第6話 戦い終わって ~目覚めともうひとつの決着~


 ――それから一時間もしないうちに、状況は収束へとむかった。

 連邦海軍の軍艦が接舷し、あっという間に武装解除を終わらせ、船員たちを外に運び出してしまったのだ。

 トマスたちは、海軍からの指示に従って船に戻って待機をしていた。

 やることもなくなり、軍人たちの手早い活動を甲板から眺めるのは、レイナ、エドワード、カーミラの三艦長だ。

 その視線の先には、両脇を抱えられて運ばれる敵艦の船員の姿があった。

「……まるで死者のような目だな」

 まるで人形のような挙動をする船員の姿に、思わずエドワードが毒づいた。

「おそらく、マイクローゼ励起による人格破壊ってところだろうね……詳しくはわからないけど、元の生活は無理だろうさ……」

 なぜか詳しい解説をするカーミラにエドワードが一瞬不思議な視線を送るも、少女は遠い視線を彼方に投げるだけで、なにかを語ろうとはしなかった。

「あんな人形連中に、オレの船はぶっこわされたのか!?」

「たぶん、命令できるヤツがいたんだろうね。いくら技術が進んだからって、人形で動くほど船は簡単じゃない」

 憤慨するエドワードの疑問に答えたのは、甲板に現れたレイナだった。

「幽霊が言っても説得力がないねぇ」

 カーミラのつっこみに、皆で笑いあう。

 笑い声は波音に混ざり、海の中へと消えていく。

「……あのお嬢ちゃんは、大丈夫なのか?」

「あたしは専門家じゃないから、何とも言えないよ。あの娘の生きる力に賭けるしかない」

「あの子が――トマスが命張って助けた子だ。死にゃあしないよ」

 自然と、全員の視線が足もとへと向かう。

 甲板の下では、海軍がつれてきていた専門医が、懸命の治療を行っている最中なのだ――。


「入室厳禁」の張り紙が大きく貼られた一室の前で、トマスはひたすらに待っていた。

(ツバキ……)

 不安に目を閉じると、ムラサメを使ってコア装置ごと救出した時の彼女が鮮明に瞼の裏に映し出される。

 真っ白く足下まで延びた髪を潮風に流しながら、ぐったりとしたツバキ。その眉は苦しそうに震えていた。

「ツバキ!!」

 ハッチを開けて駆け寄った自分に、うっすらとあけた瞳を懐かしそうに細めた彼女は、間違いなく十年前共に過ごしていたツバキだった。

 無意識に握り締めていた懐中時計を取り出すと、蓋を開く。

 トマスの視線は、無慈悲に時間を刻む文字盤ではなく、蓋の裏へと向いていた。


《お誕生日おめでとう

 ずっと一緒にいようね

 大好きだよ       ツバキ》


 粗く彫られた短い文章だったが、それでももらった当時のトマスはとても嬉しかった。

 そして、この文章に対する答えを伝えようと、十年間苦労してきたのだ。

 しかし、あの様子では――最悪の予感は、トマスの思考にかじりついたように離れていかない。

「頼むよ。もう一度だけでいい。もう一度、会わせてくれ……」

 うな垂れたまま、知らずに吐露していた本心。

 それが天に届いたような絶妙のタイミングで、臨時治療室の扉が開いた。

 奥から現れたのは、白衣を纏った金髪碧眼の男だ。

「ドクター……」

「ひとまず、大丈夫です」

 続けようとした言葉を遮って帰ってきた短い言葉が、まるで砂漠に染み入る水のように、トマスの身体中に行き渡る。

 自然と全身から力が抜け、トマスはみっともなくその場に尻餅をついた。しかし、その痛みすらも忘れ、頬を伝わる滴と胸の奥から広がる何物にも形容しがたい感情に、トマスは身をゆだねていた。

