第十五話 「囚われの吸血姫」

 

 アンリに別れを告げてから、どれだけの時間が過ぎ去ったのだろうか。


 夕刻の人通りの少ない歩廊を歩いていると、突然鈍い激痛が身体中に迸った。その場に膝をついて呼吸を整える。


「こんなに無茶したら体が持たないか・・・・けど、何とか辿り着いた」


 視線の先には天を突くような大天守、壮大な威容を誇る白亜の宮殿が聳え立つ。

 巨大な正門をくぐった瞬間、一人の騎士が声を上げた。


「・・・・足を止めろ。ここから先は立ち入り禁止だ。引き返さなければ貴様を排除するぞ」


 行く手を阻むように、数百の騎士と衛兵が立ち塞がる。相手は宮殿の防衛任務に抜擢された選りすぐりの精鋭達だ。

 容易に勝利できるほど軽い相手ではない。


「ここは見逃してくれないかな?・・・・なんて言っても大人しく聞き入れてくれないよね」


「当然だ。国王勅令の任務を放棄するわけにはいかない」


 兵士達は各々の武器を手に取り、戦闘態勢で構える。

 数々の武具が一斉にエリクに向けられた。魔力を帯びた武具は淡い燐光を放ち、その切れ味を増幅させている。


「引く気がないなら、力尽くで貴様を排除する!」


 三人の騎士が同時に飛び出した。

 鈍重な鎧を纏いながらも、エリクは一気に距離を詰められる。身体強化の魔術で脚力を飛躍的に上昇させているのだ。間合いを詰めた騎士は勢いよく剣を振り下ろす。


 刀身は頭蓋を割るつもりで頭部に振り下ろされーーー全ての斬撃は一瞬にして弾かれた。


「な、何が起こったんだ・・・・?」


「ふっ・・・・はあぁ」


 騎士は動揺して後ろに仰け反る。その隙を利用してエリクはその場で旋回し、回転の速度を斬撃に上乗せして三人を横薙いだ。


「かはっ・・・・」


 その一撃は悉く鎧を破壊し、三人の騎士は数十メートル吹き飛んだ場所で撃沈した。

 エリクの両腕は負荷に耐え切れず、傷口から血潮が吹き出す。


「いっっつ。流石に長時間は持たなそうだ」


 時間が経てば体の自由が利かなくなる。先を見越したエリクは深く溜息を吐いた。

 一歩踏み出すだけで朦朧とする意識を根性で保ち、鉄拳を構えて魂を奮起させる。


「けど、ノエルの苦しみに比べたら、この程度は支障の内に入らない」


 周囲を一瞥すると、戦士達は迅速な動きで全方位を位置取った。

 威勢のいい声を上げて左右前後から同時攻撃を仕掛けてくる。


 エリクは極限まで目を見開いて、警戒心を最大まで引き上げた。誰よりも早く、鋭い剣撃を見舞うために。


「はああぁぁぁぁ!」


 剣技の射程圏内に侵入した騎士から順に、正確な一撃を喰らわせ捩じ伏せた。

 十人の戦士は何が起こったのか理解できず、強烈な衝撃に意識を刈り取られる。


「ぐっ・・・・馬鹿、な」


 強打に頑強な兜が砕け、騎士はその場に突っ伏せた。


「はぁ・・・・はぁ・・・・早く、来いよ」


 心臓を抑えながら威圧的な眼光で騎士達を竦ませる。


 痛みなんて何ともない。ノエルの背負っている運命はもっと重く苦しいはずだ。

 この体は、エリクという魂は、この程度の苦痛で折れるようにできていない。


 ノエルを救わなければ。その執念じみた強い意志が、今のエリクを突き動かす。


「僕は貴方達を倒してーーー絶対にノエルを助け出す!」


 立ちはだかる百人の騎士達。


 エリクの叫び声を合図に、開戦の火蓋は切って落とされた。


 ーーーーーーーーーーーーー



 宮殿にて戦闘が始まってから小一時間過ぎた頃。アンリは一人で夜道を歩いていた。


 ほんのりと赤い月光で照らされた路地に、人の姿はまるで見当たらない。吹き抜ける夜風を肌で感じながら、アンリは静粛とした道を宛てもなく漂浪する。


「はぁ・・・・私は一体何がしたいんでしょうか。自分でも分かりませんね」


 煩雑する自分の気持ちに整理がつかなかった。


