第3話 緊急要請 ~仇敵と不気味な島~


 細い裏路地から陽光の当たる中央通りへと出てきたトマスは、左右にびっしりと軒を連ねる露店から聞こえる呼び込みの声を聞きながら、港へと歩いていく。

昼にさしかかろうかという時間の今は、船大工たちの食事となる海産物を視界を遮るほどに抱えた見習いの少年や、商人たちの家庭を預かる主婦でごった返している。

(やっぱり、大勢はいいものですね……)

 今は亡き故郷での幼き日々――今朝の語りで鮮明に甦ってきたかつての感覚が、郷愁を心に広げる。

 食事時らしい調理の匂いに混じって段々と濃くなってくる潮の香りが、いつの間にかトマスの心を過去へと誘っていく――


 朝早くから海へと出ていた父が帰ってきた後は、決まって漁師仲間との食事から酒盛りへとなだれ込んでいた。

 村の中では名の通った漁師の父の膝にちょこんと座り、焼きたての新鮮な魚介類を頬張るのが、朝の勉強を終えたトマスの日常だった。

 そして彼の横には、同年代の男子もかくやというくらいに活発な少女がいつも一緒だった。

 ヤマンチュール民族独特の黒髪黒目という外見は、金髪壁眼が揃ったトマスたち子供グループの中でかなり目立つ。

 しかし、少女は全く物怖じしないどころか、長い黒髪を振り乱し、先頭に立って様々な遊びや探検場所を見つけ、グループの皆を引き連れて遊びまわっていた。

 子供ならではの恐怖を上回る好奇心が仇となって度々危ない目にはあったものの、それは彼らの中で勲章のようになっていったのだ。

(洞窟や森林を相手にして、今考えれば無茶をやったものですね……)

 当時、引っ込み思案だったトマスは、グループの中で唯一と言える制止役だった。しかし結局、少女に押し切られる形で危険な場所や遊びに参加し、危険と引き替えにかけがえのない思い出を手に入れていった。

 ぼろぼろになって家に帰ると心配性な母の雷が落ちて、お説教が待っているのだが、それに懲りる事なく、小さい冒険は連日つづけられた。

 しかしトマスの中では、洞窟の奥で光る地底湖よりも、森の中で見つけた見たことのない虫よりも、日焼けして小麦色になった肌を際だたせる真っ白いワンピースを着て、目を輝かせながら声をかけてくる彼女のまぶしい笑顔が印象深く刻まれていた。

「ツバキ……」

 知らず、少女の名前が口から紡がれた。

「…………」

 しかし、思い出の中の彼女は当然答えてはくれない。

「きっと、君の仇を――バースト島の皆の仇をとってみせるよ」

 揺るがぬ決意を口にしたとき、少女の幻影は、なぜか首を横に振っていたように見えた――


「!」

 いつの間にか、道の真ん中で立ち止まっていたトマスは、手の疼きで現実に引き戻された。

 意識を手の甲の刻印へと集中すると、言葉が心の中に浮かんでくる。刻印の効果の一つ――遠距離連絡を受け取ったのだ。

(おや、珍しいですね)

 連絡相手に、トマスは少し驚いた。

 相手の名は、レギルス。トマスが保証人をしている元海賊の一人で、当時は〝不沈〟のあだ名がつけられていた。

 身長が高い上に筋肉の詰まった体は横にも大きく、身長はそこそこあるが細い体型のトマスと比べると大人と子供くらいの体格差がある。

 しかし、そんな豪快な体格とは裏腹に性格は温厚かつ寡黙で、海賊を率いていた事を疑いたくなるくらいに真面目な男だ。

 普段酒場で見かけると、決まって隅の方で黙々とカップを傾けながら皆の騒ぎを眺めている。

 トマスの中では、一週間ほど前に依頼を受けたという話をしてくれたのが彼と会った最後の記憶だった。

(考えてみれば、向こうからの連絡は初めてですね)

 急かすように発光を始める手をポケットに突っ込み、トマスは心の中に浮かんでくる文字を凝視する。

(……ッ!!)

 内容を理解した瞬間、彼は全速力で元来た道を駆け出していた。

 足を動かしながら、刻印による緊急連絡をかける。

(マーミャ!問題がおきました。至急商会へ向かってください!それと、シンシアとスタールをユニコーンへ。出航準備をしてもらってください)

(エドワード、カーミラ!起きてください!緊急事態です!バーで落ち合いましょう)

 勝手知ったる街道をいささかも速度を落とすことなく走り抜けると、路地裏の壁に手をたたきつける。

 手のひらで木の感触を感じ取った瞬間、光の中へと身を踊らせた。

 壊さんばかりに勢いよくあけた扉の向こうには、つい一時間くらい前までのちらかりっぷりが嘘だったかと錯覚するほどに整理され清掃が終わった店内と、めいめいに座った仲間たちの真剣な視線があった。全員、ただ事ではないと感じているのだろう。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 すっかりあがった息をマスターの出してくれた水で整えると、こちらを注視する全員を見回して、いきなり本題を切り出す。 

「レギルスの船が……海賊の攻撃により、沈みました」

 衝撃的な報告に静まり返った店内をみまわし、続けて口を開く。

「用意周到な彼の事です。おそらく食糧や水を積んだ脱出艇で海に漂っているでしょう。商会にはマーミャに連絡に行ってもらっていますから、生死について悲観視する事はないでしょう。少なくとも、刻印から伝わってくる限り彼は生きています」

 緊迫していた場の空気が、いくらか和らいだ。普段はわざわざ口にださないまでも、全員の絆はしっかりと存在しているのがよく分かる。

「問題は、彼の艦を沈めた海賊についてです。彼の連絡によると、初期型鋼鉄艦とおぼしきいびつな艦影で、艦数は一。姿を捉えた瞬間、甲板に砲弾が直撃したそうです。そして、少しだけ確認できた旗には――三首の髑髏と蛇が描かれていたそうです」

