第十四話 「小さな英雄」
「もういいでしょう?何で諦めてくれないんですか」
全身傷だらけのエリクを見て、見兼ねたアンリは視線を逸らす。無数の裂傷から鮮血を流すエリクの体は既に限界を迎えていた。
「何の犠牲もない未来なんて、儚い幻想でしかありません。全てを救えると思っているなら大間違いです。望んだ結果を得られるほど、この世界は優しくない。どんな未来が待ち受けていようと・・・・私達は受け入れるしかないんですよ」
彼女の言う通りだ。犠牲のない未来なんて空想でしかない。それはエリクが一番理解している。
最小限の犠牲と引き換えに平和を得る、世界の見解は何も間違ってはいない。
「だから、諦めろって言うんですか?」
「はい。貴方が向かったところで、何も変わりはしません。大人しく現実を受け入れてください」
「目と鼻の先に救いを求めている人がいるのに・・・・目を背けて逃げるんですか?」
全身に力を入れて立ち上がり、不屈の闘志を瞳で訴える。
「ノエルが魔族だから生きてはいけないんですか?その現実に一番納得していないのは、貴方じゃないんですか?」
感情を押さえ込んだアンリの瞳を見て、エリクは言い放った。
どうにもならない現実を前に、取り繕った言い訳を聞かせて逃げる。過去の自分自身を見ているようで我慢ならなかった。
その覚悟の結末を知っているからこそ、エリクは過去の自分を否定する。
「貴方はただ逃げているだけだ」
「ーーーっ」
「僕はそんなの嫌だ。現実から目を逸らして、自分を守る事だけは・・・・もう絶対に繰り返したくない」
ーーー貴方はただ逃げているだけ。
それを聞き入れた途端、心の中で渦巻く感情が爆発した。理解不能な衝撃が迸り、募る感情が全身に染み渡る。
「貴方に何が・・・・分かるって言うんですか」
ただ逃げているだけ?貴方が私の何を理解していると言うのだ。簡単に諦めて親友を見捨てて、見たくもない現実から目を瞑って逃げているだけだと?
十二年前の残酷な記憶が想起する。
「貴方に何が分かるって言うんですか!!」
脳内の沸点を振り切ったアンリは怒気を込めて吠えた。激昂したアンリの怒声にエリクは身を竦める。
彼女の炸裂した感情に呼応するように、頭上に大量の武具が顕現し、圧倒的な速度で発射された。
「くぅ・・・・」
この世に存在するありとあらゆる武器がエリクに牙を剥く。アンリの剣撃を凌ぐだけで精一杯のエリクは、鉄牙に肉を裂かれながらながら防戦を強いられる。
態勢を立て直すために距離を取ろうと窺うエリクだが、彼女の猛撃はそれを許しはしない。
「私が何もしていないと、ただ諦めて逃げ出したと思ってるんですか。全てを切り落として、何もかもを投げ捨てたと本気で思ってるんですか!」
怒声を張り上げ、アンリは感情に従い剣を振るった。強烈な剛撃にエリクの腕が悲鳴を上げる。
「私だって、救いたいですよ。親友が奪われるなんて耐えられません。でも、思い知らされたんです。結末は誰にも変える事が出来ない!何度挑んでも、策を練ろうとも、手は届かないんです」
ノエルを救いたい想いは本心だ。しかし、彼女を連れ戻そうと試みる度、過去の幻影が脳裏に浮上し、アンリの精神を蝕む。
苦艱を噛み締めてアンリは俯いた。
エリクの黒瞳はアンリが見せた悔恨の表情を捉える。
「十二年前、私とノエルには魔族の親友がいました。一緒に暮らしていた家族のような存在です。ノエルやサラは正体を隠して生活していました」
当時、齢五歳だった彼女らは一日中家内での生活を送っていた。息苦しい鬱屈とした生活を毎日繰り返し。
魔族という事実を自覚していた彼女達は、何時も恐怖に耐えながら生きていた。
