東京回想-Recollection of Tokyo-

星崎ゆうき

東京回想-Recollection of Tokyo-

鮮やかさを失いつつある過去の風景は、モノクロではないにしても極端に彩度が低い。あと少しでグレースケールになれるのに、まだほんのり色彩を残しているのは、過去が過去になりきれていないからであろう。


過去という時間の存在の仕方。あるいは存在論的な「過去」とでも言おうか。過去の風景は現前しない。しかしながら僕は僕にとって良き過去を、現前するがごとく、それをリアルに感じることがある。それはすでに限りなく透明な時間となっているはずなのに。


僕はかつて東京という街に住んでいた。もう10年以上も昔のことだ。

東京というと一般的にはどんな印象があるだろう。日本の人口の約10%が集中する過密空間。市町村という行政区分から逸脱した特別指定23区。張り巡らされた公共交通機関は、都心から都外近郊都市まで直通運転される鉄道網により複雑な人と物の流れを生み出している。首都圏の高層ビルを縫うように設置された高架道路、首都高速。夜の首都高速は明滅する高層ビル群の間を流れる川のように多くの人や物資を運び、寝ることを知らない。


そんな東京の行政を支える、都庁第一、第二本庁舎ビルが存在するのが新宿だ。僕はこの街が好きだ。東京を環状に取り巻く山手線と、東京を中央に貫く中央線、総武線が交差する場所。車であふれかえる甲州街道。線路の向こうにNNTドコモ代々木ビルの見える高島屋付近。


多くの人たちが交差しすれ違っていく街。この街をわけもなく歩いき、そして多くの人とすれ違った。あたりも暗くなると、夜空に点滅する赤い航空障害灯が高層ビルのシルエットを描きだす。


新宿を出ると、意外にも住宅街は近い。東京の住宅街は今も昔もそれほど変わらない。21世紀になって、どれほど未来的な都市になるのだろうかと、80年代、子供のころに想像した未来都市、東京はこの住宅街には未だ存在しない。小学校の裏の細い道のわきには神社があり、手前の坂を下ればあいも変わらず商店街がある。無機質な集合住宅の中心にある小さな公園には昔と同じ光景が広がっている。今じゃ屋外で、喫煙は難しい街となったが、10年前は案外そうでもなかった。古びたベンチに腰を下ろして、煙草に火をつける。そんな時間がちょっと落ち着くんだ。


主要住宅街は私鉄沿線に広がっており、世田谷、練馬、板橋、杉並、武蔵野市…。東京は西に広い。私鉄急行列車が止まるところは、駅前も開けており、私鉄関連会社が運営するバスや都営のバスが行き交う。


なかなか開かない踏切。狭い私鉄駅の階段。駅前のスーパー。夕方になると帰宅を急ぐ人たちで混雑する風景。


板橋区は坂が多い。小高い丘の上にもマンションがそびえる、東京のベッドタウン。狭い路地に密集する住宅地。悪く言えば郊外の風景がただただ広がる街だ。古くから団地街が発展し、集合住宅を形成している区域が多い。成増団地や高島平団地と呼ばれる区域には、昭和30年~40年代にかけて整備された古びた団地が立ち並ぶ。いまだレトロなセンスのその町並みは、今や貴重な文化財とすら思える。僕はそんな団地街で育った。わけあってしばらく帰ってない。


大都市のイメージに似合わず、近郊の住宅街は、いわゆる都市のイメージとは離れているかもしれない。人は「都市」には住めないのだろうか。高層ビルと、それを取り囲むように雑居ビルが立ち並ぶ東京の中心地に比べて、近郊の住宅街はなぜか暖かい。住宅街は多くの人たちが交差しすれ違う場所ではないのだ。そこにあるのは安心と休息。人と人が向き合う場所。東京という街には、「すれ違い」と「向き合い」、そんな2面性を感じる。


新宿の街と、郊外の住宅街に垣間見るその2重性が織りなす景色と風情のギャップが東京の魅力なのだけれど…。だがしかし、一番東京が魅力的に見えるのは、東京の大地からの眺めではない。あるいは東京に立地する建物からの景色でもない。それはどこか。


それは都外に出て、東海道新幹線で東京へ戻るときにだけ目にすることができる風景。


関東に住む僕は、帰りの新幹線が新横浜を過ぎ品川駅を出るころ旅の終わりを感じる。時刻はたいてい夜8時を回ったころだ。品川を出ると左手には都会の高層ビル群が夜空にそびえる。下に並走する山手線を眺めながら、視線をやや上に向ければ、航空障害灯が赤く点滅するビルとビルの隙間から東京タワーが見え隠れする。車内には東京駅に近づいた事を知らせるアナウンスが流れる。聞きなれた路線名と乗り換え案内のアナウンスが終わると、今度は英語のアナウンスに切り替わる。そうして東京タワーはいつしか見えなくなり、窓から見える在来線の駅ホームには帰宅を急ぐ人たちであふれかえる。夜の東京。


そう、それだ。一番東京が魅力的に見えるのは、実は東海道新幹線が品川を過ぎたころに車窓に映し出される夜の東京だ。僕は旅先で出会うどんなに素敵な風景よりも、夜空にそびえる高層ビルにまとわれた都会の灯りが好きだ。


六本木ヒルズから見える東京タワーも良いかもしれない。「東京タワーは暖かい」誰かがそんなことを言っていた。ただ六本木ヒルズは僕には少し冷たい。横浜の夜景もそうだった。今や東京タワーの実質的な役割は東京スカイツリーにとって代わられた。しかし僕はどうもあの浅草のはずれにできた、真新しい塔が好きになれない。浅草に高くそびえる塔は似合わないと僕は思う。


東京と言う街はその中からのぞいても真の魅力に気が付かない。僕は日本各地を旅するようになってそれを実感した。人はどうしても帰る場所が無ければ生きてゆけない。当時の僕は東京でどんなに辛いことがあっても、ここで生きてゆかねばならないという強迫観念に付きまとわれながら、ただがむしゃらに働いた。どんなにつらくても前を向いて生きてゆかねばならない現実に半ば失望しながら、あらゆる感情を捨て、ただひたすら働いた。そしてあるとき、東京の街に失望した。


その頃、少し前に行った京都が懐かしくて、でも京都に行く気にもなれず、でも旅がしたくて。日本各地を旅したのはそんな時だった。失望した東京を離れて、非現実を実感したかった。しかし、東京に戻ってくると案外いろいろな魅力にあふれている、旅に出るたび、そして帰るたびに、そんなことに気が付いた。

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