「!!」

 自然と怒気がこもった最後の言葉に、艦長たちがざわめき始める。

「つまりあれか?トマスの仇敵にレギルスの艦が沈められたって事か」

「はい」

 質問に答えただけだというのに、思い出から抽出された赤黒い憎悪の感情が心に広がってくるのが分かる。

 それを押し殺すように、一種の覚悟にも近い感情が沸き上がってくる。

(――ここからは、僕だけの戦いです)

 この仲間たちを集めたのは、あくまでも「情報を得る為」だ。普通の商会の船や人員では遭遇して無事に帰ってこれるとは思えなかった故に、わざわざ海賊たちを引き入れたのだ。逆に言えば、それ以上の行動――たとえば積極的な戦闘などはできる限り避けてほしいというのがトマス個人の願いだ。

 しかし、その仲間まで、トライデントの餌食になってしまった。

 連絡を受けた刹那、記憶の奥から垣間見えたのは、炎に焼かれる故郷の姿――。

(これ以上、仲間を危険な目に遭わせるわけにはいきません)

「で、レギルスを沈めた艦の兵装は?」

「……はい?」

 あちらこちらでざわつく仲間たちの中から聞こえた質問に、トマスは目が点になった。

 トコトコと歩いてきた質問者――カーミラはトマスのそばにある樽に座ると、フン、と鼻を鳴らす。

「何呆気にとられてるのさ。相手の持ってる武器を教えてほしいんだよ。レギルスの船は砲撃力はそれほどでもない代わりに、浸水や砲撃に対しての防備は過剰な程にやっていたんだ。それを一撃で沈めるってのは、一体どんな武器なんだろうと思ってね」

 普段と変わらない調子のカーミラ。しかしトマスは、彼女の瞳の奥で燃え上がり、今にも暴発しそうな憤怒の感情をしっかりと捉えていた。

「まさか、敵討ちをしにいくつもりですか?」

「当たり前の事きくんじゃないよ。仲間がやられたんだ。あたしゃ、売られたケンカは買う主義でねぇ」

 ニヤリ、と口角をつり上げて八重歯を覗かせるカーミラ。彼女の部下たちからの賛同する雄叫びが、店内に響きわたる。

「で、ですが――」

 制止の言葉を続けようとするトマスの肩を、カーミラの小さな手が軽く叩く。

「トマス、一度すべてを失ったアンタがこれ以上何かを失う事を不安がる気持ちもわかるよ。でも、アンタが選んだ連中は、そんなに弱かったかい?凡百の海賊から選び出した理由は、逃げ足だけかい?」

「そうではありません。しかし、《トライデント》は皆が考えているよりも恐ろしい存在です。現に、あのレギルスが沈められてしまった……」

「だから、全員でかかろうって言ってるのさ。もちろん対策は立てる。レギルスが帰ってきたら、話を聞かせてもらうよ。もしかしたら、あんたの所のレイナみたいな奴が《トライデント》にいるのかもしれないからね」

「!」

 カーミラの指摘にトマスは目を丸くする。

 考えてみれば、レイナのように船や海に対して思い入れが強い伝説の大海賊がいても何の不思議もない。そして、海賊は非道で外道な人間が大半を占める。トマスやレイナたちのような「義を通す海賊」は海賊の中では圧倒的少数派だ。

 さらに、魔法陣を応用した様々な恩恵については、ごく一部とはいえ一般化した技術だ。合法非合法を問わずに手っとり早く行いたければ、刻印を刻める魔術師を探してさらってくれば、ある程度の魔法陣は手に入る。もちろん個人や家柄によっての得手不得手は存在するし、習熟具合によっても異なる結果になるので、誰でもよいわけではない。

 もっとも、戦争の記憶から魔法についての見方も変わりつつある。「戦火を拡大させた」という忌避や畏怖の意識が先にたってしまい、魔術師というだけで白い目をされるのが今の世の中だ。そんな中で、人目につかないようにひっそりと隠れすむ魔術師を見つけだすのはかなりの困難を伴う。その点、トマスは限りなく幸運だったと言える。

 いずれにしても、敵が自分たちと同じか、それ以上の戦力を持っている事をあり得ないと断言できる証拠は何もないのだ。

「……」

 皆それぞれに、しかめっ面のまま頭を垂れて思案にふけり始める。発生した問題に対して即座に解決方法を思考し始めるのは、一分一秒で状況が変化してしまう海の上の人間たちならではだろう。

 カーミラたちは、トマスと戦った際の記憶を。

 トマスは、自分を仮想敵と捉えた際の制圧方法を。

 自然と議論は途切れ、全員が戦闘の予測を始めていた。

 と――。

「幽霊……死人……そうだ!思い出したぜ!」

 突然大声をあげたエドワードに、意識を現実に引き戻された全員の視線が集中する。

「《トライデント》は、海賊じゃねえ。戦中に暗躍した帝国海軍の実験部隊だ!」

「海軍……?」

「ああ。軍に徴兵されて訓練してた時、視察に来たお偉いさんが演説で叫んでたんだよ。『外道な帝国は、死んだ兵士をも《トライデント》や《ラボ》に送って生け贄にささげているという。かような鬼畜集団に負けるなどあってはならない』ってな」