「よかった……本当に……よかった……」

 嬉し泣きの涙に塗れた声を漏らすトマスに、ドクターは詳細な状況を付け加える。

「体内に残留していたマイクローゼの吸引は完了しました。記憶の欠損もどうやらなさそうですし、安静にしていれば大丈夫ですよ」

「わかりました。本当に、ありがとうございます」

「今日一日は眠っていると思いますから、面会は明日からにしてあげてください。それでは」

 どこか飄々とした態度のドクターは、軽く手をあげて去っていった。おそらく、渡し板を通って軍艦に戻るのだろう。

「ツバキ……」

 今まで何度口に出したかわからないその単語は、しかし今までとは違う、うれしさと共に呟かれた。

「よかったですね。トマスさん」

 いつの間にか側に来ていたマーミャが差し出してくれた手をとって立ち上がると、トマスは何度も病室を振り返りながら、その場を後にした。


「疲れた……」

 すべての仕事が終わったトマスが私室に戻ったのは、夜も更けた頃だった。

 あと数時間もすれば夜が明ける――夜の海を見ながら、激動となった半日を思い返す。


 ツバキの状況に安堵した彼を待っていたのは、連邦海軍からの事情聴取だった。

 しかし、彼はそこで思いもよらない言葉をかけられた。

「旧帝国の残した負の遺産を管理できず、あまつさえ他国にまで迷惑をかけてしまった――本当に、申し訳ない!」

 部屋に入るなり、壮年のポセイドン艦長以下、連邦艦隊の全員から一斉に頭を下げられたのだった。

 それが場の緊張をほぐしたのか、続いて始められた聴取もいたって和やかに進んでいった。

 商会から連絡を受けたためか、今回の制圧にいたるまでの詳細はあまり聞かれず、代わりにトマス自身の過去についての質問が本題だった。自分の故郷を襲撃された時の詳細な状況や、海賊狩りを始める経緯など、様々な質問に、トマスは自身の知っている事をありのままに答えていった。

「長い時間ありがとう。残党の状況がつかめれば、世界に降りかからんとする災厄を少しは防げるはずだ」

 艦長の発した力強い言葉によって、事情聴取は締めくくられた。

 退室したトマスは、状況確認をしようと艦橋に戻った。

「戻りまし……あれ?」

 艦長は、一瞬目が点になった。

 普段は常に数人が座っている艦橋に、誰もいなかったのだ。普段から放浪しているレイナはさておいても、主要クルー全員がいないというのは異常といえる。

 しかし、トマスは一つの可能性に思い至り、頬をゆるませた。

(誰もいない……そうか)

 普段の仕事終了時に仲間たちがとる行動を思いだして、無人の艦橋を後に、今度は食堂へと向かう。

 予想通り、食堂では盛大な宴が行われていた。

 マーミャから話がいっていたようで、無事にすべてが終わった事をその場の全員――ネオ・ユニコーンのクルーをはじめ、エドワードやカーミラたちと共に喜び合い、ねぎらいあった。

 すでに積み込んでいた酒がかなりなくなっており、皆もずいぶんできあがっていたため、挨拶も程々にトマスも人の中へ入る。

「こういう時、飲めないのは寂しいですか……?」

「いや、皆の満ちたりた顔や笑い声を見聞きできているだけでも楽しいよ。それにしても――」

 自分と同じく下戸のマーミャや彼女の子供たちと共に、端で静かにライムジュースを飲みながら、即席でつくられた壇上で出し物を披露する船員たちへ視線を投げる。

 そこには、昔体験した航海の思い出を大げさな身振り手振りを交えて語るレイナの姿があった。

「酔わないのにあそこまで楽しんでいるのは、本当にすごいね」

「少し、うらやましいです……」

「ほら、トマス!そこで通い妻としっぽり飲んでないで、何か話しなさい!かっさらった嫁とのなれそめとかだと、お姉さんうれしいなぁ!」

 めざとくトマスを見つけたレイナの叫びで、食堂にいた全員の視線がトマスたちへ注がれる。

「通い妻……通い妻……」

「おねーちゃん、カヨイヅマってなに?」

「もうすこし大人になったら分かるわよ」

 顔を真っ赤にして言葉を反芻させ続けるマーミャと、きょとんとしたスタールをたしなめるシンシアを横目に、トマスは肩をすくめる。

「やれやれ、口べたな僕に何を期待しているんだか……。それに、あの年でお姉さんは無いんじゃないかな?」

「聞こえてるわよ!?」

 壇上から叫ぶ口調は怒っているが、その目元は笑っていた。仲間が、それも自分が手塩にかけて育てた子供が、無事に帰ってきてくれた嬉しさが滲み出ている顔だ。

(本当、変わらないなぁ……)

