第十三話 「夢幻の魔女」

 

「ーーーどこに行くつもりですか?」


 突然、鈴のように澄んだ声音がエリクに問い掛けた。

 思わず足を止めて目を凝らすと、木陰に背を預けて茶髪を靡かせるアンリの姿が見える。


 エリクが来る事を予測して、予め待ち伏せしていたのだろう。


「僕はノエルを連れ戻しに行きます」


「なら、貴方をここから先に通すわけにはいきません」


 感情を押し殺した頑なな表情で、アンリは林道の中心に立ちエリクを阻む。


「どんな理由があろうと、魔族は存在してはいけないんです。今回の巨竜は何とか対処が間に合いましたが、時間が経てばまた別の魔獣が襲ってきます。これ以上、ノエル一人のために犠牲を増やせません」


「ーーーっ」


 何も言い返せず、エリクは口籠る。


 巨竜がノエルの放つ魔性の香りに釣られ、襲撃を受けたティルファニア帝国は多くの犠牲者と甚大な被害が出た。それは純然たる事実で、隠しようのない真実だ。


 再び襲撃があれば、次は今回以上の犠牲者が出るだろう。その被害を事前に防ぐには、騒動の禍根である吸血鬼を抹殺するしかない。


 少女一人の命か、国民全員の命。彼女らの判断は当然で然るべきだ。


「・・・・気持ちは分かります。ですが、納得してください。世の中には幾ら努力しても覆らないものが、たくさんあるんです」


「・・・・」


「ノエルとエリク君の関係性は、ほぼ皆無に等しい。だから、貴方がこの件に関わる必要はありません」


 普段の静謐たる表情を捨てて、アンリは必死に訴える。

 それはエリクの身を案じての言葉なのだろう。


「確かに僕とノエルとは、一週間の関わりでしかありません。貴方達と比べたら微々たるものかもしれない」


「そうです。だからーーー」


「でも、だからと言って彼女を見捨てていい理由にはなりません」


 エリクの揺るがない意思を前に、アンリは深く溜息を吐いた。

 両者一歩も引く気配を見せず、口論は次第に激しさを増す。


「・・・・やっぱり、素直には諦めてくれませんか」


「もう時間があまりない。だから、そこを通してください」


「百歩譲って、貴方がノエルを救ったとしましょう。それで何が変わるって言うんですか。彼女が生きている限り、犠牲も被害も増える一方です」


「貴方の言う事は正しい。ノエルが最悪を振り撒く存在だということは否定しません。けど、彼女だってなりたくて吸血鬼として生きてるわけじゃない。ノエルにだって生きる権利はあるはずです」