「ラボ……帝国軍事研究所の事だね」

「ああ。悪名高い人体実験施設だ。トマスの話を併せて考えると、実験艦か何かなんじゃないか?」

「しかし、どうしてその実験部隊が僕の故郷を狙ったんです?」

「そこまでは分からねぇ……突然の停戦命令が届かなかったのか、それとも何か理由があったのか……どっちにしても、ロクでもねえ連中に違いはねえ!」

 理由についてはあっさり白旗をあげるものの、怒りのこもった声を張るエドワード。

「軍が相手か……」

「けど、連邦になってから内部もずいぶん変わったと聞いてるよ。正規軍じゃないだろうね。むしろ、残党とかそんなのじゃないのかい?」

「両国共同で港町まで運営していますからね。その平穏をわざわざ崩すような真似はしないでしょう。利点がありません」

「連邦や共和国の方は動かないのかね?」

「海軍が万全なら、海賊は皆廃業してます」

 トマスの言葉に、そりゃそうか、と苦笑混じりに答えるカーミラ。

 そもそも、海軍がしっかりと整備され、運用されている国家ならば海賊が商船の航路を荒らし回るという事態にはならない。今は連邦も共和国も陸の復興で手一杯な状態なのだ。

「いずれにしても、レギルスからの報告を待ちましょう。今話し合いを重ねた所で、可能性や推測の話に終止してしまいます」

「それもそうだね……そういや、すっかり忘れてたけどルディはどうしたのさ?あの娘にも報告入れてるんだろう?」

「もちろん伝えました。しかし、遠洋を航海中の為に何もできないそうです」

「そうかい……まぁ、集まらない仲間を嘆いてもはじまらない。皆、遅くても三日の間に出航準備をすませておくんだよ」

 それじゃ、の声と共に、一足先にカーミラとその仲間たちは酒場の扉の向こうに消えていった。

「相変わらず嵐のような人だ……エドワードはどうします?」

「商会に顔出して、その足で調べ物だな。たしか、オレの書庫に詰め込んでた本に兵士の回顧録があったはずだ。もしかしたら何か分かるかもしれねぇ」

「分かりました。くれぐれも手荒な真似はしないでくださいね」

 ちらり、と手の甲を見せながら忠告するトマス。

「分かってる」

 短い返事を返すと、エドワードは自分の席に置かれた水をごくごくと流し込み、そのまま船員達をつれて外へと出ていった。

 残されたのは、カウンターに座るトマスと、話し合いの間中ひたすら黙々とカップを洗っていたマスターの二人だけ。

「はぁ……」

「リーダーってのも大変だな」

 ぐったりとカウンターに突っ伏したトマスの横に、ことりとカップが置かれる。

「何にしてもよかったじゃねえか。仇が見つかったんだからよ」

「はい……」

 出されたライムソーダを飲みながら、マスターの言葉にうなずくトマス。その頬に、一筋の滴が流れる。

 声を殺そうと努力していても、漏れでる嗚咽を消しきる事はできなかった。

「みんな……ばか……ですよ。集まってもらったのだって……海域に向かわないよう……伝えるためで……なのに……場所も聞かないで……」

「おまえさんがやってきた事は、何にも間違いじゃなかったって事だ。人を見る目、ひきつける魅力……立派な船団長だと思うぞ」

 十年――これまでの人生の半分をかけて追い続けてきた仇敵との邂逅。

 しかしトマスの中は今、復讐心よりも自慢の仲間たちについての事で一杯だった。

 こぼれた涙の混ざったライムソーダを飲みきると、ぐい、と裾で目元を拭う。

「マスター。僕はまだ、人を率いる立場にふさわしい人間にはなり切れていませんよ。まだまだ日々精進です」

「その気持ちを忘れなきゃ大丈夫だ!」

「はい。行ってきます!」

 大声で交わした挨拶を最後に、トマスは裏路地へと戻っていく。

 その双眸に宿る光に陰惨な色は無く、ただこれから進む道をまっすぐに見据えていた。


「トマスさん、おかえりなさい!」

 夕日に染まる港の路地裏に帰ってきたトマスを待っていたのは、なぜか上機嫌のマーミャだった。

「あ、ああ。ただいまです。商会への報告は終わりましたか?」

「はい。ゴーガ島周辺の海域には近づかないように通達を出してもらいました。それと――」

 もじもじと手を擦りあわせてうつむいたマーミャの仕草に、トマスは自分から声をかけて先を促す。

「どうしたんです?」

「ええっと……その……レギルスさん救助の為に、船は出せないそうです……」

「そうだと思ってました」

「え?」

 予想外の暖かい言葉に、下を向いていたマーミャの顔が上がる。

「海賊がいるところにわざわざ行こうなんて命知らずはいないでしょう。僕たちだけで救助しに行きます。」

「救助って……いったいどうやってですか?」

「レイナの霧を使います。あれなら遭難者の位置が的確に把握できる上に、敵の目をくらます事もできますからね。霧を展開している間に僕のムラサメのワイヤーフックで脱出艇を、マーミャは瓦礫につかまっている船員たちを可能な限り助けてください」

「わ、わかりました。」

「出航準備は?」

「先ほど船に寄った時にはかなり進んでいました。物資搬入だけでしたら二十時頃には終わると思います」

「では、船員たちを呼んできてください。二十一時には出航します」

 了解です!の声と共に勢いよく敬礼をすると、マーミャは赤に彩られた街道へと走り去っていった。ユニコーンの船員たちは毎回同じ宿に泊まるので、そこに向かったのだろう。

「では、僕も急ぎましょう」

 太陽の赤が夜の藍と混じりあいはじめる中、トマスは己の船へ乗船した。


「おおー!すげえな!」

 目の前の巨大な影に、エドワードは思わず歓声をあげていた。

 場所は、商会の保有するドック。船大工の屈強な男たちが走り回る中、案内の男に連れられてやってきた彼の見たものは、補修されて元通りになった自身の家――トルステン号だった。

「過剰な武装は外しましたけど、それ以外の変更はありません。補修も完了してますから、存分に使ってください」

 丁寧な言葉に礼まで添えられ、エドワードは複雑な表情を浮かべて口を開く、

「いやまあ、有り難い事は有り難いが……いいのか?オレは昨日まで海賊だったんだぞ?」

「存じております。しかし、今日からは一人の海運業者です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「……そうかい」

 思わぬところから転がり込んできた新しい生き方。とんとん拍子で決まった海運業という職業を、酒場の二階で雑魚寝してた部下たちもそれぞれに受け入れてくれた。

(んじゃ、恩返しといくか!)