「来なかったら、バツとしてあんたの昔の話をしようか?あれは、たしかあんたがアタシと会って間もなかった頃だったっけ?夜に……」

「身内の恥を仲間に喜々として聞かせる親がどこにいますか!」

「ここにいるわよ~。これ以上話してほしくなけりゃ、さっさとこっち来なさい」

「本当に始末に負えない……いますぐ行きますよ!」

 再び語り出そうとするレイナを牽制するように大声をあげながら、壇の上まで駆け上がる。

「それじゃ、アトよろしく~」

 あっさりと身をテーブル方向へと踊らせるレイナ。それを視線で追ったトマスには、引き替えに全員からの期待に満ちたまなざしが突き刺さった。

「そんなに面白くはないと思いますが……では、あの島での話をしましょうか……」

 今まで、クルーに請われた時たまに断片的に話していた幼少期の話。しかし、いつも話す最中でその平穏を奪ったトライデントへの怒りが先行して中断する事が多かった。

 だが、今日は違った。

 一つの思い出から芋づる式にでてくる話を含めて、気がついたら、少年時代のほぼすべてを仲間たちに語っていた。

「――っと、なんだか長く話してしまいましたね。これぐらいにしましょうか」

 静まり返ったテーブルに一礼して壇から降りたトマスを、歓声とやっかみの混ざった叫び声がつつみこんだ。


「まだ、皆食堂でゴロ寝なり飲み明かすなりしてるんだろうな……」

 早々に酔いつぶれてしまった連中はマーミャと協力して船室に運んだが、半分近くの船員たちはトマスが食堂を離れる時もエールの入ったカップや肴を手に談笑していた。

 交代要員も立てず全員で酒宴など普通の航海ではあり得ない。しかしそれも、いざとなれば船に宿ったレイナが船を全て操る事ができるからこそ可能になっているのだ。

(まぁ、予定していた日程からは余裕があるし、羽を伸ばしてもいいでしょう。商会への連絡は海軍の方が報告と共に行ってくれているでしょうし)

 そんな、今回の仕事から比べれば些細な事を考えながら、トマスは久しぶりの快眠に落ちていった。


 同時刻、連邦海軍旗艦ポセイドン。

 数ある船室の中でも、一際厳重な管理下に置かれた部屋で、ひとりの男が神妙な表情で床の上に置かれたマイクローゼ専用のケースを眺めていた。

 様々な方法によって外部と完全に隔離されたケースの中には、銀色の粘液が詰まっている。しかもその波間には、老人の苦痛に歪んだ表情が浮かんでは消える、何とも不気味な代物だ。

「帝国最優秀の頭脳と称えられ、悪逆非道を極めた男の末路か……」

 必至に己の意識を浮かび上がらせようとする老人――ドクトル・シュタインを見つめるのは、ツバキの治療にあたった青年医師――ジャック・マーズだった。

「シュタイン……あの夜、あなたの所業を目にしなければ、俺が軍を抜ける事もなく、ヤマンチュールの人たちとも出会うことはなかったんだろう。そう考えれば、帝国崩壊と連邦成立はあなたによって成されたといえなくもない訳だ」

 皮肉なものだ、と呟いて、ジャックは脇に立てていた一振りの剣を手に取った。施されたいくつもの厳重な封印を解除して鞘から抜き放たれた刀身は、邪念を浄化するように青く輝き、いくつも彫り込まれた魔方陣を浮かび上がらせる。

「この剣も、あなたがラボに残していった研究と、残骸となったパンドラの装甲から作り出した。いわば、あなた自身の置き土産みたいなものだな」

 

