薔薇の聖餐 -6-
「ご苦労様でした」
モニタに映しだされた報告書を読みながらランコが労いの言葉を口にする。
イオは、書類の些細な言い回しを指摘されなかったことを幸運に思いながら頭を下げた。
二人を隔てる業務用デスクの上には様々な書類が積み上げられている。電子化して処理出来るものばかりだが、こうして紙媒体に出力して積み上げておけば無駄話をする輩も寄ってこない、というのがランコの作戦だった。
イオは彼女の言うところの「無駄話をする輩」ではないので、その作戦を彼女自身から教えてもらっている。
「貴方のところでのミズチの研修は今日が最後ね。来週からはミオトと一緒に井坂課長の下に入ってもらうことになっているわ」
「あの二人がですか? 井坂課長、へルニア悪化したりしないでしょうね?」
冗談混じりに言えば、女上司の乾いた笑いが返ってくる。
「その時は仕方ないわね。ヘルニアを抱えた上司と上手くやっていく研修に変えるだけよ」
さてと、と彼女は冗談の応酬を切り上げると端末を操作する作業へ戻る。
「薔薇の聖餐はどうだった?」
「え? あぁ、綺麗でしたよ」
「ミズチは何か言っていた?」
「さぁ。彼女は普段あのジャンルの本は読まないらしく、いまいちピンと来ない表情でしたね」
「それは何より。昔のことだけどあの本の世界に吸い取られた先輩がいてね」
吸い取られた、という言葉にイオは身を固くする。
異常処理係はエディグマを使用して精神を仮想世界の中に移行する。一般人のように仮想世界を見るだけとは違い、五感全てを使って仮想空間に身を置くことが出来る。
それ故に、本の中の非日常や幻想的な風景に魅入られてしまう者も少なくない。
エディグマを使用して本の世界に入り、そのまま戻ってこなかった処理係は何人か存在する。そしてそうした者は元から本の世界に存在しなかったが故に「異常」となってしまい、かつての同僚や部下や上司によって排除される。
吸い取られた者達の末路は悲惨でしかなく、彼らはいつ自分たちがそうなってしまうかを恐れていた。
「苦手分野の仕事だけ出来れば良いのだけど、そういうわけにはいかないしね。羽坂、貴方はSFが好きなんだから気をつけなさい」
「大丈夫ですよ」
何の根拠もないのにそう言い切ると、イオは彼女に踵を返した。背後で溜息のような苦笑のような曖昧な声が零れた。
End
イレギュラーストーリー 淡島かりす @karisu_A
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