 ありがとな、と案内人に言葉をかけて、エドワードは盗品保管庫へと足を向けた。


 商館の所有する倉庫の一つを改装して作られたそこには、摘発した海賊たちが商船から掠奪した盗品の保管庫となっている。一ヶ月経っても所有者が現れなければ商会が所有者となり、競売の商品になる物たちだ。

 貴金属が主流となっているきらびやかな室内で、エドワードの探し物は壁の隅にひっそりと置かれていた。

「まるで場違いな物みてぇに置きやがって」

 自分の宝物の扱いの悪さに愚痴をこぼしながら、エドワードは山のように積み上げられた本を手際よく種類分けしていく。この分では、競売でもそれほどの値段はつかないだろう。多少の出費は覚悟の上で自分が競り落としてしまおうか――などと姑息な思考を巡らせる。

 エドワードは、荒くれ者の多い海賊の中では珍しく、勤勉な人間だ。知識欲が深いと言い換えても良い。そんな彼が一番喜んだ掠奪品が船長室などに置かれた書物だった。航海録や船員の日記から、軍事機密に近い極秘書類まで、様々な情報を集め、分析し、検討する事が彼の海賊稼業を支えていた一因でもあり、実益を兼ねた趣味となっていた。

 自分の記憶とランタンの灯りを頼りに、ある程度分類した本の一群の横に腰を下ろし、一心不乱に数多の文章と格闘を始めるエドワード。

「……違う。次!」

 斜め読みを終えた本を新たに作られはじめた本の柱に積み上げると、反対側の減り始めた本の塔の最上段から一冊を手に取る。

 たった一人だけの戦いは、こうして火蓋を切られたのだった。


 太陽が顔を出し、広場に露天商や行商人が行き交いだした頃――。

「さぁ、買って買って買いまくるよ!」

 ひとりの少女の景気のいい声と、それに呼応する大柄な男たちの野太い雄叫びが営業開始前の市場に響き渡った。カーミラとその部下たち、さらにトルステンの一般水夫たちだ。

「食料はライムか野菜の酢漬けを絶対に忘れるな。補修用の鉄板も商会より安ければ買っときな。火砲の点火材も忘れないように。それじゃ、出発!」

 大まかな指示を出すと、市場開放を意味する鐘の音に押されてカーミラたちは走り出す。

 船上という過酷な環境で生き残るため、船乗りたちは体力作りを欠かさない者が多い。体力こそが己の武器になり、航海を生き抜く秘訣だと知っているからだ。

 当然、体を動かせば腹が減る。航海中に肉とビスケットだけを食べていては壊血病にかかってしまう事が判明した現在、海賊たちの食糧事情は意外とバランス良いものになっていた。

 鉄製の保存庫が登場した事もあって、昔のように海水で塩抜きができてしまう塩漬け肉や蛆がわいたビスケットをかじる事態に陥るのはなくなったものの、依然として航海の際に重要視されるのは食料と真水、さらに長期航海で水が腐敗した場合の飲料となる酒類だ。

 さらに、航海中に船体が損傷した場合に備えて補修用の物資も積んでおかなければならない。

 商会でそろえる事ももちろんできるが、今回は三隻分の量という事もあり、カーミラたちは中央通りへと繰り出してきたのだ。

 中央広場に軒を連ねる中には、航海者たちが使う大口の注文を受けられる店もでており、一般の露店に勝るとも劣らないくらいの繁盛をしている。

 カーミラは店を一店ずつ回り、商品を吟味していく。

「ん~……コイツを一樽、もらおうかね」

「へい、毎度どうも!」

 真剣なまなざしを向ける少女を、店員たちは邪険に扱う事などしない。誰もが、彼女が艦長であると知っているのだ。

 店員が奥から出してきた樽を部下の大男に担がせると、カーミラは次の店へと歩いていく。その表情は焦燥感が強くでていた。

(レギルスの話によっちゃあすぐに出航しないとマズイかもしれないからね……)

 かつて、巨神戦争以前に諸国漫遊をしていた頃、彼女はとある噂話を耳にした事があった。

 曰く『星が照準を定める大砲がある』のだという。

 意味はわからなかったが、そのスケールの大きさから心の中に引っかかっていた記憶――トマスの言った『一撃で艦を沈められた』という言葉を聞いた瞬間、悪い予感が心をよぎったのだ。

(そんなモノを相手にするなら、相手にこちらの動きを悟られる前に行動するより他にないじゃないか……)

 重くなる気持ちに、自然と歩調が速まる。

 大荷物を抱えた船員たちは、深刻な表情を浮かべて歩く艦長の後を不思議そうな顔をしながらついて歩くだけだった。


 大規模な港とそれに続く大海原が見渡せるツークフォーゲル商会の屋敷。

 その一番上に設えられた部屋の扉を、海運担当のライトは緊張した面持ちでノックした。

「入りたまえ」

「失礼します」

 厳かな声に緊張の度合いを増しつつ部屋に入る。

 陽光と魔法灯によって明るく照らされた部屋には、世界各国から集められた貴重な品々が上品な配置で壁や棚の上に置かれ、部屋の主の品のよさを際立たせている。

 この部屋の主こそ、ライトの目の前の机で書類や決済報告書に追われる男――ツークフォーゲル商会創設者にして、連邦と共和国が共同で運営しているこの港町の管理者も兼務する老人、ケイス・ディーンであった。

