始まり・弐

ーーさて。


一通り屋敷の中を散策し終えたらその次は、やはり外周りだろうか。躊躇うことなく森の奥へ足を踏み入れる。確か、あまり奥へ行き過ぎると危険だからと、山と森の境目にロープで線引きがされていると侑一が言っていたと思う。

ーーロープが見えたら引き返せばいい。

そう言い聞かせ、好奇心に導かれるまま足を進める。既に空は黒く、右腕に巻かれた時計の針は午後7時を指していた。頭上を覆うほど巨大に成長した木々のせいもあり、懐中電灯が無ければ何も見えなかっただろう。


仄かな灯を頼りに奥へ、更に奥へ。

すると、電灯の光の先に妙な塊が落ちているのが目に付いた。ーー本だ。土と草にまみれ、雨にもさらされたのか表紙も中身も全て皺々によれてしまっている、赤茶けた装丁の本。題名も作者の名も汚れにより読めなくなってしまっている。


ーー何故、こんな森の奥に本が有るのか?

疑問に思いながら頁を捲ろうとした、そのとき。


……ぎーーーーーぃ、

……ぎーーーーーぃ、


古い扉が軋む様にも似た不快な音が耳に入った。それに反応して、思わず目線を本から離した、その先に。



人間のーー否、人間ではないかもしれないが、人のそれと同じ形をした、けれど人よりもずっとドス黒い足が目の前で揺れていた。黒いといっても人種的な肌の色の問題ではない、まるで全身をライターで炙られたかのような薄汚い焦げた黒、それが右へ、左へと規則正しく揺れている。どくどくと心臓が音を立てる、これは駄目だ、これは見てはいけないものだ、今すぐにでも逃げろと。けれど意志とは裏腹に視線は勝手に上へとーー足の持ち主へと向かっていく。太股が、腕が、体が見えて、そしてーーー

ぽっかりと空いた二つの穴がこちらを覗き込んでいた。


……ぎーーーーーぃ、

……ぎーーーーーぃ、


見ている。

が自分を見ている。

冷たい汗が身体を這い、脳はずっと警鐘を鳴らしているのに、社の体はまるで金縛りにでもあったかのように動けなかった。肉体は自由な筈なのに、目がそらせない。手足は氷のように冷たくなり、小さく震えている。どうにか此処から逃げ出そうと足を少しだけ後ろに引いた、


……がしっ


。ぎりぎり、まるで人とは思えない力で持って社の右腕を締め上げる。着けていた腕時計が黒く溶けて地面へと消えていく。咄嗟に懐中電灯を首吊体の顔面へと投げつけ、森を走り抜ける、とにかくどこかへ逃げなければ、どこかへ、家へ、早く、早く!!!!!



ーー気づけば家へ戻っていた。探索へ行ったきりだった社を心配し探しに行こうとした侑一にぶつかり、ようやく逃げ出せたのだと一安心し息を吐く。背後の闇を振り返っても、あれの発していた這うような冷気は感じられなかった。どうやら、追ってはきていないようだ。


風呂に入る頃には、あれは本当に現実だったのか、もしかしたら夢だったのではないかと微かな期待を持っていたが、ふと右腕を見ると、がーー……。


あれは、あの首吊り死体は、本当にー……

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百奇 花喰八十 @kazikiyaso

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