「ノエルの予知夢でサラの死は確定していました。それでも私達は生き残る道を探して、運命に抗うために未来を覆す方法を必死に思案しました」
三人は運命に苦渋の決断を強いられた。それでも彼女達は足掻くことを決意する。
幼い子供の浅はかで単純な試行錯誤に過ぎなかったが、三人はあらゆる智謀を尽くして運命に立ち向かった。しかし、確立した未来は無慈悲に彼女を迎える。
『未来視』の予言通り、一秒違わず正確な時間に彼女の正体が世間に露見した。
「けど、無駄だったんです。彼女は騎士団の人に殺された。異論を唱えた国民もみんな殺されました。ーーー確定した運命を変える事なんて出来るわけないんですよ」
アンリの叫びから自分自身を怒り憎しむ感情が伝わる。
何とかなる、助けられるーーーそんな酷く不明瞭で不鮮明なものに縋った彼女が招いた結果。その甘えが引き起こした悲劇だ。
アンリと同じ苦境を体験して、アンリと同じ苦痛を味わって、アンリと同じ絶望と対峙してまだ同じ言葉を吐けるのか。
「いくら抗ったところで不可能なんですよ。場合によっては無駄な死体が増えるだけです。提示された未来は誰にも覆せないんです!!」
無謀だと理解していながら三人は望んだ未来に手を伸ばした。
けれど、そんな都合のいい理想の結末なんて存在しなかった。助けたいと願っても、限界まで頑張っても届きはしなかったのだ。彼女達の望みは悉く運命に拒絶された。
叫び声と共に放たれた斬撃を受け、押し負けたエリクは後方に吹き飛ぶ。
跳ね飛ばされたエリクは大地を転がり、全身から鮮血を撒き散らす。
「お願いですから、立ち上がらないでください。頼みますから、もう諦めてくださいよ」
何度も立ち挑む少年の姿を見つめてアンリは喉を震わせた。
エリクの体は満身創痍だ。既に痛覚は麻痺しつつある。
それでもエリクは四肢に力を入れて立ち上がった。蹌踉めきながら、崩れそうになりながら、二本の足で立ってみせる。
その不屈さを前にして頭を掻き毟りたくなるような感情が胸を締め付けた。アンリの心中に理解不能な怒りが募る。
「どうして貴方は立ち上がるんですか。身に染みて分かったはずです。貴方ではノエルを救えない。魔族は死ぬしかない、結末は決まっているんです」
その言葉からアンリの心情を察するのは容易かった。
大勢の人を、何より親友を殺してしまった罪悪感。そんな結末を辿らせてしまった自分自身への憤怒。
「それでもどんな運命が待ち受けていても、僕はもう逃げないって決めたから。だから、絶対に挫けません」
「・・・・っ」
「僕はノエルを連れ戻しに行きます。例え世界が敵に回っても、彼女を見捨てたりはしない。僕はーーー」
何を言っても、どれだけ否定しても、エリクはアンリを否定してみせる。
その不愉快な発言に、アンリの激情が噴き出した。
「黙ってくださいっ!!」
アンリはエリクの言葉を遮るように声を荒げ、横溢している魔素を吸収しながら両手を前に突き出した。
「救うだとか、助けるだとか簡単に口にするな!偽善者気取りの妄言ばかり並べて、貴方は本心から未来を変えられると信じているんですか?貴方では運命を覆せない。ここで貴方が倒れる程度なら、ノエルを連れ出す事なんて出来やしない!!」
エリクに向かって湧き出る憤慨を吐き捨てた。
諦めてしまった惨めな自分へ。逃げてしまった愚かな自分に。本心に正直になれなかった自分が。理不尽な結末を前に弥縫する自分を。共に運命を背負う未来を選択しなかった卑賤で姑息な自分自身に向けて、ありったけの憎悪をぶちまけた。
(『幻想の具現化』!)