 腰に掛かる剣の柄に触れ、過去の約束を思い出しながら、エリクは話を続けた。


「前にも言いましたよね。僕の剣は誰かを守るためにあるって。誰が何と言おうと、僕は大切な人を守るためにこの剣を振るいます」


「そう、ですか。なら仕方ありません」


 説得は困難だと判断したアンリは、全魔力を膨張させる。


 瞬間、剣呑な空気が辺りに充満した。

 温厚な雰囲気から一変して鋭い殺気を放ちながら、アンリは片手を天に掲げる。『幻想の具現化』で生成された鉄刃が射出され、エリクの頰を掠めた。


 エリクは鉄剣を引き抜き、臨時態勢を取る。

 この国に訪れてエリクは彼女に救われた。けれどーーー今回ばかりは譲れない。


「『夢幻の魔女』として、私は貴方を止めなくてはなりません。ここを通りたければ・・・・私を倒して行きなさい」


 無数の武具が上空に創成され、『夢幻の魔女』アンリはその腕を振り下ろす。


 すると浮遊する鉄剣が、長槍が、剛矢が一斉に射出された。


「くっ・・・・」


 アンリの魔力を纏い、指向性を持った武具は、一直線にエリク目掛けて降り注ぐ。

『幻想の具現化』で創造された武具は、音速を超える速度で襲い掛かる。


 白銀の軌跡を引く無数の投射物を、エリクは並外れた動体視力と反射神経で軌道を予測し、白閃の剣撃で何とか防ぐ。


「全ての攻撃を防ぐとは、流石ですね。けれど、いつまで耐えきれますか?」


 アンリは腕を前に突き出し、軽快に指を鳴らした。すると武具は回旋し始め、貫通力と速度が増幅する。


 一撃一撃は非常に軽い。単純に魔術の威力ならばノエルの方が勝っている。

 しかし、脅威なのは尋常でない速度だ。射出される武具は異常な速度で標的を射る。エリクでさえ、ギリギリ視認できるほどだ。


 アンリの使用する固有魔術『幻想の具現化』は、速度という一点に限れば、他の魔術を遥かに凌ぐ。


 真正面から迫る鉄刃を弾き、数歩後退するエリク。


「その姿を明示せよ、『幻想の具現化』」


 僅かにエリクの態勢が崩れた隙を逃さず、アンリは黄金の剣を創成して、一気に距離を詰める。


「はあああぁぁぁぁああ!」


 勢いよく振り下ろされた黄金を、エリクは反射的に受け止めた。


 荒れ狂う剣舞の嵐。交錯する白銀と黄金の剣閃。凄まじい猛攻に全力で耐えるエリクだが、アンリの容赦ない猛撃を受けて腕を軋ませる。そこでアンリは黄金の剣を振り上げーーー。


「万象の理を束縛せよ、『呪縛の魔剣 《アス・クレピオス》』」


 アンリの純麗な魔力が放出され、袈裟に下された黄金を受け止めた直後、超重力がエリクの全身を超重圧が襲った。


「うぐっ・・・・かはっ・・・・!」


 その衝撃に膝が揺れ、身体中が悲鳴を上げる。

 この圧力は無詠唱で発動できる魔術の類ではない事を、エリクは瞬時に看破した。同時にエリクはこの超重力が黄金の魔剣のものだと悟る。


(・・・・身体が重い。これが魔剣の能力か!)


『呪縛の魔剣』の魔装、『重哮グラヴロア』。接触した物体の重力を自在に操作する能力だ。


 押し潰すような超重圧に堪えながら、エリクは歯を噛み締める。


(『幻想の具現化』は魔剣の能力でさえ、再現可能なのか!)


 魔術で複製された偽物と言えど、魔装の威力は現物と同等、下手をすればそれ以上かもしれない。

 緻密に構築された魔術式とアンリの完璧な魔力操作が、魔装の再現を可能にしている。


 そんな思考を掻き消す激しい衝撃に、エリクは地面に叩きつけられた。


「・・・・さて、少しは理解しましたか?貴方がどれほど無謀な挑戦をしているのか」


『呪縛の魔剣』は原型を留め切れず、儚く砕け散る。その直後、超重圧がエリクを解放した。


 冷ややかな視線でエリクを見下ろし、生成した鉄剣の矛先を向けて告げる。


「私が貴方を通したところで、一体何が変わるって言うんですか?」


「それは・・・・」


「魔族の存在は世界にとって災厄の象徴。ノエルを救おうとするなら、世界の全てが貴方の敵になります」


 魔族の存在は多大な犠牲を生み出す。故に魔族は世界から殲滅しなければいけない。

 もしその規則に仇なす者が現れたのなら、それは世界への叛逆。大々的な敵対宣言。


「この際キッパリ言っておきますよ。偽善だけで命は救えない。私一人に手も足も出ない貴方では、ノエルを救う事なんて不可能です」


「でも・・・・それでも、僕はーーー」


 折れないエリクの姿に、アンリは不思議な苛立ちを覚える。アンリは心中で渦巻く感情を殺すように唇を強く噛んだ。


 そして反抗するエリクの言葉を遮るように彼女は言い放つ。


「それにこれはノエルの頼みでもあるんです!」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 ーーー「ボクに残された時間は、もう五日程度しかない。だから最も信頼できる君に、聞いてほしい頼みがあるんだ」