 ただ無意味に彷徨っているわけではない。

 戦っているエリクの事を思うと、居ても立っても居られず、宮殿付近まで足を運んだ。しかし、応戦する決心がつかず、二人の無事を祈るしかできない。


『運命なんて・・・・いくらでも変えられるんです』


 一人の少年からアンリは未来の可能性を感じた。そして彼を信じると決めたのだ。

 それなのに・・・・彼の言葉を思い出す度、過去の残酷な光景が蘇り、アンリを引き留める


「私に踏み出す勇気があったのなら・・・・彼のように勇敢に立ち向かえたんでしょうか」


 エリクに加勢すれば、世界の全てを敵に回す事となる。幼少期の自分なら感情のままに、一切迷わずエリクの味方になるだろう。

 しかし、無慈悲な現実と対面した今では、とても実行に移すことはできない。


 エリクの行為は世界への叛逆だ。この世界に存在する全ての人間が、彼の覚悟を否定する。

 だが、少女のために命を賭して戦う少年の覚悟は、軽はずみに否定していいものでもない。


「結局、私は親友のために命を張ることもできない・・・とんだ臆病者ですね」


 アンリは自嘲した笑みを浮かべて、自虐の言葉を吐き捨てた。


 自分の選択を探し求めて、彼女は路地裏を彷徨い続ける。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーー



「・・・・やはり貴様が来たか、エリク」


 白亜の宮殿に辿り着いたエリクを待ち受けていたのは、ティルファニア帝国騎士団団長ーーー『炎帝』グラン・マーカス。


「どうして、君は来てしまうんだ・・・・」


 グランの背後には艶やかな銀髪を伸ばした少女が囚われていた。両手両足に鋼鉄の枷がつけられ、鎖で繋がれている。


「今ならまだ間に合う。早くこの場から立ち去るんだ」


「それはできない」


「何を言うんだ。アンリにも聞いたはずだろう?ボクの死は確立しているんだぞ。君が来てしまっては、意味がないじゃないか!」


 鎖に繋がれているにも関わらず、今にも飛び出しそうな勢いのノエル。怒りを秘めた眼光がエリクを射抜く。


 運命の結末は必然的に決まっている。そこに酌量の余地などない。下手に干渉すれば命が奪われるだけだ。

 それでもエリクは微動だにせず、据わった瞳でノエルを見つめる。


「運命なんて関係ない。僕は貴方を救うためにここまで来たんだ」


 彼の本気を悟ったノエルは息を呑み、あらん限りの声を荒げて叫んだ。


「っ・・・・失望したよ、エリク君。君はもっと聡明で謙虚な人間だと思っていたぞ!・・・・どうやらボクの勘違いだったようだけどね」


「どれだけ罵られたって構わないよ。・・・・けどね、僕は誰かを見捨てて逃げる事だけは、絶対に嫌なんだ」


 エリクの言葉に囚われの姫は言葉を失った。

 少女に畳み掛けるようにエリクは発言を続ける。


「涙を流す少女がいるなら、僕は手を差し伸べて助け出す。運命が悲劇の結末を辿るのなら、そんな未来は覆してみせる」


 精一杯の笑みを浮かべてエリクは告げた。


「例え世界が君を否定しても、ノエルには幸せになってもらいたい。だから、待ってて。ーーー僕は必ず君を救い出してみせるから」


 そう告げてエリクは歩き出す。蹌踉めく足取りで進むエリクの前に、グランが立ちはだかる。


「やはり貴方を倒さないといけませんか・・・・グランさん」


「悪いがこれも任務だ。お前をこれ以上先に行かせるわけにはいかない」


 意識が一瞬途切れ、霞む視界に映る世界が点滅して見えた。

 立て続けの戦闘を終えて、エリクの体は血液が不足している。全身に行き届く血が圧倒的に足りず、貧血症状を引き起こしていた。意識を保っている事自体が奇跡としか言いようがない。


「では、行くぞ」


 魔剣を強く握ったグランは、一足飛びに距離を詰めた。残像が見えるほど高速な移動に、エリクは反応が遅れる。


(左・・・・いや、右か!)


