第十六話 「君の笑顔をもう一度」


 熾烈な戦いは激化していく。


 火花を散らしながら衝突を繰り返す赤と銀。

 グランから張り巡らされる怒涛の蓮撃。凄まじい速度で乱れ狂う緋色の斬刃を、エリクは予測と反射だけで弾き返している。


 グランの繰り出す剣撃は目測では追えず、いくつも残像が見えるほど高速だ。剣を振るう動作に一切無駄がなく、一撃一撃を機敏に繋げてくる。

 確実かつ的確に剣閃を弾くのは容易ではない。


 エリクは精神を摩耗させながら、致命傷になり得る斬撃を見極め、同等の一撃で軌道を逸らしている。

 地獄の業火を纏った魔剣に直撃すれば、一瞬で命が刈り取られる。


「はっ!」


 捻り込むように鳩尾を拳が打ち抜き、あまりの衝撃にエリクの体勢が崩れた。焔を施した魔剣が振り上げられ、勢いよく振り下ろされる。


「く・・・・っ、はあああぁぁぁぁ!」


 受け止める事は不可能ーーー直感的に判断したエリクは、床を蹴って真横に回避した。無理な姿勢で跳躍したため、喉元まで血液が込み上げる。


 魔剣は虚しく空を裂き、白亜の床を一部抉った。


「これは驚いた。まさか、今の一撃を躱すとはな」


 不利な体勢から強引に体を捻って繰り出される剣。予想外の反撃に驚嘆の声を上げながら、グランはその剣撃を容易く弾く。


「なかなかの攻撃だ。だがーーー貴様の剣技は見切ったぞ!」


 瞬間、濃厚な剣圧が周囲に充満した。グランの声に呼応するように『煉獄の魔剣』の業火が燦然と輝き始める。


(この一撃はーーーッ)


 本能的に危険を察知したエリクは、距離を離すために後退した。


『煉獄の魔剣』の魔装『緋炎』の威力は知っている。巨竜の半身を焼滅させた地獄の業火ーーーそれを喰らえば確実に命を落とす。


「逃しはしない!」


 グランは一歩で距離を詰め、一瞬でエリクの眼前に現れた。


 常軌を逸した膂力に驚愕が隠せないが、エリクは反射的に鉄剣を振るう。だが、その判断は誤っていた。剣撃は軽く打ち落とされ、致命的な隙を生んでしまう。


 躱す事は叶わない。剣技の動作に移っても間に合わない。


「焼失しろーーー『煉獄の魔剣』!」


(こんなところで・・・・終わってたまるかッ!)


 鉄剣を両手で握ったエリクは、突き出された『煉獄の魔剣』を思いっきり打ち上げた。


 灼熱を纏う真紅の魔剣は軌道を変え、天に向かって業火の渦が放たれた。巨竜を貫通した紅蓮の炎は巨大な火柱となって夜空に昇る。

 その余波は爆風を生み、忽ち宮殿の床を吹き飛ばした。


(・・・・なんて威力だ。あんなの真正面から喰らったら、命がいくつあっても足りないな)


 立ち昇る火柱を見上げ、その破格の威力に唾を呑む。血の滲む拳を強く握り、敵の実力に戦慄する。


「エリク君、危ないっ!」


「ーーーッ」


 ノエルの叫びを聞いたエリクは、余波を利用して咄嗟に後方へ跳んだ。

 先程までエリクが居た場所を魔剣が切り裂く。避け損なえば首と胴が切り離されていただろう。


「く・・・・っ」


 エリクがグランの姿を認知すると同時に、魔剣の剣先が側頭部の一寸先にまで迫っていた。

 体を引いて仰け反って躱すエリクだが、避けきれず頰に裂傷が奔る。


 追撃の剣閃が畳み掛けるようにエリクを襲う。

 瀕死の体を酷使しながら迫り来る斬撃を弾き躱していく。


(一体いつだ?どのタイミングで『緋炎』を使ってくる?)


 魔剣の魔装は強力な反面、発動には膨大な魔力を必要とする。『緋炎』の威力を鑑みるに、おそらくニ、三回が限界だろう。

 ならば、相手の魔力が枯渇するまで避け続ける事が得策だ。


 散雨のように襲い掛かる高速の蓮撃を撃ち落としながら、エリクは警戒心を魔剣に注ぐ。全神経を集中させて必殺の一撃を見極める。


 その一瞬は唐突に訪れた。頭上から振り下ろされた重撃を受け止めた瞬間、『煉獄の魔剣』の豪火が燦爛と光を宿し鳴動する。


(・・・・来た!これを躱せばーーーッ?!)


