39kgは重すぎる(15)
郊外の喫茶店『すくらんぶる・えっぐ』は、お昼時が近いというのにがらんとしていた。
「お好きな席にどうぞ」
南国ペンション風の内観に合わせて、ゆったりしたかりゆし姿の男性マスターが、カウンターの向こうから声を掛けてくる。点けっぱなしのテレビから聞こえてくる底抜けに明るい笑い声が、やけに耳に障った。
「あそこで良いかな?」
あたしを『すくらんぶる・えっぐ』へと誘いだした女性がそう尋ねてきたので、黙ってうなずく。四人がけのゆったりとしたテーブル席。テレビが近すぎるのが気になったけど、異を唱えるほどでもない。
「好きなものを頼んで良いわよ。コーヒーでも紅茶でも、なんならパフェでも」
「見ず知らずの人に奢ってもらうのはちょっと」
「そうかぁ。まぁそうだよね」
あたしはお冷やを持ってきたマスターにアイスコーヒーを注文した。女性もメニューにさっと目を通した後で「カモミールティーをお願いします」と言う。
少し甲高い声も、明るめなブラウンヘアも、同性のあたしから見てもはっとするような綺麗な顔立ちも、何一つ変わるところはないのに、初めて会ったとは何もかもが違っている。おそらくこちらの方が、本当の姿なのだろう。
そう。先ほどあたしのケータイに電話を掛けてきたのは――でもって、『お兄さんの本当の狙いを知りたくない?』と言ってきたのは、グリーンデイズの店内でひと騒動を起こしたあの美人さんだったのだ。
「それじゃあ改めて自己紹介をしておくね。あたしの名前は
「付き合い、ですか」
思わず声に出して言ってしまった。東高在学当時の兄はかなりモテていたようだが、誰かと深い仲になったという話は聞いたことがない。
「ごめんごめん。ちょっと語弊のある言い方だった。男女の付き合いがあったわけじゃないから、そんなにびっくりしないで。彼とはただの部活仲間。それ以上でもそれ以下でもないよ」
照れて否定しているわけではなさそうだった。実際、恋愛感情はないのだろう。
「……飲み物が来る前だけど、とっとと本題に入ろうか。ま、こっちから連絡を受けた時点で、大方察しはついたのかも知れないけど」
「その前に、それこそさっきの電話のことなんですけど、あれって本当に兄の番号なんですか?」
「ん? や、違くて、普通にあたしのだけど? 知らない番号からの電話だし取ってくれないんじゃないかと心配してたたけど、流くんは必ず出るから大丈夫だって言うもんだからさ」
言われてようやくのこと思い出す。兄が川原家に戻って来てから、一度だけあたしのケータイを貸したことがあった。あの時に内海さんの電話番号を『川原流』という名前で登録したのだと。あたしにはもちろん、内海さんにも了解を取らずに、だ。
――終わったらすぐ返して。着信履歴とかメールボックス見たら殺すから。
――わかった。気をつけよう。
あたしは怪訝な顔をしている内海さんに自分の携帯電話の着信履歴を見せて、事の次第を説明する。
「……妹さんに言うことじゃないけど、やり口がひどすぎてちょっと引くわ」
「ええ。これで約束を守ったつもりでいるなら、思い切り蹴飛ばしてやりたいです」
あたしは罪なき床に足を強く押しつけて気を紛らわせると「いきなり話の腰を折ってしまいました。本題に戻りましょう」と言った。
「オーケー」
内海さんは快活そうにうなずくと、タイミング良くマスターが持ってきてくれたカモミールティーに口をつけてから、話を再開する。
「とりあえず、ファミレスでの一件が茶番劇だったってところまでは良いよね?」
「良いと言わざるをえないですね。それこそ内海さんがこうやってあたしに接触を図ってきた以上は」