アンリの莫大な魔力が収束し、黄金の雷槍を創造する。天雷を宿した光輝な雷槍からは無差別に稲妻が放たれ、周囲の雑木を焼き尽くす。
雷槍は圧倒的な量の熱量を撒き散らし、その存在を誇示している。アンリは躊躇なく雷槍を掴み、穂先をエリクに向けた。
『幻想の具現化』は魔力を変換してあらゆる武具を創成する術式だ。硬度は現物にやや劣るが、その武具に宿る性能や恩恵はほぼ完全に再現できる。それが空想上の武器であ
っても。
アンリが創造したのは神話上の武具。天を貫くと伝承に記された神器。
天壌無窮・ルインの槍。通称 ブリューナク。
その雷光の如き一撃は必殺必中。穿てば最後、対象の魂を消滅させるまで幾万の激雷を放つ。絶対勝利の恩恵を宿した槍なのだ。
殺傷力は十分。常人なら見ただけで敵意を損失させ、屈服させられるだろう。しかし、彼は違った。
「いいえ、変えてみせます。ノエルが犠牲になる未来なんて認めない!定められた運命なんて、僕が覆してやる!」
それでも、エリクは引かない。
彼は漆黒の瞳を真摯に輝かせ、アンリに立ち向かおうとしている。
イリスの懇願を果たすために、過去に囚われるアンリを助けるために。何よりノエルを救い出すために、ここで引き返すわけにはいかないのだ。
エリクは全身に魔力を流し、頑丈な魔力障壁で全身を覆う。
「消し去れーーー『
そして万感の叫びの後に、雷槍は投擲された。
逃げる素振りすら見せず、エリクは全力で雷槍を受け止める。
幾万の天雷を束ねる雷槍は輝きを増し、エリクの魔力障壁を焼き焦がす。
雷槍は止め処なく激雷を放ち続け、大気中の魔素を根刮ぎ喰らって大爆発を起こした。森林は爆雷に焼き払われ、存在する物質全てを延焼する。
「ゴホッ・・・・ゴホッ・・・・」
荒い呼吸を続けながら咳き込むアンリ。
『天雷槍』の再現に体内の魔力を全て消費したアンリは、立つ事だけで精一杯な状態だ。
顔を上げて前を見る。その光景はまるで地獄絵図だった。地獄の巷にこそ相応しい業火の海が、視界に映る景色前面に広がっていた。
「私は・・・・私がっ・・・・!」
ーーー殺してしまった。
声にならない声を漏らして、アンリはその場に項垂れる。
ーーー自分が殺したのだ。
自分の手で、自分の意思で、何の罪もない一人の少年の命を奪ったのだ。
周囲の魔力が尽きると共に、地獄の火炎はやがて消失する。
「・・・・私だって、分かってはいるんです。自分が目を背けて逃げている事くらい」
親友の死を受け入れるのが怖かった。現実を受け止める事が嫌で、必死に否定していた。けれど、それでも少年は逃げずに真っ向から立ち向かってきた。
あの少年のように。
自分にも勇気があって、一歩を踏み出せたとしたらーーー。
少年に光明を見出した途端、視線の数十メートル先に一つの影が揺らめいた。
幻覚かと目を疑ったが、瞬きしても消える事はない。
「あは、あははははは。まさか・・・・」
アンリは思わず笑みを溢した。なぜならエリクが立ち上がったからだ。
両腕は酷く焼け爛れ、全身から緩やかに血を流している。因果逆転の恩恵を宿した雷槍を受けて尚、エリクは生きていたのだ。
糜爛とした腕から力を抜いてエリクは一言を告げるために、覚束ない足取りでアンリに歩み寄る。
「運命なんて・・・いくらでも変えられるんです」
その言葉を聞いてアンリは不敵に微笑んだ。
アンリはエリクの瞳を真っ直ぐ見つめて告知する。
「最後にもう一度だけ忠告しておきます。魔族は無意識に魔獣を引き寄せる。この世界にノエルの居場所なんて存在しません。貴方がやろうとしているのは世界への叛逆なんですよ」
突き付けられる現実の過酷さ。魔族の存在は世界から嫌悪される。それに加担するエリクも同様にして、世界から忌み嫌われるということだ。
「そう、ですね。貴方の言う通りです。でもーーー」
ノエルは救いなんて求めていない。エリク達が平和に過ごす未来を望んでいるだろう。
国々の均衡を破壊するかもしれない。先人が積み上げてきた世界が崩れ落ちるかもしれない。けど、そんな道を歩んだとしてもーーー。
「それでも僕は彼女が好きだから・・・・ノエルには生きていてほしい。幸せになってほしいんです。少し自分勝手ですけどね」
エリクが発したのは、一世一代の告白だった。
後先考えず飛び出した言葉に、今すぐ死んでしまいたいほどの羞恥心が湧き立つ。
得手勝手で我が儘で、野放図で身侭な事なんて承知の上だ。利己的な判断だと自分でも理解はしている。
それでも、どうしても離れないのだ。彼女が見せた笑顔が忘れられないのだ。
エリクはアンリに向けて優しく微笑した。
「・・・・ノエルは絶対に僕が救い出して見せますから」
その言葉を告げてエリクはノエルを助けに王城へ向かう。
「・・・・私の、完敗ですね」
振り返ってエリクの後ろ姿を見たアンリは、思わず笑みを溢した。小さく呟いた言葉は誰の耳にも届かず、風に巻かれて消えていく。
そしてアンリは確信したように頷き、
「ノエルを救うのは、きっと彼なんでしょうね」
小さな英雄の背中を見ながら、そう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。