 魔剣を払って飛び退くエリクだが、グランの一蹴が鳩尾を蹴り抜いた。


「かは・・・・っ」


 腹部から血潮が飛び散り、逆流する血液を吐き出す。

 身体強化を施した強力な足蹴りの衝撃は、あっという間にエリクの身体に浸透し、数秒遅れて激流のように激痛が迸る。


 朦朧とする意識の最中、霞む視界に魔剣を振り翳すグランの姿が映り込んだ。

 グランの強烈な横殴りの一撃を、全身全霊の魔力を込めた鉄剣で防ぐ。


 突如として魔剣は緋色の光を宿した。熱量は肌を焼き焦がし、周囲に熱波を撒き散らす。


「爆ぜろーーー『煉獄の魔剣』ッ!」


 極限まで炎熱を発した業火は、膨大な熱量と眩い閃光を放ちながら爆裂した。


 砕け散る魔力の鎧。宙を舞う鉄剣の刀身。『緋炎』の直撃を喰らったエリクは吹き飛ばされ、白亜の床を何度も跳ねて転げ回り、壁と衝突して停止する。


「ぐっ・・・カハッ」


 腹部から夥しい量の鮮血が流れ出た。

 魔力障壁を纏っていなければ即死だっただろう。


「・・・エリク、貴様は強者だ。剣術だけなら俺と互角か、それ以上の実力は持っている。万全の状態ならば貴様に部があるだろう。だがーーー重傷を負っている今の貴様ではあるすらなり得ない」


 瀕死の身体はこれ以上の酷使を拒絶している。神経や筋肉は意思に関係なく、エリクを裏切って反応をしない。


(理解していたけど、僕なんかでは敵わないな)