「何かね」

「実は先ほど――」

 書類に落とした目を上げないままのケイスに、ライトはマーミャからの報告を伝えた。

「なるほど。ゴーガ島を根城にしている旧帝国軍残党、か。面白い材料が手に入ったな」

 誰に聞かせるわけでもなくつぶやき、ケイスは引き出しにしまっていた一枚の書状を取り出す。

「商会は仇討ちをする場所では無いが……」

 手早くペンを走らせ、封蝋をした書簡をライトに手渡す。

「あの航路が封鎖される事態になってはこちらの活動にも支障をきたすからな」

「あの……これは……?」

 ケイスの意図がわからず、ライトはツークフォーゲルの紋章が入れられた書簡をしげしげと見つめるしかできなかった。

「この方に……ですか?」

 受取人は誰かと手紙を回したライトの目が、驚愕に見開かれる。

「ああ。彼らへの恩を売っておくのも悪くない……」

 用は済んだといわんばかりに、再び目の前の書類の山にとりかかるケイスに一礼をして、ライトは退室した。


 ――それぞれに思い思いの行動をする三名の艦長。彼らが再び顔をあわせたのは、別れてから5日後の朝。場所はいつもの酒場であった。


「レギルス艦長、帰ってきたって?」

「なんでも、トマス艦長が自ら救助にいったそうだ」

「商会の連中、稼ぎ頭だってのに……冷血漢ばっかりだな」

「仕方ないさ。皆がみんな、火中の栗を拾いに行けるわけじゃないんだ」

 イス代わりの木箱に座った各艦の乗組員たちがざわめく。

 雑談を続ける彼らの視線の先には、エドワードとカーミラが立っている。二人は言葉を交わさず、その目は店内奥の宿部屋につながる階段を見つめたままだ。

 トマスからの連絡を受け取った両艦長によって集合した乗組員たち――といっても航海長や機関長などの主要メンバーだけだが――は、今や遅しと主役の登場を待ちわびていた。

 

 コツ、コツ、コツ。


 階段を降りてくる足音が複数、彼らの耳に届いた。

 自然と雑談が止み、全員が神妙な面もちで階段を凝視する。

「皆さん、今日は集まってくれてありがとうございます」

 いつもと同じ丁寧な口調とともに降りてきたのは、ネオ・ユニコーン号艦長トマスとその片腕マーミャ。そして――、

「皆、すまない。手痛い痛打を食らってしまった」

 二つに分けた長髪の間からのぞく表情を普段より一層暗くして、最後に降りてきた高い背の偉丈夫。

 彼こそ、タートルバイト号艦長、レギルス・シュライツである。

 憔悴気味だが、五体満足な彼を見た乗組員たちから驚嘆と安堵の声があがった。それは、船を沈没させられても負傷しなかったレギルスの頑強さと、彼が力つきる前に迅速な救助を行ったトマスへの賞賛だった。

 一階まで降りてきた三人を、艦長二人が迎える。

「レギルス、無事でなによりだよ」

「ありがとう、カーミラさん。それと、すまない」

「いいって、艦の改修費用なんて普通にあそこで働いてりゃ返せる額じゃないか。完済までの時間が少し延びただけだよ。何事も、命あっての物種だ」

「ありがとう、この恩は必ず返す。……そちらは?」

 視線を向けられたエドワードは面はゆそうな笑顔を浮かべる。

「一週間前、トマスに喧嘩売ってボロ負けしたエドワードだ。雷撃なんてあだ名もあったが、ありゃ撤回だな」

「ああ、最近噂になっていたのは君の事だったのか。聞いているぞ『掠奪品に本を好む変わり者がいる』と」

「ずいぶんオレの名前も売れてたんだな。ま、よろしく頼むぜ」

 固い握手を交わした二人を見やり、トマスが狭い店内の隅々まで届くように声をあげる。

「レギルスの艦は沈没し、生き残った船員たちも僅かでした。志半ばで海中に没した仲間たちに、黙祷を」

 自然と立ち上がった乗組員たちとともに、静かに頭を垂れるトマスたち。

 しばし流れた沈痛な時間を打ち破るように声をあげたのは、カーミラだった。

「さて、レギルス。あたしゃアンタの……いや、あたし達の仲間の敵を討ちたいんだ。辛いとは思うけど、当時の状況を教えてくれないか?」

「わかった。と言っても、あまりに特殊すぎてどこから話して良いものか――」

 生死の危機をさまよう前までの記憶を呼び起こすレギルス。

 ややあって、遠い目をした彼の口から紡がれたのは、通常ではあり得ない砲撃戦の様子だった。


 ――八日前、行商人の依頼を受けたレギルスたち一行を乗せたトータスバイト号はゴーガ島近海を航行していた。

 波も少ない凪いだ海だったが、空は黒雲がちらほらと見え始めていた。

 ゴーガ島周辺は複雑な海流になっているため、もしこれから嵐にでもなってしまえば航海予定に支障をきたしてしまう。

 無人島でありながら近隣の村からは曰く付きの目で見られる不気味なゴーガ島であったが これからの事態を憂慮したレギルスは寄港を決断する。

 荒波に削られて断崖絶壁になった島を、どこか船を係留しておける場所はないかと望遠鏡で見ていた彼の目に、不思議な物が飛び込んできた。

 切り立った岩肌――その岩の一部がかすかにふるえているのだ。

「なんだ……?」

 微風の中で不自然にふるえる岩肌の向こうから顔をのぞかせたのは、一隻の艦だった。

 いびつな形状から、それが黎明期の鋼鉄艦だと分かる。今ではなかなか見ることのできない種類に、いったいどこの所属かと翻る旗に望遠鏡を向けたレギルスの表情が変わる。

(三首の蛇……だと!?)

