエルは見たのだ。自分のために命を尽くした、敬愛する三人の凄惨たる姿を。
もう自分のせいで大切な人物を失いたくない。二度と繰り返すまい、と心に誓ったノエルは死を覚悟する。
なぜなら、自分に生きる価値などないのだから。自分一つの命で三人が無事に未来を迎えられるなら、それに越したことはないのだから。
その出会いはノエルの所有する時間が残り一週間を切った頃だった。
「彼はエリク君、腕が立つ剣士です」
城下町にいる依頼者のお宅に訪れた後の帰り道、アンリは路地裏で少年を拾ってきた。黒髪黒眼の容姿がどこか引っかかるものの、少年の穏和な雰囲気にそんな疑問は消え去る。
当日の依頼を達成するため、集落付近の森林に降り立った三人。順調に魔獣を掃討していたのだが、予期せぬ事態が発生する。
ミノタウロスと対峙したノエルは奮戦するも、魔力枯渇で為す術なく敗戦した。
そんな時、少年の背が俊風の如く現れた。
ノエルは自分を犠牲にしろと進めるが、エリクはその判断を全力で拒絶する。なぜ自分を救ってくれるのか、ノエルは無性に知りたくなった。
エリクの素直な回答と穏和な雰囲気に、ノエルが抱いていた不信感は自然と和らいだ。同時に自身の心中に渦巻く憎悪もほんの少しだけ消えたように感じた。
それから数日間、ノエルは平和な日々を過ごした。しかし、無慈悲な死の運命はノエルとの距離を詰めていく。ノエルに残された時間はあと数日となかった。
何かが起こる前に実行しなければ。そんな強迫観念に襲われたノエルは、夜の月下にアンリを呼び出した。残された時間を危惧したノエルは、アンリに話を持ち掛ける。
最も信頼できる親友だからこそ、自分の積み上げたモノを託せるとノエルは判断したからだ。ノエルの意見を尊重したアンリは悔しくも提案を受け入れてくれた。
残り少ない天命が尽きる前に、自分の正体を告白する事を決意する。正体が露見すれば消える事ぐらい承知の上だ。そんなもの関係ない。
どのみち僅かな命なのだから、最後に彼には伝えておがなければ。
しかし、その言葉がノエルの口から発せられる事はなかった。
ーーーーーーーーーーーーーー
勝手に感情を沸騰させて、自分から仲間を突き放して、ノエルは煉獄に身を投じた。己一人の犠牲で三人の刻む軌跡を潰すわけにはいかないから。
もう、疲れた。息をする事さえ気怠く感じてしまう。
生きているだけで他人に不幸を撒き散らし、大勢の人を危険に晒した。存在するだけで災厄を呼び寄せ、たくさんの犠牲を生み出した。
絶望するほかないのだ。自分には存在価値がないのだと、運命の神様にさえ突きつけられたのだから。
いっそ清々しい気分だ。邪魔者だと、無価値だと罵られ、誰一人と必要とされずに死ねるのだから。存在意義を否定されて、運命に拒絶されて、もはや自分を求める人などいるはずがないのだから。
そうやって世界から隔絶されて、孤独に死んでゆく。孤絶の中で虚しく死ぬ、はずだった。
ーーーなのに。
ーーーなのに彼は。
「どうして、君は来てしまうんだ・・・・」
散々酷い言葉で罵倒したのに。
あれだけ彼を騙して裏切ったというのに。
どうして君はノエルを救いに来てしまうんだ。
必要ないと見捨てくれれば、一言でも罵ってくれたなら楽に死ねたのだ。あっさり見捨ててくれたなら、こんな気持ちにならなくて済んだのに。
単純に嬉しかった。吸血鬼だと知っても自分を必要としてくれる事実に。
同時に苦しかった。胸が締め付けられるような、息苦しくなるほど辛い感情に。
彼は無数の裂傷が刻まれ、夥しい量の鮮血を流している。それでも諦めず、自分を救うために剣を振るった。忌み嫌われる吸血鬼にも関わらず、だ。
叩き潰され、現実を知らしめられても、エリクは立ち上がる。もう我慢ならなかった。彼が傷つく姿を見るのに堪え兼ねた。
ノエルは諦めるように勧めた。彼の意思を拒んで、暴言を吐き捨てた。
それでもエリクは優しい笑顔を浮かべる。普段通りの口調で話してくれる。
そして、自分が最も欲する一言をくれた。
「心から笑う君の笑顔を、もう一度見たいから」
瞬間、十二年間自分を縛り続けた鎖が砕け散った。
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