 いかにエリクと言えど満身創痍の状態では、刀身を視認してからグランの剣閃を受け流す事など不可能だ。

 熟練の感から魔剣の軌道を読み、寸前の位置で斬撃を受け止める。軋む衝撃が剣を介して伝わってきた。


 切り返しの横薙ぎを受けて、エリクの軸足がブレる。全身を激痛に蝕まれながら、エリクは鉄剣を逆手に持ち替えて反撃を試みた。


 しかし、体勢は崩れている。

 グランはその僅かな体重移動を見逃さない。エリクが歯を噛み締めた次の瞬間、魔力で強化されたグランの正拳突きが心窩をかち上げた。


「ガッ・・・・!!」


 臓腑が掻き乱されたような嘔吐感に襲われ、エリクは苦悶の声を漏らす。


 両腕を重ねて防御に移ったエリクだが、グランは躊躇なく蹴り抜く。エリクは背後の壁に勢いよく叩きつけられた。


「・・・・既に死に体だったか。その体ではもうまともに動けまい」


 喉元に込み上げる血液を吐き出す。傷口から鮮血が流れ出る。真紅の絨毯が白亜の地面を塗り潰した。

 エリクの体は既に限界を迎えている。


 倒れたまま動かないエリクを見て、グランは魔剣を鞘にしまった。


「そのまま奴が処刑される様を、指を咥えて見ていろ」


「・・・・っ」


 グランは背を向けてエリクに言い放つ。


 朦朧とする視界でグランを捉えているものの、喉から言い返す声が出ない。


 最早、エリクに余力など残っていなかった。痛覚はとっくに麻痺し、全身から緩やかに血が流れ続けている。四肢に力を入れても、動く気配すらない。

 気力だけで騙しに騙した体は悲鳴を上げている。


 世界を敵に回しても、ノエルを守る覚悟を決めてここまで来た。運命に逆らっても救い出すという決意を定めて、ここまで辿り着いたのだ。

 しかし、現実は変わらない。意思の強さだけではどうにもならない。自分の覚悟では誰かを救う事は叶わない。


 腕を伸ばせば、一歩進めばすぐ届く距離なのだ。それなのに、体は言うことを聞かない。想いだけでは届かないと思い知らされた。


 意識が遠退き始め瞼を閉じる寸前、エリクは走馬灯を見た。


『大切な人が危険に晒された時は、絶対に救い出してあげてね」


 彼方から声が聞こえた。懐かしい少女の声がエリクの魂に淡く響く。


 それは記憶によって構成された幻影の声なのかもしれない。しかし、エリクに語りかけた。例えそれが幻だとしても、その声は確かに背中を押してくれたのだ。


 そう。約束したのだ、あの夜に。


 決意したのだ、必ず救い出すと。


 だから、終わらせてなどやるものか。


 守り抜いてみせるのだ、今度こそ。


 そう固く決意した瞬間、酷く焼け爛れたエリクの手に、光り輝く誰かの手が重ねられた気がした。

 不思議と余念は消え去り、自然と力が湧いて出てくる。


 ーーーありがとう、セリナ。


 返答はあるはずもなかった。誰にも届かない感謝をエリクは心の中で呟く。


 全身の骨が軋む激痛を噛み殺し、エリクは剣を握って立ち上がった。


(絶対に救うって約束したんだ)


 確固たる意志を滾らせ、エリクは大地を思いっきり蹴る。


 放たれる尋常でない威圧。

 違和感を覚えたグランは咄嗟に振り返った。

 グランは素早く『煉獄の魔剣』を鞘から引き抜いて体勢を整える。


 エリクは全力で鉄剣をふりおろした。


「ぐっ・・・・」


 鋼鉄と鋼鉄が交わる甲高い音。


 魔術で身体強化を施しているにも関わらず、グランは腕力で押され始めている。


「やあああぁぁぁぁぁ!」


「この・・・・やられるものかっ!」


 覇気と共に放たれた一撃を馬鹿力で弾き返す。


 踏み止まろうと踏ん張るグランに、エリクは即座に持ち手を変えて振り抜いた。反射的に反応して後方に跳んだグランだが、斬撃を避けきれず鎧に刃傷が走る。


 グランは体勢を立て直すために数歩後退した。


「エリク、貴様正気か?この吸血鬼を救うと世界がどうなるか、本当に理解しているのか?」


 魔剣の矛先を向け、剣圧と殺気を横溢しながら立ちはだかる騎士団長。


「貴様の救い出そうとしているのは、世界に災厄を齎す魔族だ!此奴の存在は生きているだけで人々に危険を振り撒く!それを理解した上で、貴様は救い出すなどと言えるのか!」


「魔族だとか、吸血鬼だとか関係ない。彼女だって嬉しかったら笑うし、悲しかったら泣く女の子なんだ。何の罪もないノエルを、僕は殺させやしない!」


 エリクは鉄剣に魔力を流し込む。すると、魔力を帯びた刀身が輝き始めた。


 グランは『煉獄の魔剣』を起動させ、燃え盛る紅蓮の炎を纏う。


「例え世界を敵に回しても大切な人を守り抜く。そして、絶対にノエルを救い出して見せる」


「そうか。ならば貴様は国を脅かす脅威だ。俺は帝国を護る一人の騎士として、全力で貴様を排除する」


 ほんのりと赤い朧月の下、エリクとグラン、白銀の剣閃と真紅の閃光が交差した。

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