 トマスが探していた海賊――すぐさま刻印で報告を入れようとした彼は、続いて現れたモノによってその作業を中断させられてしまう。

「布……?」

 望遠鏡越しの視界いっぱいに広がったのは、真っ白い布だった。

「艦長!」

 繰舵手の悲鳴にも聞こえる叫びに望遠鏡をおろしたレギルスが見たのは、巨大な人の姿。

 まるでレギルスの観察を阻止するように艦と艦の間の海に立っていたのは、真っ白いワンピースをまとった少女の姿だ。しかし、顔立ちが幼いというだけで、その背丈は目測でもタートルバイト号の全長並に高い。真っ白い足は、まるで海面が固い地面であるかのように、しっかりと海の上に立ち海面をつかんでいる。

 服装と同様に真っ白い伸び放題の長髪を振り乱すその顔は、何かを叫んでいるように口が動いており、つり目がちの眼は必死の形相を作り出している。しかし、声どころか風で揺れる衣服が立てるであろう音もこちらには届いていない。

 蜃気楼か白昼夢を疑うレギルスの耳に、船員たちの混乱した報告が伝言管を通して届けられる。

「どうやら、現実らしい……」

 船幽霊という噂話が一瞬浮かび上がるものの、頭を振って現実の理性を取り戻す。実際会った幽霊は気さくで話やすい女性だったではないか。

「やはり、この島には何かある」

 失われた先史時代の遺跡か、それとも古代魔術の実験場か、いずれにしても只の無人島ではない事を確信したレギルスは、驚きのあまりへたりこんだ依頼人に近くの港への寄港の承諾をもらい、転進させる旨を乗組員たちに伝える。

 と、巨大な少女が指をつきだした。それも、自分たちの艦に向けて。

「!?」

 先ほどまでとは異なり生気の無い表情を浮かべる少女に得体の知れない恐怖を覚えたレギルスは、伝言管に脱出艇準備を命じた。

 その直後――砲撃音も無く真上から飛んできた砲弾が後部甲板に直撃。機関部に修復不可能なダメージを与えられたタートルバイト号は、続いて浴びせられた二発目の砲撃によって鋼鉄の船体に大穴を開けられて浸水。レギルスの総員退艦の号令が船員たちに行き渡るのとほぼ同時に機関の魔導原動機が大爆発を起こして沈没したのだった――。


「それで、巨大な女の子は……?」

「俺たちが脱出した時には消えていた……跡形もなく……」

 レギルスの証言に、その場の誰もが無言のまま押し黙っていた。

 まるで、怪談のような話だ。しかし、堅牢を誇るレギルスの艦がたった二発の砲撃で沈没させられたのは紛れもない事実だ。さらに、彼が嘘をつかない実直な男であるというのはここにいる全員の共通認識でもある。

 しかし、それらを加味しても全く現実味が感じられない話だった。

「……」

 部下たちの困惑を感じ取ったエドワードとカーミラも、同じ表情を浮かべて横のレギルスを見つめる。

「信じられないのは良く分かる。体験した俺自身いまだに現実感がない程だ。だが、これが俺の船が沈んだ真実だ」

 体験談を語った彼自身も、理解できない不思議な現象を目にした驚きと仲間を一瞬にして失った無念の混ざった表情をしていた。

「……」

 一方トマスは、エドワード達とは違う理由で口を開かなかった。正確にいえば、開けなかった。

 長髪、つり目、白いワンピース――その単語が、グルグルと頭の中を周回しているのだ。三つの言葉から導き出される人物は、トマスの中では一人しかいない。服装も、あの日と同じだ。

 しかし、〝あの娘〟であると決定付ける為には、どうしても外せない要素がある。

 その問いを口に乗せたのが、結果として体験談後静まった店内で最初の発声になった。

「……レギルス、一つ聞きたいんですけど、その少女、二の腕に傷はありませんでしたか?木の枝を引っかけてしまったような、縦一文字の傷です」

 トマスの言葉に記憶を掘り起こすレギルスは、ややあって首を縦に振った。

「たしかにあった。右腕の肩のあたりだ……それが、どうかしたのか?」

「その少女は――ツバキに間違いありません」

「ツバキ……たしか、おまえの幼なじみ、だったな」

「はい……」

 確信を得たものの、トマスの表情は冴えない。

 何しろ、死んだと思っていた幼なじみが敵となって、しかも、巨大な姿で現れたのだ。これで素直に喜色を浮かべられる訳がない。

「何か、裏がありそうだね」

「裏?」

 オウム返しに声を出すエドワードに、ああ、とうなずいて、カーミラは推測を語り始めた。

「巨人って言っても、それが現実の肉体かどうかなんて分からないんだ。レギルスだって直接触った訳じゃないだろう?」

「それは、そうだが……」

「蜃気楼、魔術による幻――実体じゃない可能性を挙げた方が現実味が増してくるように思う。第一、一瞬で現れて一瞬で消えているんだ。浮いているにしたって巨体が痕跡一つ残さずってわけにはいかないだろう?」

「では、俺の艦への砲撃は一体……?」

「巨人が幻って事なら、島からの砲撃だろうな」

 レギルスの問いに答えたのは、懐からメモを取り出しているエドワードだった。

 数日かけて自らが集めた書類を選別し、《トライデント》《帝国海軍》関係だけを抜粋して書き付けたメモに目を落としながら、口を開く。

「前に奪った重要書類に、孤島を要塞化して前線を無理矢理押し上げる計画が載っていた。何とも無茶苦茶な作戦だとは思うが、帝国なら何やらかしてもおかしくない」

「要塞化したところで補給が間に合わなけりゃ意味無いだろうに……負け戦ならではの都合のいい解釈だねぇ」

 エドワードの説明に、苦笑して肩をすくめるカーミラ。すぐに表情を引き締めた彼女は、トマスへ真剣な視線を向ける。

「どうする?トマス。相手は艦どころか島だそうだよ?」

 カーミラの言葉に、トマスは目を閉じて黙考を始める。

(相手が島一つ。さらに、発射音が聞こえず、飛んでくる砲弾も見えない砲撃ができるだなんて……いったいどうやって戦えばいいんだ……)