 怒涛の蓮撃で相手を追い込み、僅かな隙を突いて必殺の一撃を見舞うーーーグランの並外れた技量は、鍛錬で到達できる極地の一つだ。


「貴様に万が一の勝機はない。潔く諦めろ」


 魔剣で粉塵を払い除け、グランは短く告げる。

 放たれる鋭い殺気と濃厚な剣気は死を錯覚させるほどだ。これ以上歯向かえば、確実に殺される。


 アンリの言った通りだ。勝ち筋がまるで見えてこない。


 いくら剣術に優れていても、百戦錬磨の戦士を前には手も足も出ないのが現状だ。

 戦闘経験、技量、判断力、反射神経。グランはその全てに於いてエリクより秀でている。


 勝てる要素は一つもない。勝率など限りなくゼロに近いはずだ。

 そんな絶境と対面しても、エリクは立ち上がろうとする。


「もう、やめてくれ!」


 奥からノエルの震える声が聞こえた。


「頼む・・・・ボクは自分のせいで、誰かが不幸になる姿なんて見たくない」


 十二年前、自分が好奇心に溺れたばかりに親友を殺してしまった。未知の世界を覗いてみたい、抱いてしまったその感情にはかてなかったのだ。


「ボクは魔族で吸血鬼だ。ボクが生きていたら、大勢の人を危険に晒してしまう。生きていたって無意識に最悪を振り撒いているだけだ」


 彼女の存在が魔獣を引き寄せ、無数の人間の命を奪っていった。

 諦めきった瞳でエリクを見据え、泪を流しながら言葉を吐き出す。


「お願いだ・・・・諦めてくれないか。これ以上、ボクのために君が傷付く必要はないんだよ」


 ノエルは視たのだ、この運命の結末を。親友が目の前で惨殺される悲劇を知っている。

 だからこそ、その最悪の末路を辿らせるわけにはいかない。


「自分が何をしているのか、いい加減に理解しろ」


 グランの殺気に満ちた眼光がエリクを射抜く。


「魔族の存在は世界の脅威だ。存命している限り、その恐怖は解消されない。世界中の人間を巻き込んでも、貴様は奴を救おうと言うのか?」


 グランの言葉を聞いて、耐え兼ねたノエルが視線を逸らす。


「俺も努力はした。犠牲の出ない方法を見つけ出そうと全力を尽くした。だが、そんなものは叶わぬ理想に過ぎなかったんだ」


 個を取るか、世界を取るか。グランは騎士として苦渋の選択を強いられた。選択しざるをえなかったのだ。

 魔族という事実だけで、何の罪もない尊い命を奪う。それがどれだけ辛い事だろうか。


「犠牲のない未来なんて存在しない。世界のためにも魔族は根絶しなければいけない。我々のその決断が、誤っているとでも言うのか!」


 グランの言い分は正論だ。その判断は何も間違っていない。


「・・・・貴方の決意を否定する気はありません。だけどーーー」


 渾身の力で立ち上がり、グランの双眸をまっすぐ見る。


「だけど、どんな大義があろうと、どんな理由や口実があろうと、彼女が殺されていい理由になんてならない」


 その言葉を聞いた途端、冷たい雫が頬を伝った。理解不能な心苦しさにノエルは表情を歪ませる。

 ポツリ、と乾いた喉から言葉が溢れた。


「どう、して・・・・」


「・・・・」


「どうして、君は見放してくれないんだ」


 ノエルは顔を強張らせながら、そんな疑問をエリクに投げ掛ける。


「ボクなんかのために命を賭ける必要なんてないだろう。それに、君ならいつでも逃げ出せたはずだよ。なのに、どうしてなんだ」


 逃げ帰る場面など幾らでもあった。

 機会を窺って必死に逃げれば、グランも追跡はしない。

 ノエルを見捨てても、彼を責める権利など誰にもないのだ。


 それでもエリクは諦めなかった。逃げ出しなどはしなかった。行く先を阻まれようと、全身に傷を負いながら彼女の元まで辿り着いた。


「そんなこと始めから決まっているじゃないか」


 エリクの言葉にノエルは瞳を不安で揺らす。

 前方で項垂れるノエルを見て、悲愴な表情を強引に笑顔に変える。


 そしてエリクは普段通りの優しげな声で答えた。



「ーーー心から笑う君の笑顔を、もう一度見たいから」



 自分を吸血鬼と知って尚、彼はノエルの笑顔を見たいと告げる。


 たったそれだけのものだった。そんな彼女の笑顔を報酬に、エリクは命懸けで戦い続ける。

 そんなものの為に、ノエルの笑顔の為に、エリクは命を賭して剣を振るうのだ。


「ボクは、吸血鬼だよ?」


「吸血鬼だとか、魔族だとか関係ないさ」


「ボクはみんなを不幸にするんだよ?」


「そんな事ない。僕は君の笑顔を見られて幸せだった。あの笑顔一つで僕は救われたんだよ」


 ノエルの見せたはにかんだ笑顔に、エリクは心を奪われた。過去に囚われていた自分に光を与えてくれた。


 守りたい、と強く願う。

 その意思が今のエリクを突き動かす。


「ボクなんかが、生きてていいのかな」


「君じゃなきゃダメなんだ。君じゃないと嫌なんだよ」


 溢れ出んばかりの激情が、滂沱の涙となって流れる。


「ボクは不必要な存在だ。生きていても無意味な死を生み出すだけなんだって。けどーーー」


 理解はしている。

 自分のせいで何人の犠牲が出たのか、未だに予想が付かない。


 ーーーけれど、生きたいと願ってしまった。


 この一言を口にすれば、一生自分を責め続けるだろう。自分の犯した罪を、課せられた運命を彼に押し付けてしまう。


「ボクは・・・たい」


 喉が掠れて声が出ない。捕らえられた日から水分を摂取していないのだ。


 それでも、この想いだけは伝えなくてはならない。


 ノエルは必死に声を絞り出す。


「ボクは生きたいッ」


 ノエルはエリクの顔を見つめて声を張り上げる。


「ボクはエリク君と、みんなと一緒に生きたい。だからーーー」


 そして、その一言を叫んだ。



「エリク君、ボクを助けてくれえええぇぇぇぇ!」



 ノエルの叫びを聞いて、エリクは優しい笑みを浮かべ答える。


「分かった。少しだけ待ってて。ーーー僕が必ず君を助け出してみせる」


 階段から続々と鎧の騎士が現れた。回復した騎士団の精鋭たちが駆け付け、グランの前で隊列を組む。


 エリクは片手に強く握る刃折れの鉄剣を後方に投げ捨てた。それから腰に携える魔剣の柄に素早く手を回す。


 ノエルに微笑み返したエリクは、覚悟を決めて盛大に鍵言を叫んだ。



「ーーー星光を見据えし起源の象徴。開闢の天地を喰らえ、『晦冥の魔剣』!」



 詠唱を終えた瞬間、膨大な量の魔力が鞘から溢れ出た。

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