「シナリオライターによれば茶番劇だとわかるような伏線も張っていたみたいよ?」
「内海さんが本当に犯罪を計画しているなら、お店の中であんな騒ぎを起こすはずがないってことですか?」
「それもあるけど、流くんとしては、法律上、原付に30kgを越える荷物を載せてはいけないことになっているというのがポイントだったみたいよ? 載せて動かなくなるってことはないだろうけど、39kgの荷物を持ち運ぶのに原付を使うって選択肢が出てくること自体が不自然なんだと。そんなの運転免許を持ってなきゃ知りようがないって、妹さんと同じ立場なら思っちゃうけどねぇ」
知りようがない、か。実際あたしは原付に荷物の重量制限があることを知らなかったわけだが、だから兄とのゲームに負けてしまったことをしょうがない割り切ることはできそうになかった。
「問題は流くんがどうしてあんな茶番劇のシナリオを書いて、あたしに演じさせたのか、だよね」
「川原家を出て行くため――ではないんですよね?」
兄はグリーンデイズでの茶番劇を、あたしを追い払うのに使ったが、それが本来の目的だったとは考えにくい。
「初めからそのつもりならあたしだって手を貸したりはしないよ」
あの茶番劇には何か別の目的があったはずだ。でも、その理由があたしにはどうしてもわからなかった。
「ぴんとこないか。うーん。こっちが目立ちすぎたのかな」
「こっちが目立ちすぎた?」
「あの日、ファミレスでおかしな動きを見せたのは、あたしだけじゃなかったんだよね」
内海さんが意味ありげに笑ったのを見て、あたしの心はひどくざわついた。原因はわからない。わからないが、自分が何か致命的な見落としをしていたという予感はあった。
「あたしが騒いだときにさ、ウェイトレスの人が食器を床に落としたでしょう?」
あの丸顔のウェイトレスさんだ。言われてみれば、食器を落として派手な音を立てていたっけ。
「タイミングがおかしいとは思わなかった?」
「え?」
「あたしが電話に向かって怒鳴り始めた矢先なら、別におかしくはないんだけどさ。あのウェイトレスの人が食器を落としたのは、あたしが『39キログラムは重すぎる』と言って、『業務用の原付スクーターでも使うなら話は別だけど』と畳みかけた直後のことだよね? ウェイトレスの人は何に驚いていたんだろう」
背筋に冷たいものが流れた気がした。あたしはその冷たさの正体を理解できぬまま、よく冷えたアイスコーヒーを頼んだことを悔やんだ。
「それと、これは流君から聞いた話だけど、あなたたちがお店を出るときに、ウェイトレスの人がフロアマネージャーと一緒に駐輪場にいたんでしょ? その時に、彼女が何て言っていたか思い出せる?」
「ええと……くれぐれも無茶はしないでくださいよ、とか、なるべく早く帰って来てとか、そんなようなことを言ってたと思いますけど」
「流くんの話では『くれぐれも無茶はしないでくださいよ。かえって』と言ってから、妹さんに見られていることに気づいて『帰ってきてくださいね。なるべくでも早く』と言い足したという話だったけど」
「ああ、言われてみれば確かにそうですね」
「流くんは、最初の『かえって』は、元々別の意味の言葉だったんじゃないかって言っていた。例えば『却って藪蛇になっちゃわないように』とか、ね」
あたしは「あっ」と小さく声を上げた。言われてみれば、あたしたちに見られていることに気づいたときのウェイトレスさんの態度は普通ではなかった。職場恋愛の現場を客に見られてしまったから? 違う。そうだったら、早く帰って来て欲しいと言い足すことはしないはずだ――!