 戦略を練ろうとするも、相手の規格外な規模と性能に、内心でため息が漏れてしまう。

 島どころか、陸地への砲撃すら自分たちの船は未経験だ。エドワードやカーミラは不明だが、積極的に掠奪をしていた訳ではないので、たとえ経験していても数える程だろう。

 さらに、相手にはツバキがいる。トライデント側がどう考えているかは分からないが、自分にとってはこれ以上無いくらい確実な人質だ。

(ツバキ……)

 答えを求めるように、手が懐にしまわれた懐中時計に伸びる。

(僕は……)

 何を置いても助けに行きたい個人のトマスと、打開策の無い現状のまま戦いに挑む危うさを訴える海賊狩りのトマス――二つの思いが交錯し、絡み合う。

「……」

 判断つきかねたトマスは、静かに瞼を開く。

 視界一杯に、船員達の顔が広がる。緊張感をたたえた表情の中に、彼らの主張が伺えた。

 横を見ると、エドワードとカーミラが部下たちの意志を代表するように強く頷いてくれた。

(皆、本当にありがとう……)

 彼らの期待の眼差しに答えようと、一際声を張り上げる。

「これから、僕が追い続けてきた仇を倒しにいきます。そして、ツバキを絶対に取り返して帰ってきます!」

 想像以上に覇気が込められたトマスの言葉に、全員から息が漏れる。

 しかし、その静寂も一瞬だけで、すぐさま皆から上がった鬨の声が広くない酒場を揺らす。

「よぉし、全員乗艦しな!物資はそれぞれの艦の分買い揃えてあるから、積み込んだらすぐに出航だよ!」

『うおぉぉぉぉぉぉ!!』

 カーミラが音頭をとり、船員たちが雄叫びと共に扉を開け、光の中へと駆け出していく。

 その顔は一様に使命感に引き締められ、やる気に満ち満ちていた。


 ゴーガ島の山を掘って作られた秘密基地――その中に設えられた薄暗い一室。

 足の踏み場もないほどに散乱した資料と用途不明な道具類でうめ尽くされたそこに、二人の人物の姿があった。

 ひとりはイスに深く腰掛けた小柄な老人だ。禿げ上がった頭に残雪のように残る白髪は油で光り、白衣の裾から覗く垢だらけの腕は枯れ木のようにか細い。

 しかし、深くシワの刻み込まれた顔に浮かぶ表情は、いまだ生気がみなぎっている。

 彼こそ、旧帝国随一の頭脳を誇った天才錬金術師、ドクトル・シュタインその人である。

「クゥワッハッハッハッハッハ!」

 粗末なデスクに置かれたモニターを見つめていた老人の哄笑が、狭い室内に響く。モニターには、沈没していく鋼鉄艦の姿があった。数日前に記録した映像を流し続けているのだ。

「やはり皇帝陛下より教えを賜った武装はすばらしい性能じゃ!わざわざ長い年月をかけて修理した甲斐があるというもの!何度見ても飽きぬのぅ……」

 と、老人の後ろに立って同じくモニターの光景を眺めていた男が、声をかけた。鋼のように鍛えられた筋骨逞しい肉体を着古してぼろぼろになった旧帝国軍の軍服に納めた男――《トライデント》部隊長、ベバラスであった。

「ドクトル・シュタイン。なぜ救助に来た船を叩かなかったのです?」

「あんな木造船では実験にならん。『デウス・エクス・マキナ』は砲弾製造に時間がかかるのは知っておろう?あんな物に使っても効果の程が知れぬ。第一、突然の霧が晴れたと思ったらすでに遭難者たちはいなくなっておった。お主らの報告の遅さにも撃ち漏らした原因の一端はあるのだぞ?」

「しかし、お言葉ですが、撃沈した船の船員達には我々の旗艦を目撃されてしまいました。救助された彼らの噂が帝国の領土までひろがれば、最悪討伐の為の部隊がかり出される可能性もあります」

「それはそれで、良い実験相手ができるというものじゃ。それとも何か?貴様はワシの技術に不満でもあるのか?見ての通り鋼鉄の艦を一撃で轟沈したではないか!」

「……失礼しました」

 悦にひたっていた気分を害されて怒るシュタインに深々と礼をするベバラス。その脳内に部下たちからの焦った声が響く。

『隊長。また幻影が現れました!』

『あの女です!』

 報告に渋い顔を浮かべ、嫌々ながら再度シュタインへ向けて口を開く。

「ドクトル、デウス・エクス・マキナ操作の際、再び巨大な女の幻が現れたそうです。これも貴方の意図した事ですか?」

「いんやぁ?しかし、多少の副作用はカガクにはつき物じゃよ」

「カガク……?」

 聞き覚えの無い単語に、ベバラスの眉がひそめられる。

 この老人は、部隊の指揮を完全にベバラスに放り投げている上、たまに人を呼びつけては妙な妄想を語って聞かせるという悪癖を持っていた。

 だが、装備品やリッターの整備、さらに改造に関しては並ぶ者のいない能力を持つため、ベバラスたちも邪険にするわけには行かず、扱いに苦心する事しきりなのだ。

「そうじゃ。かつて、魔術に代わって世界を席巻していた技術の名称じゃ」

 また老人の妄言が始まった――ベバラスは相手に悟られないよう、小さいため息をもらした。

(ここからまた長話につきあわされてはたまらない。この部屋に籠もりきりのドクトルに代わって部隊の指揮を行っているのは自分なのだ)

「とにかく、原因究明を急いでください。発射の度にあれが現れては、必中を謳った砲撃にも陰りがでるでしょうね」

 ベバラスの皮肉に言葉を返さず、シュタインは手元のガラクタをゴチャゴチャといじり始める。

(話は終わりか)

 ようやくこの空間から解放される、と心の内で安堵のため息を漏らす。

 と、突然、踵を返したベバラスの横にあった壁が消え始めた。

(これは、魔法か)