「――セイッ!」


 大上段から勢いをつけて振り下ろされた剣は、狙い違わずケースを両断する。

 しかし、中に厳重に封じ込められていた銀色の不気味な粘液――シュタインの意識が宿ったマイクローゼは、周囲に飛び散って宿主を探す前に、斬撃の軌跡にそって生まれた時空の裂け目に一滴残さず飲み込まれていった。

「……」

 無言のまま抜き身の剣を鞘に戻しながら、ジャックは連邦辺境に構えた自宅で待つ妻へ向けて、万感の思いと共に言葉を発する。

「マリア……やっと、終わったよ……これでもう、君のような境遇を持つ人が増える事はなくなったんだ」

 巨神戦争終結の立役者は、ここにようやく復讐の刃を下ろしたのだった。


 皆が寝静まったネオ・ユニコーン号。

 酔いつぶれた水夫たちのイビキが聞こえる廊下を、ふらつく足取りで歩く人影があった。

「……」

 目覚めたばかりらしく、気を抜くと下がってくる瞼を必死に持ち上げて、人影は壁に手をついてよろよろと足を動かしていく。

「……」

 そして、一つの部屋の前で人影は止まった。

「艦長室」のネームプレートを確認して、人影はノブに手をかける――。 


 昨日起こった艦隊戦の激しさもどこ吹く風と言わんばかりに水平線の向こうから太陽が顔を覗かせる。陽光を受けて煌く海は今日も凪いでいた。

「んっ……はぁ」

 ネオ・ユニコーン号の甲板でゆっくりと伸びをしながら、レイナは海の上ならではの神秘さを持った日の出を見つめていた。

「今日はトマスたちも遅い起床だろうし、午前中はゆっくりかな~」

 安穏と寄せては返す波に揺られ、まったりとした時間を楽しむレイナ。

 と――

「きゃあああああああ!!」

 突然響いた悲鳴が、朝の柔らかい空気を切り裂いた。

「マーミャか!?」

 仲間の叫びを聞きつけ、レイナはすぐさま艦内へとその身を転移させる。

 彼女はネオ・ユニコーン号からは出られない代わりに、機関室以外であれば艦内のどこにでもすぐに移動できるのだ。

(場所は――艦長室か)

 時間を考慮すると、日課となっているトマスへのモーニングコールをしに行ったのだろう。

 理由を考えている少しの時間で、レイナは艦長室前に出現する。

 ドアは開け放たれ、その中では座り込んだマーミャががっくりとうなだれている。

 しかし、レイナの視線はその奥――トマスのベッドに注がれていた。

「ひっさしぶりに会えたかと思ったら後ろからその女に押し倒されてたし、艦長は女の人だし……この浮気者っ!」

「いや、レイナは艦長というかオーナーだし、マーミャは飛んでくる砲弾から僕を庇ってくれただけで――」

「問答無用!」

「……はい……」

 ベッドの上には、仁王立ちになって白髪を振り乱しながら説教をする女性――ツバキと、その前に正座させられて時折手をあげられているトマスの姿があった。

 と、新たな来客の存在に目線を動かしたトマスがレイナを捉えると、苦笑いの表情を浮かべた。

 何があったのか見当もつかず、レイナは床でうなだれたままのマーミャに声をかける。

「ちょっとマーミャ、何があったの?」

「あ、レイナさん。それが、わたしがいつもみたいにトマスさんを起こしにきたら、ツバキさんがトマスさんのベッドにもぐりこんで、一緒に寝てたんです……」

「……そりゃ災難だったわね」

「それで、びっくりしたわたしの悲鳴で二人とも起こしてしまって、なぜかあんな事に――」

 悲しげな目を向けてくるマーミャに、レイナは首をふって答える。

「ああなっちゃ、しばらく怒りは収まらないだろうね。なにせ十年分だ」

「うう……わたしも同じくらい一緒にいるんですけど……」

「子供いるんだから、程々にね」

 よしよし、と泣きそうな顔のマーミャの頭をなでてやりながら、レイナは甲板上でぼんやりと思い描いていた「珍しくのんびりした午前」という幻想が音を立てて崩れていくのを感じていた。


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