「頃合いだね」
内海さんはあたしの心のうちの混乱を見透かしたようにそう言うと「ちょうど良い時間だからニュースを見よう」と言って、テレビの方に向き直った。
「続いて県内ニュースです。五十海市の路上でマンホールを盗んだとして、五十海市警は本日未明、窃盗と器物損壊の疑いで、市内飲食店勤務の男女を逮捕しました」
一瞬、テレビの画面が切り替わって、警察に連行される男女の姿が大写しになる。顔を伏せているが、すぐに誰なのかわかった。グリーンデイズのフロアマネージャーとウェイトレスさんだ。
「関係者によれば、警察の調べに対し容疑者らは『盗品を別の場所に移すところだった』『勤務先の飲食店で配達をする際に現場の下見を行っていた』などと犯行を認める供述をしているとのことです。五十海市では今月に入ってからいわゆるご当地マンホールの盗難事件が続発しており、五十海市警では引き続き男女の余罪など詳しい状況を調べています」
やられた。あたしはポケットの中にしまってあった五十海市の略地図を取り出して、テーブルの上に広げる。改めて確認するまでもなく、マンホール盗難事件があったことを示す赤字の『×』は、グリーンデイズの辺りから放射状に分布していた。
「その地図、流くんからもらったの?」
「あ、はい。そうですけど」
あたしが答えると、内海さんは小さくため息をついた。
「犯行の性格上、窃盗犯の一味が入念に下見をした上で犯行に及んでいると考えた流くんは、犯行現場の位置関係からグリーンデイズの従業員が一枚かんでいる可能性があると考えたみたいね。もちろん決定的な証拠はない。だから、あたしを巻き込んで一芝居を打つことのしたというわけ」
カモミールティーのティーカップを指で弾いて、内海さんは続ける。
「……正確には業務用スクーターを使ってご当地マンホールを盗んでいたわけではないけど、『39kgは重すぎる』というワードと『業務用スクーター』のワードの合わせ技は、窃盗犯のグループを動揺させるのには充分な効果があったんでしょうね。あの日は配達にかこつけてマンホールの隠し場所を確認するだけに留めたんでしょうけど、結局、不安に耐えきれなくなって隠し場所を変えようとしたところで逮捕される結果になってしまった、と」
「全ては兄のシナリオ通りに進んだわけですね」
「腹立たしいことに、ね」
内海さんは冷たく言って、カモミールティーに口をつける。これまでの話しぶりから内海さんと兄の関係が浅からぬものであることは察しがついたが、その関係はやはり恋愛に類するものではないのだろう――少なくとも、今現在は。
「「それで――」」
あたしと内海さんは同時に言いかけて、口ごもった。
「どうぞ」「いえ、どうぞ」「いえいえ、どうぞどうぞ」
型どおりの譲り合いをした後で、内海さんは微苦笑を浮かべて「多分、同じようなことを言おうとしてたんだと思うよ」と言った。
「事件は解決した。流くんが解決した。だったら、流くんは戻ってくるのか。聞きたいのはそういうことでしょ?」
あたしは黙ってうなずいた。
「でも、おおよその答えは妹さんもわかっている」
もう一度、深く。
「帰ってくるつもりはないんですね」
兄は『事件が解決したらその後で家に戻ると約束しよう』と言った。いくらあたしがバカでも『その後』というのが具体的にどれくらい後のことなのか口にしなかった理由くらいはわかる。
「最後に会ったとき、彼は『たとえ過去に罪を犯したものが罰せられなかったとしても、世界は公正でなければならない』と言っていた。あたしにはそれがどういう意味なのか全くわからなかったけど、多分そういうことなんだと思う」
「……内海さんが兄と最後に会ったのはいつのことなんですか?」
「ファミリーレストランの一件が会った次の日。それから後のことは、あたしも知らない」
内海さんは冷たく――けれど、どこか寂しげに笑ってから、ティーカップの中身を飲み干した。
「これは実の妹さんに言うことじゃないかも知れないけど、流くんのことはもうあまり考えない方が良いと思う。どんなご立派な使命を背負ってるつもりのか知らないけど、つまるところ自分の好きなようにやりたいだけなんだから。今回のことはこれが最後ってことだから仕方なく引き受けたけど、あたしはもうこりごり。そりゃあ、楽しい思い出だってあったけどね。今のあたしには彼の生き方は重すぎるから。それこそ、39kgのマンホールなんかよりもずっと、ね」
【了】
アオハル・ユース・ミステリー mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio
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