 おそらく、幻惑の魔法陣を使って隙間を壁に見せかけていたのだろう。

 その秘密の空間を、大きな楕円形をした装置が占領していた。

 チューブや箱が複雑に組み合わされたその装置が何をするものかなど、ベバラスには見当もつかない。

 しかし、装置中央に設えられた、人間が入ってしまいそうな大きさのガラスケースを目にした瞬間、退室しようとしていた足が止まった。

 楕円形のケースの中――銀色の液体が詰まったその中には、ひとりの少女が入れられていたのだ。

「この娘は……」

 忘れもしない。ある島に奇襲をかけた時、シュタインからの命令によってベバラス自らの手でさらってきた少女だ。

 だが、記憶の中に残る少女と寸分違わぬ容貌を持っている不自然さに、ベバラスの目が細まる。

 武功をあげて隊長まで上り詰め、多少の老いを感じ始めた自分とは違い、目の前で瞼を閉じた少女の容貌は十年前と何も変わっていない。それはつまり、なんらかの方法で成長が止められているのだ。

 方法は、少女の長髪や皮膚が陶器のように白くなっている事から、容易に想像がつく。

(マイクローゼか……)

 何度目かわからないため息を吐くベバラス。

 マイクローゼとは、摂取した人間に様々な効能を与える銀色をした粘液状の物体である。しかし、大量に摂取すると日常生活にも支障をきたし始めるどころか、最悪死に至るという恐るべき副作用を兼ね備えている。ベバラスたちトライデントの人間も遠距離からの情報伝達や作戦指示の高速化を目的に定期的な摂取をつづけているが、目の前の少女は明らかに異常な量を注入されている。

「これが、マイクローゼを過剰摂取した結果……」

「その一例じゃな。人によってどうなるかは変わる。さ、文句があるなら、直接言ってやればよかろう。もっとも、まだ聴覚が残っていればの話だがのぉ」

 意地の悪い老人の愉快そうな笑いが、再び狭い研究室にこだました。


「凪いだ海ですね……」

 ネオ・ユニコーン号の艦橋で、ライムソーダを片手に夜の海を眺めるトマスの口から、つぶやきが漏れる。

「嵐の前の静けさって奴さ」

 隣の席で同じ光景を見つめるレイナは、腕を組んで厳しい表情のまま答えた。

 現在、トマス達ユニコーン海賊猟団は、ゴーガ島まで約半日の距離まで迫っていた。ここまでは順調な航海が続いている。

「明日は働きづめになるよ。寝なくて平気かい?」

「どうにも眠れないんです。気が張っているんですかね?」

「告白の前ってのは緊張するもんさ」

「茶化さないでくださいよ」

 わざとらしく拗ねるトマスの頭を、レイナはぐしぐしと荒っぽく撫でる。

 その表情が、家族に向けるそれから海賊の船長が持つ鋭いものへと変わっていく。

「ゴーガ島……どんな所だい?」

「島の中央に巨大な山がそびえる、中規模程度の大きさの島です。かつては希少な鉱石の採掘場としても使われていましたが、今は廃鉱となり、無人島になっている――はずでした」

「元々人が住んでいたなら、住居跡なんかも残ってるだろうね。坑道を利用すれば砲台の設置も通常よりは幾分かラクにできちゃうし、ずいぶん好条件な場所を見つけたものね」

「そうですね……まさか、こんな近い場所に潜んでいるとは、思いませんでした」

 ギリ、と思わず鳴った歯軋りの音をごまかすようにカップに口をつけながら、トマスはカーミラから聞いた話に考えを巡らせる。

「星導砲……一体どんな大砲なんでしょう?」

「さぁね……あたしが生きてた頃とは技術が雲泥の差だ。考察は若いのに任せるよ。まぁ、絶対外れないなんて大砲があるんだったら、先手を取ってその大砲を潰すくらいしか対策なんて思いつかないけどね」

「先手を取るのであれば、両側の二隻にお願いしましょう。なにしろ、回転砲塔やレーダーの性能は向こうの方が数段優れていますから」

 木造船を改修してむりやり砲塔を取り付けたネオ・ユニコーン号と違い、カーミラやエドワードの鋼鉄艦は最初から回転砲塔を搭載される前提で建造されている。砲の口径による射程距離から撃った際の反動軽減、さらに次弾発射にかかる時間まで、砲撃という点においては彼らの艦の方が勝っているのだ。

 さらに言えば、防御性能の面でもネオ・ユニコーン号は二人の艦に劣っている。優れている点は速度と機動性、木製であるがゆえのレーダーに対して持った隠密能力くらいだ。その性能差を覆して海賊船を制圧できている理由は、レイナの能力とムラサメを搭載しているという要因が大きい。

「それにしても、初期型の鋼鉄艦か……」

「何か引っかかりますか?」

「ああ。軍隊だっていうなら、もっと最新鋭の装備を備えているだろうと考えたんだけどね」

「逃亡してからは細々と補給するのが精一杯だったでしょうから、仕方ないですよ」

 トマスの言葉にも、レイナの厳しい表情は緩まない。

「不測の事態、って奴にならなきゃいいけど……それで、初めての対地・制圧戦、どうするつもりだい?」

「まず、レギルスが砲撃された地点より手前で霧を展開。港を探しつつ島を周回して、発見し次第上陸します」

「霧で通常の砲台は無力化できるか……星導砲はどうするんだい?」

「絶対外さないといっても、視界が遮られてしまえば狙う事ができないでしょう。レーダーを頼りに砲撃をかけてきても、レイナの霧でいち早く察知できますから、迅速な連絡を心がければカーミラやエドワードの艦にもあたらないはずです」

「そうだと、いいんだけどね……」

 レイナの不吉な呟きは、水平線の向こうが白みはじめた大海に呑まれていった。


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