 告げられた言葉を飲み込み、噛み砕いて咀嚼する。その言葉の真意を理解するまで、実に数十秒の時間を要した。


「な、何を言っているんですか?いくら何でも冗談きついですよ。あははは」


「ボクは本気だよ」


 動揺するアンリの口調は崩れ、軽率な態度で応じてしまう。

 しかし、ノエルの表情は変わらない。真剣な顔つきで、覚悟を決めた瞳でアンリを見つめている。


「『未来視』には危険を察知する能力が備わっているのかもしれないね。ボクは数ヶ月前から予知夢を見ていた。自分が殺される映像を、ね」


『未来視』の見せた予知夢、それは悪夢のような体験だった。

 最初は酷く霞んでいて曖昧な夢だったが、月日を重ねるにつれて次第に鮮明に、明確に自分の未来を示しだした。


 意識が闇に沈んだ途端、視界に映る惨憺たる光景。白と赤の世界に一人鎖で繋がれたノエルは、何の抵抗も出来ずただ眼前の死を待つだけだ。恐怖しても、絶叫しても、その時は無慈悲にやって来る。


 背中に突き刺さる無数の鉄剣。身体を焼き焦がす紅蓮の業火。

 何度も、何度も、何度も。死の激痛を味わい、幾度となくノエルは死に絶えたのだ。


『未来視』の見せた未来は絶対。覆す事など叶いはしない。


「ボクはもう生きられない。だから、君に『お助け屋』を任せたいんだ。どうか、エリク君達をお願いしたい」


 深く頭を垂れて懇願するノエル。

 その死を前提とした心頼みに、アンリは髪を振り乱して反発した。


「そんなのおかしいです!」


 暗澹とした表情のノエルへ、強く抗弁したのである。


「予知夢で自分の死を見たぐらいで諦めるなんて、ノエルらしくありません。私は諦めませんよ。無謀な挑戦でも抗ってやります。それに、ノエルの犠牲の上に成り立った人生なんて、私は嫌です」


「ボクだって生きたい、生きたいよ。・・・・でも、仕方がないじゃないか!ボクの死は確定しているんだ」


 ノエルは拳を強く握り、地面に視線を落として答えた。


「全然解決になってません!そんな理由で親友を見殺しになんて出来ない。まだ、何か方法が残っているはずです。ノエルの死を回避する方法がきっとあります」


「そんなものはどこにも存在しない。『未来視』については、君が一番よく知っているだろう?場合によっては、無駄な死体が増えるだけだ」


 幾度となく見続けた予知夢の中で、三人は自分を救うために国に叛逆し、目の前で切り捨てられた。


 大切な人が殺される残酷な光景は、もう二度と見たくない。自分のために命を散らしてほしくない。


 もう嫌なのだ、その悲劇を繰り返す事だけは。


「何で諦めるんですか!貴方が諦めてどうするんですか!ノエルが死ぬ、そんな理不尽な運命なんて私は認めません。エリク君達も力を貸してくれるはずです。だからーーー」


「自分のせいで君達が命を落とす姿をボクは見たくない。ボク一人の犠牲で幕を下ろせるなら、それに越したことはないじゃないか!」


 その一言を発端に二人は口を閉ざした。

 静寂が包む空間で、アンリの声が淡く響く。


「・・・・どうして、ですか?」


「・・・・」


「どうして、そんなにすんなり運命を受け入れられるんですか?」


 自分の身を煉獄に投じてまで、何をしたいのかアンリは理解できずにいる。


 顔をくしゃくしゃに歪めたセリナを見つめ、ノエルは虚しく微笑して答えた。


「君が、君達が大切だから」


 率直な返答にアンリは一瞬動揺する。


 そんな反応をするアンリに満面の笑みを返し、胸に手を置いたノエルは言葉を継ぐ。


「君達が大切だから、ボクのために死んでほしくない。苦しくても、辛くても君達には生きていてほしい。心から、そう願っている」


 ノエルの一言から慈愛の感情が伝わってきた。

 尊敬する親友のその想いを聞き届けたのだ。


「全てを親友の君に託す。アンリ、君達は生きてくれ」


 そう告げて、ノエルは立ち去った。


 運命を一人で背負う少女の背を、アンリはただ見送ることしかできなかった。

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